第3話 数学者は怯えながら道をたどる 1

 数渡が再び少女に出会ったのは意外な場所だった。


 その日、数渡は書店で参考書を読み漁っていた。いくつか目を通した後で特に難しそうな数学の問題集を数冊買った。


 少女に出会ってからというもの、数渡の人生は一変した。テストで赤点を採ることもなくなったし、授業で当てられてまごつくこともなくなった。もともと数渡には数学が出来ないということ以外には目立った欠点というものがない。


 そのため、数学という鎖を解かれた数渡は、釈放された囚人の如く浮かれていた。むしろ今や数学は数渡にとって隠し持った拳銃と化し、北沢を筆頭とする今まで自分を馬鹿にしてきた奴らを容赦なく撃ち倒している。


 唯一彼の気にするところと言えば、なかなか亜麻色の髪を持った少女に会えないことだった。もちろん、学校も違うのだし、名前も知らないミステリアスな少女とそう簡単に出会えると思っていなかったが、数渡はどうしてももう一度彼女に会いたかった。


 参考書を買った後、漫画売り場をぶらぶらしていると同級生に遭遇した。


「お、九田じゃん。お前こんなところで何してんの?暇人か?」


「お前こそ、部活さぼりかよ」


 声をかけてきたのは同学年の安藤だった。一年の時は同じクラスでそこそこしゃべった仲だ。長身に長めの茶髪でヤンキー面だったが悪い奴ではなかった。


「今日オフだ。」


それから数渡の持っているレジ袋の中を覗き込み、つまらなそうな顔をした。


「なに参考書とか買ってんだよ。勉強ばっかしてても彼女はできねえって。」


「別に要らないし。」


「ま、いいや。おれこの後用事あるからもう行くわ。じゃあな。」


 そう言って立ち去ろうとする安藤を数渡は呼び止めた。


「ちょっと待って。安藤、この近くの学校の女子で亜麻色の髪の人って知らないか?」


「は、亜麻色?」


「灰色と茶色の間ぐらいの」


「東高の小島エリカってハーフなら知ってるけど・・・」


「どんな人?」


「ヤンキー、それにあいつ金パだ。」


「他にいないの?」


そこまで会話を終えた後、興奮気味の数渡の様子に気づいて安藤はにやりと笑う。


「何だ、お前も女子に興味あるんじゃねえか。」


 数渡はそう言われて冷静になるとともに、羞恥心が沸き起こった。確かに少女には会いたい。だがそれは最近身の周りで起こっている超常現象の説明をしてもらいたいからだ。数渡は自分にそう言い聞かせた。


 あの日少女によって投げ出された真っ黒い空間と光り輝く数式、回答が書き込まれていたルーズリーフ、なぜ自分は急に数学が出来るようになったのか、その全てを彼女には訊かなければならない。

 だが、本当にそれだけだろうか?もっと単純で複雑な、もっと純粋で奇怪な思いがあるのではないか。数渡は必死にその考えを拭い去ろうとした。


「じゃ、おれは行くわ。まあ頑張れよ。」


 全くの他人ごとといった感じでそう言いながら数渡の肩をポンと叩いて安藤は去っていった。その背中を数渡はぼんやりと眺めていた。

 

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