第45話

「それはダメだ。フィオナに触れるな」


 沈黙の中、唯一口を開いたのはエドガー様だった。竜は顔を顰めた。


『てっきり萎縮して声も出せないと思っていたが、これはどうしてなかなかに良く喋る小鼠だ』


「エドガー様、やめてください。殺されてしまうかも……ちょっと、静かにしていてください……」


 慌ててエドガー様の口を塞ごうとするが、エドガー様は私の手を掴んで抱き寄せた。


「一体何が目的なのかと黙って話を聞いていれば。我慢の限界だ。ふざけるな。常識で考えろ」


 エドガー様は怒っているようだった。竜はまさか反抗されるとは思っていなかったらしく、視線を逸らした。


『む、むっ?』


「彼女は俺の妻だ。力がどうとか、上位種だからとか関係ない。俺の方が彼女を愛しているのだから、お前には渡さない」


「エドガー様……!!」


 私の感動をよそに、竜は半歩後ろに下がった。


『しかし、番の匂いはしない……』


「そんな事お前には関係ないだろう!!」


 エドガー様は盛大にキレた。


「個人個人の家庭の事情に首を突っ込むんじゃない! 大方、そういう気遣いができないから同族に相手にされないんだろう」


『ふぐっ』


「だいたい、ぽっと出のくせしてお前はなんだ? いきなり人の自宅に上がり込んで破壊するようなやつにはいそうですかと渡すやつがいるか。どんな目に合わされるかわかったもんじゃない。ただの同僚だとしても俺は反対するぞ」


 エドガー様は竜相手に一歩も引かない。


「あいつは、こうと決めたら恐れを知らない奴なんだ……」


 王様は動けるようになったのか、こっそりと私の足元まで這いずってきた。その顔は真剣そのもので、反撃の機会を窺っている様だった。


『む、む、む、この半端者め。口だけは達者なようだが、お前は何を持っている? 儂はほら、人化もできるし、飛べるし、火も吹けるし、財産も島もあるが』


「見ればわかるだろう! 特に何もないが!?」


『ぱ……パッとしない雄のくせに、聖女を独り占めしようとしているのか? お前ちょっと厚かましくない?』


「それでもだ。力があろうと、権力があろうと、フィオナのためを思って行動しやない奴はふさわしくない。こっちは人生かけてるんだぞ!! 調子に乗るなこの聖女のせの字も知らないど素人め!!」


 竜はだんだん押されてきた。人間に言葉で反論されるなんて、想像したこともなかったのかもしれない。


『うっ、わかった、おさげの娘はあきらめる。嫌われたら意味ないし……』


 竜が途切れ途切れながらも、私を連れていくのはやめる、と言った。しかしエドガー様の攻撃はとどまるところを知らない。


「ここでまさか『やっぱりブリギッテにする』とか言い出したりしないだろうな?まさか誇り高き竜ともあろうものが、そんなしみったれた男みたいな真似をするつもりか?」


『うーーん、聖女はあきらめる。あきらめるが……。そうだ、娘が生まれたら儂にくれると言う契約を結ぶなら帰ってやろうじゃないか』


「ダメに決まっているだろう。孫だろうがひ孫だろうがなんでもダメだ」

『強欲すぎるだろう! これだから人間は!』


「強欲なのはお前だ! 彼女? なる存在が将来的に実在するとして。生まれで全てが決まってしまうのはよくない。彼女……? が成長して、自由意志で竜を選ぶと言うのなら反対はしない」


『めんどくさいやつだな! もうちょっと場をうまく収めようと忖度する気持ちはないのか!』


「あるわけないだろう! とにかく破壊行為をやめて、人民を解放し、宮殿の賠償しろ。その上で力が有り余っていると言うのなら、ダリルを呼んできてやるから北の果てで思う存分殺しあってくれ」


 この状況で唐突に出てきた『ダリル王子』と言う単語に竜はピクリと反応した。


『むっ。その名前は聞いたことがある。我ら竜種に楯つく生意気な餓鬼であると。お前はその縁者か? 良く見ると色が同じだ。あれ? 確かその餓鬼の番の聖女を奪って嫁にしたらかっこいいとかそんな話だったような……ん? じゃあ、聖女の番だと言い張るお前は何者だ?』


「他人だ。しかし、果たし状を送るぐらいならしてやるぞ」

「なるほどなるほど。決闘をして儂の強さを全世界に知らしめればこちらから誘わずとも他の雌がよりどりみどり。そういう訳だな?」


「もちろんもちろん。な?」


 エドガー様、この状況で私を強制的に小芝居に参加させるのはやめてください。


「そう……ですね。はい」


 とりあえず相槌をうつ。何を考えているのかわからないが、流石に本気で北部に送り込むつもりではないだろう。私と違って、昔馴染みの二人は何かに気がついたようだ。


「しかし、やつは王子。無名の竜ではいまいち信憑性にかけるので呼び出しに応じないだろう。魔力で署名をするとしよう。名前は?」


「ギュスタヴ……」

「はいはいギュスタヴ。なるほど


「今だ!」


 アーチボルド王の指輪が光り、光の檻がギュスタヴを取り囲んだ。その瞬間、部屋に充満していた『圧』が消える。


「ぐえ!」

「竜を封じ込める、魔女の指輪……」


 博物館で聞いた話が脳裏に蘇る。王が竜との知恵比べに勝利した。伝承は本当だったのだ!


「まさか自分で使うことになるとは……練習しておいてよかったな」


 アーチボルド王はすっくと立ち上がり、手をひらひらと振った。ウミガメの精霊を呼び出して契約を結んだ……おそらく、その時に実際に指輪に力があるかどうか試したのだろう。


「追い払うにはこれしかないと思っていたが、思いの外間抜けで助かった」


 エドガー様はなんとも言えない表情で考えこむ様子を見せた。来てくれてありがとう、と爽やかにアーチボルド王は握手を求めて近づいてくる。やっぱり大物かもしれない。


「貴様ー! 騙したな! 許さん! この恨み、忘れぬぞ!!」


 光の檻の中で、竜改めギュスタヴ少年はギャンギャンと唸っていた。


「こんなとてつもなくバカな作戦に引っかかる方が悪い」


 エドガー様は勝ち誇ったように檻をバンと叩き、ギュスタヴは歯をむき出しにして威嚇するが、もう完全に雌雄は決したようで、控えていた臣下の人たちがなだれ込んできた。


「やれやれ……」

「エドガー様……好き……! かっこよかったですよ!」


「え……いや、全く格好良くはなかったと思うが……結局、私は何も……」

「私が良ければいいんですっ。ところで……私のことを愛してるって本当ですか?」


「ああ」


「……まとめると、私の事を他の人に見せたくなくて、でも自分と一緒にいる時はおしゃれさせたくて、他の人に反対されても諦めたくなくて、私と一緒に暮らすためなら圧力にも残業にも屈しない、人生をかけてもいい。ついでに美人だと思ってる。そういうことでいいんですか?」


「一字一句相違なく」

「……っ」


 この展開はアツい。 小説だったらクライマックスのシーンに違いない。


「この勢いでキスしましょう。むしろしろ。してください。しないと怒ります」

「こら、やめなさい!人前ではしたない! 二人が見て……ないな」


 お二人はもっとアツアツで、状況的に向こうの方が主役みたいな配置だった。絵になる二人である。


「ほら! 誰も見てないですから。今のうちに、ねっ」

「ちょ……」


『儂を放置していちゃつくのをやめろ〜!! これだから人間は『年中発情期』とか言われるんだ!!』


 大声で邪魔をされたので振り向くと、ギュスタヴはがたがたと檻を揺らしながら泣いていた。


「ずるい……なんで……どうして儂はモテないんだ……」


 ぼろぼろと涙をこぼすその姿に、先ほどまでの威圧感は全く感じない。


「ちょっと悪そうな方がモテる、なんて嘘じゃんか……普通に嫌われて、儂は恥ずかしい……ふええ……」



 ギュスタヴは竜帝兄弟のみそっかす──体が小さくて、他の雌に相手にされずにうろちょろしており、結界が弱まっている隙をついて『観光』していた。


 そうしているうちに聖女を連れて帰れば、他の仲間たちから一目置かれるだろう、と思い立ったのだそうだ。つまり結構正直にありのままを語っていたと言うわけだ。


「儂にも誰か紹介してくれ!」

「いるわけないだろう。まずは弁償しろ!」



 そのまま、慌ただしく夜はふけていった。何しろ橋が壊れているので、移動にも一苦労だ。


 避難民は他にも大量におり、怪我人を治療したりしているうちに、疲労で意識が遠くなっていった。



 目が覚めると、最初に訪れた休憩室のソファーで倒れていた。朝日が超絶眩しい。エドガー様が私の肘のあたりでソファーにもたれかかりながら眠っている。


「エドガー様、おはよう……ございます……」


 返事はなかった。なかったので、私はちょっと悪事をはたらくことにした。このくらい、構わないだろう。

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