第38話

またこの世に未解決事件が増えてしまったが、誰かの空腹を満たせたのならひとまずよしとして、せっかくなので靴ぐらい買おうと言うので宿にほど近いお店でパーティー用の靴を購入する。艶のある布に、キラキラとしたビーズを縫い止めたもの。


 今まで式典の時は「まったく実用的ではない」限界爪先立ちの靴を履かされていたが、もっとヒールの低いものだ。購入の条件は有事の際に走れそうなもの。


 パーティーに行くのにその発想はどうなのだ、と人は言うだろう。しかしこの人生、実際に走ったり逃げたりする場面が多いのだから仕方がない。



「……」


 身支度を済ませ、昨日もらった首飾りをつけ、鏡を覗き込む。自分を見てひとつ気になる事がある。


 このドレスはいただけない。


 別に似合わないとは言わないが、エドガー様が貸衣装屋で選んだドレスは、何か……私が王宮で着ていた聖女の服に似ているのだ。


 選択権は私にあるものの、どうにもエドガー様はこれを推している様子だった。実は、頻繁にこのような事がある。


 もしかして、もしかしなくとも、エドガー様は普段の私より王宮に居た時の私の方が好みなのかもしれない。三つ編みは便利で楽ちんなのだが、子供っぽくていまいちだと思われているのだろうか。


「うーん」


 まあそれは後ほど『事情聴取』をするとして。ロビーに向かうと私たちの他にも招待客がいるらしく、何組かのカップルが馬車に乗り込んでいくのが見えた。


「はっ、これは夫婦揃って公の場で初お披露目……!?」


 馬車に揺られながら、思わずそんなことを考える。顔が火照るのを感じ、思わず顔を覆ってしまう。


「大丈夫か? 疲れたらすぐに言ってくれ」

「いいえ、大丈夫です」


 なんのこれしき、聖女時代の連勤と比べたらなんでもありませんよと顔を上げる。



 エドガー様は私をエスコートしてくれた。本で読んだパーティーに自分が参加できるなんて、なんだか夢見心地だ。いや出席はこれまでにもしていましたけれど。


 ああ、なんの準備もせずにただ参加するだけでこんなに楽しい気持ちになるなんて。


 私たちはエドガー・マクミランとフィオナ・マクミランとして王宮に招かれた。肩書きは外交官夫妻。


 ギリギリ、ギリギリギリギリ国家公務員だし外遊なので嘘ではないレベル。


 昔この地に留学していて、王の学友だった縁で、来年から赴任することになった。それに先駆けて新婚旅行にやって来た──嘘にいくつかの本当を混ぜるのは、詐欺の常套手段だと、私は本で読みましたよ。


 エドガー様はまさしくこの国の文化に詳しいので、誰も疑っている様子は見せない。


「ではご結婚されたばかりで?」

「はい。職場が一緒でして」

「仕事に理解のある奥方とはうらやましい」


 私は下手なことを言ってボロが出るとまずいので、ずっとニコニコしている。エドガー様は世間話をするのに集中しているので、こっそりとお酒を拝借する。果物を漬け込んだワインだ。甘くて美味しい。


「うふふふふ……」


 いつもより、ワインが染みる。


 その時、またしても視線を感じた。


「むっ!!」


 こちらを見ている人がいる! 誰だろう。上座に居るアーチボルド王か聖女ブリギッテだろうか? あたりをきょろきょろと見渡すが、やはりはっきりしたことはわからなかった。


「フィオナ、お酒はもうやめなさい」


 エドガー様が話を切り上げて戻ってきた。


「良い夜には、良いお酒が必要なんですっ」

「飲まなくても良い夜はある」


 そう言って手招きされた先にあったのは、広めのバルコニーだった。



 バルコニー。それは貴婦人が一人で夜風に当たっていると優男がやって来て何かいい感じになる重要スポット。よく本に出てくるから間違いない。ほんのり潮の香りがする。


「ここが、あの伝説のバルコニーですか!」

「この場所には何の逸話もなかったはずだが」


 うーん、このボケはおとぼけではなくどうやら本気。だんだん『わかって』きましたよ。


 夜の海は凪いでいるが、ここまで波音が聞こえてくる。これはロマンチック。


「ここで待っていれば案内役が来るはずだ」

「先ほどから感じる視線はその方ですかね?」


 先程の明確な、刺すような視線ではないが継続してチラチラと私を見ている人が何人かいるのだ。


「いや……単純に、フィオナが美人なので見ていただけだろう」


「えっ?」


 さらっとすごいことを言われたような。


「今私のこと可愛いって言いました?」

「可愛いではなく、美人と」


 エドガー様は大真面目な顔で繰り返した。もちろん酔っているはずもなく。


「えっ……わたし……私って、美人なんですか……?」


 グラスを近くのテーブルに置き、数歩後ずさる。衝撃的な事実に体がよろめいた。


「私はそう思っているが」


「ふぎゃっ!!!!」


 私の口から意図しない奇声が飛び出し、心臓が爆発四散しそうになった。もとい、感情が制御できなくなって勢い余って結界を破壊しそうになってしまう。慌てて呼吸を整える。


「どうした!?」

「すみません、ちょっとむせてしまっ……」


 エドガー様が差し出してきたハンカチにはものすごく見覚えがあった。それは、私が市民講座で刺繍体験をした時の習作。使ってくれていたのは嬉しいけれど、ここでそれを見るのは恥ずかしい……!


「げほっ!!」

「大丈夫か!?」


 全く大丈夫ではない。いきなり全力で私の精神を攻撃するのは控えていただきたいものだ……。

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