第2449話

 取りあえずニールセンとは明日の昼前にまたここに来るということを約束したレイは、そのまま妖精の集落……の近くと思しき場所から移動した。


「で、これからどうするのだ? また樵達の所に行くのか?」

「いや、ウィスプのいる地下空間に行ってみる。アナスタシア達がしっかりと仕事をしてるかどうかを確認したいし、それ以外にもちょっとやるべきことがあるし」


 レイは昨日グリムにドラゴニアスの死体を一匹渡している。

 ドラゴニアスの死体は一日経つと使い物にならなくなるというのは分かっているので、その死体が置かれてきたのはケンタウロス達のいる世界にだ。

 そちらであれば、もしかしたら今日になっても死体が使い物にならなくなったりせず、普通にマジックアイテムの素材として使えるのではないかと、そう思ったのだが……その結果はレイも是非知っておきたい。


「私はそれでも構わないが……アーラはどうだ?」

「エレーナ様が行くのであれば、私に否はありません」

「そういうことらしい」


 そうして、レイ達はトレントの森の中央にある地下空間に向かう。

 妖精のいた場所からそれなりに距離はあったが、セトがいれば迷うことはない。

 ……実際には、セトがいなければレイだけで妖精のいる場所に行けるかと言われれば、正直なところ微妙なのだが。

 セトが匂いで覚えているので、レイは心配していなかった。

 実際には、セトも微妙に方向音痴気味なところがあるのだが、今はその件については綺麗に忘れているらしい。

 幸い、トレントの森をこうして移動している間に、何か面倒なこと……具体的にはモンスターや動物に襲われるといったようなこともなく、快適に森の中を進める。


「こうして見ると、やっぱりトレントの森ってすごしやすいんだよな」

「そうだな」


 周囲の様子を眺めながら呟かれたレイの言葉に、エレーナが同意する。

 森の中は木々が大量に生えており、その木々によって強烈な自己主張をしてくる夏の太陽から放たれる日光を和らげてくれている。

 木漏れ日……と表現してもいいものかどうかレイは少し迷ったが、それでも現在の状況を考えるとやはりそう表現するしかレイには出来ない。


(でも、俺のイメージだと木漏れ日って春なんだよな。夏だと……何だ木漏れ日の印象と違うというか何と言うか……いやまぁ、そんなことを考えても意味はないけどな)


 そんな風に考えていると、エレーナが再び口を開く。


「このトレントの森で働いている者達は、夏の暑さを幾らかしのげるという点では運がいいな」

「そうかもしれないな。けど、何だかんだと動き回ってるんだから、結局暑くはなるだろうけど」


 例え多少森の外より涼しくても、樵はここに生えている木を伐採する為に何度も繰り返し斧を振るのだ。

 そうなれば、当然の話だが汗を掻く。

 ……レイがデスサイズでやるように、一閃しただけで木の伐採が出来るのならともかく、普通の樵はそのような真似が出来ないのだから当然だった。

 冒険者達も、樵の雑用をしているような者達は伐採された木の枝を切ったり、その木を運びやすいように一ヶ所に纏めたりといったような真似をする必要がある以上、どうしても身体を動かす必要がある。

 そういう意味では、雑用ではなく護衛をしている者達の方がまだ動かなくてもいい分、楽なのだろう。

 ……もっとも、モンスターや動物が襲ってくるようなことになった場合、護衛の冒険者は当然のようにそちらに対処する必要があるので、他の者達以上に忙しく働く必要があるのだが。


「増築工事で実際に働いている者達に比べると、かなり快適なのは間違いないけどな」


 レイのその言葉に、エレーナとアーラの二人は思わずといった様子で納得する。

 実際、太陽から降り注ぐ強烈な直射日光の中で増築工事をするというのは、それだけ厳しいのは間違いのない事実だ。

 少なくても、レイはそのような真似を好んでしたいとは思わない。

 仕事である以上、やりたくなくてもやらなければならないというのは、間違いのない事実なのだろうが。


「グルゥ」


 と、木々の間を縫うようにしながら移動していたセトが、不意に喉を鳴らす。

 それは敵が近付いてきたといったような警戒を示すような声ではなく、目的の場所に近付いてきたといったことを示す鳴き声。


「お、到着したか。……セトには地上で待ってて貰うことになると思うから、この辺で適当に遊んでいてくれ」

「グルゥ……」


 同じような鳴き声だったが、そこに込められているのは少し寂しいといった感情。

 あるいは、ここに誰か一緒に遊んでくれる相手がいれば、セトもそこまで残念がる必要はなかったのかもしれないが。


(ミレイヌとかヨハンナがいれば、セトも寂しさを感じたりはしないんだけど。……何だか、ここでセトの相手をするからって名前を呼べば、どこからともなく現れそうで怖いよな)


 普通に考えれば、とてもではないが有り得ない。

 それは分かっているのだが、ミレイヌとヨハンナの場合はセト可愛さでその普通をどうにか出来そうなのが、恐ろしいところだ。

 有り得ないということは、それこそミレイヌとヨハンナに限っては有り得ない。

 セトの為であれば、それこそどのような不条理なことをしてもおかしくはないという、妙な信頼がレイの中にはあった。

 あったのだが、それを考えると本当にミレイヌやヨハンナが姿を現しそうな気がして、すぐに首を横に振る。


「取りあえず、セトはこの辺で自由にしていてくれ」


 先程と同じようなことを口にしたレイだったが、何故そのような真似をしたのか分からないセトは、不思議に思いながらも頷く。


「グルゥ」


 そうして頷いたセトを撫で……そしてレイの視線は地下空間に通じる場所に向けられる。


「行くか。……構わないよな?」

「当然だろう。でなければ、何故私がここまでレイと一緒に来たのか、分からない」


 念の為に尋ねたレイの言葉に、エレーナはあっさりとそう返す。

 当然、エレーナがそう言う以上、アーラにも地下空間に行かないという選択肢はない。

 そうして、レイ達はセトをその場に残して地下空間に向かう。

 ……地上で待つことになったセトは、レイ達がいなくなった状況で寂しそうに鳴き声を上げたものの、それでどうにか出来る筈もない。

 今の状況において、必要なのはあくまでも地下空間に行けるだけの大きさ……正確には小ささだ。

 体長三mを超えている今のセトでは、サイズ変更のスキルを使っても人間がどうにか移動出来る通路を進むことは出来ない。

 もしセトが地下空間に行くのであれば、それこそグリムの力を借りてこの場所と地下空間を直接繋げて貰って転移する必要があった。

 少しの間……本当に少しの間だが、グリムが自分の存在に気が付いてくれないかなと期待したものの、そんな様子もない。

 あるいは、これがいつもであればグリムもセトの存在に気が付いたかもしれないが……生憎と今のグリムは外の様子に気を配っている余裕はない。

 いや、アナスタシア達に見つからないように行動しているので、全く気を配っていないという訳でもないのだが。

 ともあれ、今のグリムはレイが昨日ケンタウロスの世界に置いてきたドラゴニアスの死体を調査しているということもあり、セトの存在に気が付くことは出来なかった。


「グルゥ」


 再び残念そうに喉を鳴らすと、セトはレイ達が入っていった場所から少し離れた地面の上で横になる。

 トレントの森は木々のおかげである程度夏の強烈な直射日光が遮られてはいるが、それでも今の時間帯の暑さは相当なものだ。

 普通であれば、このような場所で昼寝をしようとしても暑くて寝ることは出来ないだろう。

 だが……セトはグリフォンだ。それもその辺のモンスターとは違い、ランクS相当の非常に強力な高ランクモンスター。

 昼間の砂漠のような高温であっても、氷点下の世界であっても、何の問題もなく眠ることが出来る。

 そのような環境と比べれば、この程度の暑さの中で眠るのは全く問題はない。

 寧ろ、心地いい寝床ですらあった。

 ……そうして半分眠り、半分は起きて危険な存在が近付いてこないかどうかを警戒していると……何羽かの綺麗な色の羽根を持つ小鳥がやってきて、眠っているセトの身体の上に降りる。

 普通であれば、グリフォンという存在に小鳥が近付くといったことはない。

 それでも今こうしてセトの身体の上に何羽もの小鳥がいて、寛いだ様子を見せているのは……それだけセトが気配を絶っているからだろう。

 セトは自分のそんな状況は理解しつつも、気配を絶ったまま眠る。

 ……実は少し離れた場所に二頭の鹿が隠れているのにもセトは気が付いていたのだが、向こうから近付いてこなければ取り合えず放っておくことにしたのだろう。






「あら、レイ? どうしたの? それにエレーナさん達も……」


 地下空間の中、ウィスプのいる場所にレイ達がやってくると、アナスタシアがそんな声をかける。

アナスタシアにしてみれば、レイがこの地下空間にやって来るとは思わなかったのだろう。


「こっちの様子が気になってな。……具体的には、アナスタシアがまた向こうの世界に行かないかと」

「あのね。少しは信用してもいいんじゃない?」

「無理だ」


 アナスタシアが言い終わったかどうか分からないうちに、レイは即座にそう返す。

 それこそ、半ば反射的にと言ってもいいくらい即座に。


「……あのね……」


 アナスタシアも、まさかそんなに即座に否定されるとは思っていなかったのか、複雑そうにそう告げる。

 だが、アナスタシアの性格を知っているレイにしてみれば、そこでアナスタシアの言葉を信じる訳にはいかなかった。


(もっとも、向こうの世界にはグリムがいる筈だし、もしアナスタシアが向こうの世界に行こうとしても止めてただろうけど)


 レイにしてみれば、エルフのアナスタシアが信用出来ず、アンデッドのグリムが信用出来るという……色々な意味で複雑な状況になっていてた。


「しょうがないかと」


 レイの言葉の正しさを証明するかのように、ファナがそう告げる。

 いつものように仮面を被っているのでその表情は分からないが、それでもファナがアナスタシアの性格を理解しているだけに、レイの言葉が強い説得力を持つのは当然だった。

 アナスタシアとあまり接点のないエレーナとアーラの二人は、特に何を言うでもなく様子を見ている。

 レイの言葉の方が正しいだろうと思ってはいるのだろうが、ここで迂闊に口出しすると、色々と面倒なことになりそうだと、そう判断しているのだろう。

 実際、その判断は間違っていない。


「まぁ、その件は置いておくとして……」

「置いておくの!?」

「置いておくとして、だ。ウィスプの研究の方はどうだ? 何か分かったのか?」

「あのね、幾ら何でも一日で研究が急激に進む筈がないでしょ。勿論、時にはいきなりそういう事も起きたりするけど……奇跡っていうのは、起きないから奇跡なのよ」


 いいことを言った!

 そんな様子のアナスタシアだったが、レイはそんなアナスタシアをスルーして口を開く。


「分かった。なら、そのままウィスプの研究を続けててくれ。俺はこの地下空間を適当に見て回るから」

「……何でそんな真似を?」

「ウィスプの件で色々と調べておきたいことがあるからな。だからこそ、何か妙なところがないのか調べておきたい」


 この地下空間は、それなりの広さがある。

 しかし、アナスタシアにとって気になるのはあくまでもウィスプだけである以上、地下空間の中にはそこまで興味がない筈だった。

 ……だからこそ、レイはそんな理由をつけて地下空間に来ることが出来るのだが。

 もしアナスタシアがウィスプだけではなく地下空間にも興味を持っていれば、レイがここに来る理由を探すのは一苦労だっただろう。

 それでもグリムと接触するためには、ここに来る必要がある。

 いや、最悪の場合は対のオーブを使えばグリムと連絡を取れるのだが……問題なのは、グリムが自分の研究に夢中になって対のオーブが受信状態になっても気が付かない可能性があるということか。

 今は向こうの世界にいるので、尚更だろう。


「ふーん。……それは構わないけど、こっちの邪魔をしないでよ? それより、妖精はどうなったの? やっぱりまだ見つからない?」


 その言葉に、レイは見つけたと言おうとしたが、今のこの状況でそんなことを言った場合は間違いなくアナスタシアに根掘り葉掘り事情を聞かれることになるだろうと判断し、適当に誤魔化す。


「そんなに簡単に妖精を見つけることが出来ると思うか?」

「やっぱり無理だったのね」


 レイは、見つけたとは言っていない。……見つけてないとも言っていないが。

 そんな風に話を誤魔化し、取りあえずアナスタシアからの追求を回避するのだった。

 ……エレーナとアーラは若干呆れの視線をレイに向けていたが。

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