第2432話
レイがギルムに戻ってきた日の夜、マリーナの家では庭のテーブルに多くの料理が並んでいた。
レイ達が異世界から戻ってきた、祝いのパーティだ。
……勿論、パーティと言っても大袈裟なものではなく、豪華な宴会といった感じのものだったが。
「このスープ、酸味がいい感じだな」
赤く、見るからに辛いと思われるスープを飲んだレイがそう呟く。
外見程に辛くはなく、見た目を裏切るかのような酸味が口の中を驚かす。
だが、それはただ口の中を驚かせるといったようなものではなく、鶏肉の味を楽しむことも出来るし、各種野菜も結構な量が入っている。
(トムヤムクンだっけ? 確かすっぱ辛いスープがあったよな。タイとか台湾とか、そっちの料理だったと思うけど)
レイが知っているのは、あくまでも知識で実際にトムヤムクンを味わったことはない。
そもそも、東北の田舎にあったレイの故郷に外国の料理を出す店はそう多くはなく、少なくてもレイが知ってる限りではトムヤムクンを出している店というのはなかった。
実際には、スーパーでレトルトが売っていたり、場合によっては通販で購入するということも出来たのだが、そちらはレイがちょっかいを出すことはなかった。
だからこそ、すっぱ辛い――辛みは大分少ないが――このスープが、恐らくトムヤムクンという料理に近い味なのだろうと、自分で勝手にそう思う。
「ああ、その料理? それはレイが向こうの世界に行ってる時に新たに出来た店の料理よ。……今のギルムは大勢が集まっているから、料理も今まで以上に色々とあるのよね」
「……なるほど」
その言葉は、レイを納得させるのに十分だった。
勿論、増築工事が始まる前であってもギルムはミレアーナ王国唯一の辺境ということで、多くの者達が集まってきてはいた。
だが、ギルムにまで無事に到着出来るのは、当然の話だが相応の技量を持つか……もしくは、とんでもない幸運の持ち主に限る。
そうである以上、増築工事の為に多くの者がやってくる今に比べると、どうしてもやってくる人数に差が出るのは当然だった。
そして人数が多くなれば、冒険者だけではなく様々な技量を持った者も集まることになり、そんな中には料理を得意とする者がいてもおかしくはない。
勿論、基本的に現在のギルムに集まってくる者は増築工事の仕事を求めてのことだが……何らかの理由で、増築工事ではなく他の仕事、例えば自分の得意な料理を屋台で売ったり、場合によっては店を出すという幸運に恵まれた者も出て来る。
そんな幸運を掴んだ者は、本当に一握りの者だけだろうが……ともあれ、レイが飲んでいるトムヤムクンに似ている――あくまでもレイの知識からの印象だが――スープは、そのような者が出した店から購入してきたものなのだろう。
「少し珍しい味付けでしょ? その味付けが人気なのよ」
「夏だから、というのもあるかもしれないな」
これまたレイのイメージだが、辛い料理と言われてレイが思い出すのはカレーだが、夏とカレーというのはイメージ的にそう間違っているものではない。
また、酸っぱいというのも、夏になれば冷やし中華を食べるようになるというのを考えれば……半ば強引な考えではあったが、レイはそんな風に納得する。
それ以外にもレイが知っている料理、知らない料理と様々な料理がテーブルの上に並んでいて、レイ達の帰還を祝うパーティは続く。
「ん」
ビューネはヴィヘラにオーク肉の串焼きを差し出す。
普通の串焼きは、そのまま肉を串で刺して焼くといったものだ。
勿論それはあくまでも基本的な調理法で、肉のどの部分に串を刺すか、焼いている肉の状態を見抜く目、味付けのタイミング……といったように、色々と細かい技術が必要になる。
同じ材料を使って串焼きを作っても、焼いている者の技量によって驚く程に味の違いが出る。
そんな奥深い料理が串焼きなのだが、ビューネがヴィヘラに差し出した串焼きは、一味違っていた。
串に刺して焼く前に、肉を蒸していたのだ。
それによってオーク肉は焼いても柔らかい触感を残しつつ、それでいて香ばしい焼き目も楽しむことが出来るといったようになっている。
「ふふっ、ありがとう」
ヴィヘラもビューネから渡された串焼きを受け取り、食べる。
基本的に他人とのコミュニケーション能力が決して高くないビューネだ。
以前であれば、ヴィヘラと一緒に行動することでその辺をカバーして貰っていたのだが、今回ヴィヘラは長期間異世界に行ってしまっていた。
そうである以上、ビューネは当然ながら自分だけでどうにか仕事をする必要がある。
(苦労したのは間違いないだろうな)
ヴィヘラに甘えているビューネの様子を見ながら、レイはしみじみと思う。
そもそも『ん』という言葉しか発しないビューネだ。
ヴィヘラがいない状況でどうやって他人と意思疎通をしたのか、レイは興味を持つ。
「それで? 明日はエレーナとアーラもトレントの森に行くんでしょ? ビューネはともかく、ヴィヘラはどうするの? 私は仕事の関係上、診療所を休むことは出来ないけど」
一通り空腹を癒やしたところで、マリーナがその場にいる全員に声を掛ける。
尚、当然の話だが妖精の件はビューネにも知らされている。
ただ、金儲けに敏感な筈のビューネが、何故か妖精には興味を示さなかった。
その理由は分からなかったが、レイとしてはビューネにも出来れば妖精の探索に協力して欲しかったのだが、ビューネからは街中の見回りに行くという返事を貰っている。
……会話でそう理解した訳ではなく、ヴィヘラの通訳によってそれを理解したのだが。
「そうね。私も今までビューネを一人にしてしまっていたのを考えると、街中の見回りに回った方がいいでしょうね。ビューネがその気なら一緒に妖精を探してもよかったんだけど……今回は譲るわ」
そう言い、ヴィヘラの視線はエレーナに向けられる。
マリーナが診療所の仕事で忙しく、自分はビューネと共に見回りの仕事をする。
そうなると、今回はレイと一緒にいるのはエレーナとなる。
……実際にはエレーナと一緒にアーラも来るし、アナスタシアやファナもまた一緒に来る可能性が高かったが。
アナスタシアにしてみれば、自分の好奇心を満足させるという意味では、それこそトレントの森の地下に存在するウィスプや、ケンタウロスがいた向こう側の世界がある。
だが、同時に妖精という存在もアナスタシアの興味を惹くには十分な存在だったのだ。
であれば、アナスタシアがどこに興味を抱くか。
(多分、妖精だろうな)
ウィスプは、異世界と繋がるまで調査を行っていた。
異世界はまだ十分に満足した訳ではないが、それでもかなり長期間向こうの世界ですごすことが出来た。
そんな二つに比べて、妖精は今日初めて会ったのだ。
であれば、アナスタシアの興味がその三つのどこに向くのか、考えるまでもなく明らかだろう。
「そうなると、セトだけじゃなくてイエロも妖精探しに役立つんじゃない?」
マリーナのその言葉に、レイ達の視線はセトの側で一緒に料理を食べているイエロに向けられる。
これがセトなら、自分に視線を向けられたことに気が付いて顔を上げたりするのだが、まだ小さなイエロは目の前の食事に夢中で、自分が見られていることに気が付いた様子はない。
「イエロもその気になれば、きちんと探索が出来るのは私が保証しよう」
夢中になって食事をしているイエロを見ていたエレーナだったが、やがてそう断言する。
実際、今までイエロは何度か偵察の類をしているので、その言葉には説得力があった。
「なら、明日は俺とセト、エレーナとアーラとイエロ。……後、こっちはまだ確定ではないけど、アナスタシアとファナだな」
「何だかんだと結構人数が多くなるみたいね。けど、エレーナとアーラはどうするの? 馬で?」
マリーナのその言葉に、エレーナはセトを見た。
マリーナの家の厩舎には、エレーナの馬がいる。
正確にはエレーナが長距離を移動する時にマジックアイテムの馬車を牽く馬で、当然のように一級品の馬だ。
セトと一緒に行動している時間も長く、セトを怖がるといったことはない。
ないのだが……馬というのは、林や森といったような場所は決して得意ではなかった。
馬よりも巨大なセトが普通にトレントの森の中を走っているが、これはセトが色々な意味で特殊だからというのが大きい。
とはいえ、そうなるとトレントの森の中で何に乗って移動するのかとなると馬以外に当てがないのも事実だ。
(イエロは……今は無理か)
将来的に、イエロは黒竜となってエレーナを背中に乗せるようなことも出来るだろう。
だが、それはあくまでも将来……それも数年といった程度ではなく、十数年……下手をしたら数十年、場合によっては数百年単位で先になる可能性もある。
今のイエロはまだ小さく、とてもではないがその背中に乗るといったことは出来ない。
ましてや、もしイエロに乗ることが出来たとしても、イエロは空を飛ぶ以上、木の枝によって地上を見ることは難しい。
「そうなると、やっぱりセトか? ……エレーナとアーラの二人だけど、多分大丈夫だろうし」
アナスタシアとファナの二人を同時に乗せて走ることも、少し前までは珍しくなかったのだ。
であれば、エレーナとアーラの二人を乗せても大丈夫ではないかと、そうレイは思う。
勿論、アナスタシアとファナの二人に対して、エレーナとアーラは体重が違う。
アナスタシアは大人のエルフだが、その身体は華奢でファナは背が小さい。
それに比べると、エレーナは非常に女らしい起伏に富んだ身体で、アーラもまた相応に女らしい。
また……二人共が研究者のアナスタシア達と違って、エレーナとアーラの二人は戦士でもある。
筋肉と脂肪では筋肉の方が重量がある以上、アナスタシアとファナを乗せて大丈夫だったからといって、エレーナとアーラを背中に乗せても大丈夫かどうかは、微妙なところだろう。
(まぁ、熊とかでも普通に持って飛べるだけの膂力があるんだから、女二人くらいは全く問題ないだろうけど)
そう判断したレイは、口を開く。
「じゃあ、エレーナとアーラは俺と一緒にセトに乗るってことで、構わないよな?」
「私は構わないが……本当にいいのか?」
「ああ。エレーナとアーラの二人くらいなら、俺と一緒に乗っても問題はない。……ただ、セトの乗り心地は馬と違うから、最初は少し戸惑うかもしれないけどな。……だろ?」
レイが視線を向けたのは、異世界でレイと一緒にセトに乗っていたヴィヘラだ。
レイはずっとセトに乗っているので、その辺りの違いは特に気にしたこともないが、馬に乗ることも珍しくないヴィヘラなら、馬とセトの違いを口に出来るのではないかと、そう思ったのだ。
「そうね。やっぱり身体の構造が違うからだと思うけど、乗り心地は違うわ。けど、動物に乗るというのは変わらないから、エレーナやアーラなら最初は少し戸惑うかもしれないけど、すぐに慣れると思うわ。それに……いざとなったら、レイに体重を預けて任せてしまえばいいんだもの」
「……それだと、私はともかくアーラが困るのでは?」
何気にレイの後ろに乗るのは自分だと言外に告げるエレーナ。
だが、アーラも別にレイの後ろに乗る権利をエレーナと競うつもりはない以上、不満を口に出すことはない。
「それなら、私はエレーナ様の後ろに乗るので、エレーナ様に合わせれば問題はないかと」
こうして、あっさりと話は決まる。
そうして明日のことが片付くと、当然ながら異世界での出来事を話すことになり……
「精霊の卵ね。……興味深いわね」
やはりと言うべきか、精霊魔法使いとしては一流を超えた技量の持ち主たるマリーナは、精霊の卵に興味を持つ。
「アナスタシアではどうにも出来なかったけど、マリーナなら精霊の卵をどうにか出来るかもしれないな。……とはいえ、マリーナは診療所を休むことが出来ないとなると、冬になるまで向こうに行けないが」
「でも、ケンタウロスというのは遊牧民族なんでしょ? だとすれば、冬どころか秋になってしまえば、もういなくなる可能性も否定出来ないんじゃない?」
「それは……まぁ、そうだな」
マリーナの言葉は間違っていない。
それこそ、いつ今いる場所から移動してもおかしくはないのだ。
ドラゴニアスの件が解決した以上、場合によっては明日にでも移動してもおかしくはない。
「そうなると、何とか出来るだけ早く……一度だけでいいから、マリーナを向こうの世界に連れて行きたいな」
そう思いつつ、他にもドラゴニアスの女王についての話をしながら、レイ達はパーティを楽しむのだった。
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