第2433話

 空中を真っ直ぐ自分に向かって飛んでくる攻撃を、ヴィヘラは紙一重……ではなく、大きく距離を取って回避する。

 いつもであれば、ヴィヘラが敵の攻撃を回避する時にここまで大袈裟な動きをしたりはしない。

 それでもここまで大きく回避をしたのは、飛んできた攻撃がエレーナの持つ連接剣のミラージュだからだろう。

 刃が鞭状になって放たれたその一撃は、それを操っているエレーナが手首を少し動かしただけで、刃の部分が空中で大きく曲がる。

 ヴィヘラが紙一重で攻撃を回避しても、その紙一重以上に連接剣が大きく動けば、当然の話だがそれに意味はなくなってしまう。

 だからこそ、エレーナが連接剣を動かしても全く問題がないように大きく距離を取ったのだ。

 そんなヴィヘラの狙いはエレーナも当然のように理解しており……だが、それでも……いや、だからこそより激しく手首を動かす。

 ヴィヘラが予想していたよりも、空中で大きく動く刃。

 だが、ヴィヘラは距離があったこともあってか、当然のようにその攻撃を見切り……そのまま一気にエレーナとの間合いを詰めようとする。

 エレーナの振るうミラージュは、鞭状になっている以上当然のように普通の鞭と同じような弱点を持つ。

 つまり、槍のような長柄の武器と同様に間合いの内側に入られれば対処が難しいということだ。

 ……もっとも、それはミラージュを使っているエレーナが一番理解していることであり、それに対処する方法も知っている。


「させると思うか!?」


 手首の動きだけで、ミラージュを手元に戻そうとする。

 その動きは、ミラージュがマジックアイテムであるということを示すかのように、常識的な動きではない。

 素早い動きは、そのままであればヴィヘラの背中から襲い掛かるには十分だった。

 だが……これまで何度となくエレーナとの模擬戦を行っているヴィヘラにしてみれば、ここでこのような動きをすれば、エレーナがどう動くのかは容易に想像出来る。

 ……同時に、エレーナもまたヴィヘラの動きは想定の範囲内だった。

 ミラージュを持つエレーナと戦った者の多くは、連接剣という非常に稀な武器を前に、何も出来ずに倒されていく。

 それでも中にはそんなミラージュの攻撃に対応するといった者もいる。

 そのような者達の多くが取る手段が、ヴィヘラのように一気に間合いを詰めるというものだ。

 それだけに、エレーナもこのような場合に取る対応はそう難しいものではない。


「ふっ!」


 そんなエレーナが行った、背後からの攻撃にヴィヘラが対処したのは、鋭く息を吐き、ミラージュの刃が自分に命中する直前に素早く跳躍して背後からの一撃を回避するという行動。

 例えミラージュがマジックアイテムで、エレーナの意思通りに動くとしても……その刃が実在しているというのは、間違いのない事実だ。

 つまり、その刃が空気を斬り裂く音はしっかりとヴィヘラの耳にも聞こえている。

 その音と、背後から自分に向かってくる気配や殺気を感じ、その攻撃を極限の瞬間に回避したのだ。


「っとっ!」


 標的に命中する筈だったミラージュの刃だったが、その標的がいなくなると当然のようにその先にいるエレーナに向かって飛んでいく。

 エレーナはミラージュを操り、自分に向かって飛んでくる刃の動きを止める。

 ピタリ、と。エレーナの目の前で動きが止まったミラージュだったが、その隙を突くかのようにヴィヘラが間合いを詰めて拳を突き出す。

 エレーナも当然のようにその動きに反応し、ミラージュを持っていない方の手で拳の一撃を防ごうとするが……


「はい、終わり」

「え?」


 エレーナの口から、間の抜けた声が出る。

 当然だろう。今、自分は間違いなく左手でヴィヘラの右拳を弾いた筈だった。

 だというのに、何故か左手はヴィヘラの右拳に触れるといったようなことはなく、気が付けばヴィヘラの右拳はエレーナの顔のすぐ前で止められていたのだから。


「……何をした?」


 訝しげな様子で尋ねるエレーナに、ヴィヘラは顔面の側で止められていた拳を引きながら、してやったりといった笑みを浮かべつつ、口を開く。


「さて、何をしたのかしらね」


 その態度は、ヴィヘラが何をしたのか……どうやって防御した筈の場所を潜り抜けてきたのか、話すつもりがないのは誰が見ても明らかだった。


「ぬぅ」


 不満に思いつつも、エレーナはそれ以上ヴィヘラを責めたりはしない。

 そもそも、幾ら仲間であっても自分の切り札をそう簡単に相手に教えるといったような真似は、普通しない。

 それでもヴィヘラの奥の手がどういうものだったのかを知りたければ、それこそ自分で解明してみせる必要があるのは間違いなかった。

 ……とはいえ、ヴィヘラが行ったのが具体的にどのようなものなのか、エレーナは今の時点では全く想像出来なかったが。


「二人とも、そろそろ朝食が出来るわよ」


 悩んでいるエレーナと、得意げなヴィヘラの耳に入ってきたのは、マリーナの声。

 その声に中庭の中央に視線を向けると、そこには確かに朝食の準備が整えられていた。

 また、少し離れた場所でイメージトレーニングとして何らかの敵と戦っていたレイも、デスサイズと黄昏の槍をミスティリングに戻してそちらに向かっている。


「では、朝食にしようか」


 エレーナはヴィヘラの一件を若干疑問に思いながらも、今日のことを考えると朝食は出来るだけ早く食べたかった。

 何しろ、レイと共に妖精を探しに行くのだから。

 妖精を見つけることが出来るかどうかというのは、正直微妙なところではあるのだが。

 その件を抜きにしても、レイと一緒に出掛けることが出来るというのは、エレーナにとってこれ以上ない程に嬉しいことだった。

 ……ただでさえ、昨日まではヴィヘラがレイと一緒に異世界に行っていたのだから。

 自分の役割を考えれば、それは仕方がないと分かる。

 だが、それでもやはり恋する乙女としては好きな男と一緒に出掛けるといった真似をしたいと思うのは当然だろう。

 ……それを口に出すような真似は出来なかったが。

 そうして皆で朝食の時間となる。

 セトやイエロも、昨日と同様地面に置かれた皿の中にある料理を食べる。

 昨日の残りもあるが、それ以外にも焼きたてのパンや出来たばかりのスープ、新鮮な果実やサラダといった料理が並ぶ。

 そこまで豪華という訳ではないが、それでも見ている者であれば間違いなく空腹から腹を鳴らすだろう。

 レイ、ヴィヘラ、エレーナの三人は、朝食前に身体を動かしていたこともあってか食事を楽しむ。

 そして食事を終えると、それぞれが行動に移る。

 マリーナは真っ直ぐ診療所に向かい、ヴィヘラとビューネの二人はギルドに向かって見回りの仕事を受ける。

 レイとエレーナ、アーラ、セト、イエロの三人と二匹は、真っ直ぐギルムから出る。

 朝で皆がこれから仕事に向かおうとしている中だったが、レイ達は見るからに特別な存在だと思えたのか、街中を歩いている者達は自然と道を空ける。

 セトは見る者が見れば……いや、誰であっても道を空けるといったようなことは普通に行うだろうし、エレーナの場合はその美貌と姫将軍の異名が広まっており、迂闊にちょっかいを掛ける者はいない。……もしいても、アーラが即座にその腕力を見せることになるだろうが。

 レイはそれこそギルムで知らない者はいないし、現在行われている増築工事においても、最近は姿を見せなかったが、少し前まではかなりの活躍をしていた。

 それこそ、増築工事で誰が一番働いているかを聞かれれば、多くの者がレイの名前を出してもおかしくはない程に。

 中にはセト愛好家の姿もあったが、それでも今は仕事に向かう方が先だと考えてか、セトに軽く声を掛けるだけで離れていく。


「セトちゃん、セトちゃん、セトちゃーん!」


 そんな中、不意にレイの耳に聞き覚えのある声が聞こえ、見覚えのある姿が現れた。


「ちょっと! セトちゃんと遊ぶのは私に決まってるでしょ! 一体、何なのよ!」


 ……それも二人。

 ランクCパーティ灼熱の風を率いるミレイヌと、ベスティア帝国で起きた内乱においてレイと共に遊撃隊に参加したヨハンナ。

 そんな二人が、競うようにセトのいる方に向かって走ってくるが……


「ぎゃっ!」

「痛っ! ちょっと!」


 灼熱の風の魔法使いにして、ミレイヌのお目付役のスルニンが杖でミレイヌの頭部を殴ると、レイに頭を下げ、魔法使いとは思えない膂力でミレイヌを引きずっていく。

 その隣では、こちらもまたレイと一緒に遊撃隊だった男の一人が素手でヨハンナの頭を殴り、レイに深々と一礼してから強引に連れ去っていく。


「人気者だな」

「イエロもそのうち人気者になると思うけどな」


 エレーナの言葉に、レイはそう返す。

 実際、イエロも外見はまだ子供の黒竜ということもあってかなり愛らしい。

 それでもセトのように人気が出ないのは、単純に街中に出る機会が少ないからだろう。

 もしくは、姫将軍の異名を持つエレーナの使い魔であるという話が広まっているおかげか。

 ギルムの住人にとっても、姫将軍というのは大きな意味を持つ言葉だ。

 その出自……ケレベル公爵家の令嬢であることも知られている以上、迂闊にちょっかいを出して不興を被ることになれば、それこそ最悪としか言いようがない結果が待っている。

 だからこそ、エレーナの使い魔のイエロには迂闊なことが出来ない。

 迂闊にちょっかいを出せば酷い目にあうというのは、レイもまた同じように思われているのだが……そんな中でもセトがここまで人気者になったのは、レイが初めてギルムに来た時からセトを連れていたからというのが大きいだろう。

 まだ冒険者でも何でもなかったレイが……もしくは、レイが冒険者になったばかりの頃からギルムを拠点にしていたことで、まだレイがそこまで有名ではない時にセトと接する機会が多かったというのが、今のセトの人気に理由であってもおかしくはない。


「……取りあえず、行くか」

「うむ」


 目の前で繰り広げられた光景はスルーし、レイが呟く。

 エレーナもレイの言葉には同意だったのか、すぐに頷く。


(あ、そう言えば……そうか。俺が昨日ギルムに来たって話は、ミレイヌとヨハンナなら知っていてもおかしくはない。けど、俺が昨日泊まったのは、夕暮れの小麦亭じゃなくてマリーナの家だったから……)


 ミレイヌもヨハンナも、レイが泊まっている場所と言われて真っ先に思いつくのは、夕暮れの小麦亭だろう。

 だが、夕暮れの小麦亭でレイが借りている部屋には、アナスタシアとファナが泊まっているだけで、レイはいない。

 当然のように、夕暮れの小麦亭の厩舎に行ってもセトはいない。

 そして貴族街は現在警備が強化されている。

 それでも灼熱の風のミレイヌは、ギルムの若手の中でも有望株の一人と言われている。

 ヨハンナの方も……実家がベスティア帝国の中ではそれなりの大きさの商会である以上、ギルムの貴族と知り合いがいてもおかしくはない。

 そういう意味では、二人とも貴族街に入ってきてもおかしくはないのだが……


(あ、精霊魔法でマリーナの家の敷地内に入れなかったとか?)


 ミレイヌとヨハンナがセトに抱いているのは、純粋な愛情だろう。

 だが、その愛情も度がすぎれば精霊に悪意と見なされ、マリーナの精霊魔法によって家の敷地内に入ることが出来なくてもおかしくはない。

 何気にその可能性が高いことを理解しながらも、それについては触れないままレイは道を進み……そして夕暮れの小麦亭に向かおうとしたところで、ちょうど前方から二頭の鹿に乗ったアナスタシアとファナが姿を現す。

 異世界では特に誰も気にした様子はなかったのだが、やはりこうして街中で鹿に乗っているのを見ると周囲の者達の視線を集めていた。

 アナスタシアはかなりスレンダーな身体付きではあるが、エルフらしく顔立ちは非常に整っており、美人と呼ぶに相応しい。

 ファナにいたっては、仮面を被っているのだ。

 そんな二人が、一般的な馬ではなく鹿に乗っているのだから、目立つなという方が無理だろう。


「あら、レイ。……エレーナ様も? 一体どうしたんです?」


 レイの姿を見て、嬉しそうに――レイに会えたということではなく、トレントの森に行けるということで――笑みを浮かべたアナスタシアだったが、レイと一緒にいるのがエレーナとアーラであると理解すると、不思議そうな視線を向ける。

 だが、その視線を向けられたエレーナは、笑みを浮かべつつ口を開く。


「今日は、私達も一緒に行動させて貰うことになった」


 そんなエレーナの言葉はアナスタシアにとっても予想外だったのか、口を大きく開けて驚きの表情を浮かべるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る