第2431話

「おお、何だか随分と久しぶりに戻ってきた感じがするな」


 貴族街にあるマリーナの家の前に立って、レイがしみじみと呟く。

 どこか、一種の懐かしさすら感じさせるような家。

 そんなマリーナの家を見てしみじみとそのように思うのは、レイにとっては自分でも少し意外だった。

 とはいえ、その意外さは別にそう嫌なものではない。


「そうね。何だかんだと結構な時間、向こうの世界にいたもの。それより、懐かしさを感じているのはいいけど、そろそろ中に入りましょう。何人か見てるわよ?」


 そう告げたヴィヘラの視線が向けられたのは、道を歩いている何人かの冒険者。

 この貴族街で貴族達の屋敷を守り、敷地内に妙な相手が入ってこないようにと雇われた護衛達。

 その護衛の数は、増築工事が始まる前よりも明らかに増えている。

 増築工事が行われるようになって偶然迷い込んだという者もいれば、何か妙な考えを抱いて貴族街に入り込む者もいる。

 それらの理由から、貴族街の貴族に雇われる冒険者の数は以前よりも明らかに増えている。

 ……もっとも、貴族街に雇われる冒険者というのは、技量もそうだが信用も問われる。

 そういう意味で、基本的にはギルドから推薦された冒険者達であり、そのような者達であれば当然のようにレイ達のことも知っている。

 実際、貴族街の端の方にあるマリーナの家の前に立っているレイ達を見る冒険者達の視線は、怪しい相手を警戒するというよりは、何をしてるんだろうという疑問や、どこか微笑ましい様子を見る視線といった色の方が強い。

 レイやヴィヘラ、セトといった面々が、マリーナの家に泊まっているというのを理解しているからこその態度だろう。


「……入るか」


 ヴィヘラの言葉で冒険者達の視線に気が付いたレイは、若干照れ隠しを込めてそう呟く。

 ヴィヘラもレイの言葉に異論はなく、セトと共にマリーナの家の敷地内に入る。

 マリーナの家は、貴族街に建っている他の大きな屋敷と比べると、かなり小さい。

 だが、それでも貴族街に建っているだけはあって、街中の一軒家と比べると明らかにその大きさは上だ。

 そして何より、マリーナの家が他の貴族の屋敷と違うのは、マリーナの精霊魔法によって守られていることだろう。

 悪意を持っている者は屋敷の敷地内に入ることが出来ないし、そんな状況で無理に敷地内に入ろうとしようものなら、精霊によって攻撃されることになる。

 そういう意味では、他の貴族達が冒険者を雇って行っていることが、マリーナの場合は自分の精霊魔法で行われているのだ。

 これだけでも、マリーナがどれだけ精霊魔法使いとして高い技量を持っているのかが分かる。

 実際、同じ精霊魔法使いのアナスタシアは、マリーナの家に来て驚いていたのを、レイは見ていた。

 今回マリーナの家に泊まるのではなく夕暮れの小麦亭に泊まったのは、その辺りの理由もあるのだろう。

 レイとヴィヘラ、セトはマリーナの家の敷地内を進む。

 向かうのは、家の中……ではなく、中庭。

 いつもセトがエレーナの使い魔のイエロと遊んでいる場所だ。

 普通であれば、真夏に外にいるといったことはないのだが、ここでもまたマリーナの精霊魔法によって、敷地内の気温はすごしやすいように整えられている。

 レイの場合は、ドラゴンローブを着ているので、その恩恵はないのだが。


「おや、レイ。ヴィヘラとセトも。……どうやら無事だったようで何よりだ」


 中庭に運び込まれたテーブルに飲んでいた紅茶のカップを置き。エレーナが縦ロールの髪を掻き上げながら、笑みを浮かべてそう告げる。

 レイ達が戻ってきたことを喜んでいるのは間違いないが、それと同時にレイ達が無事に戻ってくるのを確信している様子だった。


「ああ、取りあえず何とか終わったよ。……もっとも、新しい問題が起きたけど」

「ほう、興味深い。もう少し詳しい話を聞かせて貰おう。……アーラ、レイとヴィヘラにも紅茶を。それとセトには何か食べられるものを……いや、セトに何か料理を出すのは後でだな」


 イエロが空を飛び、セトに近付いていくのを見ながら……そしてセトもまた、そんなイエロを見て嬉しそうにしている。

 そんな二匹の様子を見れば、今セトに何らかの料理を出しても、それを放っておいてイエロと一緒に遊び始めるだろうことは、エレーナであれば……いや、この場にいる誰であっても容易に想像出来た。


「悪いけど、そうしてやってくれ。セトも久しぶりにイエロと会うことが出来て、嬉しく思ってるんだろうし」

「あの二匹、種族が違うのに仲がいいのよね」


 早速二匹揃って中庭を走り回って――イエロは飛んでいたが――いる様子を見ながら、ヴィヘラがしみじみと呟く。

 普通に考えれば、体長三mを超えているグリフォンと、子供とはいえ黒竜がいるのだ。

 何の前情報も持たない者がこの光景を見れば、間違いなく混乱し……場合によっては恐怖どころか絶望すら覚えるだろう。

 しかし、セトやイエロの性格を知っているレイ達は、特にそんな光景を見ても気にしないで……それどころか、微笑ましい光景でも見るような思いを抱く。

 そんな思いを懐きつつ、アーラが家の中から持ってきた椅子に座ると、すぐに紅茶が用意される。


「それで? ダスカー殿からは、次にどのような依頼をされたのだ?」

「妖精だよ」


 本来なら、エレーナはレイにとっては仲間ではあるが、妖精のことを話してもいい相手ではないだろう。

 ダスカーからはどうしても話さなければならない相手には話してもいいと許可を貰っていたが、エレーナはレイの仲間であると同時に貴族派から派遣されてきた人物でもある。

 その辺りの事情を考えれば、やはり妖精の件は言わない方がいいのかもしれないが……だが、レイにとってエレーナという相手は心の底から信頼出来る人物だ。

 もしエレーナに話したことで情報が漏れた場合であっても、後悔はしない。

 そのくらい、エレーナのことを信頼している。

 これはエレーナだけではなく、マリーナやヴィヘラといった面々も同様だ。


「妖精? ……妖精がどうかしたのか?」

「いや、向こうの世界からこっちに戻ってきて、地下空間から地上に出たらいきなり目の前に妖精がいてな。勿論妖精は俺達を見つけてすぐに逃げていったけど。……今更ながら、あの時どうにかして捕らえておけばよかった」


 もしあの時に妖精を捕らえていれば、何故トレントの森に来たのか、そしてトレントの森で悪戯をしているのはやはり妖精達なのか。……それ以外にも、色々と聞くことが出来たのは間違いない。

 それが出来なかったのは、あまりに妖精の出現が予想外だった為だ。

 まさか、地上に出た瞬間にいきなり妖精がいるとは、レイにとっても全く想像していなかった。

 だからこそ、妖精を見た瞬間に呆然としてしまい……その隙に妖精は逃げてしまった。

 とはいえ、レイ以外の者であっても妖精を捕らえることが出来たのかと言われれば、それが自分なら大丈夫と言うような者がいるのかは分からないが。


「妖精……か。私も妖精を直接見たことはないな。……一応聞くが、見間違いという可能性は?」

「ないな。そもそも、俺以外にもヴィヘラやアナスタシア、ファナも妖精を見ている」

「……なるほど」

「それに、最近ではトレントの森で色々と悪戯が行われているらしい。それも、単純に悪戯と呼ぶような真似が出来ないような、致命的な悪戯も」


 長剣を収めている鞘の中身が変わっているというのは、冒険者にしてみれば致命的だ。

 もしモンスターと遭遇して長剣を引き抜いた時、その長剣が自分の物でない場合に感じる動揺は致命的な筈だ。

 少なくても、もしレイが戦っている敵がそのような動揺をして隙を見せれば、一瞬でデスサイズなり黄昏の槍なりを使って相手を仕留める自信があった。

 また、妖精の悪戯はそれ以外にも致命的なものが多い。

 これは別に妖精が悪戯を仕掛ける相手に害意を持っているのではなく、そもそもの認識が違うのだ。

 ……でなければ、セレムース平原でレイが見たような悪趣味な悪戯をしたりはしないだろう。


「それで? 妖精を見つけて、どうするのだ?」

「取りあえず、ダスカー様からの依頼だと現在はどれくらいの妖精がトレントの森にいるのかを確認して、他にもいつまでトレントの森にいるのか、とかだな」


 妖精がいるというのは、大きなプラス要因でもあるが、同時にマイナス要因でもある。

 気まぐれな妖精の性格を考えれば、それこそどちらに転がるかというのは運次第という一面が大きい。


「それは、また……大変そうだな。私も噂やお伽噺でしか聞いたことがないが、妖精というのは見つけるのが酷く難しいといった話を聞くぞ?」

「だろうな。俺もその辺は聞いた覚えがある。それに、妖精は何気に普通に戦っても強いしな」


 勿論、妖精の大きさは掌程あるかどうかといった程度の大きさだ。

 そんな相手だけに、まともに肉体的な戦いを行うとなれば、妖精はかなり弱い。……もっとも、レイのように小柄でも人間離れした身体能力を持っている者もいるので、必ずしも小さいと弱いはイコールではないのだが。

 それでも、レイが知っている限り……それこそモンスター辞典――妖精をモンスターに分類するのは正しいのかどうか微妙だが――に載っていた情報や、それ以外にもお伽噺、もしくは以前妖精に会ったことがあると言っている者達――それが嘘か真実かは分からないが――から聞いた話、それ以外も言い伝えといったものから、妖精が強いというのは間違いなかった。

 とはいえ、その強さは身体能力的な強さではなく、魔法を使ったりスキルや特殊能力といったものを使ったりしての強さだ。

 ましてや、妖精の大きさを考えれば戦っている者達も攻撃を命中させるといったようなことはかなり難しいだろう。

 そして現在妖精が出没しているのは、トレントの森の中で、そこに生えている木々が妖精にとって強力な防壁となる。


「それにしても……ふむ、妖精か」

「エレーナ様? 一応、明日も面会を希望している方はいますよ?」


 長年エレーナと一緒に行動してきただけあって、アーラはエレーナの言葉を聞いた瞬間に何を考えているのかを予想し、そう告げる。

 とはいえ、エレーナがレイをどう思っているのか知っているアーラとしては、レイと一緒に行動出来る機会を奪うということに、後ろめたいものを感じるのも事実だ。


「それは知っている。しかし、面会に関しては絶対という訳ではなく、可能ならということだった筈だが?」


 姫将軍という異名を持ち、貴族派を率いているケレベル公爵家の令嬢という一面も持つエレーナは、当然のようにお近づきになりたいと思う者は多い。

 だからこそ、毎日のように面会希望者がやって来るのだ。

 ……だからといって、希望者全員と面会をする訳にもいかない以上、当然面会する相手はエレーナ側で選ぶことになる。

 そういう意味で、エレーナがどうしても嫌なら面会をする必要もない。

 とはいえ、貴族派の人間としてギルムに来ている以上は、当然のように多くの貴族や商人といった者達と面識を持った方がいいのだが。


「それはそうですが……分かりました。けど、休みは明日だけですよ? 明後日からはしっかりと仕事をして貰いますからね」


 これ以上言っても、間違いなくエレーナの思いを曲げることは出来ないと理解したアーラは、そう引き下がる。

 アーラにとっても、レイとエレーナが一緒にいられる時間が増えるのは、間違いなく嬉しいことだ。

 そのような思いがあったからこそ、アーラも引き下がることにしたのだろう。


「じゃあ、明日はエレーナと……アーラはどうする?」

「エレーナ様が行くのですから、私も当然一緒に行かせて貰います。それに……妖精を見てみたいという思いはありますし」


 エレーナのことを止めようとしていたアーラだったが、アーラ本人も自分の目で妖精を見ることが出来るのなら、そうしたいという思いがあったのは事実だ。

 エレーナの件を抜きにすれば、アーラも妖精に強い興味を持っていたということだろう。


「分かった」


 アーラが自分も行くと言っても、レイはそれに対して特に何かを言うつもりはない。

 これが全く見知らぬ相手であればまだしも、アーラはレイにとっても信頼出来る人物なのは間違いないのだから。

 ……レイとアーラの初対面は、エレーナと目が合ってお互いに何かを感じたのを見たアーラが、レイがエレーナに何かをしようとしたと判断して攻撃をするといったような、そんな初対面だったのだが。

 そんな二人が、今となってはお互いにしっかりと信頼しあっていると考え……レイはそれをどこか面白く感じるのだった。 

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