第2429話

 アナスタシアとファナの二人を夕暮れの小麦亭に案内する。

 当然の話だが、久しぶりに帰ってきた常連の姿に女将のラナはその恰幅のいい身体を震わせ、嬉しそうに笑う。

 そして、今夜自分の部屋をアナスタシアとファナに使わせて欲しいと言うと……


「構いませんよ。お金は貰ってますしね。それに、あの部屋も折角だから誰かに使って貰った方が嬉しいでしょうし」


 あっさりと、そう言ってくる。

 なお、本来ならファナはギルムに住んでいたのだが、レイのように長期間宿泊料金を前払い出来ない以上、宿は既に追い出されているだろうということで、取りあえずアナスタシアと一緒の部屋に泊まることになったのだ。

 現在のギルムにおいては、宿は幾らあっても足りない。

 そうである以上、支払期限がすぎてしまえば、いつまでもファナに部屋を貸すといったような真似が出来ないと宿側が考えるのは当然だろう。

 レイが借りている部屋は、あくまでも一人用のものだ。

 だが、アナスタシアとファナの二人であれば、取りあえず今日だけならそこまで問題はない。


「お世話になるわね」

「よろしくお願いします」


 そう告げ、アナスタシアとファナはラナにそう言って頭を下げる。

 こうしてアナスタシア達の泊まる場所を確保したということで、レイ達は今日くらいは部屋でゆっくりすると、不承不承納得したアナスタシア達と別れて街中に出る。


「さて、それでどうするの? エレーナとアーラがいるだろうマリーナの家に戻ってみる? それとも診療所にいってマリーナに会う? もしくは、ギルドに向かう?」

「そうだな。ギルドには妖精についての情報があると思うか?」

「どうかしら。多分ないんじゃない? もしあるとしても、かなり少ないと思うわよ?」

「だよな」


 ヴィヘラの口から出た言葉は、レイの予想通りでもあった。

 妖精を見つけることそのものが非常に稀な以上、妖精についての情報がそう多くあるとは思えなかったのだ。


(とはいえ、久しぶりにギルムに戻ってきたんだし、レノラやケニーに挨拶をしておいた方がいいだろうな)


 レイが異世界に行っていたということは、当然のようにギルドには知らされていない。

 異世界の件は可能な限り秘密にしなければならない以上、当然だろう。

 ……元ギルドマスターのマリーナは当然のようにその一件を知ってはいるが、その情報をギルドに流すといったようなことはない。

 なので、レノラやケニーにしてみれば、レイ達がどこに行っていたのかは不明だったということになる。

 レイの実力は十分に知っているので、そう簡単にレイが殺されるといったようなことはないだろうと思っているのだろうが、それでも冒険者である以上、何があるか分からないのは事実だ。

 ましてや、レイが行っていたのは異世界だ。

 異世界の存在が秘密裏にされている以上、レイがどこにいるのかといったことはレノラ達でも知ることは出来なかった。


「で、どうするの?」


 ヴィヘラの言葉に、取りあえずギルドに向かうのは一旦止めておいて診療所に行った方がいいかと、そう納得出来た。

 マリーナから、妖精について何らかの情報を入手出来るのではないか。

 そう思い、診療所に向かうとヴィへラに告げる。

 ヴィヘラもマリーナに会いに行くということに異論はないのか、素直に頷く。


「そうね。じゃあ、そうしましょうか」


 セトもレイの言葉に異論はなかったのか、分かったと喉を鳴らす。

 こうして、二人と一匹は診療所に向かって進む。

 ただし、久しぶりにレイとセトが顔を見せたのだから、屋台の店主達は何人もが声を掛ける。

 屋台の店主達にしてみれば、レイやセトは大口の客だ。……実際に料金を支払うのはレイなのだが。

 ともあれ、上手く行けば数十人分の客と同じ売り上げを生み出してくれるレイは、まさに上客以外のなにものでもない。ただし……


「ご馳走さん」

「え?」


 短く一言だけそう告げると、別の屋台に向かったレイに店主は慌てて声を掛ける。


「ちょっ、ちょっと待ってくれ。纏め買いはしてくれないのか!?」

「そうだな。買い貯めしたくなる味じゃなかったし」


 そう、レイが纏め買いするのは、あくまでも自分が……もしくはセトが美味いと思った料理だ。

 今の場合では、ヴィヘラも入るが。

 つまり、自分がまた食べたいと思わない料理であれば、わざわざそれを大量に買い貯めする訳がない。

 普通に考えれば、自分が食べて美味いと思わない料理をわざわざ大量に買うだろうか。

 そんな当然のことを、レイの購入する量に気を取られてすっかりと忘れていたのだろう。


「あ……」


 去っていくレイとセトに何か声を掛けようとした屋台の店主だったが、レイ達はそれを気にした様子はなく、別の屋台に向かう。


「くそっ」


 悔しそうに呟く店主だったが、それで何が解決する訳でもない。

 この店主に出来るのは、自分の屋台で売っている料理の味を上げて、またレイが来た時に自分の料理を認めて貰うことだけだろう。

 あるいは、レイの舌に合う料理は自分の料理ではないと頭を切り替えて、独自の味を探求していくという手もあるが。

 そうして買われない店もあれば……


「お、この冷たいスープ美味いな。あるだけ全部くれ。鍋ごとでもいいけど、どうする?」

「おお、この味を分かってくれるか。やっぱりこういう暑い時は冷たいスープだよな。ああ、勿論鍋ごとでいいけど、マジックアイテムの方は勘弁してくれ」


 こうして、鍋ごとスープを売るといったような屋台も出て来る。


「レイらしいわね」


 レイと一緒に移動しながら、幾つかの屋台からか購入した食べ物を味わいつつ、ヴィヘラが若干の呆れと共に呟く。

 戦いを好む……つまり身体を動かすことが多いヴィヘラは、一般的な女が食べる量よりもかなり多く食べる。

 それでいて必要以上に体重が増えないのは、ヴィヘラが毎日の訓練を欠かしていないからだろう。

 普段ヴィヘラが一体どれだけ身体を動かしているのかを考えれば、それこそ幾ら食べても太るといったことはない筈だった。

 そうして屋台で買い食いをし、時にはセト愛好家達が久しぶりにセトを見て少し遊ばせたり……時には、レイ達がいない間にギルムに来たのか、ヴィヘラにちょっかいを出そうとしてあっさり返り討ちにされる……といったようなことをしながらも街中を進み、やがて目的の場所に到着する。


「並んでる人はいないな」

「……いるの?」


 診療所を見てレイが呟いた言葉に、ヴィヘラがそんな疑問を口にする。

 診療所はここ以外にも幾つかあるのだから、ここが一杯になっていたらそっちに行けばいいのではないかと、そう思うのは当然だった。

 勿論、マリーナの精霊魔法がある以上、他の診療所ではどうしようもない重傷者はここにやって来るのがいいのだろうが。


「ああ。何回か見たことがある。それだけ、マリーナの腕がいいってことだろ。……とにかくマリーナに会って、忙しくないようならどこか別の場所に移動して妖精について聞いてみよう」

「そうね。この様子だと、そこまで忙しくなさそうだし」


 レイとヴィヘラがそう話していると、セトは何かを言われるよりも前に自分から少し離れた場所に移動する。

 この診療所には今まで何度か来ているので、自分が入れるような場所ではないと、そう理解しているのだろう。

 レイはセトを見送ってから、ヴィヘラと共に診療所に向かう。

 扉の前に立つと、診療所の中から聞こえてくる声が幾つかあるが、幸いそこまで忙しそうな様子の声ではない。

 扉をノックすると、怪我人が来たとでも思ったのかすぐに扉が開かれ、レイも何度か見たことのある女が姿を現す。


「あら、レイさん。お久しぶりです」

「久しぶり。マリーナは?」

「ちょうど先程治療が終わって、休んでいるところです。呼んできましょうか?」

「頼む」


 レイの言葉に頷くと、女はそのままマリーナを呼びにいく。

 ヴィヘラの姿を見て驚きの表情を浮かべたが、それも一瞬だ。

 元々冒険者の中には、突飛な服装をする者も多い。

 そもそも、この診療所で働いているマリーナも背中や肩、胸元が派手に開いているパーティドレスを着ている。

 そんなマリーナと一緒に働いているのだから、娼婦や踊り子が着るような向こう側が透けて見える薄衣を身に纏っているヴィヘラを見ても、そこまで驚くようなことはないのだろう。

 やがて一分経ったかどうかといったくらいで、レイにとっては見慣れた……それでいてこの短い時間で懐かしいと思える顔が姿を現す。


「戻ってきたのね。……全部片付いた?」

「ああ」

「そう。ならいいわ」


 その短い言葉のやり取りだけで、レイとヴィヘラが問題なかったといったことを理解したのか、マリーナが頷く。


「それで? 診療所まで来たということは、何か理由があるんでしょ? 勿論、私の顔を見に来たというだけでも歓迎するけど」


 女の艶を強烈に感じさせる笑みを浮かべるマリーナ。

 そんなマリーナに一瞬だけ目を奪われるも、レイはすぐに頷く。


「ああ。実はこっちに戻ってきてすぐにちょっとした問題が起きてな」

「……レイらしいわね」


 マリーナにとって、レイというのはいつでもトラブルの中心にいるような存在だ。

 いや、寧ろトラブルを自分から引き寄せていると行ってもいい。

 実際、アナスタシアとファナを異世界のどこにいるとも分からない状況から助け出すといったことを行った後で、いきなりまた何らかのトラブルにぶつかったというのだ。

 これでトラブルを引き寄せていないと言われても、到底納得出来ないだろう。


「俺らしいって……別に俺が好んで何か問題を起こした訳じゃないぞ? ……ともあれ、その件を話したいから前に行った喫茶店に行きたいんだが、構わないか?」

「ええ、今は暇だし問題ないわ。ただ、もし急に怪我人が運ばれてきたら、すぐに戻らなきゃならないけど」

「それはマリーナの仕事なんだから、しょうがないだろ」


 即座にレイは告げる。

 診療所での治療がマリーナの仕事である以上、マリーナが言ってることは十分に理解出来た。

 そんなレイの様子に笑みを浮かべ、マリーナはちょっと待っててと言ってから診療所に戻り、数分もしないうちに戻ってくる。

 喫茶店に行くということと、もし何か問題があったらすぐに呼びに来るようにと、そう言ってきたのだ。

 そうして、レイ達は喫茶店に向かうのだった。






「お待たせしました」


 店員がそう言いながら、冷たい紅茶と果実水、それに軽く食べられる料理を幾つかテーブルの上に並べていく。

 そして店員が去ると、果実水を飲みながらマリーナがレイに向かって尋ねる。


「それで? 今度は一体何があったの?」

「トレントの森に妖精が出た」

「それは……また……」


 あっさりと告げたレイだったが、マリーナにしてみれば、妖精が出たという言葉は動きを止めるのに十分な驚きだった。

 冒険者として活動し、ギルドマスターとしても活動した経験を持つマリーナであっても、妖精を見たという言葉はそれだけの衝撃があったのだ。


「レイのことだから間違いないと思うけど、一応聞いておくわね。……見間違いとか、そういうのじゃないのよね?」

「ああ。しっかりと見ている。俺だけじゃなくて、ヴィヘラやアナスタシア、ファナもな」

「……そう」

「それで聞いておきたいんだが、マリーナが妖精を見たことはあるか?」

「ないわ。ギルドマスターをしていた時も、妖精を見たという報告はあったし、その報告を元にして探索した人もいたみたいだったけど、実際に接触したという話は聞いたことがないわね」


 妖精が実は架空の存在である……という認識は、当然ながらマリーナにはない。

 実際に数は少ないが妖精を見たという者はいるし、妖精そのものを見たことはなくても、その痕跡を見たことがあるという者はそれなりに数が多いのだから。


「そうか。マリーナなら、もしかしたら妖精を見たことがあるのかと思ったんだけどな」

「そう? 何でそんな風に思ったのかしら?」

「マリーナはダークエルフだろ? なら、妖精について何か知ってるかもしれないと思って。それに世界樹の巫女でもあるし」


 レイにしてみれば、ダークエルフも妖精も、精霊に近い存在というイメージがある。

 実際にどうなのかは分からないが、日本にいた時の漫画や小説、アニメ、ゲームといった諸々からの影響だったのだが……


「残念だけど、知ってることは多くないわ。……そもそも、ダークエルフだから、もしくはエルフだからということなら、それこそ私だけじゃなくてアナスタシアも妖精についての知識があるということにならない?」


 そう言われると、レイとしてもそれ以上は何も言えなくなり……手掛かりがないことに、落胆するのだった。

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