第2366話
「……意外だな」
マジックテントから外に出たレイが口にした言葉は、それだった。
空にはもう太陽が浮かんでおり、朝なのは明らかだ。
……そう、結局昨日はドラゴニアスの襲撃は一切なかったのだ。
ドラゴニアスの本拠地に近付いている以上、当然のように昨夜は襲撃があると思っていたのだが、見張りをしているセトからは、一切警戒の声が上がることはなかった。
それはつまり、ドラゴニアスの襲撃がなかったということを意味している。
レイとしてはゆっくり眠れたのでありがたいが、それでも疑問に思ってしまうのは仕方がないだろう。
「ドラゴニアスも一枚岩じゃない……と言いたいところだけど、ドラゴニアスの性質を考えれば、一枚岩以外の選択肢は存在しないわね」
「そうなんだよな。正直なところ、それが一番厄介なところでもあるし」
ある程度数の多い敵がいても、その敵が一致団結しているかいないかで、難易度は大きく変わってくる。
集団の中でそれぞれに内輪揉めをしているのなら、戦っても勝つのはそう難しい話ではない。
それこそ、その内輪揉めを激しくしていけば、レイが何かをするよりも前に、自分達で自滅していくのだから。
それを思えば、レイにとってそのような相手は容易に倒すことが出来るのは間違いなかった。
だが、一致団結して一枚岩と呼ぶべき状態になっているのであれば、その相手を倒すのはどうしても難しくなる。
「ともあれ……敵が一枚岩であると理解した以上、こちらもそれなりに対応すればいい。……それが難しいのも、事実なんだけどな」
レイの言葉にヴィヘラが頷き、取りあえず今は朝食を食べたらさっさと出発しようと、そう考えてレイはケンタウロス達の方に向かう。
当然の話だが、レイ達が起きている以上、ケンタウロス達も起きている。
……いや、ケンタウロス達にしてみれば、ドラゴニアスの本拠地に近付いている中でゆっくり眠れなかった者が多かった、というのもあったのかもしれないが。
どうしても緊張していると寝付きが悪くなったり、予定していたよりも早く目が覚めてしまう。
緊張の方向性は違うが、遠足や運動会の前日に眠れなくなったり、朝早くに起きてしまったりと、そんな風になってしまうようなものだ。
ちなみに、レイも日本で小学生だった頃に、遠足の前日に楽しみすぎて興奮して眠れず、寝不足のままで遠足に行った結果、熱を出して教師の車で学校に戻り、保健室で眠った……といったようなことがあった。
緊張と興奮、眠れない理由としては正反対ではあったが、経緯はともかく結果としては似たようなものだ。
(それでも、偵察隊に参加しているケンタウロス達は大人だから、そういうことにはならないと思うけど。……元々が腕の立つ連中の集まりなんだし)
そんな風に思いながら、レイは朝食の為の食材を取り出し……そして、偵察隊の面々はしっかりとした朝食を食べて、準備を整える。
なお、いつも朝食はしっかりと食べているのだが、今日はいつもより更にしっかりとしたメニューの朝食となっていた。
理由としては、やはり現在いる場所がドラゴニアスの勢力圏の真っ只中だからということが大きい。
朝食を豪華にして、少しでも士気を高めるという意味もあるし、場所が場所だけに、昼食や夕食をしっかり食べられるかという問題もある。
だからこそ、食べられる時にしっかりと食べておく必要があるのだ。
そして朝食の時間が終わると、すぐに皆が出発の準備を始める。
テントをレイのミスティリングに収納し、いつドラゴニアスに襲われてもいいように武器の準備を整え……
「よし、じゃあ……壁を壊すぞ。大丈夫だとは思うけど、壁が壊れた瞬間に何が起きるか分からない。ドラゴニアスが突っ込んでくる可能性もあるから、気をつけろよ」
そう告げるレイだったが、実際は壁の向こう側にドラゴニアスがいないということは理解していた。
ドラゴニアスの気配を感じるようなこともなかったし、何よりもセトがドラゴニアスの存在を感じていないというのが、大きい。
もし壁の向こう側にドラゴニアスが待ち構えているのなら、それこそ即座にセトはそれを感じ取っている筈だった。
「レイ、この野営地は……どうするんだ? 以前みたいに、このまま残しておくのか?」
デスサイズを手にしたレイを見て、そんな疑問を口にするザイ。
ザイにしてみれば、以前も同じような野営地を作った時に、後でまた使えるようにと残してきたので、今回も同じようにするのかと、そう疑問に思ったのだろう。
「そのつもりだ。俺達が出る一部分の壁だけを壊して、それ以外はそのままにする」
「……以前も聞いたけど、ドラゴニアスがここを使わないか?」
以前作った野営地の場所は、まだ完全にドラゴニアスの勢力圏内という訳ではなかった。
だが、現在いるここはドラゴニアスの本拠地の近くである以上、完全にドラゴニアスの勢力圏内と言ってもいい。
だからこそ、野営地をそのまま残していくのは以前にも増して危険なのではないか。
そうザイが言いたいことは、レイにもよく分かった。
とはいえ、この野営地にある土の壁を全て元に戻すとなると、地形操作のスキルを使っても時間が掛かる。
まさか、食事の準備をしているような時間に土壁を元に戻すといった真似をする訳にもいかなかった以上、やはりここはそのまま放置しておくのが最善だと、レイには思えた。
(食事中に敵が襲ってきたらとか考えると……うん、やっぱりこのままにしておいた方がいいか)
そう判断し、口を開く。
「普通のドラゴニアスなら、ここを利用するといった知恵はない。指揮官のドラゴニアスがいれば、もしかしたらここを使おうと思うかもしれないけど……そうなったらそうなったで、こっちとしても対処のしようはある」
レイの……正確にはデスサイズの地形操作のスキルによって、このように野営地全体を覆うような土壁が出来上がったのだ。
それを考えれば、もしこの野営地をドラゴニアスが使っていた場合、レイがいればどこからでも攻撃出来る。
……もっとも、それが出来るのはあくまでもレイだけであって、レイがいないケンタウロスの集団が、この野営地に籠もったドラゴニアスと戦うのは、かなり厳しいだろうが。
「レイがそう言うのなら……取りあえず、分かった」
完全に納得したといったような様子ではなかったが、それでも今はレイの指示に従っておいた方がいいと判断したのか、ザイはそう言葉を返す。
「さて、じゃあ……そろそろ準備も出来たようだし、出発した方がいいんじゃないか? ザイ、合図を頼む」
レイの言葉にザイは頷き、自分に視線を向けているケンタウロス達を眺めながら、口を開く。
「では、出発する。出来れば今日のうちに、ドラゴニアスの本拠地に到着し、それを殲滅出来るように頑張ろう!」
皆を励ますように叫ぶザイ。
若干わざとらしいようにレイには思えたが、幸いにしてその言葉を聞いたケンタウロス達はそのようには思わなかったらしい。
ザイの言葉を聞いた皆が、やる気に満ちた様子で声を上げたり、武者震いのように身体を震わせる。
多くのケンタウロス達にとって、ドラゴニアスとの戦いが終わるかもしれないというのは、非常に大きな意味を持つ。
ドラゴニアスが姿を現してから、草原の覇者と呼ばれ……そして自認していたケンタウロス達は、ドラゴニアスという存在に蹂躙された。
いや、ただ蹂躙されたのではなく、ドラゴニアスにとって、餌として認識されてすらいた。
草原の覇者たるケンタウロスとしては、とてもではないが許容出来ることではない。
その屈辱の歴史が、ようやく終わる。
それを考えれば、レイという存在やその仲間達によってドラゴニアスの本拠地を見つけて貰った今の状況は、天の助けとも呼ぶべき出来事だったのは間違いない。
そうして、今日こそはドラゴニアスの本拠地に到着することを目指して、一行は準備を整え……
「よし、壁を破壊するぞ! 地形操作!」
そんなレイの言葉と共に、デスサイズの石突きが地面に触れたと思うと、野営地を覆っていた壁の一部が地面に下がっていく。
また、野営地の中からは見えなかっただろうが、壁の周囲に存在していた水のない堀、もしくは塹壕も、壁がなくなった場所だけが自然と盛り上がる。
『おおおおおおお』
レイと一緒に行動している以上、当然の話だが今までにもレイの使う地形操作のスキルを見たことがある者が殆どだ。
にも関わらず、こうして目の前で地形操作のスキルを見せられると、どうしてもそれに驚いてしまう。
地面を思うように自由に操るというのは、それこそ草原を疾走するケンタウロスだからこそ、普通よりも余計に強い衝撃を受けるのかもしれない。
……もっとも、今のレイの使う地形操作はかなりの規模になっている。
何しろ、自分を中心に半径七十mを百五十cmの高さで好きに上げたり下げたり出来るのだから。
ただし、驚きの声を上げているのは十秒程でしかない。
すぐにザイに率いられ、偵察隊は出発する。
そんな中でも特に目立つのは、やはり神輿に精霊の卵を載せて運んでいるケンタウロス達だろう。
その精霊の卵の力を利用して、アナスタシアはドラゴニアスの本拠地がどこにあるのかを探索してるのだ。
ただし、今のアナスタシアは昨日程に疲れてはいない。
昨夜は早めにテントに行き、朝までぐっすり眠ったというのもあるが、やはり最大の理由としては、昨日あそこまで疲れていた理由が精霊の卵を掘り出したから、というのがあるのだろう。
神輿の上に載せてからは、そこまで消耗もしていなかったのだから。
「アナスタシア、こっちの方向でいいんだよな?」
先頭を走るザイが、自分よりも後ろにいるアナスタシアに尋ねる。
……アナスタシアの名前を呼び捨てにしたことで、ダムランとその集落の者達が少し不満そうな表情を浮かべたが、ザイはそれに気が付いているのかいないのか、気にした様子もなくアナスタシアの返事を待つ。
「ちょっと待って」
ザイの言葉に、アナスタシアは意識を集中して精霊に呼び掛けつつ、鹿を神輿のすぐ側まで移動させ、精霊の卵に触れる。
すると、次の瞬間には精霊の卵からまるでレーダーのように円心状に力が放たれ……やがて、ドラゴニアスの本拠地の位置を確認したアナスタシアがザイに頷く。
「ふぅ。……そうね。取りあえず現在の方向で間違いないわ。ただ、ザイには言うまでもないでしょうけど、走っていると自然と進行方向が逸れることがあるから、注意した方がいいわ」
「分かった」
走っていると、いつの間にか進行方向が少しずつ逸れていく。
それは、ザイにとって……いや、ケンタウロスであれば、誰もが当然のように知っていることだった。
だからこそ、アナスタシアの言葉に素早く了承の言葉を返したのだろう。
そうして、ザイを先頭に偵察隊は草原を走る。
精霊の卵を載せた神輿を担いでいるので、その速度は本来のケンタウロスのものに比べれば、どうしても遅くなる。
しかし……昨日一日運んでいたこともあって、ケンタウロス達も神輿を運ぶのに慣れたのか、神輿を担いでいる者達も昨日よりは移動速度が上がっている。
本人達も、その自覚はあるのだろう。嬉しそうに笑みを浮かべ、それぞれに顔を合わせて頷いている。
(この調子なら、予定していたよりも早く移動出来るか?)
そんなケンタウロス達の様子を眺めつつ、レイはセトの背の上で満足そうに頷く。
目的としているドラゴニアスの本拠地までの到着時間が少し縮まったところで、それは大きな差はない。
ないのだが、それでも到着時間が少しでも早くなるというのは、それだけドラゴニアスとの余計な戦闘がなくなるということを意味していた。
それはレイにとって歓迎すべきことで、それを否定するようなつもりは全くない。
「レイ、ちょっとあれを見てくれ!」
走り始めて一時間程が経過した頃、先頭を走っていたザイが不意にそう叫ぶ。
一体何だ?
そんな思いで、ザイの示す方を見たレイは……嫌そうな表情を浮かべる。
何故なら、そこには集落があったからだ。
……正確には、集落の残骸と呼ぶべきものが。
「ドラゴニアスの仕業だろうな」
「それ以外に、ああいう風になる理由はないな。……いや、何らかの理由で集落を放棄したという可能性はあるが……今のこの辺りの状況を考えれば、そんな可能性はかなり低い筈だ」
「どうする? 寄っていくか? もしかしたら……本当に万が一だが、生き残りがいる可能性もあるぞ」
そう尋ねるレイだったが、ザイはその言葉に無念そうな表情を浮かべながらも、首を横に振るのだった。
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