第2358話

 林の外に出たレイとセトは、周囲の様子を確認する。

 当然の話だが、林の外側の部分までやってると、そこでは多くの木が折られていた。

 ドラゴニアス達が林の外からやって来た以上、それは当然のことだろう。

 そのお陰で、レイとセトは集落を出た当初こそ木々を折りながら移動していたが、外側に近付くにつれて、木を折るといったような真似をしなくても問題なく通れるようになっていた。

 そうして、林の外に出たのだが……


「やっぱりいないな」


 残念そうに呟いたのは、やはりここに二頭の鹿とその面倒を見るように頼んだケンタウロスの姿がなかったからあろう。

 それでも本当の意味で残念な気持ちにならなかったのは、鹿とケンタウロスの姿はないが、その血や肉、骨といったものも地面に転がっていなかっただろう。

 幾ら飢えに支配されており、相手が誰であっても獲物として喰うドラゴニアスであっても、相手を喰らう時は当然のように爪や牙で皮を破り、肉を切り、骨を砕く必要がある。

 丸呑みにする訳ではない以上、もしここにいた二頭の鹿とケンタウロスがドラゴニアスに殺されているのなら、必ずそれらの痕跡が地面に残っている筈だった。

 だが、地面には血の一滴も落ちておらず……それが、鹿とケンタウロスが無事で、ドラゴニアスが来たのを察知してこの場から逃げ出したということの証明となる。


「それはいいんだけど……問題なのは、一体どこに行ったかだろうな。上手くここに戻ってくればいいんだが」


 ドラゴニアスが攻めて来たから、この場から退避した。

 それはレイにも分かったが、そうなると問題なのは一体どこまで退避したのかということであり……そして、具体的にはいつここに戻ってくるかということだ。


「グルゥ!」


 取りあえず鹿とケンタウロスの無事を確認したが、これからどうするべきか。

 そう迷っているレイのドラゴンローブの裾を、セトがクチバシで軽く引っ張る。


「どうした?」


 何か言いたげなセトに、レイがそう尋ねると、セトは自分がケンタウロスと鹿を捜そうか? と喉を鳴らす。

 そんなセトを見て、どうやって捜す? と一瞬疑問に思ったレイだったが、考えてみればセトの嗅覚は非常に鋭敏で、更に嗅覚上昇といったスキルも所持している。

 そんなセトであれば、ドラゴニアスから逃げる為にここから離れた鹿とケンタウロスの臭いを辿れるのではないか。

 そう思い……やがてレイは少し考えてから、セトを撫でつつ頼む。


「鹿とケンタウロスがどこに行ったのかを追ってくれるか?」

「グルルルルゥ!」


 レイの言葉に、セトは任せてと喉を慣らし、周辺の臭いを嗅ぎ始める。

 そんなセトの様子を眺めながら、レイは今回の一件でセトを連れてきてよかったと、しみじみと思う。

 鹿やケンタウロスの血や肉片といったものが地面に転がっていない以上、鹿もケンタウロスも死んだり、怪我をしていないのは間違いない。

 ドラゴニアスの接近に気が付き、逃げ出したのは確実だった。

 つまり、最低限の仕事……鹿とケンタウロスが生きているのは確定したのだから、それこそこの状況のまま集落に戻っても、責められるようなことはない。

 だが、アナスタシアとファナが二頭の鹿を可愛がっているのは、レイも十分に知っている。

 そうである以上、ここでその鹿を捜す手段があるのに、それをしないというのは……自分の好奇心の為とはいえ、あそこまで消耗して頑張ってくれたアナスタシアに悪いと、そう思うのは当然だった。

 何よりも、鹿を捜すのにそこまで手間が掛かる訳ではないのだ。

 セトの嗅覚があれば、どこに二頭の鹿とケンタウロスがいるのか捜すのは難しくはないし、セトの移動速度は鹿やケンタウロスを上回るのだから。

 そうして、レイはセトと共に鹿を追う。

 いつものように、セトの背に乗って草原を走るセト。

 だが、生憎とレイの目では鹿とケンタウロスがどこにいるのかを見つけることが出来ない。


(今の林の状況を考えると、やっぱり林から結構離れているのは間違いない。問題は、具体的にはどこまで離れているかだな。……出来れば近くにいて欲しいんだが、それも難しいか?)


 ドラゴニアスは、飢えを満たす為には執拗に相手を追う。

 そうである以上、中途半端に逃げてもドラゴニアスは追い続けるのだ。

 だからこそ、鹿とケンタウロスは林から……いや、ドラゴニアスから少しでも早く離れて、追いつかれないようにしていると予想出来る。

 それはつまり、見つけるのに時間が掛かるということを意味していた。

 セトは鹿やケンタウロスよりも足が速いが、それでも鹿やケンタウロスもドラゴニアスに喰い殺されないように、それこそ命懸けで逃げているのだから。


(それこそ、ドラゴニアスに追われている状況だったりしたら、余計に逃げ切るまで時間が掛かることになるしな)


 そんな風に考えながらセトの背に乗って移動していたレイだったが……


「グルゥ!」


 不意にセトが鳴き声を上げる。

 その鳴き声は切迫した色がなく、敵に……ドラゴニアスに見つかった訳ではないというのは、レイにもすぐに分かった。

 とはいえ、セトにとってドラゴニアスというのは警戒すべき相手ではない。

 普通に姿を現しても、セトなら何の問題もなくドラゴニアスに向かって突っ込んでいくだろう。

 そして、突っ込んでいった先にいるドラゴニアスを蹂躙するのだ。

 レイには、不思議と……いや、実際に今までに何度も見ている為か、その光景を思い浮かべることは難しくはない。

 もっとも、今回は結局セトが見つけたのは敵の姿ではないというのは、それから暫くすると判明した。

 セトはレイよりも五感が鋭く、セトが見えた相手でもレイが見えるようになるには、それなりに近付く必要があった。

 とはいえ、レイの五感も普通の人間に比べればかなり高い。

 単純に、セトの視力がレイ以上に高いからこそ、レイよりも相手を先に見つけることが出来たのだが。

 そして……レイも見つけることが出来た相手の姿は、レイとセトに手を振りながら近付いてくる。


「おーい、おーい、おーい!」


 そうして手を振っているのは、鹿の面倒を任せたケンタウロス。

 そしてケンタウロスの側には、二頭の鹿の姿があった。


(取りあえず……無事だったみたいだな)


 林の外に血痕の類がなかったので、多分大丈夫だとは思っていた。

 だが、それでもやはり実際に自分の目で相手の姿を確認出来れば、本当に安心出来る。

 出来るのだが……


「あれ?」


 ケンタウロスと共に近付いてきた二頭の鹿が、不意に足を止める。

 それこそ、ピタリという表現が相応しいような、そんな様子で。


「グルゥ……」


 そんな鹿を見て、残念そうに喉を鳴らすセト。

 残念そうなセトを見て、それでようやくレイは何故鹿が足を止めたのかを理解した。


「そう言えば、あの二頭の鹿はセトを怖がっていたな」


 精霊の卵の衝撃ですっかり忘れていたが、アナスタシアとファナの二人が乗っていた鹿は、生物の格の違いを察してか、セトに対して強い怯えを抱いていた。

 レイにしてみれば、セトを相手にそこまで怖がらなくても……と、そう思うのだが、それはあくまでもセトと一緒にいるレイだからこそ、そう思えるのだ。

 実際にはランクS相当のモンスターとされているセトは、圧倒的なまでの迫力を持つ。

 ……もっとも、ランクS相当というのはあくまでもエルジィンでの区別であって、この世界においてはモンスターのランク付けなどほぼ役には立たないのだが。


「ほら、元気を出せって。あの鹿達も、何日かセトと一緒にいれば怖がらなくなるだろうし。……後何日こっちの世界にいるのかは、正直なところ分からないが」


 レイとしては、今日のうちにドラゴニアスの本拠地を叩くつもりでいる。

 レイ程ではないにしろ、精霊魔法で広範囲攻撃が可能なアナスタシアが消耗しているのは痛いが……それでも、時間が経過すればする程に、多くのドラゴニアスが集落を襲ってくる可能性があったのだ。

 特に夜に襲ってこられると、レイとしては最悪に近い。

 レイは夜目が利くし、ヴィヘラやセトもその辺は問題ない。

 ケンタウロス達も、ある程度は夜目が利くが……それでも、やはりドラゴニアスと戦うのなら、日中の方がいい。

 ただでさえ、ドラゴニアスの個々の力はケンタウロスよりも高い者が多いのだ。

 夜の闇に紛れ、爪や牙といった一撃を回避し損ねた場合、そこには喰い殺されるという最悪の結末しか待っていない。

 ケンタウロスの中にはドラゴニアスと一対一で戦える者も増えてきている。……ヴィヘラの猛特訓のおかげで、だが。

 それでも、やはり安全性を考えれば複数のケンタウロスで一匹のドラゴニアスと戦う方がいいのは、間違いのない事実だ。


「おーい、レイがここに来たってことは、ドラゴニアスはもう倒したと思ってもいいのか?」


 鹿が怯えた様子に気が付いてはいるが、それでも逃げる様子がないので、鹿の面倒を見ているケンタウロスはレイにそう尋ねる。


「ああ、そっちは無事片付いた。……それよりもよく無事だったな」

「あははは、ドラゴニアスよりも、逃げ足だけは速いからな。鹿も足は速いし」

「……その鹿は、足が止まってるみたいだが」

「やっぱりセト……かなぁ?」

「グルゥ……」


 ケンタウロスの言葉に、残念そうに喉を鳴らすセト。

 セトにしてみれば、鹿に怖がられるのは面白くない……いや、残念に思っているのだろう。


「もう少し時間があれば慣れると思うんだけどな。……取りあえず、今回は諦めた方がいいだろうな」

「え? 何で? このまま慣れさせれば、それでいいんじゃないか?」

「いや、出来れば今日中にドラゴニアスの本拠地をどうにかしたいから、無理だな」

「今日中にって……え? もしかして、ドラゴニアスの本拠地が分かったのか!?」


 ケンタウロスにしてみれば、レイの口から出た言葉は完全に予想外だったのだろう。

 今まで散々ドラゴニアスの本拠地を探そうとしても、結局見つけることは出来なかったのだ。

 なのに、今日になっていきなりそこまで話が進むというのは……信じられることではなかったのだろう。


「アナスタシアが、精霊の卵……集落に埋まっていた奴の力を使って、ドラゴニアスの本拠地を絞り込もうとしているらしい」

「……そんなことが?」


 ケンタウロスは、ドルフィナのような例外を除いて魔法については詳しくない。

 だからこそ、このケンタウロスもレイの言葉に半信半疑……いや、二信八疑くらいの様子で聞き返したのだろう。

 とはいえ、レイもまた魔法使いではあるが精霊魔法には詳しくないし、理論ではなく感覚で魔法を使うタイプだ。

 そうである以上、アナスタシアの言葉が本当なのかと、完全に信じる訳にはいかなかった。

 ……もっとも、精霊魔法については詳しくなくても、アナスタシアの性格については十分に知っているので、その辺はあまり心配していなかったが。


「取りあえず、その辺についても色々と詳しく知る必要があるから、集落に行くぞ。……林の木々はセトが通ってきたから、あの鹿達も集落まで移動出来るようになってると……思う」


 少し離れた場所にいる二頭の鹿を見ながら、レイが移動出来ると断言出来なかったのは、セトと鹿では大きな場所が違うからだろう。

 セトは体長三mと全体的に身体が大きい。

 それに対し、二頭の鹿は身体の大きさそのものはセトに及ばないが、頭部から巨大な角が生えているのだ。

 それに対して、セトは全高その物は高いが、頭部は鷲のものである以上、横に広くはない。

 だからこそ、セトが自由に通れるような場所であっても、横に広い角を持つ鹿が通れるかどうかは、また別の話だった。


(あ、でもあの鹿の角は頑丈そうだし、伸びてる枝くらいなら普通に折れそうだな)


 鹿の角を見ながら、レイはそう考え……取りあえず、試してみるという結論に達する。


「よし、じゃあ集落まで行くぞ。……お前は、あの鹿を連れてきてくれ。俺はともかく、セトがいると動くのは無理そうだし」

「了解。酒の為なんだし、そのくらいは何でもないよ」

「ああ、期待していろ。後でそれなりに貴重な酒を出してやる」


 そう告げるレイだったが、実際にはレイが渡そうと思っている酒が、本当に貴重な物なのかどうかは、分からない。

 その酒を購入する時に、店員からは貴重な酒と聞かされてはいたので、恐らく間違いないのだろうが。


「おう、任せろ! ……でも、今日にもドラゴニアスの本拠地を襲撃するなら、いつ酒を飲めるんだ?」


 不意にそんなことを呟くケンタウロスだったが、レイはそれを気にしないようにスルーして集落に向かう。

 ……背後で騒いでいる声を意図的にスルーして。

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