第2321話
「え? それは本当なのか!?」
アスデナの声が周囲に響く。
野営地を中心にして探索に向かった偵察隊の中で一番最後に戻ってきたのがアスデナ達だった。
……結局ドラゴニアスの拠点も、巣分かれをしたドラゴニアスも、初めて接触するケンタウロス達も見つけることは出来ず、情報らしい情報はなかったが……それでも収穫がない訳でもなかった。
それが、ケンタウロスよりも多少小さいが、一般的に考えれば間違いなく大きいと呼ぶことが出来る猪。
正直、レイとしてはこの草原でこれだけの巨体の猪が何を食べて生活出来るのかといった疑問や、ましてや猪は基本的に山で生きているのではないか? といった疑問を抱いたりもしたのだが、ここが異世界……地球ではないのだからと思い浮かべれば、それに納得してしまう。
ケンタウロスが存在し、魔法が存在し、モンスターが存在する世界なのだから、草原で生きる猪がいるくらいは普通だろうと。
あるいは、この世界だけではなくエルジィンにおいても草原に生きる猪くらいはいてもおかしくはなかった。
現在は、野営地にいた者達でそんな猪を解体しており、その間にアスデナは自分達の偵察の成果を報告し、これからどうするのかといったことを聞いている。
(まぁ、何も見つからないからって、それは成果じゃない訳でもないしな。アスデナ達が行った方には何もなかったというのが分かっただけでも、収穫は大きい。……本人としてはあまり嬉しくないだろうけど)
アスデナからの報告にそう思いつつ、レイはザイに視線を向ける。
「それで、どうする? これで全員が帰還した訳だが……これからすぐに出発するか? もう午後だけど」
この偵察隊を仕切っているのはザイである以上、その辺を決めるのはあくまでもザイの役割だ。
だからこそ、これからどうすると尋ねたレイに対し、ザイは少し考え……巨大な猪の解体をしている者達に視線を向ける。
そこで行われている解体は、それこそすぐに終わるという訳ではない。
そうである以上、今この状況ですぐにドラゴニアスの本拠地がある方に向かって進むよりも、猪の肉を食べて英気を養い、明日の午前中には出発する方がいいのではないか。
そんな風に思い……そして決断する。
「出発は明日の午前中だ。今日はアスデナ達が獲ってきてくれた猪の肉を食べて英気を養い、明日からの行動に備えてくれ」
ザイの口から出たその言葉に、聞いていた者達全員が歓声を上げる。
やはりこれだけの猪を見れば、今日はこの肉を食いたいと、そう思うのが当然なのだろう。
それはレイも変わらなかったので、ザイの判断に異論はない。
(まぁ、一日遅くなったところで、ドラゴニアスの本拠地がどうこうなる訳はないと思うけど。……場合によっては、また巣分かれが行われる可能性はあるかも? 取りあえずその時は、その拠点を殲滅すればいいだろうし)
若干無理矢理自分を納得させるレイ。
アナスタシアとファナのことが心配でないと言えば嘘になるのだが、アナスタシアの精霊魔法の技量を考えれば、一日程度の誤差でどうにかなったりしないだろうという思いがあった。
実際、敵の攻撃を回避したりせず、飢えに支配されてひたすら敵を喰い殺そうとするドラゴニアスという敵は、精霊魔法を使うアナスタシアにとっては相性のいい敵だ。
近接攻撃しか出来ない者にしてみれば……もしくは遠距離の攻撃でも一般的な弓くらいしか攻撃手段がないような者にとっては、ドラゴニアスという敵は相性が悪いのだが。
また、この世界で自分が魔法を使えるというのは確認しているし、何よりアナスタシアとファナが一時的に世話になった集落出身のダムランから、精霊魔法――本人は普通の魔法との違いを理解していなかったが――を使っているという話は聞いている。
なら、それこそ数百匹単位のドラゴニアスに襲われても、倒すのは不可能だろうが、逃げるだけならどうとでもなるというのがレイの予想だった。
「グルルルゥ、グルルゥ、グルゥ」
猪の解体をしている光景を眺めながら、セトが嬉しそうに喉を鳴らす。
肉なら何でも好きなセトだったが、そんなセトにとってもやはり猪の肉は好物の一つなのだろう。
ゴブリンの肉のように、とてもではないが食べるのに苦労するような肉なら、話は別だったが。
「アスデナも、ちょうどいい土産を用意してくれたよな」
ザイと話しているアスデナを見ながら呟くレイに、隣で猪の解体を興味深そうに眺めていたヴィヘラが頷く。
「そうね。ドラゴニアスの本拠地を見つけた祝い……もしくは、これから本格的な戦いになることに対しての景気づけという点でも、今回の一件は悪くないと思うわ」
「全員が腹一杯食うには、どうしても肉の量が少ないけどな」
猪はかなり大きいのだが、ケンタウロス達もまた大きい。
レイは外見以上に食べるし、体長三mを超えるセトにいたっては言うに及ばずだ。
アスデナ達が獲ってきた猪が大きくても、それこそ全員に一皿か……あるいはもう少し多くの料理が配られるくらいの量になるだろう。
何だかんだと、内臓だったり皮だったり骨だったりで、大きい猪であっても可食部位そのものはそこまで多くはないのだから。
それでも、ないよりはあった方がいいのは間違いないし、実際に野営地にいるケンタウロス達の士気は上がっているのだが。
「ともあれ、今日の夕食は豪華な食事にした方がいいな。……猪の肉を使った料理もそうだけど、どうせなら他にも美味い料理を用意した方がいいだろ」
「そうね。けど……それだと、やっぱりお腹が減っている状態で食事をする方がいいんじゃない? 空腹は最高の調味料と言うらしいし」
言うのか。
ヴィヘラの言葉を聞きながら、レイはそう口に出そうとした。
(あれ? もしかして俺が前に言ったか? ……可能性はあるか)
レイがヴィヘラと行動を共にするようになってから、何だかんだと長い。
そうである以上、当然のように今まで色々な会話をしてきたし、その全てを覚えている訳ではない。
そうである以上、空腹は最高の調味料といったようなことを口にしたかどうかは、覚えていない。
余程何か印象深い会話であれば、思い出せたかもしれないが。
「で、今日は誰の訓練をするんだ?」
「レイよ」
「……俺か?」
「ええ。最近はレイと模擬戦をやっていなかったでしょ? だから、久しぶりにレイと模擬戦をやりたいと思ったのよ」
その言葉は、レイにも納得出来た。
最近のヴィヘラはドラゴニアスとの戦いで満足していたし、それ以外でもケンタウロスとの訓練で戦闘欲を満足させていた筈だった。
だが、それでも敵は強い方がいいのは間違いない。
そういう意味では、レイとの戦いこそがヴィヘラを最も興奮させるのは間違いない事実だった。
「どう?」
そうレイを誘うヴィヘラは、非常に艶っぽい流し目をレイに向ける。
何も知らない者がそんなヴィヘラを見れば、何を誘っているのかは予想するのは難しくないだろう。
それこそ、そういう行為に誘っていると思ってもおかしくはない。
だが、ヴィヘラとの付き合いも長いレイは、当然その誘いの意味を知っている。
……いや、付き合いが長くなくても、ヴィヘラと模擬戦をしてそれなりに楽しませることが出来た者であれば、誰もがそんなヴィヘラの誘いの意味を理解出来るのだろうが。
(とはいえ、どうするか)
レイも、別にヴィヘラと模擬戦を行うのが嫌という訳ではない。
実際にヴィヘラとの模擬戦は非常に刺激になるし、自分の戦闘技術を高めるとういう意味でも悪い話ではないのだから。
だが、この場合問題なのはヴィヘラが戦いに夢中になりすぎることだ。
ヴィヘラが戦いに夢中になりすぎてしまえば、戦いの快感に酔う可能性も十分にある。
これがドラゴニアスやケンタウロスを相手にしている場合であれば、また話は別なのだが……その相手がレイだというのが大きい。
ヴィヘラにとってレイは特別な存在なのは当然の話であり、その上で純粋に強さという点においてもレイはヴィヘラよりも上にいる。
それだけに、ヴィヘラがレイと戦うというのは……軽い模擬戦ならともかく、本気でとなるとそこには戦闘欲の他に性欲に近い快楽すら混ざってしまう。
そしてヴィヘラは自分でそれを止めることが出来ず……いや、止めようとすら思わず、その快楽に流されるままレイとの戦いを続ける。
それは既に模擬戦ではなく、本気の戦いと言ってもいいだろう。
今のヴィヘラと戦うとそんなことになりそうだというのは、レイにとっても容易に想像出来た。
「今の状況で戦うのは、色々と不味くないか? エレーナや、マリーナがいればともかく、俺とヴィヘラだけだろ?」
「それは……」
ヴィヘラも現在の自分がどんな状態なのかは理解していたのだろう。
レイの言葉に、戦闘意欲満々だったヴィヘラの様子が見るからに残念そうな様子になる。
「あー……うん。ほら、落ち着け。向こうに戻ってエレーナ達がいるなら、戦ってもいいから」
「本当?」
そう尋ねるヴィヘラは、とてもではないが本来の物騒な様子を思い起こさせる様子はない。
ヴィヘラの本性というか、性癖とでも呼ぶべきものを知っているレイすら、思わず目を惹かれるだけの魅力がある。
自分の中にあるそんな思いを何とか押し殺し、レイは頷く。
「ああ。それに……明日にはドラゴニアスの本拠地に向かうんだ。その中にはヴィヘラが満足出来る敵がいるかもしれない。なのに、今ここで俺と戦ったら……ヴィヘラの戦闘欲は解消されてしまうだろ?」
「別にそれが解消されるのは、構わないんだけど」
そう告げるヴィヘラの様子は、本気でそう言っているようにレイには感じられた。
だが、レイにしてみればヴィヘラは今の状況の方が戦闘欲の強さ的には明らかに上なのだ。
その違いは、やはり戦いに飢えているのかどうかの違いだろう。
もし同じ実力の持ち主が戦っても、その思いや気持ちといったものによって、結果は変わってくるのだから。
(この話を続けるのは、少し不味いかもしれないな)
ヴィヘラとの会話でそう考えたレイは、ちょうどタイミングよく視線の先で解体した猪を焼き始めたのを見て……目を見開く。
猪の肉を使った料理を作ると言われてはいた。
だからこそ、てっきりレイは解体し終わった猪の肉を切り分けて料理をすると思っていたのだが……視線の先で行われているのは、皮を剥いで肉の状態にし、内臓を取り除き塩や香草を胴体の中に詰めて口から尻まで棒で突き刺し、回転させながら丸焼きにしている光景だったからだ。
「これは……また絵に描いたような丸焼きの光景だな」
巨大な猪を回転させながら焼いているその様子は、一種異様な迫力があった。
その迫力は周囲にいる者の目を奪うには十分な迫力で、実際に丸焼きが行われている周囲にいるケンタウロス達の多くが目を奪われている。
「ええ。凄い迫力ね」
レイの視線を追ったヴィヘラもその光景を見て、そう呟く。
先程まであって、レイと戦いたいという思いすら一瞬で吹き飛ばすような、そんな迫力。
勿論それは迫力だけではなく、肉の焼ける匂いがハーブと合わさり、実に食欲を刺激する匂いとなっていた。
ヴィヘラが落ち着いたのも、その辺による刺激という点も大きいのだろう。
(けど、あれだけの大きさの肉だと、中心部分の肉が焼ける頃には外側はもう焦げてるんじゃないか? あ、いや。そう言えば日本にいた時にTVで見たことがあったな。シシカバブ? ドネルケバブ? そんな名前だったと思うけど。トルコ料理……だったよな?)
レイが思い出したのは、それこそ現在目の前で行われているように巨大な肉の塊を焼いて、焼けた場所から削っていってそれをパンに挟んで食べたり、クレープのような薄い生地で包んで食べたりといったような料理だった。
完全に同じという訳ではないが、実際に行われているのは似たような調理法だ。
……ドネルケバブでも、肉の内側にハーブを入れたりするのかどうかは、分からなかったが。
「はい、焼けたよ! 食べる人は並んで。ただし、一人分の肉の量は決まってるから、注意してね」
調理を担当している女が、ナイフで焼けた肉を切り取って皿に盛り付けながらそう告げる。
切り取った場所から肉の脂が下で燃えている炎に落ちて、それがまた食欲を刺激する匂いを周囲に漂わせた。
ごくり、と。
そんな匂いを嗅いだケンタウロスの一人が思わずといった様子で喉を鳴らす。
いや、それは一人ではなく他の者達も同様だった。
何人もがそんな猪の肉に目を奪われ……そして、ドラゴニアスの本拠地に向かう前の宴を楽しむのだった。
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