第2311話

『おおおおおおおおおおお』


 レイがザイと相談しながら野営地の周囲に邪魔にならない程度の塹壕を作ると、それを見ていたケンタウロス達からそんな驚きの声が上がる。

 そうして驚きの声を上げている者の中には、ドラゴニアスの拠点を襲撃する前にレイが作った塹壕を見ている筈の者もいる。

 一度見ているのに何故そこまで? といった疑問はレイの中にあったが、ケンタウロス達にしてみれば、自分達が少しだけ身を隠していた塹壕と、こうして野営地の周囲を覆う塹壕というのは全く別のものなのだろう。

 レイにしてみれば、その二つにどんな違いがある? といった疑問を抱くのだが。


「これくらいの高さなら、ドラゴニアスも簡単には入ってこられないだろ。……もっとも、ドラゴニアスの力があれば、このくらいは破壊したりすることが出来るかもしれないが」

「それでも、外からドラゴニアスに見つからないだけ、幾らかは楽になるんじゃない?」


 ヴィヘラのその言葉には、レイもまた素直に同意する。

 実際、この塹壕の役割はそちらの方面を期待してというのもあるのだから。


「これは、また……素直に凄いと思う。普通なら、こんなのを作るだけでかなりの時間と労力が必要になるんだが」


 ザイの口からは、感心と呆れが混ざったような声が漏れる。

 ザイにしてみれば、レイから出来ると聞いてはいたし、地形操作を使うのを簡単に見せては貰ったが、それでもここまで簡単にこのような真似が出来るとは、到底思っていなかったのだろう。


「取りあえずこれで安心だろ。後は……少し早いけど、食事の準備をするか?」


 徹夜で走り続け、野営地に戻ってきたのは午前中。

 それから眠って、起きたのは午後の半ば。レイの感覚では午後三時前後といったころか。

 そこから一時間程でザイと相談しながら野営地の周囲を塹壕で覆い、結果として今は午後四時くらい。

 レイが言う通り、夕食の準備をするには少し早いが、レイと一緒に拠点を攻めた者達も徹夜で戻ってきた後は殆ど食事もしないで眠っていたこともあり、空腹の者が多い。

 勿論中には寝る前に軽く食べたり、レイが野営地の周囲に塹壕を作っている間に食べたりといったような者もいたのだが……大半の者が空腹なのは間違いない。

 野営地に残っていた者達も、この時間になれば小腹が空いてくるのは当然だった。


「そう……だな。レイ達以外にも腹が減ってる奴は多いし、少し早めの食事にしてもいいか」

「ああ。それと敵の拠点を潰したってこともあるし、今日は少し豪華な食事にしてもいいな」


 そんなレイの言葉に、周囲で話を聞いていた者達が強い興味を抱く。

 つい先程までは、レイの地形操作を見て驚きの声を上げていたのだが、やはり大地を動かすといったことよりも、実際に自分達が食べる料理が豪華になる方がケンタウロス達も興味を惹かれるのだろう。

 特に拠点を潰しにレイと行動を共にした面々は、ミスティリングを持つレイがいるというのに、食事は周囲に匂いが広がらないような保存食の類だけだった。

 それは塹壕で待っている間もそうだったし、拠点の殲滅が終わった後でこの野営地に帰ってくるまでに少し休憩した時も同様だった。

 また、この野営地に残ったザイ達も、レイを含めて戦力の殆どがいない状況で、周辺に匂いが漂うような食事をしたいかと言われれば……やはり、命の方が大事だ。

 結果として、ザイ達もレイ達がいない間はあまり美味い食事を食べるといったことは出来なかった。

 もっとも、レイ達拠点殲滅組が寝ている今日の昼は、もしドラゴニアスが来ても対抗出来る戦力があるということで、普通に満足出来る昼食だったのだが。

 それでも、レイの口から出た豪華な食事という言葉には、強い興味を持つ。


「そうだな。拠点を潰した祝いも兼ねて、それもいいと思う」


 レイの提案に偵察隊を指揮しているザイが賛成すれば、もう反対する者はいなかった。

 そもそも、美味い料理を食べたくないという者は、基本的にいないのだから。

 こうして、レイのミスティリングから食材が取り出され、少し早めの料理が開始される。


「ねぇ、レイ。レイが持ってる料理は出さないの?」


 セトに寄り掛かって料理をしているケンタウロス達を眺めていたレイに、同じくレイの隣でセトに寄り掛かっているヴィヘラがそう尋ねる。

 ヴィヘラも空腹なのか、今はケンタウロス達に戦闘訓練をする……といったようなことはなかったらしい。


「一応聞いたけど、折角だから自分達で作りたいらしい」


 料理が得意なケンタウロスだけに、何度かレイの出した料理を食べ、その美味さにライバル心を抱いたのだろう。

 レイの出す料理よりも美味い料理を作ると、現在はレイの視線の先では料理を頑張っている。


「ふーん。料理なら、美味しければそれでいいと思うけど」


 そう告げるヴィヘラだったが、それなりに料理は出来る。

 とはいえ、その料理はあくまでも冒険者として覚えた料理で、元ベスティア帝国の皇女として習い事で覚えた料理でもなければ、マリーナのように本格的に料理を作れる訳でもないのだが。

 とはいえ、料理の技量という意味ではヴィヘラはレイよりも上だったりする。

 何しろ、レイの場合は依頼の最中であっても料理を作るといったことは基本的になく、ミスティリングの中に収納されている料理を食べることが多いのだから。


「そうだな。けど、あそこに集まってるのは、色々な集落の料理自慢の連中だ。作った料理が不味いってことはないだろ」


 そう言いながらも、レイは自分達とケンタウロスの味覚が同じだということに若干の疑問を持つが……獣人と同じようなものだと考えれば、すぐにその疑問は消える。


「それで……ヴィヘラは今は暇なのか?」


 レイの言葉に、ヴィヘラは呆れの視線を向けつつも何も言わない。

 ヴィヘラにしてみれば、愛する男の隣でゆっくりとしたいという思いを抱くのは当然だ。

 だというのに、肝心のレイはそんな自分の気持ちを全く理解してくれないのだから、ヴィヘラが呆れの視線を向けるのは当然だった。

 ……それでも怒ったりせず、呆れの視線を向けるだけなのは、レイの性格を知っているからだろう。


「ヴィヘラ?」

「何でもないわよ。戦いについては今はそれなりに満足しているから、訓練をしようとは思わないわね。それに、他の人達も同じような感じでしょうし」


 レイは、ヴィヘラの言葉にそんなものか? と納得する。

 いや、実際には納得をした訳ではなく、そういうものかと認識しただけだったのだが。


「グルルゥ?」


 と、レイとヴィヘラに寄り掛かられていたセトは、不意に喉を鳴らす。

 そんなセトの態度は、当然のようにレイとヴィヘラにも伝わる。

 それでもセトの鳴き声に危険を感じなかったのか、レイは特に急いで動いたりはしない。

 そしてレイが動かないのなら安心なのだろうと、ヴィヘラもまた同様に焦って動いたりといったようなことはなかった。

 だが……少しすると、自分達に向かって近付いてくる気配を感じる。

 その気配が覚えのあるものだったので、レイはセトに寄り掛かったまま、視線だけそちらに向け、口を開く。


「どうした、ザイ」

「ああ、実は……偵察隊が戻ってきた」

「またか? ……って、おい。もしかしてまた別の拠点を見つけたとか、そんな話だったりするのか?」


 今日この集落に戻ってきたばかりの為、またすぐに次の拠点を潰してきて欲しいと言われても、レイとしては困る。

 出来ない訳ではないのだが。

 ただ、ザイはそんなレイの言葉に首を横に振る。


「いや、違う。どうやら、この辺りに存在する別の集落からやって来た連中と遭遇したらしい」

「またか?」


 数秒前と同じ言葉を口にするレイ。

 実際、つい先日も同じようにこの辺りの集落からやって来た偵察隊と遭遇したばかりなのだから。

 同じような集落が、他に幾つもあるということを意味している。


「ああ、まただ。ただ……こちらの偵察隊と遭遇するよりも前にドラゴニアスと遭遇したらしい。幸い、相手の数は少なかったから倒すことが出来たが、怪我をした者も相応にいるらしい」

「なるほど。腕利きではあるのか」


 ドラゴニアスを倒しているのなら、戦力として有益だ。

 また、ザイは口に出さなかったが、ザイの性格として同族のケンタウロスが怪我をしているのなら、治療してやりたいと思うのは当然だった。


「ザイが野営地に入れてもいいと思ったのなら、俺は構わない。それで必要なのは薬の類か?」


 当然の話だが、それぞれの集落が用意した物資がレイのミスティリングに収納されている以上、薬の類もミスティリングには入っている。

 一応レイがドラゴニアスの拠点を潰す為に出発する前に、何かあった時の為にとある程度の薬は置いていったのだが……


(ザイの様子を見ると、置いていった分だと足りなかったって事か? まぁ、この様子を見る限りだと命に危険のあるような大きな怪我をしている奴はいないんだろうけど)


 そう思いながら、レイはセトに寄り掛かっていた状態から立ち上がる。


「どうせ夕食が出来るまで暇だし、薬を運ぶのも苦労するだろ。なら、俺が直接行くよ」

「いいのか?」

「ああ。ザイの様子を見る限り、多分問題ないとは思うけど……もしかしたら俺が持ってる薬が必要になるかもしれないし」


 この場合の薬というのは、ポーションの事だ。

 ケンタウロスには魔法を使える者が少ない為か、ポーションの類はない。

 薬師が作った薬だけが回復薬なのだ。

 当然のように、その手の薬はポーションとは違って回復するのもゆっくりだ。

 レイの印象では、日本で普通に売られている薬と言ってもいい。

 それに比べると、ポーションの類はこれぞファンタジーといったように、傷を瞬時に回復出来る。

 そんなポーションを持っているのは、この場にいる者の中ではレイだけだった。


「悪いな、そうしてくれると助かる。ただ、レイも言ったけどそこまで重傷って訳じゃないから、あまり気にする必要もないと思うけどな」

「気にするな。半ば暇潰しって意味もあるし。……ヴィヘラはどうする?」

「そうね。私もそっちに行ってもいいんだけど……いえ、あまり面白そうじゃないし、暇そうにしてるのが向こうにいるみたいだから、食前の運動をしてくるわ」

「……そうか」


 結局戦うのか。

 そんな気持ちは自分の中で押し殺し、少し離れた場所で話している二人のケンタウロスに向かうヴィヘラを見送り、レイはセトと共にザイの案内に従って新しく合流してきた者達の下に向かう。


「それで、具体的にはどのくらいの怪我なんだ?」

「切り傷が殆どだな。それと……何人かは肉を喰い千切られている」

「……だろうな」


 ドラゴニアスの主な攻撃方法は、二つある。

 それが指から生えている鋭い爪で相手を切り裂くというものと、その鋭い牙で相手に噛みつく……いや、喰い千切るという二つが。

 実際には体当たりをしたり、下半身になっているトカゲの部分で蹴りを放ったりといったようなことをしてもいいように思えるのだが、少なくてもレイはそのような戦い方をしているドラゴニアスは……金の鱗と銀の鱗のドラゴニアス以外は見たことがない。

 そんな訳で、ドラゴニアスと戦ったケンタウロスの傷がそのような傷になるのはレイにとって当然のことだった。


「とはいえ、爪の傷の方はとにかくとして、喰い千切られた方は……回復薬を使ってもそう簡単には治らないぞ?」


 切り傷なら、薬で治る。

 だが、喰い千切られているということは、その場所にあった肉そのものがないのだ。

 その傷を治したとしても、そう簡単に今までと同じ動きが出来る筈がない。


(ポーションとか回復魔法とかなら、どうにかなるけど)


 そう考えるレイだったが、ザイは問題ないと告げる。


「大丈夫だ。喰い千切られはしたが、傷そのものはそこまで大きくはないからな」

「そうなのか? まぁ、ザイがそう言うのなら間違いないんだろうけど」


 話ながら野営地の端……レイが地形操作で作った自由に出入り出来る場所の一つに向かう。

 その場所では、戻ってきたケンタウロス達が驚き、興奮しながら他のケンタウロスに何か話し掛けていた。

 とはいえ、それが何を思ってのことなのかは、レイの耳にすぐに入ってきたが。

 自分達が出て行ってからの短時間で、野営地の周囲がこれだけの状態になっているのが信じられなかったらしい。


「レイを連れてきたぞ」


 そんなザイの言葉に、その場にいるケンタウロス……偵察に出ていた者達と、そのケンタウロスと新たに合流したケンタウロス達の視線がレイに向けられるのだった。

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