第2291話
「久しぶりだな」
セトの背の上からそう告げる声に、目の前のケンタウロス……アスデナは複雑な表情を浮かべつつも、頷く。
「久しぶりだ。正直なところ、こうも早く再会するとは思っていなかったんだが」
「それは俺もだよ」
レイとセトが迷子になり、アスデナからザイの集落まで案内して貰ってから、数日。
またここで……それもアスデナの集落にレイがやって来るというのは、双方にとって驚きだった。
「草原の風はどうしてる?」
「他の家畜と一緒に仲良くやってるよ」
双頭の山羊について尋ねられたレイは、そう返す。
この草原の中でも、その強さから敬われる存在だった双頭の山羊。
ケンタウロス達の間では草原の風と呼ばれているそのモンスターは、現在ザイの集落で他の家畜と共にゆっくりとした日々をすごしている。
最初は草原の風を他の家畜と一緒にしてもいいのか? と疑問に思った者もいたのだが、その草原の風を連れてきたレイから、一緒にしても大丈夫だと言われてしまえば、問答無用で却下するような真似も出来ず……結果として、取りあえず試してみるかということになった。
そして試してみたところ、他の家畜も特に騒いだり怖がったりするような真似はせず……それどころか、かなりリラックスしているようにすら思えた。
だからこそ、ザイの集落の者達も草原の風が他の家畜と一緒にいるのも、取りあえず問題ないとしたのだろう。
……実際には、もし問題が起きたとしても、草原の風をケンタウロス達でどうにか出来るという自信がなかったというのも大きい。
家畜と一緒にいるのを見れば、思いもしない出来事だったが……草原の風というのは、一匹で大量の――レイやセト、ヴィヘラには及ばないが――ドラゴニアスを倒すだけの実力を持っているのだ。
そんな草原の風を相手に、他のケンタウロス達がどうにかしようとしても、非常に難しい。
それこそ下手に手を出せば、草原の風が暴れて手に負えなくなってしまうのではないか。
そう思っても、おかしくはない。
だからこそ、草原の風が大人しくしている限りは、それ以上手を出すといったようなことはせずに黙って見守るという選択をした。
結果として、その判断は正解だった。
草原の風がやって来てから数日が経つが、現状のところ特に草原の風が問題を起こしたりはしていないのだから。
……ただ、時々家畜の集まっている柵から飛び出して、好き勝手に草原の中を走り回り、最後にはまた集落に戻ってくるといったようなことが何度か行われているが。
ケンタウロス達にしてみれば、その程度なら問題ないと考えているらしい。
寧ろ、草原の風がいるおかげでドラゴニアスがやって来ても、少ない数なら倒してくれるという意味もあり、喜んですらいる。
実際、草原の風がやって来てからの数日で、二匹のドラゴニアスが倒されている。
その辺りの事情を聞くと、アスデナは羨ましそうな……そして深刻そうな表情を浮かべる。
アスデナにしてみれば、家畜を守ってくれる草原の風という存在は非常に羨ましい。
その上、外に出ても自分で元の場所に戻ってきてくれるというのは、それこそ家畜を飼っている者にしてみれば、これ以上ないくらいの羨ましさだろう。
そして深刻そうな表情を浮かべた理由は、ザイ達の集落の側にドラゴニアスが再び現れたことか。
アスデナの集落とザイの集落は、距離的にはかなり離れているものの、隣と言ってもいい。
そうである以上、アスデナの集落にドラゴニアスが現れても不思議な話ではなかったのだ。
それこそ、今回はザイの集落に行ったものの、場合によってはアスデナの集落が襲われていたという可能性も十分にあった。
その辺の事情を考えれば、やはりドラゴニアスは放っておけないと、そう思うのは当然だろう。
「それで、アスデナの集落からは何人が来るんだ?」
「俺を入れて五人だ」
レイの問いに、アスデナは短くそう答える。
五人と聞かされたレイは、ザイに視線を向ける。
それで十分なのかという意味を込めて。
レイの視線を受けたザイは、それで問題ないと頷く。
寧ろ、ザイにしてみればよくそれだけの人数を用意してくれたという思いがあった。
「かなり無理をしたのでは?」
「ああ。だが、ドラゴニアスの脅威があるとなると、こちらとしても相応の対処をする必要がある。そういう意味では、人数は足りないと思っていたんだが……そっちは三人でいいのか?」
アスデナの口調が若干心配そうな様子なのは、今回の偵察隊を提案したのは、ザイの集落だ。
だとすれば、本来ならザイの集落から出す人数が一番多くなっても、おかしくはない。
だというのに、実際にザイの集落からやって来たのは三人。
勿論、戦力という意味では、レイ、ヴィヘラ、セトがいるという時点で非常に高い。
また、ザイも集落の中では最強の戦士の一人だ。
だが……やはり、見た目というのも大事なのは間違いない。
アスデナや、その仲間達はレイの実力を知っているから、ザイ達が三人でも不満はない。
しかし、この集落ではない別の集落でその辺りの話を知られると、恐らく……いや、ほぼ間違いなく問題にしてくる者が出ててくるだろう。
そこまで考えたアスデナだったが、すぐに首を横に振る。
「……まぁ、いいか」
ケンタウロスは強者を重んじる。
そういう意味では、模擬戦を行った結果、レイにあっさりと倒されてしまったアスデナは、レイを重んじるのは当然だった。
であれば、レイを心配するようなこともない。
もしレイの存在を軽んじるような者がいれば、それこそ自分がやったように模擬戦でもやればいい。
そうすれば、レイの実力をその身で味わうことになり、レイを軽んじるような真似をしなくても……とそう思ったところで、アスデナはレイの後ろにいるヴィヘラに視線を向ける。
強い存在感を持つヴィヘラだけに、当然アスデナもヴィヘラの存在に気が付いてはいた。
だが、それでもヴィヘラに話し掛けなかったのは、何となくそうした方がいいと、そう感じていたからだ。
だが、今の話の流れを考えると、ここでヴィヘラについて話をしないということは有り得ない。
「ちなみに一応聞くけど……レイの後ろの女も強いんだよな?」
「当然だ」
即座にそう答えたのは、レイ。
ヴィヘラの強さは、この場にいる中では自分が一番知っているという思いがあった為だ。
そんなレイの後ろで、ヴィヘラは満面の笑みを浮かべる。
レイが自分の実力を認めているのは分かっていたが、それでもやはりこうして直接口に出して貰えるというのは、非常に嬉しいのだ。
そんなレイとヴィヘラの様子に、アスデナは納得の表情を浮かべる。
それでも念の為といった様子で、アスデナの視線がザイに向けられる。
ザイはアスデナの視線に、当然といった様子で頷く。
何しろ、ヴィヘラは集落にいる多くのケンタウロスに訓練をつけているのだ。
そして訓練を受けている者の中には、ザイの姿もある。
模擬戦は、それこそ数十回……もしかしたら百回に及ぶくらい行っていた。
にも関わらず、ザイを含めてケンタウロスの全員がヴィヘラに勝ったことは一度もない。
それどころか、まともなダメージを与えた者すら誰もいない。
元々ヴィヘラの戦闘スタイルは格闘である為に、回避に優れている。
攻撃を防ぐといった真似も出来ない訳ではないが、女のヴィヘラは回避や、いなすといった方が得意なのは間違いない。
特にケンタウロスは人間に比べて体重も多いので、まともに攻撃が命中すればヴィヘラも吹き飛ばされかねない。……その攻撃を命中させることが出来れば、の話だが。
それが出来ないからこそ、ザイ達は苦労しているのだが。
幾ら攻撃を繰り出しても、他の仲間と連携して攻撃しても、ヴィヘラには全く攻撃を命中させることが出来なかった。
……それどころか、ヴィヘラの身に纏っている薄衣に触れることすら出来なかったのだ。
その実力差は、まさに圧倒していると言ってもいい。
「ともあれ、話は後だ。これから他の集落にも回らないといけないしな。……荷物は?」
「集落の中だ。ついてきてくれ」
そう言い、アスデナはレイを集落の中に案内する。
(あまりいい雰囲気とは言えないな)
集落の中にいるケンタウロスの何人かが、自分達に恨みがましい視線を向けているのに気がついたレイが、そう思う。
とはいえ、恨みがましい視線を向けられる理由が分かっている以上、レイも何も言えないのだが。
「レイ、こっちだ」
アスデナに呼ばれると、そこには食料やテント、武器といった代物や、各種消耗品の類が置かれている。
ザイは他のケンタウロスと共に、この集落の長に会いに行くというので、ここで一旦別れる。
五人分の物資だけに、そこにあるのは結構な量だ。
だが、レイはそれを次々とミスティリングに収納していく。
次から次に消えていく物資に、周囲で様子を見ていたケンタウロス達は、ただ唖然とするだけだ。
目の前で何が起きているのかが、全く分からない。
……つい先程までレイ達に恨みがましい視線を向けていた者達も、目の前の光景にただ唖然とするだけだ。
物資の類も結構しっかりとした梱包をされている以上、ミスティリングに収納するのは難しくはない。
そして最後の荷物をミスティリングに収納すると……
「さて、これで終わりだ。後はザイが戻ってきたら、次の集落に向かうことになるけど、まだ戻ってこないのか?」
「そうね。残念だけど、まだ暫く戻ってきそうにないわね」
レイの横で周囲を眺めていたヴィヘラが、そう言葉を返す。
ザイの集落であれば、それこそヴィヘラもそれなりに皆に慣れてきているので、話すような相手はそれなりにいる。
……戦士達は、ヴィヘラに圧倒的なまでの実力差を見せつけられて、気軽に話し掛けるような者はいなかったが。
それ以外の者にしてみれば、ヴィヘラはドラゴニアスから集落を守ってくれた相手だ。
その上で、普通――戦闘力のない――の人にとっては、ヴィヘラの人当たりは決して悪いものではない。
ビューネの件を見れば分かるように、ヴィヘラは面倒見がいい。
それだけに、子供達の中にはヴィヘラに懐いている者は多い。
だが、この集落にいる子供達を相手にしては、そのような真似は出来ない。
基本的に、足が二本しかないということで、レイやヴィヘラには近付きたくないと思う者が多いのだろう。
だからこそ、この集落の子供達が自分からヴィヘラに近付いてくるようなことはない。
「次の集落はアドバガスって奴が長をしている集落らしいけど、知ってるか? ……あ、いい。何となく分かった」
アドバガスという言葉を口にした瞬間、アスデナの表情が嫌悪に歪んだのを見れば、好んで接したいような相手ではないというのは、すぐに分かった。
実際にはアスデナがそう思ったからといって、レイも必ずしもそう思うとは限らないのだが……それでも、レイはアスデナの感性が自分とそう違っていないと思っていただけに、そう判断したのだろう。
(とはいえ、そんな集落にも行かないといけないと駄目ってのは……どういう性格を持つ集落なのかは分からないけど、向こうが絡んで来たら力で強引に解決して主導権を握るか?)
偵察をする者は、出来るだけ多く集める必要があった。
そうである以上、一つの集落に時間をかける訳にはいかない。
なら、力で手っ取り早く従えてしまった方がいいと、そう判断する。
「ともあれ、その集落に行ったらさっさと人数を集めた方がよさそうだな」
「ああ。あまり長時間いたい場所じゃないのは間違いない。恐らくアドバガスの集落に行けば、レイも不愉快な思いをすることになると思うけど……」
「その辺は気にするな。こっちはこっちで何とかするから。……お、戻ってきたな」
レイの視線の先には、この集落の長の下に案内をしていたケンタウロスとザイが戻ってくるのが見えた。
ザイの表情は特に不機嫌そうでもなく、特に何の問題もなかったのだろうというのは見て分かった。
「レイ、準備の方は?」
「見ての通り、こっちは特に問題ない。後は出発するだけだ」
「分かった。なら、すぐに出発しよう。可能なら、今日のうちに他の集落を幾つか回っておきたいからな」
偵察隊の人数を揃える為とはいえ、どの集落に行っても必ず長と会う必要がある。
その度に面会をして、それで時間を潰し……レイにしてみれば、それは面倒臭いとしか思えない。
ただ、この世界の流儀であれば、郷に入っては郷に従う必要があると、そう思って我慢するのだった。
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