第2290話

「では、行ってくる。集落の防衛は頼むぞ」

「当然だろう。お前達がいなくても、この集落は守ってみせる」


 ザイの言葉に、ドラットが不機嫌そうに告げる。

 この二人の関係は、探索隊が出発する日になっても結局友好的になることはなかった。

 とはいえ、子供の頃からドラットはザイをライバル視してきたのだから、それがこの数日でどうにかなる筈もないのだが。

 探索隊を派遣すると決まってから数日……その数日の間だったが、レイとヴィヘラによって徹底的に鍛えられたケンタウロス達は、間違いなくその実力が上がっていた。

 勿論、たった数日で見違える程に強くなる訳ではないので、実際に上がった技量というのはそこまで大きなものではない。

 だがそれでも、間違いなくケンタウロス達の技量は上がっているのだ。

 ……そんな中で、突出して強くなった者も何人かいる。

 それはレイとヴィヘラという相手と模擬戦をし、圧倒的な強者を相手に、それでも決して折れないで戦い続けた結果だ。

 正確には今まで地道に訓練をしてきた結果が、レイやヴィヘラとの模擬戦によって花開いたといったところなのだろうが。

 その花開いた者の一人が、ドラット。

 間違いなく以前よりも強くなっており、ドラゴニアスの一匹程度ならほぼ間違いなく勝てるといった実力を持つ。

 ……実際には、ドラゴニアスというのは個体差が大きいので、絶対に勝てるといった訳ではないのだが。


「任せた」


 若干挑発染みた言葉を口にしたドラットだったが、ザイの口から出たのは、その実力を信じているといった言葉。

 この辺りが、ザイとドラットの人望の違いとして現れているのだろう。

 本人達はその辺を全く気にしている様子はなかったが。


「それじゃあ、行きましょうか。……私がセトに乗るのも、随分と久しぶりね」


 嬉しそうな笑みを浮かべて告げるヴィヘラに、レイは微妙に困った表情を浮かべる。

 今回の探索隊にヴィヘラが同行を希望するのは、レイの予想通りだった。

 だが、問題なのはヴィヘラがどう移動するかということになる。

 実際にはヴィヘラの走る速度は非常に速く、ケンタウロス達と一緒に走っても問題はない。

 しかし、今回はいつドラゴニアスに遭遇するのかも分からないのだ。

 そうである以上、いざドラゴニアスと遭遇した時に体力切れで戦えない……ということにはならないと思うが、それでも万全の状態を発揮出来ないというのは痛い。

 だからこそ、結果としてヴィヘラはレイと共にセトの背に乗って移動することになった。

 体長三mを超えるセトだけに、レイ以外を乗せても何の問題もない。

 そもそも、アナスタシアとファナの二人を乗せて走っていたこともあるのだから。

 ……問題なのは、レイの後ろに乗っているヴィヘラの身体が密着するということになる。

 ただでさえ、ヴィヘラは向こう側が透けて見えるような薄衣を身に纏っている。

 つまり、それだけ薄い布を使っているのだ。

 魔法的な処置がされてはいるが、触れた感じでは特にそれを感じはしない。

 そんな薄衣を身に纏っているヴィヘラが背中から抱きついてくるのだから、当然の話だがヴィヘラの豊かな双丘はレイに背中でひしゃげるように潰れる。

 セトが走っている間中そのような状況だとすれば、レイにとっては非常に厳しい時間となってしまう。

 少なくても、試しに走ってみた時にはそんな感じだった。


「そうだな。じゃあ行くか。……ザイ、案内を頼む」


 セトに乗ったレイはザイに呼び掛ける。

 現在の偵察隊は、レイとヴィヘラ、ザイの合計三人。

 偵察隊としてはかなり少ないが、これから他の集落を回って偵察隊に参加する者達を集めていくことになる。

 最終的にどのくらいの人数になるのかは、レイにも分からない。

 だが、ザイから聞いた話によると結構な人数となるだろうというのは予想出来る。


「任せろ。もう他の集落には人を送ってある。集落に到着すれば、すぐに合流する筈だ。……幸いにも、ドラゴニアスに脅威を抱いている者は多い。そうである以上、人を寄越さないということはない筈だ。実際、そのように返事を貰っているしな」

「だと、いいんだけどな」


 レイが少しだけ不安の色を滲ませながら、そう告げる。

 集落にしてみれば、偵察隊に参加する人材というのはあまり出したくないだろう。

 であれば、偵察隊に人材を派遣するというのは、その集落にとって決して面白い出来事ではない。

 それこそ、いざドラゴニアスが攻めて来た時に、対処する戦力が減るということを意味しているのだから。

 ましてや、今回偵察隊を集める為に回る集落は、未だにこの集落に合流していない集落……自分達の力を過信しており、自分達だけでドラゴニアスはどうにか出来ると考えている相手か、もしくは既得権益を手放すのを嫌っているような、そんな者達なのだ。

 前者は、実際にドラゴニアスと戦った経験がないからこそ、そのような自信過剰になるのだろうし、後者にいたっては自分の利益の為に集落にいる他の者達を犠牲にすると言ってるも同然の者達だ。

 そのような者達の集落に向かうのは、レイとしてはあまりしたくない。

 とはいえ、人数が多ければ多い程、ドラゴニアスの本拠地を見つけられる可能性が高い為に、人手は多い程よかった。


「出発する!」


 そんなザイの言葉に、セトは動き出す。


「少ないわね」


 レイに抱きつきながら、そう告げるヴィヘラ。

 背中の大きく柔らかな感触は意図的に無視し、レイは口を開く。


「俺、ヴィヘラ、ザイの三人。それとセトもいなくなるんだから、それを考えればこの集落に残る戦力は多い方がいいだろ」

「分かってるんだけどね。……それにしても凄いわね」


 レイに言葉を返し、改めて周囲を見る。

 ザイの集落もそうだったが、目の前に広がっているのは一面の草原だ。

 そんなヴィヘラの言葉に、レイもまた同意するように頷く。

 上空から見る緑の絨毯も迫力があったが、こうして自分が緑の絨毯の中を走る――正確には走るセトに乗っているのだが――というのは、不思議な感動を抱くには十分だ。

 とはいえ、草原の中をセトと共に走るというのは、以前ドラゴニアスの拠点を襲撃しに行く時も経験している。

 だというのに、新鮮なように感じられるのは……

 そう思いながら、レイは自分の背中に抱きついている人物のことを考える。


(ヴィヘラがいるから、か。……まぁ、それも不思議じゃないか。もしくは、隣を走ってるのがザイだけだからというのもあるのか?)


 以前ドラゴニアスの拠点に向かった時は、ザイ以外にもドラットを始めとして他に何人もいた。

 それを思えば、背中にいるのがヴィヘラで、隣にいるのがザイだけだというのは、非常に大きいのだろう。


「こうして移動してると、何だか不思議な気分になるな」

「そう? 別にこれくらいはいつものことじゃない?」

「そうでもないだろ。何だかんだと、最近は空を飛んで移動することが多かったからな」

「……少しいいか?」


 と、レイとヴィヘラの会話にザイが割り込む。

 ザイから見ても、レイとヴィヘラがどういう関係なのかというのは理解出来たので、出来れば会話を邪魔するような真似はしたくなかったのだが、今の会話の中には決して聞き逃すことが出来ないような内容があった

 そうである以上、この話は何としても聞かなければ。

 そう思っての行動だったのだろう。


「どうした?」

「いや、レイじゃなくてヴィヘラに聞きたいんだが……空を飛んで移動していたという話だったが、その状態のまま飛んだのか?」

「え? 違うわ。セトはレイ以外を乗せて飛ぶことは……不可能とは言わないけれど、かなり厳しい制限があるもの。私が空を移動する時は、セト籠というのに乗せて貰ってか……もしくは、直接セトの足に捕まってか、かしらね」

「なぁっ!」


 ずるり、と。

 ザイは珍しいことに……本当に珍しく、それこそ子供の頃以来ではないかと思うくらいに、走っている途中でバランスを崩して転びそうになる。

 二足歩行の人間と違い、ケンタウロスは四本足だ。

 当然のようにその安定感は高い。

 ……それ程、ヴィヘラの口から出た言葉は衝撃的だったのだろう。


「それは……その、本気で言ってるのか? 空を飛ぶんだぞ?」

「ええ。何かおかしい?」

「いや……何故そのように平気な顔で……」


 呆然、唖然、愕然。

 そんな言葉が似合いそうな様子で呟くザイを見ながら、レイは首だけを後ろに向け……背中に抱きついているのだから当然だが、思ったよりも近くにあったヴィヘラの美貌に一瞬息を止め、すぐに言葉を続ける。


「ザイもそうだけど、ケンタウロスは基本的に空を飛ぶのが苦手らしい」

「……え? そうなの? あんなに楽しいのに」


 驚いたように言うヴィヘラだったが、当然これは普通ではない。

 セト籠ならまだしも、セトの足に掴まって飛ぶというのは、非常に難易度が高い。

 基本的にセトが空を飛ぶ時は、高度百m程の場所を飛ぶ。

 そのような高度を飛ぶセトの足にぶら下がって飛ぶのだ。

 とてもではないが、普通ならその高さを飛ぶとなると高すぎて震えてしまう。

 だが、ヴィヘラは……いや、ヴィヘラだけではなく他のレイの仲間も、そんな行動を楽々とこなす。

 ザイにしてみれば、そんなヴィヘラや他の面々の気持ちは全く分からない。

 一体何がどうなってそうなったのか、本気で知りたいくらいだ。……知ったら自分も空を飛ばなければならなくなりそうなので、出来れば遠慮したいとすぐに思い直すが。


「そうなの? 勿体ないわね。空を飛ぶのは気持ちいいわよ?」


 それは、ヴィヘラが実際に何度もセトの足に掴まって飛んでいるからこそ、出せる言葉だろう。

 自分が体験しているからこそ、その言葉には強い説得力があった。

 だが……そんなヴィヘラの言葉を聞いても、ザイは必死になって首を横に振る。


「無理だ、無理無理無理。そんな真似は絶対にしたくない!」


 普段は冷静なザイなのだが、今はとてもそのようには思えない様子だ。

 それだけ、ザイにとって……いや、ケンタウロスにとって空を飛ぶというのは怖いのだろう。


「ザイ、ちなみに空を飛ぶのが怖いのは分かったけど、それは地面に足がついていないのが問題なのか?」

「そうだ」


 一瞬の躊躇もなく、即座に返事をするザイ。

 レイはそんなザイの言葉に若干の疑問を抱き……言葉を続ける。


「それは、数秒とかでも地面に足が付いてないと駄目なのか? 例えば、走りながら跳躍するとか」


 ケンタウロスの走る速度は、セトよりは遅いものの、かなりの速さを持つ。

 そんな速度で跳躍すれば、当然のようにその高さはかなりのものになるだろう。

 そんなレイの問いに、ザイは一体何を言ってるんだ? といった様子の視線を向け、口を開く。


「は? それに何か問題があるか? 走っていれば、跳躍するくらいは普通だろう?」

「……うん。取りあえず分かった。跳躍するのは問題ないんだな。跳躍してる時も、足は地面についてないと思うんだが」

「それは……」


 レイの指摘に、ザイは意表を突かれたといった表情を浮かべる。

 ザイにしてみれば、跳躍と飛ぶというのがイコールで結ばれるとは思ってもみなかったのだろう。

 だが、考えてみれば時間の長短はあれど、跳躍も飛行も足が地面から離れているという意味では同様だった


「だろ? なら、もう少し頑張れば空を飛べるんじゃないか?」

「それは……いや、待て。出来る訳がないだろう」


 一瞬納得しそうになったザイだったが、すぐに我に返ってそう告げる。

 ザイにとって、レイの言葉は不思議な程にすんなりと受け入れそうになってしまったのだが、その幻想を吹き飛ばすように、頭を激しく振る。

 なお、そのようなことをしているが、現在もセトとザイは普通に走り続けている。

 結構な速度で走っている様子を見れば、普通ならとてもではないがそのような真似が出来るとは思えないのだが……この辺り、ザイの身体能力が優れている証だろう。


「やろうと思わないから出来ないだけで、やろうと思えば出来るんじゃないか?」

「無理を言うな、無理を。とてもではないが、そんな真似は出来ない」


 レイの言葉に即座にそう言い返すザイ。

 だが……そんなザイに、レイの後ろで話を聞いていたヴィヘラが、笑みを浮かべて口を開く。


「それで本当にいいのかしら?」


 ヴィヘラの浮かべている笑みは、前に座っているレイからは見えない。

 だから、何故ヴィヘラの視線の先にいるザイが顔を引き攣らせているのかは……分からなかった。

 少なくてもレイはそう判断したし、今この状況で後ろを見てヴィヘラがどのような笑みを浮かべているのかを確認する気は全く……これっぽっちもなかった。

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