第2282話

「うおおおおおおおおおおおおっ!」


 ケンタウロスの一人が、自らを鼓舞するかのような声を上げながら走る。

 その向かう先にいるのは、ケンタウロスから見れば圧倒的に小さな……そして弱いとしか言いようがない女だ。

 ケンタウロスから見れば欲情の対象ではないが、二本足の者達にしてみれば、間違いなくそのような対象になるだろう相手。

 だが、そんな相手に対する思いとは全く関係なく、ケンタウロスは全力で突っ込んでいく。

 体重にして五倍程も差のある相手だけに、正面からぶつかれば間違いなくケンタウロスが勝つだろう。

 それでも、突っ込んでいくケンタウロスの顔には全く余裕の色はない。

 その理由は、ケンタウロスが突っ込んでいく女の周囲に、何人ものケンタウロスが倒れているからだろう。

 それを行ったのが女である以上、今の状況で油断など出来る訳がなかったが。


「くらえええええええっ!」


 間合いが近付いたところで、模擬戦用に刃を潰した槍を振るうケンタウロス。

 刃を潰しているとはいえ、その槍は本物の槍なのは間違いなく、ケンタウロスが走ってきた速度と、その筋力から放たれる一撃によって威力は刃の有無など関係ないものになっている。

 だが……命中すれば死んでもおかしくはない一撃を放たれつつも、それを向けられた女……ヴィヘラの顔には恐怖の類が全くない。

 それどころか、ヴィヘラの顔には満面の笑みすら浮かんでいる。

 普通に見れば、この光景は全くの逆だろう。

 だが、お互いの実力差を考えた場合は、全くおかしいことではなかった。


「来なさい」


 ヴィヘラが短くそう告げると同時に、ケンタウロスの持つ槍が突き出されるのは、ほぼ同時だった。

 ヴィヘラは身体を少しだけ動かし、あっさりと槍の一撃を回避する。

 だが……ケンタウロスの方も、こんな単純な一撃でヴィヘラをどうにか出来るとは、最初から思っていない。

 突きを回避された瞬間、その槍を真横に振るう。

 全力で突き出した槍を、そのままの勢いで真横に振るう。

 そんな真似は、そう簡単に出来ることではない。

 今の一撃を放ったケンタウロスも、ヴィヘラに多少なりともダメージを与えられると、半ばそう確信していた。

 自分の仲間の多くが地面に倒れているような状況であっても、今の一撃なら大きなダメージを与えることが出来る。

 そのような確信すら抱いていたのだが……


「何っ!?」


 薙ぎ払いの一撃があっさりと回避されたのを見て、驚きの声を上げ……次の瞬間、胴体を蹴られて吹き飛ぶ。

 ヴィヘラのスキル浸魔掌……ではなく、ただの蹴りで、体重差五倍はあろうかというケンタウロスが吹き飛んだのだ。

 それだけで、ヴィヘラの一撃が純粋にどれだけの威力なのかというのを示している。


「さて、もうこれで終わり? そろそろ私に触れるくらいのことはしてもいいんじゃないかしら?」


 最後に吹き飛んだケンタウロスを眺めつつ、ヴィヘラはそう告げる。

 そんなヴィヘラの言葉に何人かのケンタウロスが立ち上がろうとするものの、その身体に残るダメージは大きく、多くの者は立ち上がることが出来ない。

 何とか立ち上がることが出来た者でも、その四本の足は見て分かる程に震えている。

 それこそ生まれたての子馬ではないかと、そう思うくらいに。


「ヴィヘラ、取りあえずその辺にしておけ。少しやりすぎだぞ」

「そう言っても、ドラゴニアスと戦う時に、実力が足りないから手加減して下さいって言うの? ……もし言っても、それは間違いなく何も聞いてくれないと思うけど」


 レイに向かってそう返すヴィヘラ。

 実際、その言葉には強い説得力がある。

 飢えに支配されたドラゴニアスには、とてもではないがこちらの言葉は通じないのだ。

 そもそも、意思疎通すら難しい。

 一応ドラゴニアスによって命令がされている以上、何らかの意思疎通の手段があるのは間違いないのだが、レイを含めて誰もそれについての詳しい事情は分からなかった。

 普通に考えれば、あの鳴き声で意思疎通をしているのは間違いないのだろうが、残念ながらレイにはその辺の違いは分からない。

 そうなると、やはり今の状況ではドラゴニアスとの意思疎通は諦める必要があるというのは、レイの結論だった。

 そして意思疎通を諦めるのなら、どうしてもドラゴニアスを倒す必要がある。

 倒す必要がある以上、ケンタウロス達の実力を上げる為に模擬戦を行うのはヴィヘラにとって当然のことだった。


「まだ……まだだ。……まだやれる」


 そう言いながら、立ち上がった者の中でも真っ先に立ち上がったザイは、武器を手にして一歩踏み出す。

 だが……当然の話ではあるが、ザイがここで何をやったとしても、もう訓練にならないというのは、レイにも理解出来ていた。

 だからこそ、そんなザイを止めるべく口を開く。


「その状況で訓練をしても、身体を壊すだけだぞ。今はまず、身体を休めるのを優先した方がいい」

「だが……今のこの状況で、そのような悠長な真似が出来る筈がない。今はとにかく、訓練をして実力を上げなければ」


 そう告げるザイの様子を見て、他のケンタウロス達も立ち上がってくる。

 この集落において、現在は最強のザイ。

 そのザイがこのような状況になってまで訓練を続けているのだから、自分達がこのまま倒れていられるかと、そんな思いを抱くのは、誇り高いケンタウロスとしては当然だった。


「分かった。なら、後は好きに訓練をしていろ。俺はセトと一緒に動物やモンスターといった、食える生き物を狩りに行ってくる」

「頼む」


 短く言うと、ザイはそのまま槍を手に立ち上がり、再びヴィヘラに向かっていく。

 レイはそんなザイを見ると、少し離れた場所で様子を見ていたセトを呼ぶ。


「セト、狩りに行くぞ。どういう動物やモンスターがいるのかは分からないが、食料は多ければ多い方がいいからな」

「グルゥ? ……グルゥ!」

「レイ、行くのなら、迷子にならないように気をつけてね」


 ザイの攻撃を回避しながら、ヴィヘラはレイに向かってそう声を掛ける。

 レイとしては、そんなヴィヘラに向かって何かを言い返したいような気もしたが、実際に自分とセトが若干方向音痴気味なのは間違いない以上、ここで下手に何かを言い返しても、それは意味がない。

 それどころか、無意味に強がっているとすら思われてしまうだろう。

 出来ればそのような真似は避けたいので、そのまま軽く手を振って返事とする。


(まぁ、この集落を中心にして動き回っていれば、道に迷うってこともないだろうし。……道はないけど)


 集落の周辺にあるのは、全てが草原だ。

 道の類も……家畜やケンタウロスが歩き回って踏み固めたような道はあるが、それだって草原である以上、草によって大半が消されてしまう。

 そのような場所だけに、一度集落を見失ってしまえば再度見つけるのは難しい。

 ……とはいえ、家畜を飼っているということもあり、集落の周辺には独特の臭いがある。

 セトの嗅覚の鋭さを思えば、その臭いを辿って集落の場所まで戻ってくることは、不可能ではないだろう。

 集落から離れすぎて、セトでも臭いを嗅ぎ分けることが出来ない距離まで離れてしまうと、使えない手ではあるが。

 普通ならその辺はあまり心配しなくてもいいのだが、セトの場合はその移動速度を考えると、それこそすぐにでも集落から離れすぎてしまいかねない。

 その辺の事情を考えると、やはり慎重に行動した方がいいというのは間違いなかった。


「セト、少し慎重に移動するぞ。ここまで広い草原を移動した事なんて、殆どないしな」

「グルゥ? グルルルゥ!」


 レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らす。

 セトもまた、レイと同じようなことを考えてはいたのだろう。

 ……それはしっかりとそう考えた訳ではなく、あくまでも本能でそのように考えていた、という方が正しいのだろうが。

 ともあれ、セトとしてもこのままずっとここで模擬戦を見ているだけではつまらない以上、レイの言葉に反対する理由がない。

 背中にレイを乗せ、そのまま翼を羽ばたかせたセトは、空に向かって駆け上がっていく。

 そんなセトの様子を、まだ気力が残っていたケンタウロス達が恐れるように見る。

 ザイもそうだったが、ケンタウロスというのは下半身が馬である為か、もしくは先祖代々草原で生きてきたという関係からか、空を飛ぶという行為に強い忌避感を覚える。

 ドラゴニアスの本拠地と思っていた場所に向かおうとした時に、レイがザイにセト籠を使って空を飛んでいかないかと言った時も、とてもではないがそんなことは出来ないと言ったように。

 正直な話、レイとしては何故そこまで空を飛ぶという行為に忌避感があるのかは分からない。

 ただ、それが種族的なものだったり、本能的なものだったりするのなら、それを強要することもないと考え、それ以後は強要するような真似はしていない。

 ……だが、それでもケンタウロス達にとって、空を飛ぶセトとそれに乗るレイは、信じられないような相手だった。

 ただし、そんな風に思われているレイの方は、ケンタウロスの様子を全く気にした様子もなく、草原を上空から見下ろす。

 雲一つ存在しない青空が広がり、地面には緑の絨毯たる草原がどこまでも続く。

 まるで世界が二色に染められたかのような、そんな感覚。

 そのような思いを抱きつつ、レイは緑の絨毯を見て、何か獲物となるべき相手はいないのかと探す。


「いないな。……まぁ、ドラゴニアスがいるんだから、それも当然かもしれないが」


 飢えに支配されたドラゴニアスにしてみれば、馬や牛、羊、山羊、それ以外にも様々な動物は、自分が喰うべき餌としか思えない。

 勿論、この辺りはまだドラゴニアスの支配領域ではない。

 だが、ザイ達の集落を何度となく襲っている以上、当然のようにこの辺りにもドラゴニアスはやってきているのだ。

 であれば、食料になる大きめの動物は、それこそドラゴニアスに喰い殺されたか、もしくは危険を悟って逃げ出したか。

 その辺りの詳しい事情はレイにも分からなかったが、それでも今の状況を考えれば、獲物が非常に少なくなっているというのは予想出来た。


(そうなると、今この辺りに残っているのは、それこそ野生の本能が鈍っているような奴だけ……とか? まぁ、そういう奴の方が狩りやすいのは間違いないけど)


 そう考えつつ、それでも何か獲物はないかと考えていると……


「グルゥ!」


 不意にセトが喉を鳴らす。

 セトの見ている方に視線を向けたレイが見たのは、頭が二つある山羊に似た動物を、ドラゴニアスの群れが追っているところだった。


「あの動物は……何だ? 山羊のモンスターか何かか? ドラゴニアスから逃げてるけど……」


 呟きつつも、レイの視線が動かされる。

 その視線の先……双頭の山羊が逃げてきた方を見れば、そこでは何匹かのドラゴニアスが地面に転がっていた。

 当然のように、急に眠くなって寝ているといった訳ではないだろう。

 もしくは、獲物を狙ってドラゴニアス同士で争った結果か? とも思ったが、それにしては結構な数が地面に倒れている。

 今までレイが見てきた限りでは、ドラゴニアスは喰い殺すべき相手とみれば一斉に襲い掛かるが、仲間を攻撃するといったようなことは基本的にない。

 少なくても、レイはそのような光景を見たことはなかった。

 ……火災旋風に巻き込まれた結果、仲間にぶつかって自分の身体を武器とし、もしくは相手の身体を武器として仲間同士で攻撃し、攻撃されるといったようなことはあったが。


(つまり、あの双頭の山羊はドラゴニアスを殺せるだけの実力を持ってるのか? ……こうして見る限り、ドラゴニアスと同じくらいか、もしくは大きいくらいだ。それを考えれば、その辺はそこまでおかしくはない……か?)


 ドラゴニアスは、かなりの巨体だ。

 それこそ、身長三mを超えてる者も少なくない。

 そんなドラゴニアスと同じくらいの大きさとなれば、双頭の山羊も当然のようにそのくらいの大きさということになる。

 そんな巨大な山羊だけに、攻撃力という点でも……そう考えた瞬間、山羊の頭の片方が後ろを振り向くと、その口からブレスを吐く。


「ブレス……それも氷の?」


 正確には氷そのものをブレスとしている訳ではない。

 双頭の山羊の背後にいたドラゴニアスの身体に、短剣程の長さの氷柱が何本も突き刺さってるのを見れば、そのブレスの正体を考えるのは難しい話ではなかった。


「氷柱のブレスか。……なるほど。ドラゴニアスを相手に、ここまで戦える訳だ」


 ドラゴニアスは、近接戦闘には強いが、本能で相手を喰い殺そうとしているだけだからか、遠距離攻撃の類は殆どしない。

 少なくてもレイは見たことがないし、ザイからもその辺の話は聞いたことがない。


「ともあれ……あの双頭の山羊は、出来れば捕獲して集落に連れて行きたいところだな。……セト」

「グルルルルゥ!」


 レイの言葉にセトは鳴き声を上げ、翼を羽ばたかせながら地上に向かって降下していくのだった。

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