第2277話
ダスカーの胃に大きなダメージを与えた話し合いは、三十分程続いた。
本来なら、ダスカーはもう少しレイから詳しい事情を聞きたかったのだが、書類仕事や面会を希望する者が多くいる現状、いつまでもレイとの会話に時間を割く訳にもいかない。
本来なら、ダスカーとしては仕事をしながらでもレイと話をしたかった。
もっとも、それはレイとの話を楽しみにしているという訳ではなく、今のうちにレイから色々と話を聞いておかなければ不味いことになるかもしれないと、そう思ったからなのだが。
そんな訳で、ダスカーとしては自由になる時間を限界まで使って話していたのだが、それでもやはり限界はあった。
そんな訳で、レイも向こうの世界についての詳しいことはあまり話せなかったが、それでも大雑把にではあるが話を終えると、もう少し詳しい話を聞かせて欲しいといった表情を浮かべているダスカーをその場に残し、ダスカーの部下に促されるようにして領主の館を出た。
レイが戻ってきたことを察したセトは、すぐに庭からレイを迎えにやって来て、レイとセトは門番に見送られて外に出る。
「さて、これからどうするか……やっぱり、マリーナの家に行っておいた方がいいよな」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに鳴き声を上げる。
マリーナの家には、現在エレーナも住んでいる。
つまり、セトにとっても友達のイエロと会えるのだが、それを喜ぶなという方が無理だった。
レイの方はといえば、微妙に気が進まない様子を見せている。
前回戻ってきた時に、エレーナやマリーナに直接会わなかったというのもあるし、何よりヴィヘラだけが向こうの世界に行っているというのは、エレーナ達にとっても色々と思うところがあるだろうと、そう判断した為だ。
ヴィヘラから聞いた話によると、しっかりと書き置きは残してきたと言っていたが、それは逆にエレーナやマリーナに直接事情を話してはいないということを意味している。
その辺の説明も自分がしなけばならないのかと思えば、やはりそこに思うところがない訳ではなかった。
「とはいえ、まさか今回も寄らないままにすれば……後々、もの凄い怖い思いをしそうだしな」
屋台で買ったオーク肉の串焼きを食べつつ、レイはマリーナの家に……貴族街のある方に向かう。
途中でいつものようにセトと遊びたいと言ってくる子供達がいたが、今は急いでいるからということで、勘弁して貰った。
……セトに木の実を渡して、それを嬉しそうに食べている光景を見ているといった者もいたが、それはそれだろう。
そんなやり取りをしながら歩き、やがて貴族街に入る。
途中で見回りをしている冒険者と遭遇するが、このギルムの冒険者でレイの顔を知らない者はモグリだ。
あるいは、最近ギルムにやって来た冒険者ならレイの顔を知らないといったこともあるかもしれないが、それでもレイと一緒にいるセトを見間違うようなことはないだろう。
そんな訳で、見回りの冒険者達は特に警戒した様子もなく、レイに声を掛ける。
「レイ、これから家に戻るのか?」
二十代程の男女五人の集団の一人にそう声を掛けられ、レイは頷く。
「ああ。ちょっと用事があってな。……ただ、あの家は正確には俺じゃなくてマリーナの家なんだけどな」
「だから、レイの家だろ?」
会話が噛み合ってない。
そう思ったレイだったが、それに深く突っ込むような真似をした場合、面白くないことになりそうだったので、その辺はスルーして話を変える。
「それより、見回りが結構いるけど……やっぱり、貴族街に入っている奴がいるのか?」
「ああ。何も知らないで間違って入って来るような奴もいる。そういうのは問題ないんだが……中にはよからぬことを考えてる奴もいてな」
「それは……まぁ、そうだろうな」
貴族街ということは、当然のようにここには貴族が住んでいるのだ。
そして貴族が住んでいるということは、金貨や白金貨……宝石や、場合によってはマジックアイテムの類があったりする可能性もある。
多くの者が集まっているギルムでは、それこそ妙なことを考えている者がいてもおかしくはない。
いや、寧ろそのような者達は間違いなくいるだろう。
だからこそ、貴族に雇われた冒険者達がこうして見回りをしているのだ。
「それに……ほら、貴族街の近くには……なぁ?」
少し言いにくそうな様子でレイにそう告げる冒険者。
最初は何のことを言ってるのか分からなかったレイだったが、やがてすぐに思いいたる。
貴族街からそう離れていない場所にある、高級住宅地とでも呼ぶべき場所。
その地下に存在した存在やその一件によって起きた騒動について。
冒険者が言いにくそうにしていたのは、その一件にはレイがしっかりと関わっていたからだろう。
それを察したレイは、取りあえず頷いておく。
「その件については気にするな。俺も今はもうそこまで気にしてないし。……じゃあ、見回りを頑張ってくれよ。お前達がいるおかげで、妙な連中が入ってきたりしないんだからな」
そう告げ、レイはセトと共にマリーナの家に向かう。
冒険者達も、そんなレイとセトに軽く手を振り、特に何かをするような真似はしない。
レイがマリーナの家で暮らしているのは、それこそ冒険者の多くが既に知っていることだ。
「爆発すればいいのに」
だからこそ、レイの姿が遠くなったのを見て、男の冒険者の一人がそう告げる。
マリーナのような美女……それも極上の美女と一緒に暮らしており。その家には姫将軍のエレーナや、戦闘狂ではあるがストレートに男の欲情を刺激してくるヴィヘラといった面々が一緒に住んでいるのだ。
それで嫉妬するなという方が無理だった。
……実際には、他にもアーラやビューネが住んでおり、その二人も実はそれなりに人気があったりする。
「馬鹿言ってるんじゃないわよ。あんたもレイみたいに美人を侍らせたいのなら、もっと強くなりなさい」
爆発しろと口にした男の横で、女が呆れたように告げる。
レイ程の優良物件なら、それこそ女だってその一員に加わりたいとすら思ってしまう。
とはいえ……実際には、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラといった面々の中に入っていく勇気があるかと言われれば、それは否なのだが。
「そう言われても、レイみたいに活躍出来る訳がないだろ?」
不満そうに告げる男ではあったが、女はそんな男に対して呆れの視線を向けるだけだった。
「うーん、何だか久しぶりに戻ってきたって感じがするな」
実際にマリーナの家に戻ってきたのは久しぶりなので、その気持ちは決して間違っている訳ではない。
そんなレイの横では、セトが早く中に入ろうと喉を鳴らす。
セトにしてみれば、久しぶりに友達のイエロと会えるのだから、喜ぶのは当然だった。
「グルゥ」
早く行こうと喉を鳴らすセトに頷き、レイは門を潜る。
……実はこの家には、マリーナの精霊魔法によって妙な考え――先程の見回りの冒険者達との話で出て来たような者達――を持った者が来た場合は、自動的にそのような相手を迎撃する。
だが、レイとセトは既に何度もこの家で寝泊まりしているだけに、精霊魔法でも特に不審者といったようには判断されず、普通に家の中に入ることが出来た。
そして、扉を開こうとした瞬間……
「っと!」
レイが扉を開くよりも一瞬早く扉が開き、そこから数人の男達が出て来る。
その身なりから考えて、間違いなく上流階級……それこそ、貴族の一員なのだろう。
そんな男達は一瞬レイに不審の視線を向けるが、レイの側にセトが……グリフォンがいるのを見て、自分達の前に立っているのが誰なのか分かったのだろう。
小さく頭を下げると、男達はそのまま立ち去る。
(エレーナに面会に来た貴族か)
以前、エレーナは領主の館で暮らしていたのだが、面会を希望する者が大勢くるということで、マリーナの家に移ってきた。
領主の館に来る者にしてみれば、ダスカーに会ったついでに、エレーナと顔見知りになっておきたいと考える者が出て来るのも当然だろう。
場合によっては、ダスカーの方がおまけになることもあった。
ともあれ、そんな訳でエレーナはギルムではマリーナの家に泊まることになったのだ。
そうなっても、やはりエレーナに面会を希望する者は多い。
元々、姫将軍の異名を持ち、貴族派の象徴とまで言われているエレーナだ。
貴族派に所属する者であれば挨拶をするのは当然だろうし、貴族派ではなくても顔見知りになっておきたいと思う者は多い。
今の男達もそのどちらかだろうと判断し、レイはセトに自由にするように言う。
セトはイエロと久しぶりに遊ぶべく中庭に向かうのを見送ると、レイは家の中に入る。
「どうしました……レイ殿でしたか」
誰かが家の中に入ってきたのに気が付いたのか、アーラが玄関にやって来てそんな風に言う。
てっきり出て行った男達が戻ってきたのかと思ったのだろうが、入ってきたのがレイだとすると。笑みを浮かべる。
「ああ。少し長く留守にして悪かったな」
「いえ、ダスカー殿の方から、その辺の事情は聞いてますので。とはいえ、出来れば前回戻ってきた時に、エレーナ様に会って欲しかったですが」
「悪かったな。前の時は色々と急いでたんだよ。で、エレーナは?」
「居間の方にいます。私は少し用事があるので、失礼しますね。レイ殿はゆっくりしていて下さい」
あからさまに気遣いされたレイだったが、それは助かるので特に何か言うようなこともない。
感謝の気持ちは口にしたかったが。
家から出て行ったアーラを見送り、レイは居間に向かう。
すると、そこではエレーナが満面の笑みを浮かべてレイを待っていた。
エンシェントドラゴンの魔石を継承したエレーナは、非常に鋭い五感を持っている。
それこそ、居間にいても玄関でレイとアーラが話しているのは聞こえるくらいに。
(いや、それ以前の問題か)
居間から見える中庭では、セトとイエロが走り回って遊んでいる。
セトがいるのであれば、そこにレイがいないという訳はない。
「えっと……うん、ただいま」
「おかえりなさい。随分と遅かったようだが?」
「まぁ、その……色々とあってな」
「色々? うむ、どうやら本当に色々とあったみたいだな。その辺の話をゆっくりと聞かせて貰おうか。ちなみに、マリーナもその辺の話は聞きたいと思うぞ? ヴィヘラは……どうやら、レイと一緒にいるようだが」
全てを見透かしているような視線をレイに向け、そう告げるエレーナ。
何もこんなところで姫将軍の実力を発揮しなくても……と、そう思いながらも、レイは口を開く。
「簡単に言えば、異世界でドラゴニアスっていうモンスターの群れの本拠地……だと最初は思われた場所を襲撃していた」
「それは知っている」
ダスカーから話を聞いてるのなら、その辺について話を聞いていても当然だった。
あるいは、ウィスプについて何も知らないのなら、ダスカーもレイの行き先については秘密にしていた可能性もあったが、残念ながらエレーナはその辺の事情を全て知っている。
「なら……そうだな。何故か向こうの世界にヴィヘラが来た」
「……やはりか」
エレーナもその辺については予想していたのか、太陽の光そのものが髪になったかのような黄金の髪を掻き上げる。
ドラゴニアスを率いていた奴が金の鱗を持っていたが、レイが見る限りでは、同じ金でもエレーナの髪の方が圧倒的なまでに格上に感じられた。
(だからこそ、金の鱗と黄金の髪といったように、無意識で分けて考えていたのかもしれないな)
そんな風に考えていると、エレーナが口を開く。
「それで、ヴィヘラはどうしている? ヴィヘラのことだから、特に問題はないと思うが」
「そうだな。実際、嬉々としてドラゴニアスと戦ってたよ」
「……戦っていた? ヴィヘラがそちらに向かったのは、昨日だった筈だが?」
「ああ。ただ。俺達が戻ってくるよりも前にケンタウロスの集落が数匹のドラゴニアスに襲われてな。それをヴィヘラが倒したらしい」
「それはまた、随分と危ない世界なのだな」
「いや、本来ならそこまで危ない世界じゃないんだけどな。ただ、ドラゴニアスが危険すぎるだけで、とはいえ、ヴィヘラにとってはドラゴニアスは丁度いい相手らしい」
レイの言葉に、エレーナも大体の事情が理解出来たのだろう。
少しの呆れを込めて息を吐く。
「ヴィヘラらしい。ともあれ、ヴィヘラが無事で何よりだった。……帰ってきたら、しっかりと話をする必要があるだろう」
そう告げるエレーナは、迫力のある……それこそ、レイも思わず後退ってしまうような笑みを浮かべるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます