第2252話

「んー……ここを見ても、やっぱり戻ってきたなって感じがするな」


 トレントの森をセトに乗って移動しながら、レイはしみじみと呟く。

 レイがこの世界に戻ってきてから、少しの時間が経った。

 グリムはドラゴニアスの死体に強い興味を持ったのか、そちらの研究の方を優先し、向こうの世界のことを詳しく聞くといったようなことはなかった。

 ……もっとも、向こうの世界について聞かれても、レイが知ってることはそう多くはない。

 精々がケンタウロスという種族が存在し、更には草原から離れた場所では人が国を作っているという情報くらいしか存在しない。

 寧ろ、得られた情報の中でもっともグリムの興味を惹いたのは、ドラゴニアスについての情報と……何よりも死体だった。

 グリムもレイの持つ魔力がどれ程のものなのかというのは知っており、更にはその魔法の威力についても知っている。

 そんなレイの魔法に耐えたというのだから、赤い鱗を持つドラゴニアスに興味を持つなという方が無理だろう。

 炎や熱に対する絶対防御……というのは言いすぎかもしれないが、極めて強い防御力や耐久力を持っているのは間違いない。

 グリムとしては、他の色の鱗を持つドラゴニアスの死体も欲していたが、そちらについてはレイの魔法で完全に燃やされてしまっていたので入手は出来ないと言うと、残念そうな雰囲気を浮かべていた。

 ともあれ、グリムとしてはドラゴニアスについて強い興味を持っており、今はそちらの研究に集中しているのだろう。

 そんな訳で、レイは現在こうして野営地に向かっていた。

 今日の日中にレイはいきなり野営地からセトと共に飛び出したのだ。

 当然のように、それを見ていた者達はレイが一体何をどうしたのかといったことが気になっている筈であり、レイとしても異変について何があったのかを説明しない訳にはいかない。

 何よりも、夜になったのにアナスタシアとファナの二人が戻ってこない理由を説明する必要もあった。


「グルルゥ?」


 トレントの森を走っていたセトが、不意に喉を鳴らす。

 その鳴き声に、何だ? といった疑問を抱いたレイだったが、やがてセトの鳴き声の意味を理解した。

 周辺に幾つかの気配があったのだ。

 正確には、気配が幾つも存在する中にレイとセトが突っ込んでいったという方が正しい。

 そんな状況でもセトが警戒をしていないのは、その気配が覚えのあるものだったからだろう。

 レイもまた、セトに若干遅れながらではあったが、その気配の持ち主達に気が付く。


(無理もないか)


 その気配の持ち主は、生誕の塔の護衛を任されている冒険者達。

 今日の日中にいきなりレイがセトと共に異変を感じてどこかに行き、そのまま何時間経っても戻ってくるようなことがなかったのだ。

 そうなれば、当然のようにレイ達に何かがあったと考えても、おかしくはないだろう。

 そしてレイ達に何かあった以上、周囲の様子を警戒するのは当然だった。


「おい、俺だ! セトもいる!」


 レイがそう叫ぶと、周囲の気配から感じていた緊張が急速になくなっていく。

 誰かがレイの声音を真似して何かを言っているという可能性も否定は出来なかったのだろうが……それでも、レイの声であるというのは認識出来たのだろう。

 もしくは、レイではなくても自分達でどうにか出来る自信があったのか。

 生誕の塔の護衛をしている冒険者達は、ギルドからの信頼も厚い優秀な冒険者達だ。

 レイ本人と戦えばただですまないのは分かっていただろうが、それでもレイの振りをした相手なら……と、そのくらいは考えてもおかしくはなかった。

 ともあれ、レイの言葉を聞いた冒険者達が姿を現す。

 そして月明かりでもはっきりとレイを確認し……それ以前に、セトの存在を見ることが出来れば、それだけで声を掛けてきたのがレイであると認識出来る。

 レイの振りをするのは、そこまで難しくはないだろう。

 だが、常にレイと一緒にいるセトの代わりのグリフォンを用意出来るかと言われれば、それは限りなく難しい。


「レイ、遅かったな。飛び出してから随分と経つけど、何があったんだ?」

「アナスタシアさんは? ファナもいないみたいだけど」


 アナスタシアに惚れている冒険者がそう尋ねてくるが、レイとしてはこの場合どう答えたものか迷う。

 あの地下空間については……そしてウィスプについても、本当に限られた者しか知らないのだ。

 そうである以上、まさか地下空間に異世界に続く穴が開いており、更にはグリムにそれを固定して貰っている……などといったことは、とてもではないが言える筈がない。


「悪いけど、その辺については言えない。ダスカー様からの許可もないしな」


 今の状況でレイが言えるのは、そのくらいしかない。

 ダスカーにとって、このウィスプの一件は非常に重要だ。

 そうである以上、レイがここで迂闊に言えるようなことではなかった。

 レイの言葉に、アナスタシアの行方を心配した冒険者は何も言えなくなる。

 言いたいことはあるが、ダスカーの名前を口に出されれば口を閉じざるをえない。

 その辺の冒険者であれば、ここで止めるようなことはせずに色々と言ったのだろうが、ギルドに推薦された人物だけに、そうせざるをえなかったのだろう。

 そうして周囲にいた冒険者達と共に、野営地に向かう。

 周囲に散っていた者の中には、リザードマンの姿もあり、レイはそちらに目を奪われる。


(うん、やっぱりドラゴニアスとは全く違うよな)


 ドラゴニアスは、外見だけで見ればリザードマンと似ているように見えない訳でもないが、こうして間近でリザードマンを見れば、ドラゴニアスと大きく違うというのは明らかだ。

 ただ、人とリザードマンのどちらに似ているかと言われれば、やはり鱗を持っているということもあってか、リザードマンと答える者が大半だろう。


『レイ様、どうかしましたか?』


 レイが仲間のリザードマンを見ているのを見て、ゾゾがそう尋ねる。

 月明かりで、石版に書かれた文字を読むのはそう難しい話ではない。


「いや、何でもない。……ただ、野営地に戻ったらちょっとゾゾに……いや、ガガもいた方がいいのか? ともあれ、リザードマンに聞きたいことがある」

『はぁ、それは構いませんが』


 ゾゾにしてみれば、レイが何を聞いても答えるつもりでいる。

 それこそ、王家の秘密の類であっても。……もっとも、ゾゾの立場では王家の秘密らしい秘密などというのは、殆ど知る事が出来なかったのだが。


「頼む」


 短く答え、レイは野営地に向かう。


(あの世界が、実はゾゾ達の世界だって可能性は……どうなんだろうな。言葉の問題とかを考えれば、その可能性は少ないと思うけど)


 ドラゴニアスとリザードマン。

 似てはいるが、違う場所もかなり多い。

 その辺の事情を考えれば、やはり違う世界だと思うのが当然ではある。

 あるのだが……それでも、やはりドラゴニアスという名前からして、どことなくリザードマンとの関連性についても気になってしまうのだ。

 そんな風に考えているうちに、やがてレイ達は野営地に到着する。

 野営地では周囲の警戒に出ていなかった冒険者やリザードマン達、そしてこの場の責任者たる騎士の姿もあった。

 そんな者達と軽く挨拶をしつつ……当然ながら、多くの者達はレイがどこに行っていたのか、そして何をしていたのかといった内容を聞きたいと思い、近付いてくる。


「トレントの森にいた冒険者達には言ったけど、詳しい事情はダスカー様の許可を貰わないと説明出来ない。ただ……」


 そこで一旦言葉を切ったレイは、ミスティリングの中からドラゴニアスの死体を取り出す。

 デスサイズで首を切断されたその死体は、周囲に強い血の臭いを生み出す。


『ワン!』


 と、その血の臭いを嗅ぎつけたのか、水狼が姿を現す。

 ……その鳴き声から、狼ではなく犬ではないかとレイは思ってしまうのだが。


「水狼も、元気だったか? いや、別れてた時間はそんなに長くはないけどな」

『ワオン!』


 レイの言葉に、夜だというのに元気一杯の鳴き声を上げる水狼。

 ……あるいは夜だからこそ、元気なのかもしれないが。

 水狼も、魔石がないとはいえ湖の主――あくまでもレイ達の認識だが――と呼ぶべきモンスターだ。

 当然ながら、そんな水狼も……湖が転移してきてからの短い時間でこの世界の言葉を理解した水狼もまた、モンスターなのは間違いない。

 日中も普通に動き回っているが、夜になって更に元気になってもおかしくはなかった。

 一体いつ寝ているのかといった疑問もあるのだが。


「お、おい。レイ。このモンスターは一体何なんだ?」


 レイが水狼を眺めていると、冒険者の一人がそんな声を出す。

 とはいえ、その中に驚きはあれどもそこまで強い驚きではない。

 何故なら、ここは辺境のギルム。

 未知のモンスターというだけなら、それこそ幾らでも存在していてもおかしくはないのだから。

 それこそ、その気になればすぐにでも未知の動物や植物、虫、鳥、モンスター……様々な新種を発見してもおかしくはない。


「詳しくは言えないけど、今回の一件で倒したモンスターの死体だ。……どう思う?」

「どう思うって言われても……なぁ?」


 レイに話し掛けた冒険者は、戸惑った様子で周囲にいる仲間達に視線を向ける。

 新種であるというのは分かるが、目の前のモンスターからはそれだけではない何かを感じるのだ。


(まぁ、実際それは間違ってないんだけどな)








 ザイが自らを草原の覇者と言っていたように、ケンタウロスは決して弱くはない。

 だが、ドラゴニアスはそんなケンタウロスが数人で戦って、ようやく倒すことが出来るような、そんな強敵なのだ。

 もしドラゴニアスがこの世界に現れれば、それこそ一体どのような騒動になることか、レイも容易に想像出来る。


「取り合えず強力なモンスターだというのは覚えておいてくれ。……それで、ゾゾ。こういうモンスターはお前達の世界にいたか?」


 そんなレイの言葉に、何人かの冒険者が微かに……周囲には知られないように内心で驚く。

 これは、明らかにレイの言動が迂闊だった。

 周囲にいるのがその辺の冒険者なら、レイの言葉の意味を理解せずに聞き流していた可能性も高かったが、生憎とここにいるのはギルドに有能であると認められた冒険者ばかりだ。

 ……信頼出来る、と判断された者だけが集められていたのは、不幸中の幸いだったかもしれないが。

 異世界から来たゾゾに、お前の知っているモンスターかと尋ねる。

 それも、鱗を持っているという点でリザードマンと類似性がある。

 ……下半身がトカゲのような存在の身体だというのが理解出来なかっただろうが、ともあれ目の前に存在するモンスターはどこかリザードマンと似ているところがあるのだ。

 そんなレイの行動を疑問に思う者がいるのは当然だろう。

 だが……


『いえ、初めて見るモンスターですね』


 レイにとっては半ば予想出来たことではあったのだが、ゾゾはそう答える。

 向こうの世界で言葉が通じていたことから、多分ゾゾ達のいた世界とは別の世界だろうという予想は出来ていたのだ。

 だが、ドラゴニアスとは言葉が通じなかったので、もしかしたら……本当にもしかしたらという淡い希望を抱いての質問だったのだが、残念ながらそれは失敗に終わった。


「そうか、分かった。……なら、この件はこれでいいとして……」


 レイはドラゴニアスの死体をミスティリングの中に収納すると、次に自分がやるべきことをする為に騎士に視線を向ける。


「今回の一件はダスカー様に連絡する必要がある。今日……は無理だから、明日になったらすぐにギルムに向かおうと思ってるけど、その時に何か持っていく報告書とかがあったら用意しておいてくれ」

「分かった。そっちに関しては問題ない」

「それと、恐らくだが俺は明日から十日くらい帰ってくることは出来なくなると思う。いや、余裕を見て十五日くらいは戻ってこないと思っておいてくれ」


 ざわり、と。

 今までは特に動揺もなくレイと騎士の会話を聞いていた冒険者達がざわめく。

 当然だろう。現在行われているギルムの増築工事は、レイという人材が非常に大きな役目を担っている。

 そんな状況でレイが十五日も帰ってこられない何かが起きたというのは、やはり大きな問題だった。


「何をするんだ?」

「悪いが、それも言えない。勿論ダスカー様には言うから、安心してくれ」


 騎士の質問に、そう答える。

 まだ色々と思うところはありそうだったが、それでもレイがダスカーには事情を話すと聞いて、騎士は不承不承納得するのだった。

 他の者はそう簡単に納得は出来ないようだったが。

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