第2251話

「じゃあ、また明日な」

「うむ。レイにどのような用事があるのかは分からないが、気をつけるのじゃぞ」


 ドラムの言葉に、横にいるザイも同意するように頷く。

 他にも何人かレイとセトを見送りに来ているが、宴が終わった直後ということもあってか、酔ってすでに寝ている者も多い。

 この集落において、今日の宴はそれだけ楽しいものだったのだろう。

 ドラゴニアスを相手にして、一人の死者も出さずに撃退に……いや、殲滅に成功したのだ。

 それに喜ぶなという方が無理だった。

 だからこそ、宴に参加した者達はその喜びを祝うように多くの者が浴びるように酒を飲み、量を食べたのだろう。

 ……この集落には現在多くのケンタウロスが集まっており、食糧事情は決して良好という訳ではない。

 それでも、今日の宴では皆がそのようなことを忘れて好きなように料理を食べるといったことを行ってしまっても、おかしくはなかったのだろう。

 多くの者達が酔っ払って、もしくは腹一杯になって眠っており、これから……もう月が空に浮かんでいる状況で集落を出ていくというレイとセトの見送りに来た者は決して多くはない。


(セトは相変わらずだよな)


 ドラムとザイ、それ以外の面々との軽い挨拶を終えたレイが視線を向けたのは、セト。

 この短時間であっという間に馴染んだセトは、そのような面々に早く帰ってくるように、気をつけるようにといったように色々と言われている。

 ギルムにいるセト愛好家の面々がこれを見たら……特にその代表的な立場にいるミレイヌやヨハンナがこの光景を見たらどうなるのかと、少しだけ不安に思ってしまう。

 ここは異世界なのだから、ミレイヌやヨハンナがやって来る心配はない。

 ないのだが……セトのことになると、常識外れの行動をすることも多い二人だけに、どのような手段を使ってかは分からないが、この世界にやって来てここに来てもおかしくはなかった。

 まず有り得ないと思いはするのだが、可能性がゼロではない以上、もしかしたら……と。


「セト」

「グルゥ?」


 ミレイヌ達が来るかもしれない。

 そんな思いを隠して、レイはセトに呼び掛ける。

 セトもまた、レイのそんな言葉に何かを感じたのか、撫でてくれる面々に喉を鳴らしてからレイの側までやって来た。


「よし、じゃあ行くぞ。明日また来るから、荷物の用意の方をよろしく頼む」

「任せておけ。だが……この集落に戻ってこられるのか? 草原はかなり広いが」

「その辺は何とかなるから、安心しろ」


 レイの言葉には、若干の不安がある。

 元々方向音痴気味ということもあるので、出来ればザイか誰かに自分達と会った場所まで案内して欲しいとは思う。

 だが、エルジィンに戻るとなれば、そのようなことが出来ない。

 まさか、ザイをエルジィンに連れていく訳にもいかないのだから。

 そうなったらそうなったで面白そうな気がしないでもなかったのだが。

 ともあれ、今の状況を考えると若干不安ではあったが、それでもレイとセトだけでどうにか目的の場所まで到着する必要があった。

 幸いにして、エルジィンと繋がっている穴はこの集落から一直線に向かって移動出来る。

 草原だからこそだが、問題は具体的にどの程度の距離を移動したのかというのを、レイとセトが実感出来るかということだろう。

 穴のあった場所から、この集落までセトは地上を走ってきたのだ。

 空を飛ぶのと地上を走るのとでは、その感覚は大きく違う。

 果たして、レイとセトがしっかりとその距離を把握出来るかどうかというのは、かなりの難題であると言ってもよかった。

 とはいえ、今回の一件においては多分大丈夫ではないかと、希望的な予想をレイはしていたのだが。

 グリムであれば、近付いてくるレイとセトの存在を感じれば、自分がここにいると、穴はここだと、そう示してくれてもおかしくはない。


「じゃあ、とにかくまた。……セト、行くぞ」

「グルゥ!」


 レイが背中に乗ったのを確認すると、セトは短く鳴いてケンタウロス達に挨拶をしてから、数歩の助走の後で翼を羽ばたかせて空を駆け上がっていく。

 そんなセトの様子を、多くのケンタウロス達が驚きと共に見送っていた。

 レイやセトと共に戦いに参加したケンタウロス達にしてみれば、セトが空を飛んでいる光景というのは見た者もいる。

 だが、今ここにいる者の多くは女や子供で、戦いに参加してはいない。

 だからこそ、空を飛ぶセトを初めて見たという者も多かった。

 地上でそんな風にして見られているのはあまり気にした様子はなく、レイは地上に視線を向ける。

 ケンタウロス達にどのように思われているのかというのもあるのだが、それだけではなくレイはやはりグリムが維持してくれている穴を見つける方が最優先だという思いの方が強いのだ。


「セト、俺も探すけど、セトもグリムの維持している穴を見つけてくれないか?」

「グルルルゥ!」


 レイの言葉に、任せて! と鳴き声を上げるセト。

 レイよりも鋭い五感によって、セトならエルジィンに続く穴を見つけてみせると、自信を持った様子を見せていた。

 そんなセトに感謝の意味を込めて首を撫でつつ、レイもまた当然のように地上を見る。

 レイの五感もまた、セトには劣るが通常の人間と比べると圧倒的に鋭い。

 また、夜目が利くということもあり、雲一つない月明かりが存在する今であれば、地上の様子を確認するのはレイにとっては容易だ。

 ……問題なのは、地上の様子を確認出来てもグリムによって隠されている穴を見つけるのは難しいといったところか。


(やっぱり見つからないな。今夜はザイの集落に泊まって、明日の朝になったら探しに来た方がよかったか?)


 そう思うも、結局のところ穴が隠されているのであれば、朝になっても見つけられるかどうかは微妙なところだろう。


「槍か何かでも近くの地面に刺して……いや、それだとだれか他の奴に見つけられると、槍を奪われるか。そうなると、壊れている槍とか?」


 呟きつつも地上を眺めていたレイだったが、不意にセトが鋭く鳴き声を上げる。


「グルゥ!」

「どうした?」


 尋ねるレイに、あそこあそこと視線を草原の一ヶ所に向けるセト。

 だが、セトの見ている場所を見ても、レイにしてみれば特に何かがあるようには思えない。

 ただの草原が広がっているようにしか思えないのだ。


(けど、それはあくまでも俺がそういう風に見えるだけだ。セトが見つけたのなら、恐らくは)


 そう判断し、レイはセトに地上に降りるようにと頼む。

 セトはすぐにレイの言葉に従い、地上に向かって降下していく。

 空を飛んでいるだけなので、地上に降りるのはそう難しい話ではない。

 数秒と経たずにセトの足は地面を踏んでいた。


「この辺は……見たことがあるような、ないような……」


 この辺り一帯は草原である以上、よほど特徴的な何かがない限り、どこを見ても同じように見える。

 それこそケンタウロスのように、この草原で生まれ育った者であれば細かな違いを見つけることも出来るのだろうが、残念ながらレイにはそのような能力はない。


(あれ? でもザイ達の集落もずっとあそこにいるって訳じゃないよな。基本的には家畜に合わせて移動しているって話だったし)


 家畜が周辺の草を食べ終わったり、もしくは危険な地形だったりすれば集落は移動する。

 実際にケンタウロスの集落で使われていたテントはレイも知っているゲルというのに近いもので、簡単に移動させることが出来て、更には暮らしやすいという特徴を持つテントだ。

 また、ドラゴニアスの件も考えると、もしかしたら最近この辺りに来たのかもしれない。

 今更ながらそんなことを考えつつ、周囲の様子を確認し……


「グリム?」


 そう、呼び掛ける。

 グリムの名前を口にしてから、数秒。

 ……いや、十秒以上が経過し、もしかしてセトが感じた魔力はグリムのものではなかったのでは? と、若干不安を抱いたその時……


『レイか?』


 聞こえてきたグリムの言葉に、レイは安堵しながら口を開く。


「ああ。取りあえずこっちの件はある程度片付いた。お土産もあるぞ」

『ほう?』


 その言葉と共に、エルジィンに続いている穴が姿を現す。

 グリムの魔法による効果が消えたのだろう。

 魔法をかけ続けるというのは難易度が高いのだが、それを平気で行う辺り、さすがグリムといったところだろう。

 もっとも、魔法を掛け続けるという意味では、レイも巨大なスライムを燃やし続けているということで、似たようなことをしているのだが。

 ただし、グリムの魔法は本当の意味で魔法を使い続ける必要があるのに対して、レイの場合はスライムを燃やした魔法が未だに燃え続けているだけで、実際には魔法を使い続けている訳ではないのだが。


「ともあれ、色々と話すのは向こうの世界に戻ってからでいいか?」

『構わぬよ。一体この世界がどのような世界なのか……興味深いしの』


 そう言うと、レイとセトは穴を潜ってウィスプの存在する地下空洞に戻る。

 不思議なことに、その地下空洞に戻ったレイはどこか懐かしいような思いを懐く。

 ギルムに戻ってそのような思いを懐くのはともかく、まさかこのような地下空洞の中でそのような思いを抱くとは、思ってもいなかった。


(何だかんだと、俺はこの世界に馴染んでいたってことなんだろうな)


 そのことを嬉しく思いながら、地下空間の中を見る。

 異世界に続く穴が続いているが、それ以外は以前と全く変わった様子はない。

 どうやらまだ誰もこの地下空間に来ていないらしいと知り、少しだけ安堵した。

 この地下空間のことを知っている者は、そう多くはない。

 だが、レイが湖で感じた異変がダスカーに知らされれば、当然のようにここに人を派遣してもおかしくはない。

 そして派遣されるのがエレーナ達のようにここやグリムを知っている者ならまだいいが、その辺を全く何も知らない者が派遣されれば、面倒なことになるのは確実だった。

 そのようなことになるよりも前に、この一件について説明をする必要があるのだが……


「なぁ、グリム。今回の一件、一体どうすればいいと思う?」

『さて、儂に言われても困るのじゃがな。いっそ何もなかったということにしてみるのはどうじゃ?』

「いや、それは無理がありすぎるだろ。アナスタシアとファナの二人が無事なら、そういう風にしてもいいと思うけど」


 異世界に通じる穴が空いたということで、一番問題なのはやはりアナスタシアとファナの行方が未だに分からないことだ。

 一応ケンタウロス族に対しては協力を取り付けたが、セトに乗って空を飛んでみた感じでは、草原は広大と呼ぶような広さを持っていた。

 そのような場所で女二人の行方を捜せというのは、非常に難しい。


(ドラゴニアスに捕まっている……いや、ドラゴニアスには知性の類がないし、捕虜とかそういう概念とかはなさそうだよな。というか、ドラゴニアスの性質を考えれば捕らえたらその場で喰い殺しそうだし)


 一瞬ドラゴニアスの捕虜になっている可能性というのが思い浮かんだが、それは既に否定されている話だった。

 それこそ、ザイからその辺の事情を聞いたのだから。


『レイ? どうしたのじゃ?』

「いや、結局アナスタシアとファナの二人を見つけられなかったからな。それがちょっと悔しくて。……ともあれ……」


 そこで一度言葉を句切り、レイはミスティリングの中からドラゴニアスの死体……それも損傷そのものはそこまで酷くない死体を取り出す。


『ほう』


 やはりグリムにとってもドラゴニアスの死体は初めて見るものだったのか、驚きの声を露わにする。

 アンデッドではあっても非常に好奇心が旺盛なグリムにしてみれば、異世界の全く見たことがないようなモンスターというのは、非常に興味深く思って当然だろう。

 頭部が頭蓋骨なので表情は読むことが出来ないが、それでも嬉しそうな雰囲気を発しているのは、レイから見ても理解出来た。


『ふむ、レイ。これは儂が貰っても構わぬのか?』

「え? ああ、これでいいのなら。他にも何匹分か出すか? ただ、綺麗な死体は殆どないけど」


 黄昏の槍はともかく、デスサイズによって殺されたドラゴニアスの死体は、基本的にどこかが切断されている。

 セトの一撃で死んだドラゴニアスは、肉片になっている死体も多い。

 ケンタウロス達が倒したドラゴニアスも、多勢に無勢で戦った影響か、かなり死体の傷は多かった。

 そういう意味で、やはり綺麗なドラゴニアスの死体というのは珍しいのだ。


「これ、ドラゴニアスってモンスターなんだが、俺の魔法に耐えるだけの炎に対する耐性があったな」

『……何?』


 レイの放つ魔法がどれだけの威力を発揮するのか知っているからこそ、グリムの言葉には強い驚きの感情が込められるのだった。

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