第2218話

 折角情報を持ってきたという警備兵だったので、レイも感謝の意味を込めてミスティリングの中から果実水を取りだして、警備兵に渡す。

 かなり夏が近付いてきている季節、それも夕日によっていつもより暑く感じられるだけに、警備兵はレイの渡した冷たい果実水をありがたく受け取り、美味そうに飲む。


「ふぅ……美味いな、この果実水」

「そう言って貰えて何よりだよ。それで得られた情報ってのは?」


 そう尋ねるレイに、警備兵は不思議そうな表情を浮かべる。

 レイが裏の組織の情報を欲していたのは、あくまでもその組織を潰す為だ。

 既にその組織を潰した以上、その情報はいらないのではないかと、そう思っていたのだろう。

 そんな警備兵の顔を見て、何を思ったのかを理解したレイは、自分も果実水を飲みたいと顔を擦りつけてくるセトに果実水を与えながら口を開く。


「俺は今日裏の組織を潰したけど、別に襲ってきた組織の全てを潰した訳じゃない。時間が時間だったから、まだ潰していない組織もある」

「ちなみに、レイが今日潰した組織って?」


 警備兵の言葉に、言ってもいいのか? と少し迷ったレイだったが、相手が警備兵なのだから問題はないだろうと判断して口を開く。


「青の槍、黒き幻影、風の牙、道化師、天の光の五つだな」

「……その五つか」


 警備兵も、レイとの会話で五つの組織を潰したという話は聞いていた。

 だが、その五つの名前を聞き、改めてレイの言葉が真実だと、そう理解したのだ。

 同時に、レイの実力に驚く。

 警備兵をやっている以上、レイの実力が異名持ちに相応しいのだというのは、知っていた。

 また、これまでにもレイの実力を自分の目で見る機会は十分にあったのだが、それでも……そう、それでもやはり一日――実際にはもっと短いのだが――で五つもの裏の組織を潰したとなると、驚くことが多い。

 また、レイが口にした五つの組織名は、警備兵も最近スラム街で勢力を増している組織として聞いたことがある。

 特に天の光はスラム街で薬を多数売り捌いている組織として、警備兵にとっても要注意の組織と言ってもよかった。

 だからこそ、今回の一件において驚くべきことが多い。


「レイってやっぱり凄いんだな」

「は? いきなり何を言ってるんだ?」

「いや、今のレイの話を聞けば、大体そんな風に思うって」

「そういうものか? まぁ、いい。ともあれ五つの組織を潰したのは間違いないが、だからといって俺を狙っている新興の裏の組織を全て潰した訳じゃない。俺が潰した組織以外で、何か情報がある組織は?」

「緑の骨という組織についての情報があるな」

「……一つだけか? てっきり、まだ残っている組織は複数あると思ってたんだが」


 警備兵の言葉に、少し意外そうに告げるレイ。

 だが、警備兵はそんなレイに向かって、若干の呆れと共に口を開く。


「他の組織があっても、そう簡単に情報を漏らしたりはしないぞ? その辺は向こうも本職なんだ。寧ろ、ここまで情報を引き出したことを感謝して欲しいくらいだ」

「そういうものか?」


 そう返すレイだったが、尋問の類が難しいというのは知っていた。

 勿論、それは相手にもよるのだが。

 例えば、尋問するのがその辺の盗賊だったりする場合は、力を見せつければ……もしくは、セトがいればレイが力を見せるまでもなく、向こうが知っている情報をすぐに話すだろう。

 だが、その情報を聞き出す相手が尋問に対する訓練をしていた場合であれば、当然のように話は変わってくる。

 そのような相手から情報を聞き出すのは、そう簡単な話ではない。

 レイもそれが分かっているので、口ではそういうものか? と言いながらも、警備兵達には感謝する。


「取りあえず、明日は緑の骨を潰した方がいいな。他にも幾つか組織はあるだろうけど……」


 その辺はラザリアに聞けばいいかと、そう判断する。

 正直なところ、警備兵達が尋問して聞き出した内容よりも黒犬の持っている情報の方が詳細だというのは、レイとしても思うところがない訳でもなかったが。

 とはいえ、今回の一件についてはスラム街の組織……それも以前から存在していた組織ではなく、最近やってきたばかりの組織である以上、警備兵が詳細な情報を得られる訳でもない。


「潰すのか」

「ああ。重要な一件はともかくどうにかなったが、命を狙われた以上は当然反撃する。……こうしている今も、俺を狙ってる奴はいるしな」


 警備兵と話しながら、レイは視線を少し離れた場所にある建物に向ける。

 その建物の窓からレイの様子を観察していた人物は、レイと目が合ったと判断した瞬間には、素早くその場を離れる。

 この辺りの判断力が高いのも、さすがと言えるだろう。

 ダーブを倒して違和感が消えた今だからこそ、殺気の込められた視線を察知するのは難しい話ではない。

 もしまだ違和感があったままなら、その視線を察知するような真似は出来なかっただろうが。


「どうした?」

「いや、何でもない」


 暗殺者が自分を狙っていたと言ってもいいのだが、既に逃げ出してしまった以上、ここで騒動を起こしても意味はないだろう。

 そう判断して、特に何も言わなかったのだ。


(それにしても、どの組織の暗殺者だろうな。そこまで派手に動いたりしなかったから、道化師ではないだろうけど。……俺が組織を潰したというのは知ってるのか?)


 青の槍と黒き幻影は、組織は潰したが構成員は残っている。

 もっとも、青の槍は組織のトップが死んでおり、黒き幻影はアジトが消滅しているのだが。

 ともあれ、今日レイが潰した五つの組織のうち、二つはそんな風にまだ存続してる。

 黒き幻影はギルムから既に脱出している筈だったが。

 ともあれ、そんな理由によりレイの暗殺を狙っていた者も、所属しているのがその二つの組織なら、呼び戻されてもおかしくはない。

 それ以外の三つの組織であれば、それこそ組織が潰されたということそのものを知らない可能性もあった。


(自分の組織が、文字通り破壊されたとなると……俺を暗殺する為に派遣されている奴は一体どうなるんだろうな)


 そんな風に思いつつ、レイは警備兵と軽く言葉を交わしてその場から立ち去る。

 向かうのは、マリーナのいる診療所だ。

 今回の件で色々と協力して貰った以上、色々と説明しておく必要がある。


「あ、でもマリーナが診療所にいるかどうかは、分からないか」


 警備兵と話している間に、現在は完全に夕方となっている。

 そうである以上、診療所での仕事も既に終わっていてもおかしくはない。

 勿論、治療というのは夕方になったからすぐに終わるという訳ではないので、まだマリーナがいる可能性は十分にあるのだが。


「グルゥ?」


 それでも行くの? と、セトは喉を鳴らしてレイに尋ねる。

 そんなセトに、レイは頭を撫でて頷く。


「マリーナの性格を考えると、夕方になったからといってすぐに仕事を終わらせて家に帰るとは思えないしな」


 マリーナの精霊魔法による回復は、診療所にとっては非常に重要だ。

 その辺の事情を考えると、それこそマリーナには出来るだけ残っていて欲しいと思うのが当然だろう。

 また、レイに黒犬への紹介状を書いた以上、レイが事情を話す為に診療所にくるという可能性も当然考えている筈だ。

 ……あるいは、レイが家に戻ってきて事情を説明する為に、早めに家に帰るという可能性もないではなかったが。

 ともあれ、まずは診療所に行ってみようとレイはセトと共に診療所に向かう。

 当然のように、途中の屋台で美味そうな料理を売っていれば、それを買い食いしながら。

 そうして診療所にやって来たレイは、客……この場合は怪我人がいないことに安堵しながら、セトにここで待ってるように言って中に入っていく。


「はいはい、誰ですか? 今日はもう……あら、レイさん」


 診療所で働いていた女の一人が、中に入ってきたのがレイだと知って笑みを浮かべる。

 怪我人がやって来たのなら、重傷ではない限り治療は明日にすると、そう言おうとしたのだが、やって来たのがレイであれば、怪我をしてやって来たということはないだろう、と。

 もっとも、やって来たのがレイであれば、もし怪我をしていてもマリーナがいる以上、自分達の出番はないと思っていたが。


「マリーナは?」

「はいはい、ちょっと待ってて下さいね。すぐに呼んできますから」


 そう告げ、女は診療所の奥に向かう。

 それを見送り、レイは診療所の中を見回すが……診療所に怪我人の姿はない。


(あれ? もしかして入院とか、そういうシステムはないのか?)


 今日マリーナに相談に来た時は、結構な数の者達が床に敷いた布の上に寝転がっていたのを見た。

 だが、今は誰もおらず、掃除もしっかりとしている為か、痕跡の類もない。

 明日のことを思い、綺麗に掃除をしているのだろう。


(その辺は、診療所も病院も同じか)


 妙なことで感心していたレイだったが、やがて奥から先程の女がマリーナと共に姿を現す。

 マリーナはレイの無事な姿を見て、小さく笑みを浮かべるだけだ。

 レイの実力を知っている以上、そう簡単にレイが負けるとは思っていなかったが、それでもやはりスラム街にある裏の組織を攻撃する為にスラム街に行ったとなれば、心配するのは当然だった。


「無事だったみたいね」

「ああ。取りあえず五つ潰してきた」

「そう。それでも全部って訳じゃないんでしょ?」

「そうらしいな。ただ、違和感の件は解決したから、そこまで急いでやる必要もなくなったし、残りは明日にでも行ってくるよ」


 そんなレイとマリーナの会話は、聞いていた女には何を言ってるのか意味が分からない。

だが、何となく自分は聞かない方がいいだろうと判断し、マリーナに頭を下げる。


「じゃあ、私はこれで」

「ええ、気をつけて帰ってね」


 そうして女が帰り、診療所にはレイとマリーナだけとなる。

 正確には奥の方にまだ今日の片付けや明日の準備をしている者もいるのだが、ここではレイとマリーナの二人だけだ。


「気を遣わせたか?」

「いえ、別にそういう訳じゃないと思うわよ。彼女も家に帰ればお腹を空かせた家族が待ってるんだもの」

「そうか。……ゾラックにはマリーナからの紹介状のおかげで、無事に会えたぞ」


 レイは、黒犬を率いてるハーフエルフの名前を口にする。

 そんなレイの様子から、マリーナはゾラックがレイに対してどのような態度を取ったのかというのを予想出来たのか、困ったような笑みを浮かべた。

 マリーナも、ゾラックが自分を女としてはではなく、母のように思っているのは知っている。

 マリーナとしては、出来れば母ではなく姉として見て欲しいというのが、正直なところなのだが。

 ともあれ、そんなマリーナがレイをどのように思っているのかは、相応に有名な話だ。

 それこそ、スラム街にいても情報に聡い者であれば容易に理解出来てしまうくらいには。

 つまり、ゾラックにしてみれば自分の母親が新しい父親を連れて来た……養父的な存在がレイということになる。

 そんな二人が上手くやれる筈もない。


「そう。その……特に問題はなかった?」


 若干恐る恐るといった様子で尋ねてくるマリーナに、レイは特に考える様子もなく頷く。


「ああ。別に特にこれといったことはなかったな」

「……そう」


 レイの言葉に、ほっと安堵するマリーナ。

 マリーナにしてみれば、裏の組織の壊滅よりもゾラックとの関係の方が気になっていたのだろう。

 安堵した様子で胸の下で腕を組むのだが……マリーナの服は、いつものように胸元が大きく開いたパーティドレスだ。

 非常に豊かな双丘を持つマリーナがそのような真似をすれば、当然のようにパーティドレスから胸が零れそうになる。

 その胸に少しだけ目を奪われそうになったレイだったが、それに気が付いたマリーナは女の艶を前面に押し出した笑みを浮かべてレイに流し目を向けた。

 もしここにいるのが普通の男なら、それこそ強烈な女の艶を発するマリーナに目を奪われ……もしくは気圧されるだろう。

 だが、レイはマリーナと行動をすることも多く、それどころかマリーナの家で寝泊まりもしている。……最近は湖や生誕の塔の側で寝ることが多いが。

 そんなレイだけに、マリーナがお遊びでする挑発くらいは受け流すことが出来る。

 もっとも、マリーナが本気で誘惑をするつもりで女の艶を最大限に発揮して迫ってきた場合は、受け流すのがかなり難しくなるのだが。


「あー……取りあえずだ。マリーナの紹介状のおかげで、俺を襲ってきた連中の多くの組織を潰せたのは間違いない。ありがとな」

「ふふっ、なら今度デートでもしましょうか。……もっとも、今の仕事が一段落したらだけど」

「そうだな。……あ、去年みたいに海に行ってみるのもいいかもしれないな」

「海ねぇ。……遊ぶというか、魚を獲るのに専念しそうだけど、面白いかもしれないわね。近いうちに皆で行けるといいわね」


 そう告げるマリーナに、レイは頷きを返すのだった。

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