第2219話

「じゃあね。気をつけて……というのは、レイに言うまでもないでしょうけど。それでも、何かあったらすぐに連絡してね。セトも、気をつけて」


 そう言いマリーナは最後にセトを一撫でしてから家に帰って行く。


「グルゥ……」


 撫でられたセトは、少しだけ残念そうにそれを見送る。

 セトにとっても、マリーナは大好きな相手……レイとパーティを組んでいるということもあって、身内の一人という認識をしているのだろう。

 レイはそんな残念そうなセトの身体を撫でる。


(そう言えば、今更……本当に今更の話だけど、セトって夏になっても毛が抜けたりしないよな)


 レイが日本にいた時は、猫を飼っていた訳ではない。

 だが、猫を飼っている友人はいて、その友人から猫は暖かくなってくれば毛が生え替わるといったことを聞いた覚えがあった。

 具体的に何月なのかは聞いてなかったが、それでも冬から春になり、今は夏に入りかけている季節だ。

 レイの感覚で言えば、六月終わりから七月初めといったところか。

 関東に住んでいる者なら、七月はとっくに夏だと主張されるのは分かっているが、東北の田舎……それも山の近くに住んでいたレイにしてみれば、七月でも朝方はまだちょっと寒いといったことは普通にある。

 この辺りは同じような場所に住んでいる者、もしくはもっと厳しい環境に住んでいる者にしか理解出来ないだろう。


(まぁ、セトの場合は獅子の胴体を持っていても、結局グリフォンだしな。普通の猫科の動物と比べるのは間違いか。……いや、そもそも猫科ではあっても猫以外の動物も暖かくなれば毛が生え替わったりするのか?)


 そんな疑問を抱いていると、セトがどうしたの? と視線を向けてくる。

 それに、レイは何でもないと首を横に振る。

 猫と同じ扱いをしていたと考えれば、セトも面白くないのでは? と、そう思った為だ。

 もっとも、普段のセトの行動を考えると、それこそ猫のような愛玩動物と同じような扱いをされているのだが。……いや、人に構われることが好きなことを考えると、猫というよりも犬という感じがするのは、決してレイの気のせいという訳ではなかったが。


「いや、何でもないよ。取りあえず、ギルムから出るか。……何だかんだと、今日は色々とあって疲れたしな。セトもだろ?」

「グルゥ?」


 そう? と喉を鳴らすセト。

 セトにしてみれば、基本的には建物の外で周囲の様子を警戒していたので、そこまで疲れるといったことはなかった。

 ……本来なら、スラム街で裏の組織のアジトの周囲を見張っているというのは、当然のように相応に緊張してもおかしくはないのだが。

 だが、そこはセトだ。

 その程度のことでは全く疲れた様子も見せず、元気一杯で体力もまだ残っているといった様子を見せている。


「セトは疲れていないみたいだな。ただ、この先もどうなるかってのは、まだ分からない。そうである以上、疲れを明日に残すようなことはしたくない。……まぁ、そういうことはないんだろうけど」


 レイも、今までこの世界で様々なトラブルに巻き込まれてきたが、翌日に疲れが残るといったことは皆無……ではないが、それでも数える程しか経験はなかった。

 それでも、やはり今日は色々とあって疲れたのだから、ゆっくり眠りたいと思うのは当然だろう。


「グルゥ……」


 しょうがないといった様子を見せるセト。

 セトとしては、出来ればもっとレイと一緒に遊びたいという思いもあるのだろう。


(それに、トレントの森の中央にある地下空間にアナスタシア達を迎えに行く必要もあるし)


 アナスタシアは、異世界から生物無生物問わず、様々な者や物を召喚する能力を持っているウィスプを研究している。

 実際にダスカーから聞いた話からも、研究者としての実力が確かなのは間違いないのだが、それと引き換えるように、研究対象に集中しすぎるといったところがあった。

 その為に、レイが迎えに行かなければずっとウィスプの研究を続けており、それ以外のことは全く興味を示さない可能性も高かった。

 それこそ、食事の類も全く食べたり飲んだりしないで。


(それに、アナスタシアがずっと地下空間にいると、グリムがウィスプの研究を出来ないだろうし)


 グリムもウィスプには興味を持ち、研究に集中している。

 だが、アンデッドのグリムが姿を現せば、当然のように騒ぎになるだろう。

 ……アナスタシアの性格を考えれば、ウィスプの研究に集中しており、グリムが間近にいても気にならないといったことになるかもしれなかったが。

 とはいえ、地下空間にいるのはアナスタシアだけではない。

 アナスタシアの助手としてファナもいる。

 そしてファナは、アナスタシアのフォローをするのが仕事であり、アナスタシアがウィスプに集中して食事をしなかったり飲み物を飲まなかったりするのをフォローする。

 レイとしては、それは本当に助手の仕事か? と思わないでもなかったが、ファナ本人がそれに納得しているのであれば、レイが特に言うべきことはない。


「ほら、もう夕方だし、ギルムの外に出てアナスタシアを迎えにいくぞ」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、分かった! と喉を鳴らすセト。

 そんなセトと共に、レイはギルムから出る。

 もう夕方ということもあり、仕事を終えてギルムに入る手続きをしている者も多数いる。

 だが、夕方から外に出るという者は……いない訳ではなかったが、レイとセトを含めても数は少ない。

 もっとも、レイとセトは名前も顔も知られているので、警備兵達からも怪しまれたりといったことはなかったが。


「お、レイ。セトも」


 ギルムの外に出ると、レイとセトはそんな風に声を掛けられる。

 一体誰だ? と声のした方に視線を向けると、そこにいたのは樵やその護衛を任されている冒険者達だった。

 レイにとっては、顔馴染みの者達。

 レイもそんな樵や冒険者達に、笑みを浮かべて口を開く。


「ギルムに戻ってきたってことは、もう今日の仕事は終わりか?」

「当然だろ。夜に木の伐採なんかやってられるかっての。暗いし、モンスターがいつ来るのかは分からないし。幸い、木の不足の一件もある程度どうにかなったらしいしな」

「どうやらそんな感じらしいな」


 生誕の塔や湖が転移してきたことによって、トレントの森は一時的に立ち入り禁止になった。

 だが、立ち入り禁止となれば、当然のように樵も立ち入ることは出来ず、ギルムの増築に建築資材として使う木材も用意出来なくなってしまう。

 特に現在は増築工事の仕事を求めて大勢集まっており、増築作業は当初の予想よりも早く進んでいた。

 だが……幾ら働く者がいても、増築工事を行う為の資材がなければどうにもならない。

 だからこそ、ここ最近は樵達も頑張って仕事をしていたのだ。

 頑張ってというよりは、必死という表現の方が相応しかったのだが。

 ともあれ、そんな感じで仕事をしていたので、建築資材の不足もある程度は解消したのだろう。


「今日伐採した木は、前と同じ場所に集めてあるから、収納をよろしく頼む」

「分かってる。明日にでも錬金術師達に渡してくるよ」


 そう言いながらも、レイはあまり気が進まない様子を見せる。

 錬金術師達は、レイの持つマジックアイテムだったり、素材だったりに強い興味を示しており、迫ってくるのが厄介なのだ。

 向こうも悪気があってやってるのではなく、純粋に好奇心に駆られてだというのは、レイも分かっているのだが。

 だが、悪気がないからといって、それで全てが許されるのかと言われれば、その答えは否だ。

 レイとしては、自分目掛けてやって来る錬金術師達は、決して好んではいない。

 それでも仕事である以上、やる必要があるのは間違いなかった。

 実際、錬金術師達も頑張って仕事をしているのは事実だ。

 だからこそ、伐採した木に魔法的な処理をして、増築工事の建築資材として使えるようになっているのだから。


「頼むな。俺達はこれから今日の打ち上げだ。今日も精一杯働いたから、明日に備えて英気を養う必要があるし」


 まだ若い男だけに、これから飲んで食べてと酒場で繰り広げ、その後は娼館にでも向かうのだろう。

 トレントの森で行われている木の伐採は、ギルムの増築工事には欠かせない。

 だからこそ、樵達の得られる報酬はかなり高い。

 それこそ、出稼ぎに来た目標は余裕で稼げる程に。

 ……だからこそ、それこそ毎日のように宴会をするだけの余裕がある。

 とはいえ、当然そのようなことをしていれば、時間が経つに連れてより派手な生活になっていく。

 いつもより少し高い酒や料理、いつもより少しランクの高い娼館……といった具合に。

 そうなると一日に使う金額も増えることになり、次第に一日に貯める金は減っていくのだが……本人達は、その辺を気にした様子はない。

 まだ出稼ぎが終わる秋の終わりまで時間があるので、幾らでも稼げると考えているのだろう。

 実際に樵は専門職ということで、高い報酬を貰っているのだからそれは間違いでもないのだが。

 それでも次々に夜の生活が派手になれば、消費する金額は高くなっていく。


「そうか。明日も頑張ってくれ」


 手を振りレイはセトの背中に乗る。

 それだけでセトはレイが何を考えているのか理解し、数歩の助走の後に翼を羽ばたかせてその場から飛び立つ。

 地上に残った樵や冒険者、それ以外にも並んでいた者達は、そんなレイとセトを羨ましそうに見送る。

 少数の例外を除き、この世界で生きる者で空を飛ぶという経験を出来る者はいない。

 そして自分が空を飛べないからこそ、自由に空を飛べるセトを……そしてそんなセトに乗ることが出来るレイを羨ましく思うのだろう。

 とはいえ、レイではないのだからグリフォンをテイムするような真似は当然のように出来ない。

 結果として、地上に残っている者達が出来るのは、ただレイとセトを見送るだけだった。






「到着っと」


 トレントの森の中央。

 地下空間のある場所の近くで、レイはセトの背から降りる。

 ギルムを出てから、ここまでは本当にすぐに到着した。

 これもセトの飛ぶ速度がそれだけ速いということの証だろう。

 セトもレイを背中から下ろすと、そのまま周囲の様子を探る。

 周囲にモンスターがいないかどうかの確認だ。

 少し前……トレントの森が出来た当初は、動物やモンスターの類は存在しなかった。

 だが、トレントの森が出来てから相応に時間が経つ今となっては、トレントの森には普通にモンスターや動物の類は棲息していた。

 また、生誕の塔の近くに召喚された湖の中には、地上に上がって行動することが出来るモンスターもいる。

 そのようなモンスターが、トレントの森に生息地を変えていても驚くようなことはなかった。

 何よりも厄介なのは、湖のモンスターはセトを見ても逃げたりしないことだろう。

 だからこそ、セトは周囲の様子をしっかりと確認していく。

 視覚、聴覚、嗅覚の三つで確認し、場合によっては味覚で空気の味をも確認して周囲の様子を探るのだが、最終的に問題ないと判断し、レイの方を見て鳴き声を上げる。


「そうか。ありがとな。じゃあ、俺はアナスタシアとファナを迎えに行ってくるから、少し待っててくれ」


 そう告げ、レイは地下空間に続く道を空け、入っていく。

 比較的長い道を進み、やがて到着した地下空間。

 そこにあったのは、やはりと言うべきかレイが予想していたそのままの光景だった。

 普通よりも大きなウィスプの前にアナスタシアがいて、ウィスプを観察しながら、時には手を伸ばしてウィスプに触ったりもしている。


(あ、でもウィスプに触ってるだけ、進歩してるのか? いや、進歩かどうかは分からないけど)


 そんなアナスタシアから少し離れた場所では、ファナが広がっている実験器具の後片付けをしている。


「あ」


 片付けをしていたファナは、レイの姿を見て声を出す。

 だが、当然ながらウィスプに集中しているアナスタシアは、そんなファナの声に気が付く様子はない。

 今も、ただじっとウィスプを見て……


「って、おい」


 不意にウィスプに顔を近づけたアナスタシアの様子に、レイは思えず声を発する。

 これが、ただ顔を近づけただけであれば、レイもそこまで驚くことはなかっただろう。

 だが、舌を出しながら……それこそ、ウィスプを舐めようとしているのを見れば、それを止めるなという方が無理だった。

 特に美人と表現するのが相応しいエルフのアナスタシアがそのような真似をしてるのだから、見ている方としてはもの凄い違和感がある。

 とはいえ、ウィスプに集中しているアナスタシアはレイの声に気が付く様子はなく……レイは、ミスティリングの中から木の実を一つ取り出し、アナスタシアに向かって投げるのだった。

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