第2209話

 自分の胴体に向かって真っ直ぐに飛んできた槍。

 その辺の冒険者や兵士が投擲したような槍なら、鞭を手にする女もそれを回避するのは難しくはないだろうし、場合によっては鞭を槍の柄に巻き付け、それを相手に投げ返すといった真似も出来る。

 だが、それはあくまでも普通の相手が投擲した槍の場合であって、それを投擲したのがレイで、更にはその槍が黄昏の槍という一級品のマジックアイテムだ。

 そのような攻撃を相手にして、自分の技量と武器では対処することが出来ないと判断した女は、迎撃や槍を受け止めるのではなく、回避することに専念する……が、それでも動きは僅かに遅い。

 女の脇腹を、扇情的な衣装諸共に斬り裂いていく槍。

 ……それでも、皮膚が裂け、肉が破れるだけで済んで内臓がこぼれ落ちるようなことがなかったのは、女の咄嗟の判断力とその身体を瞬時に動かすことが出来たおかげだろう。

 とはいえ、致命傷が重傷に変わった程度でしかないのだが。


「くぅっ……」


 脇腹から溢れ出る血を押さえながら、それでも女は後方に跳躍してレイから距離を取る。

 そんな女を眺めつつ、レイは黄昏の槍の能力を使って手元に戻す。

 戻すのだが、追撃をする様子はない。

 今なら、再度黄昏の槍を投擲すれば、それは女にとって大きなダメージとなるのは間違いない。

 間違いないのに、それでも追撃を行わなかった理由は……このタイミングで、また新しい敵が姿を現すのではないかと、そう思った為だ。

 だが……予想外なことに、鞭を使う女が重傷を負っても新たな敵が姿を現す様子はない。


(何でだ? まさか、これが道化師の全員ってことはないだろうけど)


 レイがこの建物にやって来てから倒したのは、最初に遭遇した男、金属球を投擲してきた女に、ブランコに乗って襲い掛かって来た男、短剣を投擲した男に、鞭を持つ女の合計五人だけだ。

 全員が相応の実力を持っていたのは間違いないが、それでも他に人数がいないというのは、レイにとっても疑問だった。

 ともあれ、これ以上敵が襲ってこないのであれば……と、レイは鞭を持った女に向け、黄昏の槍を構える。

 近付けば、またあの甘い匂いを嗅ぐことになる以上、鞭の女を倒すのは遠距離からの攻撃が必須だった。

 鞭の女は、どこからともなく取り出したポーションを傷口に掛けていたが、それは効果を発揮しない。

 それを見たレイは、内心で笑みを浮かべる。

 黄昏の槍のマジックアイテムとしての効果は、自由に自分の手元に戻すという能力がある。

 だが、それ以外にも相手の怪我の治療を阻害するという効果もあった。

 ……もっとも、後者はあくまでもおまけ程度のもので、一定以上の品質のポーションや高い回復効果のある回復魔法を使えばあっさりと無効化出来る程度のものなのだが。

 それでも鞭の女の脇腹の傷が回復していないということは、使われたポーションの品質はそこまで高くはなかったのだろう。


「お前が最後の人員なのか?」


 幾ら待っても、新たな道化師のメンバーが姿を現す様子はない。

 だからこそ、多分違うだろうという思いを込めて尋ねたレイだったが、鞭の女は痛みを堪えつつも笑みを浮かべて口を開く。


「さて、どうかしらね。もしかしたら本当に私が最後かもしれないし、違うかもしれないわよ。あるいは、今も誰かがレイを狙ってるかもしれないわ」

「……もし本当にまだいるのなら、とっとと出て来た方がいいと思うけどな」


 そう言いながら、レイは自分と距離を取った鞭の女に向かって進む。

 それに気が付いた女は、脇腹の痛みを我慢しながら鞭を振るう。

 振るわれた鞭の速度は、その辺の兵士や冒険者であれば、対処出来ない代物だった。

 だが……それでも、最初に見た時のような鋭さに比べると数段落ちる。


(匂いは……ないな)


 少しずつ近付きながら匂いを嗅ぐレイだったが、幸いにして甘い匂いは既にない。

 一体どのような理由によってあの匂いが生み出されていたのかは気になるが、今はまずあの匂いが再び使われるよりも前に女を倒してしまった方がいい。

 振るわれる鞭をデスサイズを一閃させることで切断する。

 最初の音速を超えた鞭の一撃ですら、レイは対処が可能だったのだ。

 そうである以上、最初よりも遅い攻撃に対処するのは、そう難しい話ではない。


「あ……くっ!」


 だが、女もそう簡単に諦めたりはしない。

 鞭の先端が切断されたのを察すると、鞭の柄の部分を引き抜く。


「なるほど、仕込み杖ならぬ仕込み鞭か」


 女が引き抜いた鞭の柄には、短剣が仕込まれていた。

 その短剣の切っ先をレイに向け、それこそいつでも一撃を放てるようにと構える女。

 だが、万全の状態であればともかく、脇腹を斬り裂かれた今の状況ではそれに対処するのは難しい話ではない。


「行くぞ」


 呟き、再度女との間合いを詰める。

 先程までは、鞭を持っている女の方が武器の間合いという意味では上だった。

 だが、その鞭が短剣になってしまえば、デスサイズと黄昏の槍を持つレイの方が、圧倒的に間合いでは上だ。

 ぶんっ、と。

 意図的に手加減をした一撃を放つレイ。

 それこそ、デスサイズの柄の部分が女に当たるようにして放つ一撃。

 女はその攻撃を回避しようとするが、腹部の痛みに動きが鈍くなり……デスサイズによって吹き飛ぶ。


「ぐふっ!」


 壁に叩きつけられた女の口から鈍い悲鳴が上がる。

 壁にぶつかり、床に落ちた女に向かい、近付いていくレイ。


「さて、死にたくないなら、色々と教えて貰おうか。……まず、最大の疑問は俺の違和感だ。お前達の能力を考えると、道化師が違和感を与えていると思えるんだけどな。……どうだ?」

「げほっ……さて、どうかしらね?」


 殴られた腹を押さえながら、女はそう返事をする。

 既に反撃する体力は残っておらず、身体を動かすのもおっくうそうだ。

 それでいながら、レイに屈する様子は全くない。


「何も言わない場合、もう少し痛い目に遭うことになる訳だが、それでも構わないのか? 出来れば、そういう真似をする前にしっかりと話して欲しいんだけどな」

「ふ……ふふ……そう言われて、素直に話すと思う? やれるものならやってみなさい。例え私をどれだけ痛めつけたところで、意味がないわ」


 その言葉に、戦闘要員という意味ではこの建物に残っている者はいないのだろうと、レイにも予想出来た。


(そうなると、問題なのは……戦闘要員以外の連中か)


 この建物に入ってから攻撃を仕掛けてきた者達は、誰もが相応の腕を持っていた。

 それはレイも認めるところではあるが、組織というのは戦闘要員だけで運用出来るものではない。

 それこそ事務の専門家といったような者達が必要となるのは、裏社会の組織であっても変わらない。

 勿論、裏組織の者である以上、事務要員が一定の戦闘技術を持っていてもおかしくはない。

 だがそれでも、それはあくまでも一定のであって、この建物でレイが戦ってきたような者達のような技量は持っていないというのがレイの予想だ。

 ……いや、それは予想というよりは半ば確信といったところか。

 常識的に考えて、技量の高い者というのは相応の訓練を必要とするのが一般的だ。

 圧倒的な才能があれば話は別だが、それこそそのような才能のある者なら、事務要員ではなく戦闘員としてレイを狙って派遣された精鋭に入っているだろう。


「なるほど。つまりこの建物には戦闘能力はないけど、色々と事情を知ってる者はいる訳だ」


 そんなレイの言葉に、女の顔が固まる。

 図星だったのだろう。

 だが、それを直接表情に出したのは、間違いなく失敗だった。

 レイが口にしたのは、あくまでも予想でしかない。

 女の様子を見て、その予想が正しいのかどうかを確認するつもりだったのだが、女はそれに見事に引っ掛かってしまった。


「どうやら当たりみたいだな。そうなると、問題なのはこの建物のどこにいるかだが……」

「待ちなさい。私は何も言ってないわよ。それなのに、自分で勝手に決めつけるのはどうかしら」


 脇腹を抉られ、デスサイズの柄で殴られて吹き飛ばされるといったことをされた女だったが、必死になってレイの言葉を否定する。

 だが、そのような行動こそがレイの目から見ても自分の考えは正しいという結論を導くことが出来た。


(外見は女王様なのに、仲間思いなんだな。……いや、女王様だから下僕には優しいのか? まぁ、その辺はどうでもいいか)


 レイの注意を自分に向ける為に、腹の傷の痛みを無視してでも立ち上がろうとする女だったが、立ち上がった瞬間にデスサイズの石突きで女の足を掬い、床に転ばせる。

 そして、女に聞こえるようにわざとらしく口を開く。


「どこに隠れているのか分からない以上、建物諸共全部燃やしてしまうのがいいか」


 レイが呟いた瞬間、女の身体が強張る。

 それこそ、まるで石化でもしたかのように。


「本当ならマジックアイテムとかが欲しかったんだが、ギルムに来てからの違和感はかなり面倒だからな。それをやってる者か物かは分からないが、この建物を全て燃やしつくしてしまえば、地下に隠し通路の類があっても、熱で死ぬ筈だ」


 風の牙のアジトについて考えていたことを、そのまま話す。

 だが、それが女にとってはレイが本気でやりかねない証と思えたのだろう。

 半ば反射的に叫ぶ。


「止めなさい!」


 痛みを無視し、レイを睨み付ける女。

 ……元々の格好が女王様らしい、露出の高いボンテージ姿なので、レイの攻撃によって本来なら色々と見えてはいけない場所が見えているのだが、本人はそんなことを気にしている様子は全くない。

 とはいえ、レイもまた戦闘中ということもあって、そちらに意識を向けてはいないのだが。


「何で止める必要がある? 俺を殺そうとしたんだ。そうである以上、自分が殺される覚悟もあっての話だろう?」


 殺しに来た以上、殺されて当然。

 そう告げるレイに、女は言葉を返すことが出来ない。

 実際にレイの言ってることは決して間違いではないのだから。

 その証拠に、女も一瞬納得してしまう。

 だが……それでもここでレイの言葉を認める訳にはいかない。


「非戦闘員まで殺すつもり!?」


 それは、現在の状況で唯一女がレイに言える内容だったが……


「ああ、その通りだ。非戦闘員だろうがなんだろうが、俺に敵対した組織の、それも暗殺者を送ってくるような組織の連中だ。ここで潰しておいた方がいいと思うのは当然だろう?」

「ぐっ……」


 女は言葉に詰まるが、レイはそんな女に構う様子もなく言葉を続ける。


「そうだな。じゃあこの建物は燃やすから、お前はそろそろ用済みだ。恐らくだけど、この建物に俺に違和感を与えている何かがあるのは間違いないみたいだし。道化師の組織の面々と一緒に炭になって貰うよ」

「待って!」

「……待つ必要が? そもそも、さっきも言ったが、俺を殺しに来たんだ。当然のように、自分が攻撃されるということも覚悟していた筈だろう?」

「それは……お願い、待って。そう、降伏を……」

「困りますね」


 女がレイに向かって降伏すると、そう言おうとした瞬間、再び周囲に声が響く。

 気配を感じ取ることが出来ないのは、この建物に入ってからのことなので、もう慣れた。

 だが……聞こえてきたその声は、レイにとっても聞き覚えのある声だ。

 風船のような体型をしており、ピエロのようなメイクをしている男……ダーブ。

 曲がりなりにもセトと戦えるだけの実力を持った男だ。

 その声のした方は……と、半ば反射的にレイはその場を跳び退く。


「ぎゃっ!」


 レイが跳び退いた瞬間、まるで幽霊のように天井を通り抜けて姿を現したダーブが、数秒前までレイと話していた女の背中に着地する。

 外見とは裏腹に身軽なダーブだが、その体重は当然のように風船のような体型に相応しいものだ。

 そんなダーブの攻撃を、脇腹を貫かれて、更にはレイの力で胴体を殴られた女が回避出来る筈もなく……ダーブの足が女の背骨を踏み砕いた鈍い音が、レイの耳にもしっかりと聞こえてきた。


「まさか、お前が出て来るとは思わなかったな。セトとの戦いで逃げ出してから、この建物に戻ってきていたのか?」

「さて、どうでしょうかね?」


 レイの挑発染みた言葉だったが、ダーブはレイの言葉を聞き流す。

 もっとも、顔にはピエロのような化粧が施されているので、具体的にどのような表情をしているのかは、レイには分からなかったが。


「ともあれ……お前が出て来てくれたのは、俺にとっても嬉しいな。お前はここで死ぬんだし」

「おや、そうですか? もしかしたら、逆かもしれませんよ?」


 嬉しそうな雰囲気を出しつつ、ダーブはレイに向かって一歩を踏み出すのだった。

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