第2208話

「きゃあああっ!」


 腕を斬り裂かれた女の口から、悲鳴が上がる。

 本来なら、もっと大きな傷を受けてもおかしくはなかった。

 だがそれでもこの程度で済んだのは、曲がりなりにも女が道化師という組織の一員で荒事に慣れていたからだろう。

 レイの放った飛斬を咄嗟に回避出来るだけの能力があったおかげで、どうにか対処出来たのだ。

 ……いや、それでも完全に回避出来なかったのは、それだけレイの放った飛斬の一撃が鋭く、そして素早かったからか。

 金属球を投擲していた女が咄嗟に身を翻していなければ、それこそ今頃は腕の一本は容易に切断されていただろう。


「女の身体に傷を付けるとは、何事だい! 僕の目の前でそんな行動は許す訳にはいかない!」


 そんな叫びと共に、顔の半分にピエロの仮面を被った男がレイに向かって今まで以上の速度で短剣を投擲する。

 自分の短剣の投擲は疾風と言われることもあると、そう本人が言っていたが……レイに向かって投擲された短剣は、その疾風という名前に相応しい速度だった。

 それこそ、短剣を投擲されたのが普通の相手であれば、今頃は身体中に短剣が突き刺さっていただろう。

 だが、男が戦っているのは、レイなのだ。

 左手に持つ黄昏の槍を素早く振るい、男が投擲した短剣を次々と弾いていく。


「くっ! 馬鹿な! 僕の短剣をこうも容易に!?」


 理不尽だと叫ぶ男。

 男にしてみれば、今まで自分の短剣がここまで容易に防がれたことはなかった為に、現在の状況は明らかに異常なのだろう。

 勿論、レイという存在については理解していた。していたが、それでもここまで容易に自分の攻撃が防がれるとは、思っていなかったのだ。


「援護……するわ!」


 このままでは危ない。

 そう判断した女は、腕の傷を気にせずに金属球を投擲する。

 とはいえ、片腕に大きな怪我をした以上、当然ながら女から放たれる金属球の威力は最初よりも落ちている。

 怪我をしたのは片腕だけだが、金属球の投擲……それも壁を貫くだけの威力で投擲する為には、それこそ身体全体を使って投擲する必要があった。

 だが、片腕の怪我で現在そのような真似は出来ない。

 そうである以上、今はどうしようもないので、とにかく現在の自分に出来ることをやるしかない。

 そう判断しての女の金属球の投擲だったが……威力の劣ったそれは、先程までと違ってレイにとってはそこまで脅威にならない。

 次々に投擲される金属球と短剣だったが、デスサイズと黄昏の槍を持つレイは、それを全く気にした様子もなく……それこそ、平常の通りの表情で、次々と弾いていく。

 自分達の全力の攻撃。

 それをこうも容易く弾かれ、全く脅威に感じていない今の状況は、自尊心の高い男にとっては我慢出来なかった。


「おのれぇっ!」

「駄目よっ!」


 自分達の攻撃の効果がないということに苛立ちを覚えた男は、そう叫びながら投擲する短剣の数を増やす。

 一体どれだけ短剣を持っているのかと若干疑問を覚えるレイだったが、今はそれよりもやるべきことがある。

 短剣と金属球を弾きつつ、レイは足に力を込め……攻撃が途切れた一瞬の隙を突き、跳ぶ。

 それも真上ではなく、片手を使えない女の方に向かってだ。

 片腕を切られたというのに、痛みで動きが鈍くなりつつ、それでも攻撃を続ける女。

 それどころか、攻撃が通じないということが許せず、レイに向かって投擲する短剣が乱れてきた男を冷静に注意することすらしている。

 そんな二人のどちらかが厄介なのかと言われれば、考えるまでもなく女の方だろう。

 だからこそ、レイは真っ先に女を仕留める為に動いたのだ。


「っ!?」


 女は自分に向かって間合いを詰めてきたレイに向かい、カウンターの一撃を放とうとする。

 しかし、レイにとっては相手がそのような攻撃をするというのは容易に想像出来ていた。

 女の投擲した金属球……だけではなく、肉付きのいい、男が見れば唾を飲み込むような足を使い、蹴りを放つ。

 その蹴りは、その辺の女が放つような一撃ではなく、鍛えられた戦士が放つ一撃。

 命中すれば、それこそ大の男であっても痛みに呻くような、そんな鋭い一撃。

 だが、レイにとってはそんな攻撃は今まで幾度も……それこそ、数え切れない程に経験してきた。

 身体を僅かに逸らせ、女の蹴りは空中を貫く。

 しかし、それで終わらないのが女の凄いところだろう。

 膝を支点として強引に蹴りの軌道を変えたのだ。

 普通なら出来ない行動ではあるが、膝の関節が余程柔らかくなければ出来ない攻撃なのだが……レイは首を傾けることで攻撃を回避し、デスサイズを握っている右手を大きく振るう。

 斬っ。

 肉を切断する僅かな感触がレイの手の中にある。

 そして女の蹴りを放った足が太股の半ばから切断され、回転しながら空中を飛んでいく。


「ぐうっ……」


 片足が失われたことにより、床に崩れ落ちる女。

 そんな女に向け、左手に持つ黄昏の槍で身体を貫こうとしたレイだったが、飛んできた短剣に行動を阻害される。


「僕が、そう簡単に仲間を殺させる訳がないだろう?」


 言葉では余裕があるように見せているが、男の顔に浮かんでいるのは強い憎悪。

 仲間意識が強いのだろう。

 もしくは、男女ということで特別な感情を抱いているのかもしれないが。


「そうだな。けど、取りあえずこの女の戦闘力を削ぐことは成功した。そうなると、残ってるのは……お前だけだ。言っておくが、迂闊な真似をするなよ? 何なら、このまま殺してもいいんだからな」


 最後の一言は、痛みに声も出せなくなっている女に向けられたものだ。

 切断された太股からは、大量に血が流れている。

 女は痛みに苦しみながらも、何とかポーションを取り出そうとしており、忠告が聞こえているのかどうかはレイにも分からなかったが、まずは男を倒す方が先だと判断して、レイは視界の外に置く。

 本来なら、最初に女を殺した方がいいのだろう。

 だが、男の様子から考えて、もしここで女を殺すような真似をした場合、間違いなく自分に対する殺意は今よりも強くなる筈だった。

 殺意が強くなったことによって、行動が単純になるのならレイにとっても対処するのは難しくはない。

 だが、レイの感覚や経験から、目の前の男のような相手は一瞬で化ける。……もしくは、暴走すると予想出来た。

 レイがこの世界に来てからまだ数年だが、その数年で普通の冒険者なら一生で経験するかどうかといった戦いを経験している。

 だからこそ、目の前にいる男が一瞬にして化ける可能性があると、そう思ったのだろう。


(なら、化ける前に対処すればいいだけだ)


 化けて強力になるのなら、化ける前に対処すればいい。

 単純にそれだけなので、レイはデスサイズと黄昏の槍を構えたまま、男に向かって口を開く。


「次の相手は出て来ないのか? てっきり、多少の前後はあっても一人倒せば一人増えてくるのかと思ってたんだが」

「……君に、そんなことを教える必要はない!」


 その言葉と共に、男はレイに向かって短剣を投擲する。

 だが、投擲された短剣は最初に見た時に比べると、鋭さがない。

 速度そのものは速くなっているのだが、真っ正直に自分に飛んでくる攻撃であれば、回避するのは難しい話ではなかった。

 自分に向かってくる短剣を回避しながら、前に出る。

 そんなレイに向かって、次々と短剣を投擲してくる男。

 だが、女の投擲する金属球と同時でもレイにはあっさりと対処されていたのだ。

 その女が戦闘不能になった状態で攻撃をしても、レイに通じる筈がない。

 そうして間合いを詰めたレイは、怒りで自分を睨み付けてくる男を前にデスサイズを構えつつ、それを振るおうとした瞬間、やはりと言うべきか、予想通りと言うべきか、空気を切り裂く音と共に自分に向かってくる何かを察知する。


(やっぱりな!)


 今までの経験から、恐らく目の前の男を殺そうとすれば、それを邪魔するかのように敵の応援が出て来る。

 そう予想していたレイは、当然のように反撃する。

 右手のデスサイズで男の胴体を切断しつつ、左手の黄昏の槍で自分に向かって飛んできた何かを弾く。

 デスサイズからは、肉体を上下に切断する感触が伝わってきたのだが、黄昏の槍から伝わってきたのは、予想外に軽い感触。

 それが気になったレイだったが、間近で男の胴体を切断した以上、今の場所にいれば吹き出る血に汚れる可能性があるとして、立っていた男の下半身を蹴飛ばしながら距離を取る。

 そうしながら視線を新たな相手に向けると、そこにいたのは目元を覆うような……それこそマスクパーティの時に使うような仮面をつけている女。

 その仮面によって目元を見ることは出来ないが、艶っぽく光る赤い唇と顔の形から、恐らく相当の美人であるというのは誰でも予想出来る。

 また、衣装も肌の露出が激しい男の欲望を感じさせるような衣装で、その手には鞭を持っていた。

 全体的に見たレイの感想は、女王様? というものだった。

 それも、国のトップという意味での女王ではなく、SMとしての女王だ。

 そのような女だったが、その外見とは違ってレイに向ける視線には強烈な憎悪が宿っている。

 ……自分の仲間を次々と倒されているのだから、当然だろう。


(道化師は、仲間意識も強いみたいだし。……その割には、仲間が殺されるまでは出て来る様子がないのは疑問だけど。……にしても、鞭か)


 先程の黄昏の槍で弾いた時の感触が軽いものだった理由に納得するレイ。


 鞭というのは、達人が使えばその先端は音速を超える。

 だが、当然のように鞭の先端の質量は軽い。

 ……それはあくまでもレイのように一定以上の実力を持っている者に限るのであって、その辺の冒険者を連れて来てもレイと同じように鞭の先端を槍で弾くといった真似は出来ないのだが。


「さて、次はお前か? ……また、随分と刺激的な格好で出てくるんだな?」

「ふんっ、私がどのような服を着ようと、貴方には関係ないでしょう? ここで死んでいく貴方には……ねっ!」


 その言葉と共に、再び鞭を振るう女。

 その一撃は、目で追うのは難しい。……だが、目で追うのが難しければ、追わなければいいのだ。

 鞭の軌道の切っ先を予想し、そこに向かってデスサイズの刃や黄昏の槍を置けばいい。

 完全にその軌道を予想することは不可能であっても、大体この辺といったように感覚的にレイはそれを察することが出来る。

 これもまた、ここまで数多くの、そして濃密な戦闘の経験を得てきたレイだからこその能力なのだろう。

 パシィンッ、という鋭い音が周囲に響く。

 黄昏の槍の柄に鞭がぶつかって生み出された音だ。

 その音は、聞いている者が思わず耳を押さえたくなるような痛みを連想させる音だ。

 ……特にレイは、目の前の人物をSM的な意味での女王様と認識しているので、余計にそう思ってしまう。

 ともあれ、敵対している以上は相手が女であっても、男であっても、それこそ貴族であっても女王様であっても、レイが攻撃を躊躇するようなことはない。

 連発される鞭の攻撃を弾きながら、少しずつ女との距離を縮めていき……ふと、疑問を抱く。

 この女は、先程短剣を投擲していた男がデスサイズで胴体を上下に切断されているのを見ている筈だ。

 その時も、今と同じく敵の攻撃を弾きながら、少しずつ相手に近付いていった。

 このままでは自分も先程の男と同じ結末を迎える事になるのに、何故そこまで余裕なのか。

 レイはそれを疑問に思うも、近付いていく中でふと嗅覚に反応があった。

 甘い……いや、甘すぎる匂い。

 それがを嗅いだ瞬間、一瞬だけ意識がどこかに飛ぶ。

 それでも一瞬で済んだのは、レイの嗅覚が鋭く、本来ならもっと近付いたところでこの匂いを嗅ぐことになるのだが、まだ離れたところで甘い匂いを嗅ぎ取ったからだろう。

 それでも一瞬意識を失ったのだから、この香りが凶悪な効果を持つのは間違いない。


「風の手!」


 甘い匂いから逃れる為、後方に跳躍しながらスキルを発動する。

 無色透明の触手を生み出すスキルで、レベル四の現在は二百五十mまで伸びる。

 当然のように、この部屋の中ならどこにいても手が届く。

 ……もっとも、風の手そのものは飛斬のようなあからさまな攻撃スキルという訳ではない。

 それでも、軽い物を掴んだり持ち上げたりといったことは出来る。

 力は強くないが……それでも、戦闘をしている時にそれが行われればどうなるか。


「逃げた!? しょうがないわね!」


 匂いを察して逃げたレイに向かい、再び鞭を振るおうとする女。

 だが……一瞬、本当に一瞬だけ風の手が鞭の先端を握る。

 次の瞬間にはあっさりと風の手が弾かれるが、それでも女が鞭を振るうタイミングがずれたことにより、鞭はあらぬ方に飛んでいく。

 そして、レイはそんな相手の隙を見逃すような真似はしない。


「食らえ!」


 鋭く叫びつつ、黄昏の槍を投擲するのだった。

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