第2206話
「……もう逃げ切れないと悟ったのか?」
レイはデスサイズと黄昏の槍を構え、いつでも攻撃出来る準備を整えたまま、誰もいないように見える部屋にそう告げる。
扉が開いていないということは、レイに短剣を投擲してきた相手はまだこの部屋にいるということになる。
何故この部屋からは逃げ出さなかったのか。
それが若干レイの中では疑問だったが、一つ前の部屋で飛斬を使われたということを考れば、それに恐怖してこれ以上逃げられなくなった……ということも、十分に考えられた。
そんな相手の姿を探すべく、注意深く部屋の中を見るレイだったが、やはりと言うべきか、当然と言うべきか、部屋の中にいるのだろう相手の姿を見つけることは出来ない。
元々短剣を投擲してきた時も、レイの五感があっても見つけることが出来なかった相手だ。
そうである以上、この部屋の中に相手がいても見つけることは出来ない。
結果として、レイがやるのは自分が入ってきた扉を閉め、再びデスサイズと黄昏の槍を振るう……のではなく、デスサイズを手に呪文を唱え始める。
『炎よ、紅き炎を示しつつ燃え広がれ。我が意志の赴くままに焔の絨毯と化せ』
デスサイズの石突きに、炎が集まり……そして、呪文は完成する。
『薄き焔!』
魔法を発動させると同時に、デスサイズの石突きで突いた地面から一斉に周囲に炎が広がっていく。
とはいえ、この炎は見た目は普通の炎であってもその温度は二十度くらいしかない。
それだけに、もし誰かが間違って炎に触れても火傷をするといった心配はいらなかった。
(今更だけど、最初の部屋でもこれを使えばよかったな。……もっとも、あの時は部屋の中に敵がいるかどうか分からない状態だったから、無駄に終わった可能性も高いけど。あ、風の牙……まぁ、あの時は結局暁の星に任せた方がよかったか)
そんな風に思っている間にも炎は部屋の中を覆っていき……
「え?」
レイの口から驚きの声が出る。
何故なら、炎が部屋の中全体を覆ってもそこに何も異変を察知出来なかった為だ。
そうなると、考えられる可能性はそう多くはない。
まず、何らかの手段で相手が空中に浮いている場合。
薄き焔は、地面や壁、天井といった場所を調べることは可能だったが、空中に浮いている相手には接触出来ない。
だが、空を飛ぶというのは簡単な話ではない。
それこそ、レイであればスレイプニルの靴で空中を蹴るといった真似が出来るが、スレイプニルの靴その物が非常に希少なマジックアイテムとなっている。
それだけに、そう簡単に入手出来る代物ではないのだ。
もしくは、レイも知らない何らかのマジックアイテムで空中に浮かんでいるという可能性もあるが、それよりも可能性が高いのは……
「最初からこの部屋にいなかった?」
そう、この部屋に最初からいなかったのなら、そもそも薄き焔が反応する筈がない。
だが、レイは確かに扉が開いたのを見た……
「っ!?」
薄き焔を解除し、デスサイズと黄昏の槍を手にして前にいた部屋に戻る。
考えてみれば、簡単な……それこそ、子供騙しと言ってもいいようなトリックだ。
一つ前の部屋に逃げ込んだ敵は、扉は開けたものの、移動はせずに前の部屋にそのまま待機していた。
それでも透明である以上、レイはそれに気がつけない。
いや、あるいはギルムに入ってからの違和感がなければ、もしかしたら気がつけたかもしれない。
しかし、違和感のおかげで殺気の類を察知しにくくなっており、それは気配の類も同様だ。
そうである以上、部屋の中に隠れたままでレイをやりすごした相手を察知しろという方が無理だった。
「……やられたな」
子供騙しの手に引っ掛かったのは、面白くない。
面白くないが、それでも自分がミスをしたのは認めなければならなかった。
部屋の中を見回すが、レイをやりすごすといった真似をした以上、レイが次の部屋にいる間に、既に部屋から脱出しているだろう。
「そうなると……さて、どうしたものだろうな」
道化師に所属している者が、まだこのアジトに残っているかどうかは微妙なところだ。
実際、レイがこのアジトで見つけた……いや、遭遇したのは一人だけだったのだから。
いっそ薄き焔を使って建物全てを探索するか? と思わないでもなかったが、そうするには逃がした敵の存在が大きい。
自分が追っている立場なら、それこそ攻撃してきてもすぐに反応出来るだけの自信がレイにはあったが、その相手を逃がしてしまったのだ。
そうなれば、当然の話だが主導権は相手に渡っている。
もしレイが魔法を使おうとして、向こうがそれを知った場合どうなるか。
普通なら、レイの魔法は厄介極まりないと判断して、魔法を発動させないように防ごうとするだろう。
(あ、でも逆に考えれば、意図的に魔法を使うというのを見せれば、向こうが確実にそれを邪魔しに来るのか。……来るよな? もしかして、もうこの建物から脱出していて、魔法を使っても意味がないとか、そんなことはないと思いたいけど)
嫌な予想を思い浮かべるレイだったが、それでも見えない相手を追うよりは誘き出した方が見つけられる可能性は高いだろうと判断して、デスサイズを手に意識を集中する。
『炎よ、紅き炎を示しつつ燃え広がれ。我が意志の赴くままに焔の絨毯と化せ』
デスサイズの石突きに、炎が集まり……呪文は完成するが、敵が出て来る様子はない。
いつ何が起きてもいいように準備をしつつ、石突きを床に突こうとし……
「来たかっ!」
不意に現れた短剣を見て、レイはデスサイズで投擲された短剣を弾きながら、黄昏の槍を投擲する。
その動きは、考えて行ったものではなく、殆ど反射的に行われた行動だ。
「ぎゃっ!」
投擲された黄昏の槍に貫かれたと思われる男の声が周囲に響く。
「やったか!?」
叫びながらも、レイは透明になれる相手を逃さないように、デスサイズを振るう。
本来なら、相手のいる場所が分からないのだからデスサイズで攻撃しても命中するとは限らない。
だが、今回は違う。
相手は黄昏の槍で身体……もしくは手足を貫かれており、黄昏の槍が見えている。
そうである以上、敵を狙って一撃を放つのは難しくはない。
本来なら、道化師についての情報を得る為、そして何よりギルムに来てからの違和感についての情報を得る為に、生かして捕らえることが望ましい。
レイもそれは分かっていたのだが、道化師という名前に相応しくトリッキーな行動をする相手は、ここで倒しておいた方がいいと咄嗟に判断したのだ。
デスサイズを振るった次の瞬間、いきなりレイの目の前に身体を上下二つに切断された男の死体が姿を現した。
どさりではなく、どちゃりという水っぽい音を立て、床に崩れ落ちる男の死体。
顔に浮かんでいるのは、苦痛ではなく驚愕の色。
黄昏の槍が右肩に突き刺さって……いや、貫いているのだが、その痛みよりも姿が見えない筈の自分に向かって攻撃をしてきたことの方が驚いたのだろう。
「まぁ、いいか」
死体となった男を眺め、少しだけ残念そうに呟くレイ。
殺しても仕方がないという思いではあったが、それでも出来れば生け捕りにしたかったと、今更ながらにしみじみと思ったのだ。
目の前にある死体を眺め、次に部屋の中を眺める。
もしかしたら、まだ透明になっている相手がいるのかもしれないと、そう思った為だ。
この男は、レイが魔法を使おうとした瞬間にそれを妨害しようとしてきた。
だが、相手が透明である以上、この男が本当に先程までレイが追っていた相手と同一人物かどうかは、分からないのだ。
それは考えようによっては、まだ同じような存在がこの建物のどこかにいて、色々と情報を得ることが出来るという可能性を残している。
……もっとも、その可能性は驚く程に低いと理解はしているのだが。
「ともあれ、俺を狙っていた相手を倒すことが出来たのはよしとするか。問題なのは……」
パチパチパチ、と。
レイの言葉を遮るように、周囲に拍手の音が響く。
その拍手の音に、レイは眉を顰める。
この建物に入ってから、違和感がより強くなっていると判断した為だ。
何しろ、視線の先……同じ部屋にいる相手に全く気が付かなかったのだから。
(あの死体と同じく、姿を消す何かを持っていた……ってのなら、まだ分かるけどな)
それよりもレイが違っていて欲しいと思ったのは、何らかの手段で違和感をより強烈にしているのではないかということだった。
「誰だ? ……何て聞く必要はないよな?」
拍手をしていた人物にそう声を掛ける。
拍手をしている人物は、優雅な曲線を持つ身体付きから、女であるのは明らかだ。
ただし、顔には化粧を……女がするような化粧ではなく、ピエロのような化粧をしていることから、年齢は分からない。
「ええ、そうね」
「道化師か。まさにそんな感じだな」
「あら、褒めてくれてありがとう。それで、これからどうするつもり?」
「当然道化師を壊滅させるつもりだが?」
「それは困るわね」
そう言いながら、女は拳と同じ大きさの石をどこからともなく複数取り出す。
それを見たレイは、てっきり自分に向けて投擲する為に武器にでもするつもりなのかと、そう思ったのだが……女はその石を投げるのではなく、ジャグリングを始める。
「……おい?」
レイにとっても、女のその行動は予想外だった。
いや、道化師という組織名から考えれば、そこまでおかしな話ではないのだろうが。
それでも、組織を潰しに来たレイという存在を前にして、何故そのような行為を行うのかと、そんな疑問を抱くのは当然だろう。
「どう? もっと数を増やせるのよ? それにこんな真似も出来るわ」
手を交差させたり、ジャグリングしている石の中で特定の石だけ高さを変えてみたり、空中で石と石をぶつけてみたり、背中に手を回してジャグリングを続けるといった真似をして見せた。
大道芸人として見ても、一流なのは間違いない。
あるいは、魔力やマジックアイテムの類を使えば、似たようなことも出来るかもしれないが、レイが見たところ、目の前の女はそのようなマジックアイテムを使っているようには思えない。
魔法や何らかのスキルを使っているという可能性もあるが、こちらもはっきりとは分からなかった。
「凄いな。……けど、それが凄いからって、それでどうした? 俺がお前の大道芸に感心して、組織を潰すのを止めるなんて、本気で思ってないよな?」
大道芸で戦いを止める。
話だけで聞けば、それは凄いのかもしれない。
だが、レイとしてはそのようなお遊びに付き合うつもりは、一切なかった。
女の方も、それは理解しているのだろう。
見るからに難易度の高そうなジャグリングを続けながら、口を開く。
「そうなの? 残念ね」
そう告げる女だったが、当然のようにその言葉程残念に思っていないのは間違いなかった。
もっとも、こうして目の前に出て来た時点で、本気で大道芸を使ってレイに攻撃を止めさせようとしている訳ではないというのは、明らかだったが。
仮にも裏の組織……それも、ギルムで後ろ盾もない状態で実力によって自分達の存在を認めさせた組織に所属しているのだ。
「で? どうする? 説得が失敗した以上、やるのか? どうやら、この建物には他にも何人もいるみたいだしな」
レイも何か確信があってそう言った訳ではない。
だが、レイと戦った短剣の持ち主と、目の前にいる女。
双方共に、レイはその存在を感知することが出来なかった。
そうである以上、他にもまだ建物に隠れている者がいたとしてもおかしくはない。
「あら、せっかちね。もう少し私の芸を見てから答えを出してもいいんじゃない?」
「そうしたいところだけど、この後にも色々と組織を潰していく必要があるんでな。……道化師だけに関わっているような余裕はないんだよ」
そう告げ、デスサイズと黄昏の槍を構えるレイ。
だが、そんなレイを前にしても、女は特に緊張する様子もなくジャグリングを続けていた。
普通なら、レイを……それもセトとはまた違った意味でレイの代名詞となっているデスサイズと黄昏の槍を手にして、いつ戦闘が始まってもおかしくないように武器を構えているレイを前にして、緊張しないというのは有り得ない。
いや、勿論世の中にはレイと同等以上の実力を持つ者もいるので、絶対に誰もが緊張するという訳ではないのだが。
「しょうがないわね。どうしても私達を諦めてくれないというのなら……こちらも本気で殺しに行くけど、構わないわね? 今のレイの状況で、私達全員を相手に出来るのかどうか……楽しみにさせて貰うわ!」
その言葉と共に、女はレイに向けてジャグリングしていた石を投擲するのだった。
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