第2205話

 取りあえず気絶した男はそのままそこに残して、レイ達は道を進む。

 気絶した男というのは、スラム街の住人にとってはそれこそ獲物以外のなにものでもない。

 それは分かっていたが、だからといって自分達を襲ってきた相手を助けるなどというつもりはレイにはなかった。

 運がよければ生き残るし、所持品を奪われたりといったこともないだろう。

 運が悪ければ殺されるかもしれないが、それはそれで運命だったと思って受け入れて貰うだけだ。

 ……もっとも、意識のない状態で殺されるのなら、それは恐怖や痛みを感じないですむ分、ある意味では幸運なのかもしれないが。


「それで、あれが道化師のアジトか。……道化師って名前の割には普通だな」

「別に道化師という名前だからって、何か特別なアジトじゃないといけないなんてことはないんじゃないかと。……まぁ、気持ちは分かりますが」


 ラザリアも、レイの感想にそう返事をしながらも、何となくレイが何を言いたいのかは理解し、同意してしまう。

 実際に建物は今までと比べるとそこまで大きくはない、普通の建物だった。

 もしかして、ここにも地下室があるのか? と一瞬考えるレイだったが、それが正しいのかどうかは、レイにも分からない。

 それこそ、実際にアジトの中を捜索してみない限り。


「取りあえず、腕利きが揃ってるのは多分間違いないだろうから、ラザリアは風の牙の時と同じく、しっかりと隠れててくれ」


 レイの言葉に、ラザリアは当然といった様子で頷く。

 スラム街で暮らしていくくらいの護身術は使えるラザリアだったが、レイのような本物の戦闘に介入出来る程ではない。

 そうして頑張って下さいと声を掛けてから、ラザリアは隠れる。


「さて、じゃあセト。……行くか」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトは短く喉を鳴らす。

 建物は普通……よりは若干大きいが、それでも普通という言葉が相応しい程度の家だ。

 とはいえ、このスラム街でそのような家があるという時点で、少しは疑問なのだが。

 もっとも、青の槍の三階建ての建物に比べれば随分と分かりやすい建物なのは間違いない。

 レイにとって疑問だったのは、その建物には見張りや護衛、門番といったような役割を持つ者が誰もいなかったことか。


「建物に近付けば、てっきり何か反応があると思ってたんだけどな。……どう思う?」

「グルゥ? ……グルルルゥ」


 レイの言葉に、セトも分からないといったように首を傾げる。

 このままだと、それこそ何の抵抗もないままアジトにレイが入ることになってしまう。

 道化師も、当然青の槍、黒き幻影、風の牙といった手を組んだ組織のアジトが襲われているというのは、知っている筈だった。

 だというのに、全く防衛の準備をしていないというのはおかしい。

 もしかしてどこかに隠れているのか。それとも、暁の星のように周囲に紛れているのかと思って探してみるが、建物の周辺には特に誰かがいるようには思えない。

 そうなると、どうなっているのかを調べるには、建物の中に入ってみるしかなかった。


(外から建物を燃やすってのはありかもしれないけど、そうなるとマジックアイテムとかお宝が全部入手出来なくなるしな)


 特に今回襲撃するのは、道化師という集団だ。

 その名の通りの者達であるのなら、それこそ今までの組織よりもマジックアイテムが多くあっても不思議ではない。

 ……もっとも、何だかんだと今のところ入手出来たマジックアイテムは、黒き幻影のアジトの時のポーション十本だけだったが。

 とはいえ、そのポーションは一つにつき白金貨数枚の価値があるのだから、そう簡単に入手出来る物ではない。

 いざという時に使うことを思えば、十分な代物ではある。

 風の牙に関しては……現状では生憎とまだどのようなマジックアイテムの類があるのかは分からないが、暗殺を中心に活動している組織となれば、何らかのマジックアイテムがあってもおかしくはなかった。……後でアジトに寄るまでは、何とも言えないが。

 ともあれ、そんな訳でレイとしては目の前の建物からは何らかのマジックアイテムやお宝が欲しいところだ。


「……しょうがない。このままここにいても意味はないし、取りあえず行くか」


 呟き、レイは建物の中に入っていく。

 背後では、セトが気をつけてと鳴き声を上げているのが聞こえてきたが、レイはそれに分かってると心の中で頷く。


「黒き幻影が違和感の正体じゃなかったら……可能性としては、道化師が怪しいのか?」


 何となく呟きながら建物の中を進むレイ。

 だが、生憎建物の中には特に誰の姿もない。

 風の牙のように、使い捨ての捨て駒がいるというのであれば、レイも納得出来る。

 だが、建物があるにも関わらず、アジトの中に誰も敵がいないというのは、明らかにおかしかった。


(いや、おかしくはないのか? 青の槍みたいに、どこか一ヶ所で待ち伏せしてるのなら)


 そう思いつつ、建物の中を進むレイ。

 建物の中は非常に簡素だった。

 椅子やテーブルといったものや、粗末ではあるがソファの類もある。

 だが、それだけだ。

 レイは道化師という組織に所属している者が一体どのくらいいるのかは分からなかったが、それでもここまで生活感がないというのは、明らかにおかしい。


(ここって、本当にアジトなのか? 見るからに誰かが生活しているようにも思えないけど)


 そんな疑問を抱きつつ、レイは建物の中を調べていく。

 だが、やはりどこにも人の姿はない。

 そうして幾つかの部屋を調べるも、どこにも道化師の者はいない。

 それこそ、自分達が狙われていると知って、逃げしたのでは? と疑問に思うくらいに、誰の姿もない。

 だが、もし逃げたとしても、レイが組織を襲っているというのを知ってから逃げたにしては、それこそ何の痕跡もない。

 とてもではないが、短時間で片付けたりは出来ない筈だった。


「ともあれ、逃げ出したのなら当然マジックアイテムの類も持っていったのか」


 そう思いつつ、次の部屋の様子を見に入った瞬間……突然、目の前に短剣が浮かんだ。


「っ!?」


 反射的に顔を背けて回避することに成功はするが、その短剣の一撃は完全に回避することは出来ず、頬に傷を付けながら、ドラゴンローブのフードの中に入って動きを止める。

 その攻撃を回避出来たのは、実力というよりは半ば勘に近い回避行動のおかげだ。

 ドラゴンローブは、それこそ短剣で刺されたくらいでは、破ることは出来ない。

 だが、その強力な防御力が発揮されるのは、当然のようにドラゴンローブに覆われている部位だけだ。

 つまり、ローブに覆われていない場所は、当然ながらドラゴンローブで攻撃を防ぐことは出来ない。

 つまり、今のように顔を狙うというのはレイを暗殺する場合、非常に有効な一撃なのだ。

 ……もっとも、レイにその一撃を当てることが出来ればの話だが。

 普通ならそれが一番難しい。

 だが……今のは、間違いなくレイにとっても間一髪だった。

 素早く後ろに跳び、周囲の様子を観察する。

 フードの中に入っていた短剣を取り出しながら、いつ攻撃されてもいいように準備をしつつ、短剣を調べていく。


(普通の短剣だ。毒の類が塗られている訳でもなく、流水の短剣のようにマジックアイテムの短剣って訳でもない。だが……そうなると……)


 その短剣を確認しつつ、レイは改めて周囲を見る。

 レイが手に持つ短剣は、誰かがどこかから投擲したのではなく、いきなり目の前に現れたのだ。

 それこそ、転移でもしてきたかのように。

 普通に誰かが投擲をしたような短剣なら、それこそレイは回避するなり、弾くなりといったことは出来ただろう。

 だが、今のように突然目の前に現れたとなると、それを回避するのは難しい。

 ……ただし……


「誰か分からないが、今の一発で仕留めることが出来なかったのは致命的だったな。最初の一撃はともかく、こういう攻撃があると知ってれば、こっちもそれに対処するくらいは出来る」


 そう言い、周囲を見回し……手にした短剣を素早く振るう。

 キンッ、という甲高い金属音が周囲に響き、再びどこからともなく飛んできた短剣がレイの持つ短剣によって弾かれる。


「こんな風にな!」


 叫びつつ、レイは手にしていた短剣を投擲する。

 投擲した方向は、弾いた短剣が突然現れた場所の先。

 あの短剣が投擲した訳ではない以上、短剣の現れた先に敵がいるとは限らない。

 限らないが……それでも、いないとも限らないのだ。

 いるか、いないか。

 それが分からない状態であるのが困るのだ。

 その先にいないならいない。いるならいるで、はっきりとしておく必要があった。


「……いない、か」


 レイの投擲した短剣は、部屋の壁に突き刺さるが、そこに血の跡といったものはない。

 それを残念そうに眺めながら、レイはミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出す。

 幸い、部屋の中はかなり広く、デスサイズや黄昏の槍を振るうだけの空間的な余裕はある。


「出て来ないのか? お前はもう俺にまともに攻撃することは出来ないんだぞ? そうなれば、お前がもう何をしても効果はない。……それでいいのか?」


 半ば挑発するように告げるレイだったが、敵が反応する様子はない。


(転移してきたのか、それとも単純にこっちに武器を投擲した中でそれが何らかの方法で俺のすぐ近くに来るまでは感知出来なかったのか。……どっちなんだろうな? 出来ればすぐにその辺りの情報が知りたいところだけど。なら、取りあえず……)


 この部屋の中に、レイに気が付かれずに隠れているという可能性がある以上、まずはそれをはっきりとさせておく必要があった。

 そんな中でレイが取った手段は……非常に単純なもの。

 だが、単純だからこそ、対処するのが難しくもある行動だ。


「死ぬ前に出て来いよ」


 呟き、レイはデスサイズと黄昏の槍を振るう。

 どこに敵がいるのか分からない以上、いつ武器に敵が当たってもいいように注意しながら、部屋の中で動き回る。

 何も知らない者にしてみれば、レイは演舞をやっているかのように見えていただろう。

 だが、レイとしては当然そのようなつもりではなく……何らかの手段で隠れている相手がいると仮定し、それを見つける為にこそ、こうした動きをしていた。

 もしこの部屋の中に敵がいたとしても、こうして縦横無尽に動き回っている、二本の長物から回避するのは難しい。

 もしくは、じっとしていれば当たらないと思っていても、目の前を、そして自分のすぐ近くを通る凶悪な破壊力を持つ武器に、じっとしていられる筈もない。


(これで、実はこの部屋の中に誰もいなかったら、それこそ俺がピエロ……道化師だな)


 そんな風に思いつつ、レイは部屋の中に何か違和感がないかと、しっかり探す。

 敵がいるという前提で動いている以上、レイとしては何か怪しいところがあったらすぐそれに気が付けるようにと、そのような気持ちからだ。


(こうやって自分の姿を認識させないってことは……ギルムに来てからの違和感の正体は、道化師の可能性が高いな。それが分かっただけでも、道化師のアジトにやって来た甲斐はあったか)


 この違和感こそ、まず最初に何とかする必要がある現象だ。

 それが分かってるだけに、レイとしてはある意味で自分は運がよかったのだと思う。

 ……このような状況になっている時点で、とてもではないが運がいいとは言えないのだが。


「そう簡単に回避出来るとは思うなよ? この部屋の中にいるのなら、このままだとお前は確実に……」


 死ぬ。

 そう言おうとしたレイの言葉を遮るかのように、扉の開く音が周囲に響く。

 それもレイが入ってきた扉ではなく、部屋にもう一つあった方の扉だ。

 その音を聞いた瞬間、レイもまた演舞を止めて音がした扉に向かって走り出す。

 レイの振るう黄昏の槍やデスサイズの風圧によって扉が開いたのでなければ、誰がそれをやったのかは明白だ。

 つまり、レイと一緒の部屋にいた何者かが逃げたということだろう。


(敵がいる可能性は高いと思っていたが、いてよかったな。もしいなかったら、俺は誰もいない部屋の中、一人で演舞をしていたってことになるし)


 空いた扉を通って次の部屋に入ったレイだったが、その扉と続いている別の扉が再び開くのが見えた。

 当然のようにその扉を追って次の部屋に向かうも、そこで再び別の扉が開く。


「逃げられると思ってるのか!? 飛斬!」


 デスサイズから放たれる斬撃。

 だが、その斬撃は壁に深い傷跡をつけるも、逃げている相手を傷つけることは出来なかった。

 とはいえ、向こうも攻撃されるのを恐れているからこそ逃げるのだろうと判断し、次の部屋に行き……その部屋にもレイが入ってきた以外にもう一つ扉があったが、その扉は閉まったままだった。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る