第2204話

 風の牙のアジトから出たレイは、そこで待っていたセトと合流すると、ラザリアの隠れている場所に向かう。

 暗殺が主体の組織だけに、絶対に見つからないように隠れていろ。

 そう忠告したので、建物から出た来たレイでも少し周囲を見回しただけでは、ラザリアの姿を見つけることが出来ない。


(黒犬に所属してるだけはあるってことか。……もっとも、隠れるのだけが得意でも意味はないと思うけど)


 ラザリアの姿を見つけることが出来ないレイは、口を開く。


「ラザリア、もう大丈夫だ。出て来てくれ」


 そう声を掛けてから、数秒。

 やがて建物の影から、ラザリアが姿を現す。


「そこにいたのか」

「はい。僕、こう見えて隠れるのは結構得意なんです。……黒犬に拾われるまでに鍛えられた技能なんですけどね」


 そう告げるラザリアの表情には、特に何かこれといったマイナスの感情は浮かんでいない。

 スラム街で生きてきた時のことは、別に恥じていないのだろう。


「そうか。なら問題ない」

「えっと、そっちには問題なくてもこっちにはあるんですけど。……戦いが始まる前に聞いていた話と、ちょっと違いすぎませんか?」


 ラザリアがそう言うのも当然だろう。

 最初は建物の周囲にいる者達こそが、風の牙に所属している者達だとレイが言っていたのに、実際にレイが建物の側にいた、囮だと思っていた相手といざ戦いが始まろうとしているところで、いきなりレイが風の牙の本命だと言っていた者達が動き、レイではなくレイと揉めていた相手を殺したのだ。

 それでレイとその者達が戦いになるかと思えば、実際には戦いになるようなことはなく、そのまま一緒に建物の中に消えていった。

 ラザリアにしてみれば、当初聞いていた話と全く違う展開なのだから、それで混乱するなというのが無理だろう。


「ああ、どうやら俺の間違いだったらしい。あの連中は、ギルムの外で以前風の牙に襲われたことがあって、その時の報復としてやって来たらしい。風の牙のギルム支部を率いている人物が、その仇だとか。で、その連中と一緒に建物の中に入ったんだが……」


 そこで一旦言葉を止めると、レイは溜息を吐いてから事情を話す。

 建物の中で戦闘になったが、雑魚と呼ぶべき相手くらいしかいなかったこと。

 それから建物を調べたが、他の人員もおらず、マジックアイテムや活動資金となるだろう金貨や白金貨、もしくは宝石や金塊の類も見つからず、暁の星の男と相談した結果、恐らく地下室があるのだろうという結論になったこと。

 そして、レイが建物を燃やして地下室にいるだろう相手を熱で殺そうとしたが、それに反対されたこと。

 最終的には風の牙については暁の星に一旦預けることにし、レイは他の組織を潰した後でここに戻ってきた時、それでもまだ地下室が見つかってなければ建物を燃やすと決めたこと。

 ……報酬として、建物の中にあるマジックアイテムやお宝の類は自分が貰うということにしたこと。

 そうやって事情を説明すると、ラザリアは納得したように頷く。


「なるほど。暁の星という組織については聞いたことがあります。ギルムでは活動していませんが、そこそこ大きな組織だったかと。暗殺を始めとして色々と後ろ暗いこともしてますが、基本的なスラム街に住んでいる弱者の救済を主な目的としていたとか」

「……つまり、黒犬みたいな感じか?」

「そうですね。若干特色は違いますが、そう思って貰っても構いません。そうですか。結構前にどこかの組織と抗争して大きな被害を受けたと聞いたことがありましたが……その相手が風の牙だったんでしょうね」

「どうやらそうらしいな。ともあれ、そんな訳で風の牙については少し暁の星に任せることになった。……そんな訳で、次に行くぞ。今日の間に出来るだけ多くの組織を潰したいんだから、ゆっくりしている暇はあまりない」

「分かりました。じゃあ、取りあえずここから離れましょう。暁の星という組織がいても、ここが風の牙のアジトだというのは変わりませんし。もしかしたら、こうしている間にもアジトの外に出ていた人員が戻ってくるかもしれませんので」

「そうか? ……まぁ、ラザリアがそう言うのなら、そうするか」


 レイとしては、アジトで戦った程度の技量の持ち主が戻ってきても、特にどうということもなく対処出来る自信があった。

 だが、ラザリアは見るからに戦闘力はない。

 いや、ある程度の護身術くらいは使えるのかもしれないが、生憎とここで必要されているのはある程度の護身術などというものではなく、しっかりとした戦闘能力だ。


(あ、でもアジトの中にいた連中なら、意外とラザリアでも何とかなるか? 一対一なら、だけど)


 レイが見たところ、弓を持っていた者達は決して強いという訳ではなかった。

 それこそ、ラザリアでも倒せる程度の者も何人かいた。


(考えてみれば、暗殺を主な仕事としている風の牙って組織の割には、やっぱりあの程度の奴しかいないのはおかしいよな。……俺が来たと知って地下室に隠れたのかもしれないけど)


 何だかんだと、風の牙もギルムでここまで生き残ってきた組織だ。

 自分達と手を組んでいる組織のアジトが次々と襲撃されているというのを知れば、当然のようにそこにはレイの存在を疑うだろう。

 だからこそ、現状でレイに勝てないと知れば、戦力を温存することを優先してもおかしくはない。

 捨て駒を使い、もしかしたらそれが風の牙の全戦力だと思い込ませることが出来れば幸い……といった感じで。

 実際、風の牙の判断は間違っていない。

 ……ただし、いざとなればレイがアジトを燃やすという手段に出るとは、思ってもいなかったようだったが。

 そういう意味では、風の牙の者達は自分達がアジトを探して地下室を探すという暁の星に助けられたと言えるだろう。

 もっとも、暁の星の面々はかなりの腕利き揃いなのも間違いない。

 であれば、もし今この状況では助かっても、その後がどうなるのかは分からないが。


「レイさん? どうしました? 行きますけど……まだあのアジトに用事があるんですか?」

「いや、何でもない。風の牙の連中も、素直に俺にやられていればよかったのにと思ってな」


 そう返すレイだったが、それは間違いという訳でもない。

 実際、レイと違って暁の星の面々は、復讐の為にギルムにやって来たのだ。

 そして復讐となれば、場合によっては一撃で殺して貰えずに、それこそ拷問を受けることにもなりかねない。

 それも情報を引き出す為の拷問ではなく、相手に苦痛を与えることだけが目的の拷問をだ。

 そういう意味では、風の牙の面々は不幸だと言えるだろう。

 レイとしては、自分を狙ってきた相手がどうなろうとも知ったことではないというのが正直なところだが。


「それは……そうでしょうね」


 レイの言葉に、ラザリアも納得したように頷く。

 スラム街に住み、黒犬という組織に所属しているだけあって、その手の話についてもそれなりに理解があるのだろう。

 それでもラザリアの顔は嫌悪感に歪んでいたが。


「それで、次に向かう組織はどんな組織だ?」

「道化師ですね」

「……なるほど」


 返ってきた言葉に、レイは短く呟く。

 だが、その短い呟きの中には、複数の感情が込められている。

 今までと何とかの何とかといったような組織名だったのだが、今回は道化師という一言の組織名であるというのが珍しかったというのもあるが、それ以外でも道化師という名前から想像出来る相手がいたというのが大きい。

 ピエロのような化粧をしており、風船のような体型をしている男。

 セトとある程度互角に渡り合ったことから、その技量が高いというのは容易に想像出来る。

 そのような相手が所属している組織だけに、アジトに残っているだろう敵も相応に腕の立つ存在がいる可能性が高かった。

 ……もっとも、風の牙のように主力は隠れ捨て駒として使える相手のみが出て来るという可能性も否定は出来ないのだが。

 

「道化師か。……ちなみにどんな仕事を主にしてるんだ?」

「広く浅くといったところですが、一番力を入れてるのは違法奴隷の売買ですね。スラム街でも結構な人数が違法奴隷として捕らえられているという話です」


 レイに説明しながらも、ラザリアは嫌そうな表情を浮かべた。

 スラム街の住人を違法奴隷として売るというのは、ラザリアにとって面白くないのだろう。


「違法奴隷か。……ギルムの裏の組織としても、面白く思ってない連中も多いんじゃないか?」


 勿論、ギルムの裏組織の中にも、違法奴隷を扱っている組織はある。

 だが、それはあくまでも細々としてというのが正しい。

 その理由の一つとして、ギルムの特異性があった。

 ミレアーナ王国中から、腕の立つ冒険者が集まってくるギルムだ。

 スラム街にやってくる冒険者の中にも、相応の強さを持つ者が多い。

 そのような冒険者を間違って襲ってしまった場合、組織が受ける被害は非常に大きなものになる。

 特にスラム街にやってくるような者達の場合、容赦という言葉を知らないような者もいるのだ。

 そのような者達を相手にした場合、最終的に捕らえることに成功したとしても、利益より損害の方が大きくなりかねない。

 その為、どうしてもギルムの裏組織が行う違法奴隷の売買は小規模にならざるを得ない。

 ……それに加えて、少し前に他国からやって来て女を捕まえ、強制的に奴隷にしていた組織をレイが壊滅状態にしたのも、見せしめとしての効果は大きかったのだろう。


「よくもまぁ、ギルムで違法奴隷に手を出すな。……つまり、それだけ腕の立つ奴が揃ってるってことか?」

「そうなりますね。正直なところ、僕としては出来るだけ早く壊滅して欲しいと思ってますが」

「……その割に、最初にその組織に連れていくような真似はしなかったんだな」


 もしレイがラザリアの立場であれば、案内をする時に最初に一番潰れて欲しい組織に連れていくだろう。

 なのに、何故かラザリアがレイを最初に連れていったのは、青の槍という組織のアジトだった。

 何故そのようなことに? とレイが疑問を抱いても、おかしくはない。

 そんな視線を向けられたラザリアは、困ったように口を開く。


「特に意味があって青の槍を選んだ訳じゃないです。ただ、一番近い場所から選んだだけですから」

「……そうか」


 納得した様子を見せるレイだったが、その言葉を本当に全て信じている訳ではない。

 それでも、黒犬に所属するラザリアが自分に何らかの危害を加える意図を持っているとは思えないので、それ以上は追求しなかったのだ。


「グルゥ」


 と、歩いている最中にセトが喉を鳴らす。

 何かあったのか? という疑問を抱きつつ、レイが視線を向けると……そこには、口から涎を垂らしつつ、白目を剥いている痩せた……いや、痩せすぎた男の姿があった。

 骨と皮だけといったような様子だが、それだけであればスラム街では珍しい光景ではない。

 だが、そのような男が手に短剣を持ち、その切っ先をレイ達に……より正確には、レイを案内しているラザリアに向けられているとなれば、話は別だった。


「おい、その短剣は何のつもりだ? 襲ってくるようなら、こちらも容赦はしないぞ」


 レイの忠告を聞くも、男は特に気にした様子もなく……それどころか、泡のような涎を口から垂らしたまま、焦点の合っていない目でレイを見る。

 忠告の効果がなかったことは残念に思えたレイだったが、それでも短剣の切っ先が向けられる先がラザリアから自分に変わったのは、狙い通りではあった。

 ラザリアも、レイの狙いをその言動から理解したのだろう。

 現れた男の意識がレイに向けられたのを知ると、男から距離を取る。

 それを確認したレイは、男の方に向かって堂々と歩き出す。


「ひぇっ?」


 まさか、レイが正面から近付いてくるとは思わなかったのか、男は意表を突かれた声を出し……

 次の瞬間にはレイの振るった拳で鳩尾を殴られ、そのまま強制的に意識を絶たれ、地面に崩れ落ちた。


「……こいつ、何だ?」


 そう言いながらも、レイはこのような症状を持つ者について心当たりがあった。

 もっとも、それはあくまでも日本にいた時に見た漫画やアニメといったものに出て来た相手だったが。

 そして、ラザリアはそんなレイの嫌な予感を裏付けるように頷く。


「この春から急激に増えている薬です。……もっとも、薬の効果そのものはそこまで強くはないので、普通ならここまで依存することはないんですが……」

「普通なら、な」

「はい」


 例えば、これが街の表側で起きたのなら、そこまで薬に依存する者はそう多くはないだろう。

 だが、スラム街の住人となると、やることがない、昔を思い出したい、現実から逃げたい。

 それ以外にも様々な理由から、容易く薬の誘惑に負ける。

 ……勿論、スラム街の住人ではないからといって、絶対に薬の誘惑に負けない訳でもないのだが。


「厄介だな」


 気を失って地面に倒れている男を眺めながら、レイは短くそう呟くのだった。

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