第2188話

 壁の穴から中を覗いた瞬間、その穴の先から自分に向かって短剣を振るってきた男の姿を見たレイは、驚きで動きを止めるようなこともなく、即座に反応する。

 後ろに逃げる……のではなく、前に出る。

 目の前にある家はかなりボロボロで、それこそ時間が経てばそのうち風雨によって崩れてもおかしくないような、そんな建物だ。

 だからこそ、レイは壁を破壊しながら前に出た。

 そこまでして、何故前に出たのか。それは、短剣を振るおうとした男の顔を見れば明らかだ。


「うおっ!?」


 まさか、この状況で逃げるのではなく自分に向かってくるとは、思ってもいなかったのだろう。

 短剣を振るっていた男はそんなレイのまさかの行動に短剣を振るう動きが動揺から一瞬鈍り……レイにとっては、その一瞬があれば何の問題もなかった。


「おらっ!」


 相手の動揺に付け込むように振るわれる拳。

 短剣の一撃を回避しながら前に出て放たれたその一撃は、短剣を持った男……暗殺者の胴体に命中し、そのまま吹き飛ばす。

 いつ崩壊してもおかしくはない建物だけに、レイによって殴り飛ばされた男はそのまま壁を破壊して吹き飛ばされていく。


「ふぅ」


 取りあえずの危機を脱したことを喜びながらも、レイは建物の外に出る。

 そこには、自分を黒犬のアジトまで案内すると言った男が……そして、この建物の中を覗いてみるようにしつこく言っていた男がいる筈だった。

 このような真似をした以上、当然のように自分を裏切っている。

 そう思いつつ、男の方に視線を向けると……そこにあったのは、口から血を吐いて地面に倒れている男の姿。


(何があった?)


 一瞬セトが攻撃したのかと思ったレイだったが、セトも混乱している様子を見れば、そんな訳でないのは明らかだ。

 そうなると、何か別の手段でこんな風になったと、そう考えるのが妥当だった。

 とはいえ、この男が動けなくなっている以上、今の自分が次にやるべきは、短剣を振るってきた男をきちんと倒すことだろう。

 先程は殴り飛ばしたが、それで向こうが行動不能になったとは思わない。


「セト、その男の様子を見ててくれ」


 そうセトに声を掛けると、レイは吹き飛ばした男の方に向かう。

 背中でセトの鳴き声を聞きながら。


「この辺りだと思うんだけど……あ、いた」


 吹き飛ばした男を見つけたレイだったが、その男は地面に倒れたままで起き上がる様子はない。

 何だ? と、レイが疑問を抱きながら男に近付いていくと……その理由が判明した。

 何と、男の頭に短剣が突き刺さっていたのだ。

 それこそ、脳を破壊するだけの深さで。

 一瞬、自分が吹き飛ばした時の衝撃でこんなことになったのか? と思ったレイだったが、よく見れば吹き飛ばされた男が自分で短剣を握ってこめかみから突き刺している。

 それは、明らかに自殺としか思えない光景だった。


「これは……一体、何が起きた?」


 レイの口から出て来たのは、唖然とした言葉。

 自分をこの場所まで案内した男と、家の中で自分を狙っていた男。

 その二人が現在自分を狙っている暗殺者の一味であるというのは、レイにも当然のように分かっていた。

 だが、それでも……暗殺が失敗したからといって、このような真似をするか?

 そもそもの話、自殺をするのなら毒薬を飲むなりなんなりすればいい。

 わざわざ短剣で自分の頭を刺すなどというのは、やる方も相当に怖い思いをするのは間違いなかった。

 自殺するにしても、一体何故? と、そうレイが思ってしまうのは当然だろう。

 だが、こうして見る限りでは短剣は本人の手で握っている。

 誰かが男を殺した訳ではないと、それは明らかだった。

 であれば、自殺は明らかに自分の手でやったということになる。

 ……一体何故そのような真似をしたのか、レイは分からなかった。分からなかったが、暗殺者が死んで情報を引き出すことが出来なくなったというのは、間違いのない事実だった。


「……しょうがない、か」


 出来ればこのような死体に触れたくはない。

 だが、この死体を調べれば何かが……それこそ、何故このような死に方をしたのかが分かるかもしれない。

 そう判断し、死体をミスティリングに収納する。


「さて……こうなると、あっちも何か怪しいと思わざるを得ない訳だけど、どうなんだろうな」


 呟きつつ、セトのいる場所に向かったレイだったが、そこにあったのは……やはりと言うべきか、予想して然るべきではあったのだが、死体だった。

 レイを黒犬のアジトまで案内すると言った男の死体。

 元々口から血を吐いていたのだから、不味いとは思っていた。

 だが、まずは実際に自分を襲ってきた相手について調べる必要があると、そう判断しての行動だったのだが……


「あー……何があってこうなったんだろうな」


 そう溜息を吐くも、それは今更……本当に今更の話だろう。

 今の自分に出来るのは、黒犬のアジトに向かうということだ。

 そこでマリーナの紹介状を見せて、今回の一件について何らかの情報を貰う。

 ……それが出来るか出来ないのかは、分からない。

 それでも今回の一件について考えると、そちらから情報を貰うのは必須のように思えた。


(とはいえ、黒犬のアジトに案内するって言ってた奴がこの有様だな。催眠術か何かで操っているのか、それとも元から敵の仲間だったのか。……問題なのは、迂闊に黒犬のアジトにいけなくなったってことか)


 黒犬のアジトに案内すると言ってきた相手が、自分を罠に嵌めようとしてきたのだ。

 そうなると、もし誰かに黒犬のアジトの場所を聞いた場合、その人物がこちらに攻撃をしてくるという可能性は決して否定出来なかった。

 最初に案内を申し出てくれた相手がこの調子なのだから、今回の一件は厄介……そう、それこそ非常に厄介だと思ってしまうのも当然だろう。


「さて、そうなると本当にどうやって黒犬のアジトに向かえばいいのか。……まさか、手当たり次第にそれっぽい組織のありそうな建物に突っ込むなんて真似をする訳にもいかないし」


 そのような真似をすれば、それこそ今回の一件はかなり面倒なことになるのは間違いない。

 いや、面倒ではすまないような、そんな大きな騒動になってもおかしくはなかった。

 だからこそ、今回の自分の動きはどうするべきなのかというのを、しっかりと考える必要がある。


「なぁ、セト。この場合は一体どうすればいいと思う?」

「グルゥ?」


 レイの言葉に、セトが困ったように喉を鳴らす。

 どうすればいいのか分からないのは、レイだけではなくセトも一緒だ。

 それだけに、レイにどうするのかと聞かれても、セトもどうすればいいのかというのは、すぐに答えられない。

 もっとも、レイもそれについては何となく理解した上で……半ば気分転換に近い感じでセトに声を掛けたのだが。


「あー、うん。悪いな。ちょっとこの先のことを思うと色々と思うところがあって。……けど、そうだな。取りあえずまた道案内してくれる相手を見つける必要があるか」

「グルルゥ!」


 レイがセトの言葉にその通り! と鳴き声を上げる。

 レイにとっても、視線の先にいる血を吐いて倒れている男のように、向こうから自分が案内役になると言ってくる相手は信用しないにしても、自分から話し掛けて頼むのならいいか? と思う。


「ん? ……ああ、毒か」


 血を吐いている男をミスティリングに収納しようとしたレイは、男がセトの強力な一撃を受けた訳ではないことに気が付く。

 最初に血を吐いているのを見た時は、てっきりセトの一撃で内臓を破壊されるなり、肋骨を折ってそれが内臓を傷つけるなりしたのかと、そう思ったのだが……

 こうして倒れている男の様子を見る限りでは、そこまで酷い怪我をしているようには思えない。

 勿論、実際には見えないだけで、セトの一撃で重傷を負っていたという可能性も残ってはいるが、レイが先程見た自分の頭部に短剣を刺して自殺していた男のことを思えば、セトが殺したというより何らかの手段で自殺したと思った方が正しいだろう。


「この男も……ギガント・タートルの解体に来ていた奴なんだよな」


 男の死体を眺めながら、レイは呟く。

 冬にギガント・タートルの解体をやっている時に、何度か見た顔だった。

 レイがスラム街に来た時に集まってきた中の一人だったのだが、その男も本人が納得してなのか、それとも何かに操られてなのか、暗殺しようとしてきたのだ。

 それが許容出来るかと言われれば、当然のように出来ない。出来ないが……それでも、スラム街である以上、そのようなことがあってもおかしくはないと、レイは不思議と納得してしまう。


「グルゥ……」


 そんなレイを、慰めるようにセトが喉を鳴らしながら顔を擦りつける。


「そうだな。俺はそこまで気にはしてないよ。今やるべきなのは、まず黒犬のアジトに行くことだし。……さて、問題はどうやってその相手を見つけるかだな」


 話し掛けた相手が偶然暗殺者だというのは、正直なところ勘弁して欲しいというのがレイの正直な思いだった。

 とはいえ、今回の一件では誰かに話を聞く必要があるのも、間違いなかったが。


「マリーナから聞いてくればよかったな。……とはいえ、スラム街の道順の説明をされても、それが当てになるかどうかも分からないけど」


 スラム街というのは、それこそ数日もあれば建物が壊れたり、もしくは新しく――その辺の資材を使って適当に――建ったりもする。

 結果として、すぐに道が変わったりもするのだ。

 それだけに、現在スラム街に住んでいる者であっても、スラム街にある全ての道を知っている者はいないとまで言われている。

 マリーナから黒犬のアジトに向かう道を聞いても、その道が変わっていればどうしようもない。


「全く、どうしたものかな。……取りあえずここにいるのも何だし、移動するか」


 毒を飲んで死んだと思われる男の死体をミスティリングに収納すると、レイはセトと共にその場から離れる。

 まず向かうのは、人の多そうな場所。

 ……当然のように人の多そうな場所に向かえば、それだけ暗殺者に狙われる危険もある。

 だが、黒犬がどこにいるのかを知る為には、どうしても誰かに会う必要があった。

 襲われた場所から離れ、歩くこと数分。

 やがてそれなりに人が多い場所に到着する。

 とはいえ、多くの者は仕事をするでもなく、仲間と話しているくらいなのだが。


(スラム街らしいって言われれば、その通りかもしれないけどな)


 とはいえ、スラム街に住んでいる者も生きる為には食べなければならず、食べる為には金を手に入れる必要があった。

 日中からこうして話をしているような者達が、一体どうやって稼いでいるのか……レイには正直なところ、疑問だった。


(可能性としては、スラム街らしく犯罪とかか?)


 強盗や置き引きといった犯罪なら、スラム街の住人ならそう難しいことではないだろう、

 とはいえ、その場合は下手な相手から奪おうとすると、逆襲されることになるが。

 何しろここは辺境のギルムなのだ。

 腕利きの冒険者が多い以上、襲う相手もしっかりと選ぶ必要がある。

 ……とはいえ、現在は増築工事が行われており、本来ならギルムに来ることが出来ないような者までいるので、そういう意味ではスラム街の住人にとって有利なのかもしれないが。


「おい」

「あれって……レイか?」

「ああ。グリフォンを連れてるし、間違いないだろ」

「けど、何だってスラム街に?」

「知るか。気になるなら、お前が聞いてこいよ」


 レイの姿を見て、何人かが小声で言葉を交わす。

 ……五感の鋭いレイには、当然のように聞こえていたが。

 ただ、自分達がここにきたのを訝しんでいるだけで、暗殺者のように殺そうと思っている様子はない。

 だからレイも特に気にした様子もなく、放っておいた。


(さて、黒犬のアジトは誰に聞けばいいのか)


 スラム街の中でも大通りと言ってもいい場所でそんな風に考えていたレイだったが、ふと目に付く光景があった。

 視線の先にある建物の一つ。

 先程レイが襲われた家に比べれば、それなりにしっかりとしたその建物の中に、一人の男がいた。

 年齢は先程レイを案内すると言った男より若干上くらいか。

 そんな男は、レイと視線を合わせると意味ありげにちょっと来いと手招きをする。

 先程襲われた一件を考えれば、非常に怪しい。怪しいのだが……それでも何の手掛かりもない以上、今はそちらに行ってみた方がいいのも事実だった。


「こういうのが、虎穴に入らずんば虎児を得ず……って言うんだったか?」


 呟きながら、その建物に向かう。

 ……何故か、周囲にいたスラム街の住人達は、レイとセトがその建物に近付いていくというのを知ると、そっと視線を逸らしていく。

 そのことに疑問を抱きつつ、相手が何をしてもすぐに対処出来るように準備をしながら建物の前に立ち、扉も何もない建物の中にいる男に声を掛ける。


「俺に何か用か?」

「用があるのはお前だろう? 黒犬のアジト……知りたいんじゃないか?」


 レイの言葉に、男はそう返すのだった。

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