第2189話

 黒犬のアジト。

 そう告げた男を、レイは警戒の視線で見る。

 元々自分を呼び寄せたことから警戒はしていたのだが、レイが何も言っていないにも関わらず、何故か黒犬の名前を出してきたのだ。

 先程黒犬のアジトに案内すると言われた男に騙されたことを思えば、警戒もしないで素直に信じろという方が無理だった。


「何者だ?」


 そう尋ね、もしこの状況で何かを仕掛けてきたら即座に反撃が出来るように準備する。

 だが、レイの視線の先にいる男は、自分は敵ではないと言いたげに、両手を上げる。

 そんな男を見て、少しだけ警戒を解くレイ。

 ……もっとも、レイの隣にいるセトは未だに男から警戒を解いた様子はないが。


「俺は敵じゃない。それだけは信じてくれていいぞ」

「何の証拠もなしにそれを信じろってのは、難しいんじゃないか?」


 何らかの証拠を示せと、そう告げるレイだったが、男は少し考えてから口を開く。


「レイがこの建物に近付くと、近くにいた連中はレイから視線を外しただろ? それがちょっとした理由になっていないか?」

「それは……」


 男の言うことは間違っていなかった以上、その言葉を否定は出来ない。

 事実、レイに注目していた多くの者が、この建物に近付くとレイから視線を逸らしたのは間違いない事実なのだから。


「どうだ? これで俺を少しは信じてくれる気になったか?」

「……そうだな」


 男の言葉に頷きを返すレイだったが、実際には必ずしも男の言葉を信じた訳ではない。

 それでも即座に反撃するといった様子は消えた為、男は笑みを浮かべて口を開く。


「今はそれでいい。……さて、さっきも言ったが、俺は敵じゃない。というか、正確にはお前が探している相手だよ」


 探している相手。

 そう言われたレイは、最初自分を狙っている暗殺者達の一味なのかとも思ったが、この話の流れからすれば、男が何を言いたいのかというのはすぐに分かった。


「黒犬か?」

「正解。だからレイに声をかけたんだよ」


 その言葉から、レイは男が自分に声を掛けてきた時に、黒犬のアジトを知りたいのではないかと、そう口にしていたことを思い出す。


(なるほど。この男が黒犬に所属しているのなら、当然のように黒犬のアジトの場所を知っていてもおかしくはないか。……もっとも、あくまでもそれが本当ならの話だが)


 一度騙されて暗殺されそうになっているだけに、男の言葉を完全に信じるといった真似は出来ない。

 出来ないが……現状、他に何も手がない以上、男を信じるしか道がないのも事実だった。


(それに、もし罠ならその罠を噛み砕けばいいだけだし)


 そう判断したレイは、取り合えず男の言葉に乗ってみることにした。


「分かった。じゃあ、お前が黒犬のアジトに案内してくれるってことでいいのか?」

「そうだな。それは構わない。だが、一体何の用件で黒犬のアジトに向かおうとしてるんだ? その辺の事情を聞かないと、こっちとしても素直に案内は出来ないぞ?」

「俺が黒犬のアジトを探してるってのを知ってるんだから、理由も知ってるんじゃないのか?」


 目の前の男の様子が若干チグハグなのを疑問に思うレイだったが、男はそんなレイに対して首を横に振る。


「それでもだ。それでも、一応俺はレイが何でアジトに行きたいのかというのを、直接聞いておく必要がある。別に何か聞かれて困るようなことがある訳でもないのなら、構わないだろ?」

「それは……まぁ、そうだが」


 実際には、もし万が一黒犬が今回の暗殺騒動に関わっていたりした場合は困るのだが。

 もっとも、黒犬を紹介してくれたのはマリーナである以上、そこまで心配はしていなかったが。


「現在、俺は暗殺者に襲われている。それこそ、今日だけで……いや、ギルムに来ただけで何度もだ。そんな真似をしてくる組織の情報を知りたいのと、俺とセトにとって今日ギルムに来てからは強い違和感があった。それこそ、暗殺者の殺気の気配を殆ど感じなくなるくらいには」


 レイの説明に、男はなるほどと頷く。

 一見するとレイの説明に感心しているようにも思えるが、実際にはレイの説明に自分の持っている情報と違いがないのかを考えているのだろう。

 男の様子を見ていたレイも何となくその辺りは理解したが、現在の状況……黒犬のアジトを教えて貰い、そこで情報を得ようとしているのを考えると、そんな男の態度に何か言える訳もない。

 そして数十秒が経過し……やがて、男は頷く。


「分かった。ならレイを連れて行っても問題はないだろう。じゃあ、どうする? 今から早速行くか?」

「……勿体ぶった割には、あっさりと決めるんだな」


 レイは少しだけ驚いたように告げる。

 てっきり、もっと迷って判断するのだとばかり思っていたからだ。

 だというのに、実際にはレイの言葉を聞いた男はあっさりと頷いた。

 であれば、最初からそんな風に決めていたのではないかと、そう思っても当然だろう。


「色々とあるんだよ、色々とな」


 それだけを告げると、男はレイに建物の奥を示す。


「ほら、行くぜ。ついてこいよ」

「……いや、セトも入っていいのか?」


 いつもであれば、セトは建物の中に入ることは出来ない。

 身体が大きいだけに、建物の中に入ることが出来ないのだ。

 それこそ、無理矢理に入れば建物が破壊されてしまいかねない。

 だからこそ、セトが建物の中に入ってもいいのかと、そう尋ねたのだ。


「あー……そうだな。セトはちょっと無理か。けど、ここを通らないと結構遠回りすることになるんだが、どうする?」

「一応聞いておくけど、その扉はマジックアイテムでどこかに強制的に移動するとか、そういうのじゃないんだよな?」

「当然だろ。そんなマジックアイテム、見たことも聞いたこともないぞ。……ああ、でもレイならそういうのがあるのを知っていてもおかしくはないか」


 男はもしかしたらといった具合でレイに尋ねたが、レイはその言葉に当然のように首を横に振る。

 レイにしてみれば、転移云々というのはそれこそ万が一の可能性として口にしたのだ。

 実際、ベスティア帝国では既にかなりコストが必要となるし限られた場所にしか転移出来ず、前もって準備しておくことも必要だが、転移を実現させている。

 それを思えば、ここで転移を使っているという可能性は決して否定出来ないだろう。


「そんなマジックアイテムはないな。あれば便利だと思うけど。……ただ、セトがいれば移動速度で困るといったことは滅多にないな」


 実際、セトの移動速度は地上を走る馬とは比べものにならないくらいに速い。

 ……それでも、遠くに移動するには転移の方が便利だとはレイも思うが。


「ふーん、そうか。……ああ、セトだったな。セトならこの建物の上を飛んでくることは可能だろ? そうすれば、こちらとしても問題はねえよ」

「……そんな簡単な……」

「ここはスラム街なんだから、そのくらい当然だって。それよりもほら、行くぞ」


 男にそう言われ、レイはセトにこの建物の上を飛んで越えるように言い、レイは男が案内した扉から外に出る。


「グルルルルゥ!」


 レイが外に出て数秒、やがてセトの鳴き声と共に上からセトが降りてきた。


(これ、目立ってるよな。……いやまぁ、セトがいた時点でそんなのを心配するのは間違ってると思うけど)


 顔を擦りつけてくるセトを撫でながら、レイは今頃スラム街では大きな騒動になっているのだろうと予想する。

 何しろ、セトがいきなり翼を羽ばたかせて建物を一軒飛び越えたのだから。


「セトも来たみたいだな。じゃあ、案内するから行くか。……言っておくけど、黒犬はあくまでも裏の組織だ。それを承知の上で、行くんだよな? 本当に今更の話だが」

「勿論、その辺の事情は知っている。だが、必要な情報を集める為には、やっぱり情報源が必要だ。そういう意味で、黒犬はもってこいなのも事実だからな」


 勿論、スラム街の外で情報屋を探しても、スラム街の情報はある程度入手出来るだろう。

 だが、やはり餅は餅屋。

 スラム街の情報が欲しいのなら、それこそスラム街の住人に聞くのが一番だ。

 そして同時に、どうせスラム街の住人から話を聞くのなら、その中でも高い情報収集能力を持っている相手から聞いた方がいいのは間違いない。

 そういう意味で、黒犬という組織は最適だった。

 ……何よりの決め手は、マリーナに勧められたということだが。


「ふーん。まぁ、いいや。なら、こっちだ」


 レイの言葉に納得したのか、それとも最初からどうでもよかったのか。その辺りはレイにも分からなかったが、ともあれ男はレイ達を引き連れて道を進む。

 先程の建物の裏口に用意されていただけあって、その道は決して広くはない。


「グルゥ」


 翼を折りたたんだセトが、ようやく通れるくらいの広さだけに、セトの口からは『狭い』といったような声が漏れる。


「セト、スキルを使ってもいいぞ」

「グルゥ?」


 レイの言葉に、セトは本当? と喉を鳴らす。

 本来なら、レイが使うように言ったスキル……サイズ変更は容易に他人の目に触れさせるべきものではないかもしれない。

 だが、今はまだ何とか道を進むことが出来ているが、この後も道がこのままとは限らない。

 もしかしたら道が広くなる可能性もないではないが、ここがスラム街であると考えると、それは難しいだろう。

 そして暗殺者に狙われている以上、この状況でもし襲われたらと考えると、現状のセトは敵のいい的になってしまう。

 だからこそ、もしこの場で敵に襲われたとしても、ある程度の身動きは出来るようにしておく必要があった。


「ん? どうしたんだ? 何があった?」


 レイとセトの様子を見て、先を進んでいた男が尋ねる。

 そんな男に、レイはセトを見ながら言葉を返す。


「この道幅だと、ちょっとセトには狭いからな。少し小さくなる」

「……小さく?」


 レイが何を言ってるのか分からないといった様子の男だったら、説明するよりも実際に見せた方が手っ取り早いだろうと、レイはセトに視線を向けた。

 セトもすぐにその視線の意味を理解したのだろう。短く鳴き声を上げながらスキルを発動する。


「うっ、うおっ!」


 男の口から出る驚愕の声。

 当然だろう。セトの大きさが、体長三mから七十cmくらいにまで縮んだのだから。

 サイズ変更のスキルのレベルがもっと上がれば更に小さくなれるのだが、レベル二の状況では七十cmが精一杯だった。

 ここまで小さくなれば、この道を進むのも特に問題はない。


「取りあえずこれでセトも狭くないだろ」

「グルルルゥ」


 レイの言葉に、嬉しそうに鳴き声を上げるセト。

 そんなセトを唖然としながら見ていた男は、ここでようやく我に返る。


「いやいや、そうじゃないだろ! 何でいきなり小さくなるんだよ!」

「スキルの効果だ。セトは多種多用なスキルが使える希少種だからな」


 表向きの説明をするレイ。

 もっとも、魔獣術で産まれたモンスターで、他のモンスターの魔石によって新たなスキルを習得していく……などというよりは、説得力があったのは間違いない。

 実際に男もレイの説明にある程度納得した様子を示していたのだから。


「希少種か。そう言えば、そんな話を聞いた覚えがあったような、なかったような」


 そうやって呟く様子を眺めながら、レイは小さくなったセトを撫でる。

 ……とはいえ、それはあくまでも三mから比べればの話であって、七十cmというのはそれなりの大きさなのだが。


「ほら、それよりもさっさと行くぞ。いつまでもここでじっとしてるのは、あまり面白くないしな」

「……あ、ああ。分かった。そうしようか」


 レイの言葉に頷き、男は再び道案内を開始する。

 実はまだ男を完全に信用していなかったレイだったが、それでもこの様子を見る限りでは安心だろうという思いを抱く。

 ただ小さくなっただけなのだが、明らかにセトの様子に驚いているのが分かったからだ。

 この状態で実は暗殺者でしたと言われても、それに対処するのは難しくはないと、レイには思える。

 ともあれ、こうして二人と一匹は歩き続け……建物と建物の間や、かなり細い道といったように普通なら通りにくい場所を進む。


(尾行対策か? ……セトがいる時点で、そういうのは心配いらないんだけど。あ。でもこの違和感のせいで殺気だけじゃなくて気配とかも捉えにくくなってるとか?)


 今日戦ってきた経験から考えると、そんなことはないように思えたが、それでもこの違和感の正体が分からない以上、レイとしては完全に安心するような真似が出来ないのも事実だった。

 ともあれ、レイとセトは人が歩きにくいような場所を進み続け……三十分程が経過したところで、男が口を開く。


「ほら、見えた。あそこが黒犬のアジトだ」


 そう告げた先にあったのは、二階建ての建物だった。

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