第2187話

 スラム街。

 そこにやって来たレイは、早速そこの住人に絡まれ……ることはなく、寧ろ歓迎されていた。


「レイさん、今日はどうしたんですか? 何か用件があるのなら、お手伝いしますけど」

「そうそう、僕も今日は特に忙しくないから、付き合いますよ。スラム街って色々と危険ですし」

「ばっか、お前。レイさんとセトちゃんがいるんだから、危険ってことはないだろ?」

「お前こそ馬鹿かよ。幾らレイさんとセトちゃんが強いからって、面倒に巻き込まれないなら、それに越したことはないだろ?」


 スラム街に入った途端に近付いてきたのは、下は十代から上は四十代まで、様々な年齢の者達だった。

 とはいえ、レイは集まってきた者達の多くを知っている。

 いや、知っているという程に親しい訳ではないのだが。

 それは冬の間、ギガント・タートルの解体を任されていたスラム街の住人だったのだから。

 ギガント・タートルの解体で得た収入で、何人もがスラム街から抜け出していた。

 だが、中にはスラム街に好んで残っている者もいれば、報酬が入ったその日に使い切るといった生活をしてスラム街を抜け出せなかったり、他にも様々な理由でスラム街に残った者は多かった。

 そのような者達ではあったが、自分達に稼がせてくれたレイに好印象を抱いている者が大半だ。

 そんなレイがスラム街にやって来たのだから、世話を焼くなという方が無理だった。

 スラム街の住人でも……いや、スラム街の住人だからこそか、自分達に稼がせてくれたレイに、多くの者が感謝しているのだ。

 特に冬は仕事も少なく、例年であれば凍死や餓死をする者も多い。

 今年に限って凍死や餓死する者が少なかったのは、レイが多くの者をギガント・タートルの解体に雇ってくれたからだろう。

 その解体で得られた収入により、多くの者が冬を越すことが出来たのだ。

 そうして冬を越した者にしてみれば、レイという存在は非常にありがたいものだった。

 また、今年の冬もギガント・タートルの解体をさせて貰えるかもしれないという、打算がない訳でもなかったが。


「あー、集まってくれたのは嬉しいけど、今はあまり俺に近寄らない方がいいと思うぞ。現在、面倒に巻き込まれているからな」

「グルゥ……」


 レイの言葉に、セトが同意するように鳴き声を上げる。

 そこにはあるのは、本当に申し訳なさそうな色。

 セトにとっても、ここに集まってきたスラム街の住人は決して嫌いな相手ではない。

 いや、休憩時間のような空き時間に自分を可愛がってくれた者も多いので、そういう意味では好印象を抱いてすらいた。

 だからこそ、現在巻き込まれている面倒に目の前の者達を巻き込みたくはなかったのだ。


「あー……悪いけど、俺はこれからちょっと危険な場所まで行かなきゃいけないんだ。悪いんだが、話については後でいいか? それと、今の俺は結構面倒なことに巻き込まれるから、あまり近寄らない方がいいぞ」


 敵対した相手には幾らでも冷酷になれるレイだったが、自分に友好的な相手にそのような真似が出来るかと聞かれれば、その答えは否だ。

 今はとにかく、暗殺者に狙われている状況に巻き込まないようにする必要があった。

 自分を慕っている相手が、自分を狙ってきた暗殺者との戦いに巻き込まれて被害を受ける。

 そんなことになれば、レイとしても愉快な出来事ではない。


「グルゥ? ……グルルルルゥ」


 レイの考えを理解したセトは、久しぶりに会ったということで自分を撫でていた相手から離れる。

 そんなセトの行動に、撫でていた女は残念そうにしたものの、それでもセトの様子からこれ以上は撫でることが出来ないのだろうと判断して、納得した様子を見せていた。


「そんな、レイさんが何か面倒に巻き込まれているのなら、それこそ俺達も協力しますよ! なぁ、皆!」


 二十代程の男の言葉に、他の皆もそれに納得したように声を上げる。

 レイに対する好意からそのような返事が出たのは事実だったが、同時にそこには打算もあった。

 スラム街の住人が冬に生き残るには、相応に金が必要だ。

 レイがいれば、ギガント・タートルの解体で得られる報酬を期待出来る。

 だからこそ、レイには死んで欲しくないのは当然として、怪我もして貰いたくはない。

 ……もっとも、ここにいるのはスラム街の住人だけに、当然のようにレイがどれだけの実力を持っているのかを知っている。

 何より、ギガント・タートルを倒したのがレイである以上、あれだけ強力なモンスターを倒したという時点で、とんでもない実力を持っているのは明らかだった。

 ……それでも、もしかしたらという思いからレイに協力したいと、そう思う者が多いのだろう。だが、そんな相手に対してレイは首を横に振る。


「いや、今回の一件は本当に危険なんだ。俺の行動にお前達を巻き込むのは、こちらとしても気が進まない。ただ……そうだな。黒犬って組織の拠点を知ってたら教えてくれないか?」


 黒犬。

 そうレイが口にした瞬間、多くの者が不安そうな視線をレイに向ける。


(何だ? もしかして、その黒犬って組織に俺が負けると、そう思ってるのか?)


 一瞬そう思うも、周囲に集まっている者達がレイに向ける視線は、心配は心配であっても、レイではなく別の何かを心配するような視線だ。


「な、なぁ、レイ。もしかして……その、今回揉めてるのって、黒犬となのか?」


 恐る恐るといった様子で尋ねてくる男に、レイは首を横に振る。


「いや、そういう訳じゃない。ただ、今回の一件で必要な情報を持ってる可能性がある組織として、黒犬を紹介されただけだ」


 その言葉に周囲で話を聞いていた者達は皆が揃って安堵する。

 その様子から考えて黒犬はスラム街の住人に嫌われている訳ではなく、寧ろ好かれている組織なのだと、そうレイは理解した。

 勿論、実際にどうなのかは分からないが、少なくてもこの場にいる者の大半は黒犬に対して好意的なのは間違いなかった。


「そうか、よかった」


 ふぅ、と安堵した様子を見せる男に、レイは疑問を口にする。


「今のお前達の様子を見ると、黒犬って組織は問題のある組織って訳じゃないみたいだな」

「ああ。勿論、色々と表沙汰に出来ないようなこともしてるけど、同時にスラム街の住人には色々な場所で手伝いをしてくれるんだ」

「俺は以前、チンピラに絡まれた時に助けて貰ったぞ」


 一人がそう言うと、他の者達も同じように自分も助けて貰ったと口にする。

 その様子を眺めていたレイは、スラム街でもそういう行為をする組織があるのかと納得すると同時に、だからこそマリーナが手紙……一種の紹介状を持たせてくれたのだろうと納得する。

 もし黒犬という組織がスラム街の組織と言われて納得するような組織だった場合、マリーナもレイに紹介しようとは思わなかっただろう。

 それこそ、レイにその組織を潰して欲しいという思いでもあれば、そのような組織をレイに紹介したかもしれないが。


「分かった。それで、黒犬のアジトはどこにあるんだ? 今は出来るだけ急いでそこに行きたいんだが」

「あ、じゃあ俺が案内するよ」


 十代後半の、元気のよさそうな男が、そう告げる。

 自信満々のその様子から、黒犬のアジトがどこにあるのかというのは、しっかりと理解しているのだろう。

 他の者達も、その男に任せておけば大丈夫だと判断したのか、その男の言葉に反対する者はいなかった。

 ……正直なところ、レイとしては出来ればこの男を一緒に連れていきたくはない。

 それこそ、暗殺の騒動に巻き込む可能性があったからだ。

 今までは、一応場所がスラム街の外だったからということで、そこまで露骨に襲ってくるような相手はいなかった。……行き止まりの場所で襲われたのはともかくとして。

 だが、ここはスラム街だ。

 警備兵達も余程のことがなければやって来るようなことはない。

 そしてスラム街の住人達は、基本的に騒動が起きたからといって何か特別なことはしない。

 ……いや、その騒動で死んだ者がいれば、その死体から金目の物を奪ったりといったことはするのだが。

 ともあれ、暗殺者がやって来れば、この男を巻き込んでしまう可能性がある。

 レイとセトだけなら、それこそ異名持ちの冒険者級の強さを持った者でなければ、対処のしようはある。

 だが、そこにこの男がいればどうなるか。

 スラム街で暮らしているだけに、ある程度喧嘩慣れはしているかもしれない。

 だが、命懸けの戦いと喧嘩では、そこに大きな……それこそ、比べものにならないくらいの差がある。


「本当に大丈夫なのか? 黒犬のアジトまでの道を教えてくれれば、後はこっちで行くけど?」

「うーん、それはちょっと難しいですね。結構複雑ですから」


 そう言い、頭を掻く男。

 周囲にフケが漂う。

 ここはスラム街だけに、それも当然だろう。

 また、夏が近付き気温が上がってきているだけに、どこかすえたような臭いも漂っている。

 周辺の建物も壊れたまま修理されずに残っているのは、スラム街らしい。

 だが、そのような場所だけに隠れる場所は多く、暗殺者にしてみれば絶好の襲撃場所だろう。

 そのような襲撃場所が、他にも無数に存在するのだから、レイが周囲を警戒するのは当然だった。


「さっきも言ったけど、俺は現在面倒なことに巻き込まれている。黒犬のアジトに行くのも、それが理由だ。俺と一緒に移動していれば、その面倒に巻き込まれるかもしれない。そうなれば、最悪死ぬ可能性もある。……それでも、俺と一緒に行くのか?」

「……行く」


 数秒迷った様子を見せた男だったが、それでも最終的には頷く。

 正直なところ、レイは何故そこまでこの男が自分の為にしてくれる? という思いがあったものの、そこまで言うのであればと納得する。


「分かった。なら頼む」


 結局最後はレイが折れ、男の言葉に頷く。

 そんなレイの言葉に、男は嬉しそうに笑みを浮かべる。

 これから向かう先は、黒犬という裏の組織の一つ。

 それもスラム街の住人からは相応の好感を抱かれているという、珍しい組織だ。

 だが、それでも裏の組織である以上、後ろ暗いことを行ってはいる筈だった。

 そんな組織のアジトに行くのに……それも、途中で暗殺者に狙われる可能性もあるというのに、男は心の底から嬉しそうな笑みを浮かていたのだ。


「こっちですよ、こっち」


 そう言い、男はレイとセトを案内するように先に進む。

 先程まで周囲にいた者達も、レイとセトの案内は男に任せればいいと判断したのか、それぞれが自分のやるべきことに戻っていく。

 仕事をしたり、友人と話したり、暑さを避けて昼寝したり。

 中にはどこから手に入れたのか、果実水と思しき飲み物を飲んでいる者もいた。


(いや、本当にどこから手に入れたんだ?)


 果実水というのは、基本的にはそれなりに高価だ。

 だからこそ、スラム街ではそう簡単に入手出来るような代物ではない。

 ……もっとも、裏の組織の中でもある程度の地位まで行けば、下手な表社会の者よりも稼ぐことは可能で、その辺の事情を考えると果実水をスラム街の人間が飲んでいてもおかしなところはないのだろう。


「レイさん、セト、こっちこっち。……あ、そこの建物には触らないでね。この前の喧嘩でかなり殴られてたから、下手に触ると崩れるかも」


 そう言って男が指さしたのは、一軒の家。

 その言葉通り、壁には様々な場所に穴が空いており、レイの力で少し殴れば、それだけで壊れてしまいそうな、そんな家。


「あー……うん。そうだな。確かにこの家だと、少し触っただけで崩れてもおかしくないか。……ちなみに、この家って誰か住んでたりするのか?」

「どうだったかな。その日その日によって住んでたり住んでいなかったりするから。昨日見た時は誰もいなかったけど」

「そういうものなのか」


 レイとしては、それだけしか言えない。


「あ、よかったらちょっと覗いてみます? もしかしたら誰かいるかもしれませんし」

「いや、誰かいるなら、覗いたりしたら駄目だろ」


 スラム街の住人としては、それは問題ないのだろうか。

 少しだけそんな風に思うレイだったが、男は大丈夫だと頷く。


「その辺は問題ないですよ。こういう家で寝泊まりしてるんなら、当然だけどそういうのは覚悟の上でしょうし」


 ほら、と近くにある壁の穴から家の中を覗くように勧めてくる男。

 レイとしては、出来ればそんなことよりも早く黒犬のアジトに向かいたかったのだが、男の様子を見る限りでは家の中を覗くまで先に進めないらしい。

 そのことに疑問を抱きつつ、取りあえず覗けばいいのならということで男の示す場所から家の中を覗き……その瞬間、レイの目に映ったのは、短剣を自分に向かって振り下ろそうとしている男の姿だった。

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