第2186話

 治療が一段落したマリーナは、診療所の中でレイと一緒に果実水を飲んでいた。

 取り合えず休憩ということで、レイがミスティリングから取り出した物だ。

 屋台で売ってる果実水に毒を入れられたレイだったが、ミスティリングから取り出した果実水は、その心配がいらない。


「で? 私に聞きたいことって何? 普通に会いに来てくれただけでも嬉しいんだけど」


 そう告げ、強烈なまでの女の艶を感じさせる笑みをレイに向ける。

 マリーナの服装は、いつものようにパーティドレスだ。

 胸元が大きく開いており、褐色の双丘が深い谷間を作っているのが見える。

 そんな谷間から視線を逸らし、レイは口を開く。


「マリーナが長い間ギルドマスターをやってたんだよな? なら、その付き合いでギルムの裏の組織についても分かったりしないか?」

「……裏の組織? また、何で急に?」

「実は、今日ギルムにやって来てから暗殺者に連続して狙われ始めてな」


 そう告げ、レイは今日ギルムに来てから自分が経験したことを説明する。

 また、ギルムに来てから強い違和感があるという話も。


「……なるほど。でも、レイは今まで何回か裏の組織と戦ったことがあったわよね? それで、自然と向こうがレイに関わらないようになった筈じゃなかった?」


 元ギルドマスターだけあって、当然ながらマリーナもレイがスラム街にある裏の組織とぶつかったことがあるのは知っている。

 また、ギルドマスターを辞めた後はレイと一緒のパーティなのだから、余計にレイの情報は入ってきやすい。


「ああ。とは言っても、明確にそういう風に話し合って決めた訳じゃない。どちらかといえば、暗黙の了解というか、自然とそうなったというか……そんな感じだな」

「でしょう? それはつまり、そうしなければレイとぶつかった場合、大きな……場合によっては組織が崩壊してもおかしくないくらいの被害を受けると、そう向こうが判断したんでしょう? ギルムの裏の組織で、それを破る相手がいるとは思えないけど」

「うーん……組織の中で主導的な立場になっている奴が変わった、とかはどうだ? それで新しくボスなり頭領なりになった奴が、自分の力を示す為に俺にちょっかいを出してきたとか」


 冷たい果実水の甘酸っぱい味を楽しみつつ告げるレイだったが、マリーナはそれに対して疑問を感じているように首を傾げる。


「可能性としてはなくはないけど……でも、自分の実力を見せるだけなら、他にも色々と方法があるでしょう? わざわざレイにちょっかいを出すようなことをしても、それは自殺行為でしかないわ」

「単純に、それが分かってないとか。立場が変わったことで、自分なら何でも出来ると、そんな全能感に酔っている……って可能性はないか?」

「うーん……それはそれで、可能性はないとは言わないけど、それでもレイにちょっかいを出すかしら」

「そう言われても、実際にちょっかいを出されてるしな」


 この場合、暗殺されそうになっているという意味であって、それをちょっかいと表現するのはレイだからこそだろう。

 もし普通の者であれば、そのようなちょっかいといった表現は絶対に出来なかった筈だ。


「けど、その暗殺者は警備兵も知らなかったんでしょう? 勿論、警備兵が裏の組織のことを全て知ってるとは思わないけど、それでも今回の一件を考えると……それなりに不自然なところが目立つわね」

「……だとしたらどういう理由だと思う? 正直なところ、俺はスラム街にある裏の組織に行けば何とかなるんだとばかり思ってたんだが」


 暗殺者を送ってきた元締めをどうにかする。

 それは確かに、暗殺者をどうにかする為に有効な手段ではあるだろう。

 だが……それはあくまでもレイの知っている裏の組織がちょっかいを出してきているのなら、の話だ。

 そもそも送られてきている暗殺者が裏の組織と何の関わり合いもない場合は、例えレイが幾ら裏の組織に攻撃しても意味はない。

 ……いや、それどころか、裏の組織も自分達が何の意味もなく攻撃されているということで、勝ち目がないと知りながらも必死になって攻撃してくる可能性すらある。

 実際には、レイと戦っても被害が甚大なものになるとして、ギルムから逃げ出す可能性の方が高かったりするのだが。

 それだけ、レイと正面から戦うのは厳しいのだから。


「裏の組織の件は、どうしようもないか。出来るとすればスラム街に行ってみて向こうからちょっかいを出してくるのを待つといったところだな。……向こうが素直に自分達の本拠地を教えてくれるか分からないけど」

「うーん、それは止めておいた方がいいわよ? レイから聞いた話だと、レイを襲っているのは一つの組織じゃないんでしょ? そうなると、もし向こうが白状しても、それは自分達の組織じゃない別の組織……それも、場合によっては敵対している組織の場所を教えたりといったことはするかもしれないわ」

「それは……まぁ、有り得るか」


 敵対している組織を潰し、そして運がよければ……本当に場合によってはだが、その組織の攻撃でレイを殺すことが出来るかもしれない。

 まさに一挙両得、一石二鳥といった結果になるかもしれないのだから、そのような手段があるのなら試さない理由もないだろう。


「でしょう? 取りあえずその件については警備兵に任せるか……あるいは、レイが知っている組織にどうにかするように要請するとかね」

「うーん……警備兵にはもう任せてあるから、そうなると結局スラム街に行く必要が出て来るのか」

「それは間違いないけど、理由が違うでしょ。最初から敵対するつもりで行くのか、それとも友好的な関係を築く為に行くのか」


 マリーナの言葉に、レイは頷く。

 スラム街がなければこのようなことにならなかったのでは? と一瞬思ったが、スラム街というのは必要悪だ。

 もしスラム街がなければ、それこそ冒険者としてやっていけなくなったような者を始めとして、現在スラム街にいるような者達は全員がギルム中に散らばって存在することになる。

 そうなれば、治安の悪化は間違いなく現状よりも悪いことになっていただろう。

 そうならない為には、やはりスラム街のような受け皿が必要なのだ。

 そしてスラム街を裏の組織が仕切っているので、スラム街の中でもある程度の秩序は保たれている。


「うーん。そういうものか? けど、マリーナに何かそういう心当たりがないのなら、やっぱりスラム街の組織に聞いた方がいいか」

「言っておくけど、なるべく騒動は避けてね。……まぁ、レイの場合は言うだけ無駄かもしれないけど」


 レイの場合、自分から騒動を起こさなくても、騒動の方からレイに近寄ってくるのだ。

 それが分かっているだけに、マリーナも一応騒動は起こさないようにと言いはするが、それが実際に守られるとは思っていない。

 言われた本人も、その一件に関しては自覚があるのか、何も言い返せなくなる。

 そんなレイだったが、その居心地の悪さを誤魔化すように、話題を逸らす。

 本人にしてみれば、話題を逸らしたというつもりは全くなく、元から尋ねる予定だった話なのだが。


「さっきも話したけど、ギルムに来てからの違和感について何か知らないか?」

「そう言われても……別に私は違和感は特にないわよ?」

「……何?」


 レイはマリーナの言葉にそう尋ね返す。

 てっきり自分やセトがギルムにやって来た時から違和感があったのだから、マリーナもその違和感に気が付いていると、そう思っていたのだ。

 だが、マリーナが口にした限りでは、違和感はないという。

 これは、明らかにおかしい。

 それこそ、一体何があったのだと、そんな風に思ってもおかしくはなかった。


「それは、本当か?」

「ええ。そもそも、違和感があったら私が気が付かない筈はないでしょ? いえ、もし私が気が付かなくても、エレーナやヴィヘラ……それに、ギルムには他にも腕の立つ人は大勢いるでしょう? その全員が違和感に気が付かないなんて……有り得ると思う?」

「それは……」


 言われてみれば、そうなのだ。

 レイとセトはギルムに来た時に違和感に気が付いたが、ギルムにいる腕の立つ者達がその違和感に気が付かないというのはおかしい。


「つまり、この違和感に襲われているのは俺とセトだけってことか?」

「多分、そうなるんでしょうね。……どうやってそんな真似をしてるのかは分からないけど。考えられるのは、それこそ……」

「マジックアイテム、スキル、魔法。そんなところか?」


 何が原因でこのようなことになっているのかというのは、レイも予想していた。

 とはいえ、今まで考えていたようにギルムの全員が違和感に襲われているのと、マリーナが言ったようにレイとセトだけが違和感に襲われているのとでは、話が大きく違ってくる。


(俺とセトだけを指定してるのか?)


 ギルム全体よりも特定の誰かだけに違和感を与えるというのは、恐らく難しくはない。

 とはいえ、それを行っている相手が誰なのか分からなければ、どうしようもないのだが。

 それは逆に言えば、誰がこのようなことをしているのかが分かれば、どうとでも対処は可能であるということを意味していた。


「そうなると、問題なのはどうやってそんな相手を見つけるか、だな」

「そうね。……それこそ、セトの感覚で見つけることは出来ないの?」

「残念ながら、今のところは無理みたいだな。セトが敵の存在を察知していれば、すぐに教えてくれた筈だし。正直、敵がどうやって俺達にこんな真似をしてるのか、全く分からない」


 そう告げるレイは、心の底から困ったといった様子を見せていた。

 マリーナと話したことによって、敵が自分だけに向かって何らかの手段で違和感を与えているというのは分かった。

 だが、それが分かったからといって、その相手を見つけることが出来なければ、対処のしようがなかった。


「精霊魔法で何とか出来ないのか?」

「あのね……精霊魔法は応用が利くけど、だからって何でも出来る訳じゃないのよ?」

「……駄目か」


 残念そうにレイが呟く。

 現状で唯一期待出来たのが、マリーナの精霊魔法だ。

 それが無理である以上、自分達に向かって何らかの行動をしている相手を探す方法は少ない。


「そうなると、やっぱり大元を潰すしかない訳か」


 結局行き着くのは、それだった。

 最初はスラム街で情報を集めようかと思っていた程度だったのだが、こうしてどうしようもないということを知らされれば、敵が自分に何かをしているとしても、その大元をどうにかしてしまった方がいいだろうというのが、レイの判断となる。


「うーん、でも今の状況でそんな真似をすると、色々と不味いことになると思うわよ?」

「……だろうな。正直、それは分かる」


 その辺の理由については、警備兵からも聞いていた。

 今のギルムは忙しく、とてもではないが警備兵の人手が足りないと。

 それはレイも理解しているのだが、暗殺者に狙われ続けるという今の状況を考えると、警備兵が多少困ったとしても、今の状況をどうにかしたいというのが正直なところだった。


「それでもやるの?」

「ああ。この違和感があると、殺気の類も察知しにくくなるしな。その辺を思えば、やっぱり素早く行動しておいた方がいいと思う」


 現状で警備兵が多少忙しくなるのは不味いかもしれない。

 レイもそれは分かっているが。それでも現在の状況を思えば、現状を何とか打開する方が最優先だった。


「そう。……分かったわ。じゃあ、ちょっと待っててくれる?」


 そう言い、マリーナはレイの返事も聞かずに離れていく。

 そんなマリーナの様子に若干の疑問を抱いたレイだったが、マリーナが待てというのであれば、何かの理由があるのだろうと判断してそのまま待つ。

 幸いにも、待つ時間は特に長くはなく、十分も経たないうちにマリーナが戻ってきた。

 その手に持つのは、手紙。


「はい、これ。……スラム街にいったら、黒犬という組織に接触してこの手紙を渡すといいわ。そうすれば、向こうも便宜を図ってくれると思うわ。もっとも、レイがいるという時点で相応の便宜を図ってもおかしくはないけど……これには、ある程度の事情を書いておいたから、向こうがレイが来たからといって混乱するようなことはない筈よ」


 どうやら、後者こそが本当の手紙の役割なのだろうと、レイは納得する。

 正直なところ、レイとしても今回の一件は思うところがない訳ではない。

 どうしてもそれしか方法がないのならともかく、そうでない以上は別の手段を選択肢に入れるというのは、構わない。

 そう判断し、マリーナに感謝の言葉を口にするのだった。

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