第2183話

 レイが黒装束の男達と戦っている時、セトもダーブを相手に戦っていた。

 とはいえ、ダーブはその巨体……風船のような体型にも関わらず、非常に身軽に行動してセトを翻弄していた。

 もっとも、攻撃力という点で言えばセトが圧倒的なのは間違いない。

 それこそグリフォン本来の高い身体能力に加えて、剛力の腕輪をも装備している今、セトの攻撃が一発命中すれば、それだけでダーブが戦闘不能になってもおかしくはなかった。

 だからこそ、ダーブは基本的に攻撃をせずに回避の割合を多くしている。

 また、場所もダーブに味方した。

 ある程度の広さを持つ空き地とはいえ、それはあくまでもある程度でしかない。

 体長三メートルのセトにしてみれば、この程度の広さで全力を出せというのが無茶だった。

 それらの諸々を理由として、ダーブはセトを相手に回避に専念しながらも、何とか互角に戦うことに成功していたのだ。もっとも……


「ふぁふぁふぁ。危ない、危ない。今のは正直かなり危なかったですな」


 セトの前足の一撃を、ゴムボールのような動きでその場から素早く退避すると、挑発するようにそう告げる。

 その言葉を聞いたセトは、苛立たしげに喉を鳴らしてダーブを睨む。

 ……そんなセトの視線を向けられたダーブは、顔では笑みを浮かべたままでありながらも、背筋に冷たいものを感じていた。

 それこそ、雪を背中に突っ込まれたかのように。

 文字通りの意味で背筋が凍るような思いをしながらも、ダーブがそれを表情に出すようなことはない。


「グルルルルルゥ」


 もっと広い場所でなら、楽に戦える。

 セトも戦っていてそれが分かっているからこそ、苛立ち混じりの鳴き声を上げ……


「グルゥッ!」

「なっ!?」


 セトが鳴き声を上げて自分を見た瞬間、ダーブの口から驚きの声が上がる。

 そこまで強くないとはいえ、セトが自分を見た瞬間に軽い衝撃を受けたのだから。

 威力そのものは、そこまで強くはない。

 皮膚に軽い……本当に軽い傷を負う程度のものだったが、それでも何の脈絡もなくダメージを受けたのには驚いた。

 一体、何がどうなってそうなったのか。

 それを不思議に思いながらも、ダーブは今まで以上に素早く周囲を跳び回る。

 だが……


「グルゥ! グルルゥ! グルゥ!」


 続けて三度発動される、衝撃の魔眼。

 このスキルの特性は、威力そのものは高くない。……それこそ、木の幹に軽く傷を与える程度の威力しかないのだが、代わりに発動が早い。

 魔眼という名前の通り、セトがスキルを発動させながら相手を見れば、それだけで相手にダメージを与えることが可能という特性を持っていた。

 しかし、威力の小ささはこの場合は決定的でもある。

 ダーブも最初は次々に襲ってくる衝撃に驚いたものの、その威力が小さいと知るとセトに向かって連続で短剣を投擲する。


「グルゥ!」


 真っ直ぐ頭部に向かって投擲された短剣を、セトは素早く前足で弾く。

 普通なら、短剣の刃を前足で弾くなどといった真似をした場合、前足が刃によって斬り裂かれることにもなりかねない。

 しかし、セトはグリフォンだ。

 前足から伸びている爪は、それこそその辺の短剣よりも鋭く、頑丈だ。

 甲高い金属音を響かせながら、セトに向かって投擲された短剣は空中を回転しながらどこかに飛んでいき……


「グルルルゥ!」


 短剣を弾いた瞬間、その後ろにもう一本の短剣が隠れていたことに気が付いたセトは、半ば反射的にクチバシで短剣を弾く。

 セトのクチバシもまた爪のように非常に頑丈だ。

 それこそ、セトが本気で木の幹にクチバシを突き刺した場合、その木の幹にあっさりとクチバシが根元まで埋まるくらいには。

 そんな一撃だけに、二本目の短剣もあっさりと弾かれる。


「ぬぅ。やりますね。これは正直、多少なりとも傷を与えることが出来ると思っていたのですが」


 言葉では悔しそうなことを言うダーブではあったが、その表情は特に悔しそうな色を見せていない。

 化粧をしているというのも影響しているのだろうが、ダーブの本当の表情というのを知ることは出来なかった。


「グルルルルゥ!」


 大きく息を吸い……次の瞬間、セトのクチバシからは無数の泡が吐き出された。

 泡の大きさはそこまで大きくはないが、その数は多い。

 ダーブも、まさかセトの口から泡が出て来るとは思っていなかったのか、一瞬動きを止め……そこに、無数の泡が殺到した。


「な!? これは!?」


 セトから放たれたバブルブレスは、その泡に触れると破裂して粘着力のある液体に姿を変える。

 ダーブにしてみれば、セトがそのような攻撃を持っているとは思ってもいなかったのだろう。

 使い所が難しいスキルであるが故に、セトもこのスキルを使うことは多くない。

 だが、今の状況では相手の意表を突くという意味で、最適のスキル選択だったのは間違いない。

 風船のような体型とは裏腹に、ダーブが得意としているのは身軽な動きだ。

 外見とは裏腹なその動きで相手を驚かせる……というのがダーブの戦いの基本だ。

 実際、セトも大道芸の時に身軽に動き回っているのを見ていなければ、驚き、その隙を突かれていた可能性はあった。

 ともあれ、そのような身軽な動きをするダーブだけに、粘着力によって多少なりとも相手の動きの自由を奪うバブルブレスというのは、かなり効果的なのは間違いない。

 普段であれば……それこそ、セトのような強力な相手と相対していない時であれば、この程度の動きの阻害はそこまで気にする必要はなかったが、その相手がセトとなれば話は違ってくる。

 今でさえ、本当に極限に近い状況で戦っているのだ。

 そんな状況でダーブの中でも最大の特徴たる動きが鈍くなってしまえば、それは最悪の結果しかもたらさない。

 化粧をしているので分かりにくいし、ダーブも表情には出さないようにしていたが、その内心ではかなり焦る。


(これは危ないですね。本来なら彼らをどうにか連れ戻すつもりで来たのですが……このままでは、こちらも致命傷を負いかねません)


 粘着性のある液体によって動きを鈍らされながらも、ダーブは一瞬だけ黒装束達とレイの戦いに視線を向ける。

 そこでは、ある意味で予想通りと言うべきか……多くの黒装束達が、レイによって既に戦闘不能にされている。

 手足の骨折で戦闘不能になっている者もいれば、身体を切断されて死体となっている者もいる。

 このままでは、遠からず向こうにいる黒装束達は全滅してしまう。

 そう判断し……ダーブは即座に決断する。


「ふぉふぉふぉ。名残惜しいですが、この辺で失礼しましょうかね」


 そう言うと、懐からポーションが入ってるようなガラス瓶を取り出し、その場で地面に叩きつける。

 瞬間、周囲には緑の煙が大量に生み出された。


「グルゥ? ……グルゥ!」


 緑の煙という、一見して警戒心を抱くのに相応しい代物に一瞬躊躇したセトだったが、次の瞬間にはアイスアローのスキルによって生み出された氷の矢が何本も緑の煙を貫いていく。

 だが、ダーブの悲鳴は聞こえてない。

 氷の矢は、間違いなくダーブがいたであろう場所を貫いたにも関わらず、だ。


「グルゥ!?」


 手応えのなさに、セトの口からも疑問の鳴き声が上がる。

 だが、手応えがない以上はまだ生きているのだろうと判断し、セトは大きく息を吸い込み……


「何があった!」


 不意に聞こえてきたその声に、本来なら緑の煙諸共、その中にいるダーブをも焼きつくそうとしていたファイアブレスが放たれずに、消える。

 そんなセトから少し離れた場所では、ちょうどレイが黒装束達を全て……それこそ、三尖刀の短剣を持った男をも倒したところだった。

 幸いと言うべきか、黒装束の者達の中には胴体を真っ二つにされたり、首を切断されたり、場合によっては頭部から股間までを斬り裂かれて左右に分かれて地面に倒れている者もいる。

 ……そういう者達に比べれば、黄昏の槍で殺された者達は心臓を貫かれたりといったように綺麗な死体と言えるだろう。

 もっとも、死体が綺麗だろうが汚かろうが、死んでしまった者にしてみればどちらでも大して差はないだろうが。


「遅かったな」


 やって来た警備兵……それも五人の警備兵を見ながら、レイはデスサイズと黄昏の槍を振るい、付着した血を吹き飛ばす。


「お前……少し、これはやりすぎじゃないか?」

「そうか? けど、向こうから襲ってきたんだ。それに、ギルムに入ってからの違和感をどうにかしないと、色々と不味いのは間違いないしな。……もっとも、違和感はまだ消えてないけど」


 三尖刀の短剣を持っていた男は、明らかにリーダー格の男だった。

 だからこそ詳しい事情を聞くために、生かして捕らえたのだ。


「取りあえず違和感の件は……この男が何か詳しいことを知ってるかもしれない。黒装束達を率いていた奴で、かなり腕利きだった。……だから事情聴取の時はくれぐれも慎重にな」

「……分かった」


 若干不満そうではあったが、それでも警備兵はレイの言葉に頷く。


「それにしても、よくここで騒動が起きてるって分かったな」


 行き止まりになっている場所だけに、人はそうそう来ない。

 それこそ、ここでちょっとやそっとの騒動が起きても、気が付く者はいないだろうと思えるくらいに。

 だというのに、五人もの警備兵がここにやって来たというのは、レイにとって素直に驚きだった。


「レイが暗殺者に襲われてるって話は、情報として回ってきてたからな。そのレイがこの辺りに姿を現したって話を聞いて、念の為にこの辺を見て回っていたんだ。……そうしたら、いきなり緑の煙を見つけたから、急いで来たんだよ」

「あー、なるほど。ダーブの奴か」


 レイも、黒装束達と戦いながらセトとダーブの戦いは見ていた。

 セトに追い詰められたダーブは、何かを地面に叩きつけたかと思うと、突然緑の煙が現れたのだ。

 幸いにも、その緑の煙が現れた範囲は狭い場所だけで、その緑の煙がレイのいる場所までやって来ることはなかったが。


「あの緑の煙は一体何だったんだ?」

「ダーブとかいう、風船……いや、樽みたいな体型の男……俺が最初に大道芸人のいる場所で襲われたってのは知ってるか?」

「は? ああ、知ってるが。何だいきなり」


 突然話を変えたレイに、警備兵は訝しげに尋ねる。

 とはいえ、大道芸人のいる場所でも暗殺者に襲われたのだから、何の意味もなくここで話題を変える必要はないだろうと判断し、レイに視線で先を促す。


「その時に俺とセトが見ていた大道芸人が、その樽みたいな体型の男だった訳だ。……そう言えば、俺の言いたいことも分かるんじゃないか?」

「待て。それはつまり、その大道芸人も暗殺者だったのか?」

「ああ。元々あの時の襲撃は、その大道芸人……ダーブが短剣を落としたのを切っ掛けとして起こったんだ。そう考えれば、あれも仲間の援護だったんだろうな」


 レイにしてみれば、その行動はとても意図的なものとは思えなかった。

 本当にジャグリングをしている時に失敗した、と。

 そのようにしか思えなかったのだ。

 だからこそ、レイも完全に騙された形となったのだが。


「その大道芸人が、ダーブか。……分かった。こっちで調べられる限りは調べてみる」


 そう言う警備兵だったが、言った本人が恐らくは何も情報が出てこないのだろうと、そう予想しているのが、レイには分かった。

 実際、暗殺者などということをしている者の情報が、そう簡単に手に入る訳がない。

 暗殺者ということは、間違いなく裏の組織の人間なのだから。

 それでも万が一、億が一にも、もしかしたら何らかの情報があるかもしれないと判断し、レイは警備兵の言葉に頷く。


「頼む」


 そうして話が終わると、次の問題は黒装束達をどうするのかということになる。


「取りあえず、死体は俺が運ぶ。……あまり触りたくないけど」

「なら、こういう殺し方をするなよ」


 レイの呟きに、警備兵の一人が呆れたように言う。

 胴体を上下や左右に真っ二つにされている死体となると、当然のようにその切断面から内臓や血、体液といったものが零れ落ちる。

 ましてや、今はもう少しで夏になるかという季節だけに、気温も相応に高い。

 結果として、内臓の臭いがかなり強烈に周囲に漂うことになってしまう。

 ミスティリングに死体を収納するということは、当然のようにその死体に触れる必要があるのだから、レイがあまり触れたくないと思うのは当然だった。

 警備兵が言うように、もっと別の……内臓を周囲に巻き散らかさないような殺し方をしていれば、そのようなことをしなくても済んだのだが。

 警備兵達もギルムで働いている以上は死体の処理には慣れている。

 だからこそ、こうして大量の死体を前にしても、微かに眉を顰めるだけで済んでいたのだ。

 もっとも、警備兵になったばかりの新人がいた場合は、その辺りに嘔吐していた可能性もあったが。


(あ、そう言えば犬……いない、か)


 ふと気が付き、犬を探すレイだったが、残念ながらもう逃げたのか、周囲に犬の姿はなかった。

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