第2171話
「へぇ、これは美味しいわね」
ガメリオンの肉を食べたアナスタシアは、満足そうに告げる。
アナスタシアは最近ギルムに来たばかりだ。
それだけに、ギルムの住人なら冬の風物詩として食べるガメリオンも肉を食べたことは……保存食に加工されたものならあったかもしれないが、生の肉を焼いたというのは食べたことがなかったのだろう。
一応ガメリオンの肉は商人が商品として買い取っていくこともあるが、何しろ生ものだ。
そのガメリオンの肉も、冬になれば雪でギルムに閉じ込められてしまう以上、偶然いつもより早く獲れたガメリオンの肉を持っていくしかなく、腐る前に何とか売るしかない。
そうなれば当然遠い場所にいる相手に売るといったことは出来ない。
だからこそ、アナスタシアはガメリオンの肉を嬉しそうに食べているのだろう。
……なお、そんなアナスタシアの横では、仮面を半分程ずらして口を露出させたファナも、ガメリオンの肉を食べている。
「で? あの魚はどうなったんだ? 食べたのか?」
レイがそう尋ねたのは、細長い身にレイピアの切っ先のような鋭い鼻を持つ魚を食べると言っていた冒険者の男。
毒を持つかもしれないので、出来れば食べない方がいいとレイは言ったのだが、他の魚が大丈夫だったし、ポーションの類も持ってるので平気だと、そう言っていた人物だ。
レイがアナスタシアを迎えに行く前は、何だかんだとまだ魚を食べてはいなかった。
だが、レイがいなくなった後で食べたのか? とそう尋ねると、男は自信満々に笑みを浮かべて頷く。
「美味かったぞ。細いから身はあまりなかったけど、脂がのっていた。出来ればもっと食いたくなる味だったな。……何かの肉を使えば、また獲れるか?」
「毒は?」
美味いのは分かったが、レイが問題にしているのはやはり毒だ。
特にあの魚は明らかに鼻で相手を突き刺せるようになっており、技量の劣る者であれば身体を貫かれても不思議ではない。
この冒険者はあっさりと捕まえたように見えたが、それはあくまでもこの冒険者の腕が立つからだ。
普通の……それこそ、冒険者になったばかりのような者であれば、性能の低い鎧を着ていることが多いということもあり、場合によっては鎧を貫かれる可能性もあった。
「今のところは問題ないな。何かあっても、毒消しのポーションを飲むから、大体は問題ないと思うけど」
「……いや、そのポーションの値段を考えれば、そこまでして魚を食いたいのかって思いがあるんだが」
毒をどうにかする方法は、多種多様だ。
簡単なものでは毒消し草があり、中には魔法で毒を消すものもあるし、錬金術で作った毒消し用のマジックアイテムもある。
そんな中の一つに、毒消し用のポーションがあった。
だが、そのポーションも効果は値段によって様々であり、高品質な物になればなるほど、その効果も強くなり、複数の毒に効果が出てくる。
つまり、未知の毒を持つかもしれない魚を食べ、もし本当に毒があったらポーションを使うとなると、相応に高価なポーションを使う必要があった。
そのような高価なポーションを使うのなら、それこそ普通に食べられる食材でもっと高価な物を購入すればいい。
わざわざ未知の食材を食べなくてもいいのではないか。
そうレイは思ったが、その魚を食べた冒険者は全く後悔をしている様子はない。
寧ろ、嬉しそうですらあった。
(まぁ、腕利きの冒険者なら、相応に稼いでる筈だし。……そう考えれば、そこまでおかしな話って訳でもない、のか?)
そんな風に思いつつ、レイは豚の角煮のようなオークの煮物を口に運ぶ。
口の中に入れた瞬間、溶けるように消えていく肉。
脂の部分が多いのだが、下茹でした時に香草と一緒に長時間煮込んである為に、口の中で溶ける脂は、全くしつこくはない。
「美味い」
レイの口の中から出て来るのは、一言だけ。
「あら、そっちも随分と美味しそうね。私にも少し貰える?」
レイが食べている光景を見て、本当に美味そうだと思ったのだろう。
アナスタシアが食べていた分のガメリオンの肉がなくなると、レイにそう尋ねる。
レイも別にこの料理を独り占めするつもりはないので、あっさりと頷く。
アナスタシアは、焚き火で温められている鍋から、オークの煮物を取り出す。
持っただけで、プルプルと震えるその姿は、まさに豚の角煮そのものだ。
そして豚の角煮もそうだが、この手の料理は冷めると味が極端に落ちる。
味の持続時間が短い、と。そう表現するべきか。
その分だけ、普通に食べればかなり美味いのだが。
「美味しいわね、これ。……まさか、レイが作ったの?」
「それこそまさかだ。俺にこういう料理は作れないからな」
「そう? 煮込み料理はそんなに難しくないわよ? 勿論、本当に美味しい料理を作るとなれば、色々と手間暇を掛ける必要があるんだけど、普通に食べる分だけを作るのなら、意外と簡単だもの」
そう自信満々に言うアナスタシアだったが、レイはそんなアナスタシアの言葉を信用してもいいのか? と疑問に思う。
何故なら、レイが今まで接してきたアナスタシアの性格を考えれば、とてもではないが料理を出来るようには思えなかったからだ。
それこそ、誰かから聞いた知識をそのまま口にしていても、おかしくはない。
「料理は出来るわ。けど、面倒臭がってやらないけど」
レイの様子を見ていたファナが、何となくレイの考えていることを察したのか、短くそう告げる。
その言葉に、本当か? と疑問を抱くレイだったが、自分よりもアナスタシアとの付き合いが長いファナが言うのであれば、と半ば無理矢理自分を納得させる。
「いや、それにしてもレイが迎えに行くのが遅れましたけど、大丈夫でしたか? 夜になれば、トレントの森の中ではモンスターが多く出るようになりますし」
冒険者の一人が、心配そうにそう尋ねる。
実際にはアナスタシアを心配しているのと同時に、可能であればお近づきになりたいと、そう思っての行動だろう。
アナスタシア程の美人は、そう滅多に見ることはないのだから。
……もっとも、美人なのは事実だが、その性格は外見とは大きく違う。
アナスタシアの場合は、恋愛よりも興味深い研究対象……それこそ、ウィスプについて研究出来れば、それで満足なのだ。
もしアナスタシアが恋人を作るとすれば、そんな自分を許容出来る相手となるだろう。
「ええ。少し大変だったけど、そこまで問題はなかったわ」
オークの煮物を食べながら、アナスタシアは冒険者にそう言葉を返す。
実際にはウィスプのいる地下空間にモンスターが出ることはない。
……いや、グリムのいる研究所と繋がっており、グリムはアンデッドである以上、分類的にはモンスターなので、厳密にはモンスターが出ない訳ではない。
それも、明らかに高ランクモンスターと呼ぶに相応しいモンスターが。
とはいえ、そのグリムは人と意思疎通出来る希有なモンスターで、少なくてもレイと敵対するような真似はしない。
ウィスプのいる地下空間を調べているアナスタシアも、一応はレイの仲間だと判断して攻撃をするようなことはない筈だった。
また、レイの仲間ではないにしろ、グリムもあのウィスプについては色々と調べており、そういう意味ではアナスタシアの研究がグリムにとっても役立つのではないかと、レイはそう予想している。
勿論、アナスタシアやファナが何らかの理由によってグリムを怒らせるような真似をしないとも限らないのだが。
「そうなんですか? そうなると、もしかしてアナスタシアさんも相応に強いとか?」
「精霊魔法については自信があるわ」
若干素っ気なく返すアナスタシア。
マリーナと行動を共にするようになってから結構な時間が経つレイにしてみれば、精霊魔法といえばマリーナという印象が強い。
レイも、マリーナの精霊魔法の腕が一流を超えた一流、超一流と呼ぶべき域にあることは知っているし、何度もその片鱗を目にしている。
だからこそマリーナと比べるのは間違っていると、そう理解してはいるのだが、それでもやはりマリーナと比べてしまうのだ。
そしてマリーナと比べれば、アナスタシアの精霊魔法の技量は明らかに劣る。
以前レイが遭遇した、風の精霊の暴走。
それをどうにかしてくれたのはアナスタシアだったが、その時に見たアナスタシアの技量は、どうしてもマリーナに劣ってしまうのだ。
あるいは、レイが精霊魔法についてもっと詳しく、それこそ自分で精霊魔法を使えるのであれば、もう少し事態を正確に理解出来たかもしれないが。
「だから、どうです? アナスタシアさんとそっちの仮面の娘、ファナでしたっけ? 女二人では、トレントの森で何の調査をしてるのかは分かりませんが、危険でしょう?」
「だから、貴方を護衛に雇えと?」
「ええ。私はアナスタシアさんのような美人とお近づきになれて嬉しいですし、アナスタシアさんも私という護衛を得られて幸せ。……どうです? そんなに間違ってはいないと思いますけど」
あっけらかんとそう告げる冒険者に、アナスタシアは笑みを浮かべる。
ただし、その笑みは冷たい……とまではいかないが、表面だけに浮かべた笑みなのは間違いない。
アナスタシア程の美人ともなれば、言い寄ってくる相手には欠かないのだろう。
もっとも、それでも笑みを浮かべている辺りは、そこまで不愉快に思ってはいないのだろうが。
もし本当にアナスタシアが不愉快に思っていた場合、それこそ言葉の刃で相手を一刀両断にする。
そこまでいかなかったのは、自分の希望を仄めかしたりしながらも直接口にしないのではなく、素直に……本当に素直に自分の希望を口にしたからだろう。
(相手は手強いけど、頑張れ)
レイは頑張ってアナスタシアを口説いている冒険者を内心で応援すると、オーク肉の煮物と野菜サラダを幾らかパンに挟んで口に運ぶ。
オーク肉の角煮サンドとでも呼ぶべきその料理――という程に大袈裟なものではないが――は、レイの舌を十分に楽しませる。
そうして食事を楽しんでいたレイは、不意に何かに引っ張られたように体勢を崩す。
「おわっ! ちょっ、なんだ? ……セト?」
幸い、豚の角煮サンドはしっかりと手で持っていたので落とすようなことはなかったが、それでも何故急にセトが自分を……正確には、ドラゴンローブの裾を引っ張ったのだ? と疑問に思ってセトに視線を向けると、セトはじっと湖の方を見ている。
そんなセトの視線を追ったレイは、何故セトがレイを呼んだのか理由を理解する。
「おい、手の空いてる者は湖を見てみろ。また、光るクラゲのお出ましだぞ」
そんなレイの言葉が聞こえた者の多くは、急いで湖に視線を向ける。
リザードマン達も、ゾゾの通訳した言葉を聞いて湖に視線を向けた。
その視線の先にいたのは、少し前にレイ達が見た、空を飛び、体内が光っているという、何とも幻想的なクラゲの姿。
レイの印象からすると、まるでLEDのイルミネーションが自分で動いているような、そんなイメージすら受ける。
「これは……凄いわね……」
「ええ」
レイの側にいたアナスタシアとファナも、レイの言葉に湖に視線を向け、そこに浮かんでいる存在に殆ど言葉を出せない。
出来るのは、ただその幻想的な光景に目を向けるだけ。
レイもまた、光るクラゲに目を奪われていたが……一瞬だけ、未だに燃え続けているスライムに視線を向ける。
燃え続けているスライムとクラゲは、かなりの距離がある。
だがそれでも、燃えているスライムが光源となってしまい、幾らか光っているクラゲに影響を与えているのは間違いないのだ。
スライムを燃やしたレイだからこそ、そのスライムが邪魔をして完全に満足出来る光景を楽しむことが出来ないことに、苛立ちを抱く。
(あのスライム、いつまで燃え続けてるんだ? いい加減、死んでもいいと思うんだがな)
燃えつきることのない、そんなスライムの姿はレイに苛立ちを覚えさせるには十分だった。
それこそ、今からでも更に追加で魔法を使って殺せないかと、そう思うくらいには。
だが、今の状況がそもそもイレギュラーな事態である以上、今から更にそこにイレギュラーな事態を加えるような真似は、レイにも出来ない。
出来るのは、出来るだけ早くスライムが燃えつきて消滅してくれるように祈るだけだ。
「あら、こっちに来るわよ?」
アナスタシアの言葉に、レイは湖に視線を戻す。
そこでは、確かに岸の方に向かってくる光るクラゲたちの姿があった。
そうしてやってきたクラゲ達は……以前と同じように、レイやセト、それ以外の面々の周囲を、ふわふわ、ふわふわと浮かび続けるのだった。
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