第2170話

 食事をしている最中、レイはふと気が付く。


「あ……しまった」

「レイ? どうした?」


 レイの様子に何かを感じたのか、近くで食事をしていた冒険者が素早く周囲を見回す。

 もしかしたら、何らかのモンスターでも出たのではないかと、そう思ったのだろう。

 素早く行動に移るのは腕利きの証だったが、今回レイが気が付いたのはそのようなことではない。

 アナスタシアとファナの二人を迎えに行くのを、完全に忘れていた為だ。

 今日は色々と……本当に色々とあった為に、すっかり二人について忘れていたのだ。


「悪い、アナスタシア達のことを忘れてた! すぐに迎えにいってくる。……セト!」

「グルゥ? ……グルルルゥ」


 レイの言葉に、残念そうに食べていた肉を一瞥したセトだったが、それでもレイが呼んでいるのだからと、レイに近づいていく。

 食事に夢中で、レイの話は聞いていなかったのだろう。

 どうしたの? とレイに視線を向ける。

 レイもアナスタシアのことを忘れていたのは自分なので、セトを責めるような真似はせず、寧ろ謝るように口を開く。


「アナスタシアとファナを忘れてただろ。今もあの場所にいるから、迎えにいかないと」

「……グルゥ? グルルルルルゥ!?」


 レイに言われ、セトも自分がアナスタシア達のことを忘れていたことに気が付いたのか、慌てたように鳴き声を上げる。

 もう、既に周囲はかなり薄暗くなっている。

 夏に近いこの季節、それも雨や曇りではなく、晴れの日でこのくらいになっているのだから、本来ならもうとっくに食事の時間と呼ぶに相応しい頃合い。

 セトは即座に身を屈めて、レイに背中に乗るように促す。

 レイもまた、すぐにそんなセトの背に跳び乗る。


「悪いけど、ちょっとアナスタシア達を迎えに行ってくる! お前達は適当に食べててくれ!」


 最後まで言うよりも前に、セトは走り出す。

 いつものように軽く流しながら走るのではなく、それこそ全速力という言葉が相応しいくらいの速度。

 そんなセトの背の上で、レイはアナスタシアに何と誤魔化そうかと考える。

 昼食は持たせてあったが、それ以外は軽く食べられるおやつ程度しか持たせていない。

 そうなると、当然のように今は腹を空かせている筈であり、それを理由にしてレイに何を要求してくるか分からない。


(取りあえず、適当に焼いた肉を持ってきたから、それで我慢して貰うとしよう)


 セトの背の上でそんな風に考えていると、全速力で走っているセトは、暗い森の中で木々を縫うようにして移動する。

 ……一応、まだ森の外はある程度の明るさがあるのだが、ここは森の中だけに、木々によって光は遮られる。

 日中であれば、木漏れ日という表現が相応しい、どこか目を奪われるような綺麗な景色なのだが、それが夜になれば話は変わる。

 少しの光さえ通さない、完全な遮断幕とでも呼ぶべきものになるのだ。

 もっとも、レイもセトも夜目が利くので、暗くて何も見えないということはないのだが。


「グルゥ!」


 トレントの森の中央に近づくと、セトが鋭く鳴き声を上げる。

 レイもまた、そんなセトの鳴き声を聞きながら、周囲に問題はないか……特に何らかのモンスターがいないかどうかを確認する。

 夜になれば活発に動き出すモンスターもおり、そういう意味では今回の一件……アナスタシアとファナのことをすっかり忘れていたというのは、かなりの失態だった。


(よし。モンスターの気配はないな。……セトの気配を察して、逃げ出した可能性もあるんだろうけど)


 基本的にモンスターの多くは、自分よりも格上のモンスターの気配を察すれば、その場から逃げ出すのは珍しいことではない。

 逃げ出さないのは、それこそゴブリンのように相手が格上であるということすら把握出来ないようなモンスターや、戦いを好む気質を持つモンスター、もしくは自分が逃げ出すということは絶対にしないという高い誇りを持つモンスターたち。

 それ以外にも様々な理由で逃げ出さないモンスターもいるが、それでもやはり逃げ出すモンスターの方が多いのは間違いない。

 今はそのようなモンスターばかりで、襲ってくるモンスターがいないのはレイにとっては非常に助かることだった。

 そうして目的の場所……地下空間に続く通路のある場所までやってくると、レイはセトを地上に残して地下空間に向かう。

 一体地下空間ではどうなっているのか。

 それこそ、地下空間に到着すればアナスタシアに一体何を言われるのか。

 そう思いながら進んでいたのだが……


「いやまぁ、うん。これは予想してたけどな」


 全くそう思ってはいなかったのだろうが、それでも自分に言い聞かせるようにそう呟く。

 何故なら、レイの目の前に広がっていた光景は、レイが午前中に地下空間を出た時とそう変わらない光景だった為だ。

 ウィスプについて調べているアナスタシアと、そのアナスタシアの世話をしているファナ。

 ファナは仮面を被っているのではっきりとは分からないが、それでもこの時間までアナスタシアの世話をしていたとなると、相応に疲れているというのはレイにも予想出来る。


「あー……えっと、その……おーい、アナスタシア、ファナ、ここにいるから時間が分からなくなってるかもしれないけど、もう夜だぞ」


 レイの言葉に、ファナが顔を上げる。

 そして、レイの姿を見て驚きの表情を浮かべたようにはレイには見えた。……仮面を被っているので、雰囲気や態度から恐らくそうだろうと予想しただけなのだが。

 ともあれ、レイの姿を見つけたところで慌てたようにアナスタシアを揺らし、ウィスプへの集中を解除する。


「何よ。もう少しでウィスプについての仮説が出来そうだったのに」

「いえ、でも……」


 不満そうな様子を見せるアナスタシアに、ファナはレイのいる方を指さす。

 そんなファナの様子にアナスタシアはその指先を追い……レイの姿を見つける。


「あら、レイ? どうしたのよ。また随分と早く戻ってきたわね」

「別に早くないぞ。……そもそも、今がいつだと思ってるんだ? 今はもう夜で、生誕の塔では皆食事中だぞ」

「……え? もうそんな時間?」

「そうなるな。全く、一体どこまで集中したんだか」


 呆れの視線をアナスタシアに向けるレイ。

 そんなレイの視線に、アナスタシアは何かを誤魔化すように、エルフ特有の長い耳を動かす。


「研究者としては、そのくらい当然でしょう? 今回の一件を考えると、寧ろこのくらい集中出来るくらいじゃないと、このウィスプを研究する資格はないわ」


 そういうものか? とレイは若干疑問に思ったのだが、それをここで言えば間違いなくアナスタシアが納得しないだろうと、そう思えた。

 また、実際にアナスタシアがウィスプの研究をしてくれるというのは、レイにとっても非常に助かることだ。

 まだ可能性は非常に小さい……それこそ、奇跡と呼ぶに相応しいくらいの可能性でしかないが、日本に行くことが出来るかもしれないのだから。


「あー、うん。まぁ、アナスタシアが頑張って研究をしてくれるのは、俺としても助かる。それで、今日は何か分かったのか?」

「……あのね。幾ら何でもこんな短い時間研究しただけで、どうにかなる訳がないでしょ」


 呆れの視線を向けられるレイだったが、そういうものなのか? という疑問を抱く。

 研究者というのが、具体的にどのような研究をするのか……そして、どのくらいで成果を出せるのかというのは、レイにも分からないのだから。

 今回の一件を思えば、ある程度はその辺を理解出来ていた方がいいのかもしれないが。


「さっき仮説がどうこうって言ってなかったか?」

「そうね。でも、仮説は仮説でも、本当に想像だけで思いついた、仮説の上に仮説を積み重ねたような……そういうのよ? とてもじゃないけど、まだ人に話せるようなものじゃないわ」


 出来ればその辺もしっかり聞きたかったレイだったが、このままここで粘っていてもアナスタシアは何も言わないだろうと思えたし、セトをいつまでも地上で待たせている訳にもいかないだろうと判断する。


「分かった。取りあえずその話はここで終わるとして、とにかく生誕の塔に戻るぞ。持ち込んだ食料を考えると、腹も減っただろ?」


 そう言いながら、レイはこの地下空間に食料の類も置いておくべきかと考える。

 勿論、置いておくのは腐ったりしにくい、干し肉や焼き固めたパンのような保存性の高い食料だ。

 それなら、もし今日のように遅れてしまった時でも空腹を誤魔化すことは出来る。

 ……もっとも、その辺の冒険者と同じような食事で、とても生誕の塔で現在冒険者やリザードマン達が食べているような豪華な食事とは到底言えないのだが。


「そうね。言われてみれば私もお腹が減ったわ」


 そうアナスタシアが言った隣では、ファナがその言葉に強く同意するように頷いていた。

 ファナにしてみれば、アナスタシアに付き合っていた影響でひもじい思いをしていたのだろう。

 ……それでも腹の音を鳴らさないようにしているのは、乙女の意地か。

 実際には腹の音は自分の意思でどうにか出来るようなものではないのだが。

 ともあれ、アナスタシアの腹が減ったという言葉に、レイ達は地下空間から出るのだった。






「うわ、もう真っ暗じゃない」


 それが、アナスタシアが外に出て真っ先に呟いた言葉だ。

 実際にアナスタシアの言う通り、周囲は完全に真っ暗になっている。

 地下にいたということと、ウィスプをじっと見てそちらに完全に意識を集中していたということもあって、アナスタシアの時間感覚は完全に麻痺していたのだろう。

 周囲の様子を眺めながら、アナスタシアは完全に予想外といった様子で周囲の状況を眺めている。


「だろう? アナスタシアは集中しすぎなんだよ。……まぁ、分からないでもないけど」


 最後の方で小さく呟いたのは、レイも日本にいた時は本を読んだりゲームで遊んだりしている時は、瞬く間に時間がすぎていったことを思い出した為だ。

 やっていることは違うが、一つのことに集中しすぎていて瞬く間に時間がすぎていったというのは、レイにとっても覚えがあった。


「地下空間にいたというのが大きいわね。……でも、レイが迎えにくるのが遅かったというのもあるんじゃない?」

「……まぁ、それも否定しない」


 実際にレイは今日色々とあって、その結果としてアナスタシアを迎えにくるのを忘れていたというのは、間違いのない事実だ。

 であれば、アナスタシアの言葉に反論も出来ない。

 だからか、レイは少し話を逸らすことにする。


「この時間になると、森の中も色々と危険だ。だから、朝ここに来た時のように、ゆっくりと移動するといったことは出来ない。全員でセトの背に乗って、急いで生誕の塔まで戻るぞ。それでいいな?」


 そう確認を取ったのは、ファナに対してだ。

 内気で人見知りをするファナだけに、よく知らないレイと密着するのは嫌だろうし、何よりもセトの走る速度も怖がっていた。

 だが、夜のトレントの森の怖さを考えれば、なるべく早く生誕の塔に戻った方がいいのは間違いない。

 であれば、やはりここは少しでも急いで移動する必要があった。

 レイとセトがいる以上、余程の相手でもなければ対処は可能だ。

 だが、そこにアナスタシアとファナという護衛対象……言ってみれば、足手纏いを抱えながらとなると、万が一のことが起きる可能性もあった。

 その辺の事情を考えると、やはりここは急ぐ必要があるのだ。


「……分かりました」


 渋々、本当に渋々ではあったが、ファナはレイの言葉を承諾する。

 ファナにしてみれば、アナスタシアの助手をすることになった以上、何らかの問題が起きるというのは、容易に予想出来ていた。

 だが、まさかいきなり……しかもこのような問題が起きるというのは、ファナにとっても予想外だったが。


「よし。じゃあ行くか。セト、三人だけど大丈夫か?」

「グルルルルルゥ!」


 レイの言葉に、セトは大丈夫! と喉を鳴らす。

 セトであれば、それこそ成人男性三人を乗せても問題なく走ることは出来るのだ。

 それを考えれば、小柄なレイと女二人を乗せるくらいは、それこそ何でもない。

 ……場合によっては、大柄な男一人分の体重にも満たない可能性がある重量なのだから。

 そんな相手を背中に乗せる程度、セトにとっては全く問題はない。

 ……その状況で飛べと言われれば、かなり難しいのは間違いなかったが。


「よし、じゃあ行くぞ。えっと、ファナが前でその後ろがアナスタシア、そしてアナスタシアの後ろが俺だな」


 人見知りのファナのことを思えば、接触するのは自分ではなくアナスタシアの方がいいだろうと判断しての提案だったが、二人がそれに頷いたことで、あっさりと話は決まり……三人と一匹は、生誕の塔に向かって進むのだった。

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