第2168話

 レイと警備兵が運んできた暗殺者は、無事詰め所の中に運ばれた。

 尋問する者が詰め所の中にいたというのが、この場合は大きかったのだろう。

 最初はレイもここで情報を聞き出すのを待っていようかと思ったのだが、尋問には数時間……場合によっては数日掛かることもあると言われれば、レイとしてはその間ずっとここで待つといったようなことは出来ない。

 なので、情報を聞き出したら後で教えて貰えるように言ってから、セトと共に詰め所を離れた。


「さて、どこに行く? 買い食いの途中でああいうことになったから、何となく買い食いをする気分じゃないしな。……いっそ、もう生誕の塔に戻るか?」

「グルゥ」


 レイの言葉に、セトは少し残念そうにしながらも、頷く。

 セトにとっても、先程のやり取りは楽しい気分に水を差されたようなものだったのだろう。


「よし、……じゃあ、せめてお土産として適当に何か買っていくか。それくらいならいいだろ」


 そう告げたレイはセトと共に今まで何度か行った食堂で、オーク肉の煮込みを購入する。

 このオーク肉の煮込み、香草と共に長時間煮込んだことによって、非常に柔らかくなっている料理だ。

 洋風の角煮というのが一番正しい表現か。

 洋風である以上、醤油ベースのタレで煮込んだものではなく、ソースを使って味付けをしている。

 だが、これがかなり美味いのだ。

 それこそ、生誕の塔で護衛をしている冒険者や騎士、リザードマンといった者達までもが熱中して食べるくらいには。

 だからこそ、オーク肉の煮込みは大量に買っておいた方がいい。

 ……純粋に、レイやセトも好きだからというのもあるが。


(洋風だからか、何気にパンに合うんだよな。あ、でも豚の角煮まんとかあるんだし、その辺の事情を考えれば、そこまでおかしくはないのか?)


 そんな風に思いつつ、レイはセトと共に生誕の塔に向かう。


「グルゥ、グルルルルルゥ、グルゥ」


 トレントの森に向かって飛ぶセトは、嬉しそうに喉を鳴らす。

 洋風角煮のようなオークの煮込みは、セトにとってもかなりの好物の一つだ。

 それだけに、レイがそれを大量に買ったことで、食事が楽しみになったのだろう。

 嬉しそうな様子のセトに、レイは少しだけ呆れながらも、自分の目の前にあるセトの首を撫でる。

 ……呆れの視線を向けているレイだったが、それでもセトと同じくオーク肉の煮込みは好きだ。

 同じような料理を出す店は幾つかあるが、レイにとっては今回買った店の料理が一番好みに合う。

 下茹でする時に、しっかりと香味野菜と一緒に煮込んでいる為か、脂の臭みが全くないというのも、大きな特徴だろう。

 ちなみに、香味野菜と一緒にオークの肉を下茹でした茹で汁は、相応に出汁が出ているということで別の料理に使われているらしいが、レイは残念ながらその料理を食べたことはない。


「おっと、到着したな」


 生誕の塔そのものが空を飛んでいればそれなりに目立つし、それ以外にも広大な湖が側にあり、未だに燃え続けているスライムもいる。

 目印に困ることがないというのは、いいことなのか、悪いことなのか。

 そんな疑問を抱くレイを尻目に、セトは地上に向かって降下していく。

 セトの姿を見つけた者達が、大きく手を振って出迎える。

 手を振っているのは、冒険者だけではない。リザードマンの姿もあった。

 もっとも、喜んでいるのはレイがいれば美味い食事が出来るからという点も大きいのだろうが。

 そうして地面に着地すると、真っ先に近づいて来たのは……騎士だった。

 少しだけ心配そうな様子で口を開く。


「どうしたんだ? 随分と遅かったようだけど」

「あー……ちょっと問題があってな」

「問題? もしかして、あの貴族達の件で何かあったのか?」


 その言葉に、レイは首を横に振り……そう言えばと、あの貴族や私兵達の姿がないことに気が付く。


「あの貴族達は?」

「ギルムから馬車が来て、連れていったぞ。……もっとも、そこまで大きな問題にはならないだろうけど」

「……大きな問題にならないのか?」

「正確には出来ないという方が正しいだろうな。今回の一件については、色々と派閥の力関係とかも働いてくるだろうし」


 その言葉に若干の不満を覚えないでもなかったが、レイとしてはそれに対して文句を言う訳にはいかない。

 中立派としては、どうしても国王派とは派閥の間に力の差がありすぎると、知っているからだ。

 勿論、貴族派が本格的に力を貸すのであれば、国王派に対抗することも不可能ではないだろう。

 だがそれは不可能に近いくらい、難しい。

 貴族派の中には、未だに中立派を侮っていたり、敵視していたりする者も多く、もしケレベル公爵が中立派と協力して国王派に対抗すると言ったところで、まずそれを許容しないだろう。

 いや、正確には表向きなら許容するかもしれないが、その後は意図的に手を抜いたりといったことをしかねない。

 その辺の事情を考えれば、ケレベル公爵も無理に中立派と協力をするといった真似は出来ない。

 ケレベル公爵本人が中立派に好感を覚えていても、その結果として貴族派の影響力が落ちるといった真似は、まず出来ない。

 あくまでもケレベル公爵は、貴族派を率いている人物なのだから。


「そうか。……まぁ、あの貴族がどうなるのかは、俺にとってもどうでもいいけどな」


 騎士の話を聞きながらも、レイがダスカーと話した限りでは国王派であろうと何だろうと、ダスカーは普通に敵対するつもりだったような? といった疑問を抱くも、それを口にすることはない。

 今回の一件に関しては、あくまでもダスカーのような貴族が片付けることなのだから。

 何らかの手段で手助けを求められれば、レイもそれに手を貸すつもりではあったが。

 何しろ、レイにとってギルムという場所はこの世界で最初にやって来た場所で、それからずっと拠点にしている場所だ。

 ある程度の長期間ギルムを離れることはあっても、本当の意味でギルムから出ていくといったつもりは、全くなかった。

 そのような場所だけに、レイとしてはギルムがなくなったり、暮らしにくくなったりするようなことにはなって欲しくない。

 だからこそ、ダスカーが協力を求めるのならそれに協力するつもりはあった。


「ともあれ、だ。貴族の件はここでなら解決したとして……ちょっと向こうを見てくれないか?」


 騎士が示す方に視線を向けたレイが見たのは、オークの死体。

 それも一匹ではなく、四匹も死体がそこに並んでいた。


「あれは……どうしたんだ? いやまぁ、ここにあるってことは、トレントの森から入ってきたんだろうけど」

「ああ、そうだ。レイがいなくなって少ししてからやって来たんだよ。……その結果がああだが」

「だろうな」


 その言葉には、レイも素直に納得する。

 元々生誕の塔の護衛を任されているのは、腕利きの冒険者達だ。

 また、リザードマン達の中にもガガやゾゾのように強い者はいる。

 そのような場所に、オークキングならともかく普通のオークがやって来たとしても、それこそいい獲物でしかない。

 オークは種族を問わず女にとって最悪の相手ではあるが、同時にその肉はランク以上の味を持つと知られている。

 それこそ、冒険者がオークを見つけたら即座に狩るべきという認識を持っている者も多いくらいに。


「で、何でまだそのままなんだ? 解体はしないのか? 血抜きは……」

「ああ、血抜きはもうしてある。後は解体するだけなんだが、もし良かったらあのオークはセトに対する貢ぎ物にならないかと思ってな」

「……セトに? 何でまた?」

「グルゥ?」


 レイと一緒にいたセトが、急に自分の名前を呼ばれたことで驚き、リザードマンの子供達と遊ぶのを止めて、視線を向けてくる。

 レイはそんなセトに何でもないと首を横に振り、セトを遊びに戻らせる。

 そうしながら、レイは改めて騎士に視線を向け、口を開く。


「オークの肉をセトにくれると言うのなら、勿論それはありがたくもらうけど……何で急にそんなことに?」

「貴族の一件で助けて貰ったというのもあるが、それ以外にも毎晩見張りで手伝って貰ってるからな。そのことに感謝を込めて、という感じだな」


 騎士の言葉に、その説明を聞いていた冒険者達が同意するように頷く。

 レイもそんな騎士や冒険者達の様子を見て、セトにプレゼントしたいという、その言葉に納得する。

 実際に夜に見張りをしている者にしてみれば、セトのお陰でどれだけ助かっているのかというのは、十分に理解出来たからだ。

 ……実際には、いつもセトと一緒にいるレイには理解出来ないくらい、助けられているのだが。

 ともあれ、ここにいる者の多くがセトに感謝の気持ちを抱いているというのは、当然のようにレイも知っている。

 だからこそ、オークを感謝の気持ちとして引き渡すと言われれば、素直に納得出来た。


「セト」

「グルゥ?」


 つい先程はリザードマンの子供達と遊んでいろと言われたばかりのセトだったが、それからすぐに再度自分の名前を呼ばれても、特に不満を抱く様子もなく……それどころか、何? 何? と円らな瞳に好奇心を宿らせ、レイに近づいてくる。


「あそこにある四匹のオーク、ここにいる連中がセトにプレゼントしてくれるらしい」

「グルゥ!?」


 レイの言葉に驚いたセトは、どこ? どこ? と周囲を見回し……すぐに四匹のオークの死体を見つけ、嬉しそうに喉を鳴らす。

 セトにとっては、自分でオークを倒すということはそう難しい話ではない。

 いや、セトの実力を考えれば、容易いことだろう。

 だがそれでも、やはり人からプレゼントとしてオークを貰うのは、非常に嬉しいことなのだ。

 誰が見ても分かる程に嬉しそうにしているセトは、ギルムにいるセト愛好家達が見れば、間違いなく目を奪われるだろう。

 ミレイヌやヨハンナを筆頭に、セト愛好家の数はかなり多い。

 当然そのようなセト愛好家達は、セトに会えば何らかの食べ物を与えたりといった真似をする。

 それは当然のようにセトに喜ばれるのだが、今この状況で喜んでいるセトは、そんな時よりも喜んでいるように、レイの目からは見えた。


(こういう風なのって、今まで殆どなかったからな。セトが喜ぶのも当然か)


 そう思いながら、レイは嬉しそうにオークの死体のある場所の近くを歩き回り、嬉しそうに喉を鳴らすセトを眺める。


「どうせなら、血抜きだけじゃなくて解体もしてくれていれば、こっちとしてはもっと嬉しかったんだけどな」

「そうは言っても四匹分だぞ? 血抜きをするだけで結構な時間がかかったんだよ。生誕の塔で血抜きをする訳にもいかないし」


 騎士の近くで話を聞いていた冒険者が、レイの言葉にそう返す。

 レイも、言われて見ればそうかと納得する。

 オークは大きい個体になれば二m以上の者も珍しくはない。

 それだけの巨体を、ある程度の場所――血の臭いがしてモンスターや動物が集まってきても、生誕の塔まで来ない場所――まで運び、上下逆にして木の枝に吊して血を抜くのだ。

 血が抜けるまでに相応の時間が掛かるし、そもそもオークを運ぶだけで相当の体力を消耗する。

 幾らレイがダスカーに諸々を説明し、その後買い食いをしている最中に暗殺者に襲われてそれを撃退し、気絶した暗殺者を警備兵の詰め所まで運ぶ……といった真似をしたところで、オーク四匹の血抜きを終わらせるのが精一杯だった。

 他にも血抜きの方法として、水に沈めるというのあるが……一瞬だけ湖に視線を向けたレイは、すぐに首を横に振る。

 獰猛なモンスターが多く棲息している以上、もし血の臭いをさせたオークを湖に沈めるなどといったことをした場合、間違いなくそのオークは湖にいるモンスターや魚に食い散らかされることになるだろう。

 せっかくセトにプレゼントとして用意したオークの死体が、それでは全く意味のないものになってしまう。

 レイにもそのくらいのことは予想出来た。


「じゃあ、取りあえず……今からオークの解体を始めるか? このままここに置いておけば、そのうち悪くなるだろうし」


 レイのミスティリングにいれておけば、悪くなる……腐るといったことはない。

 それはレイにも分かっていたが、オーク四匹分を解体するとなると、レイだけでやるのは結構な手間だ。

 ……元々レイが解体をそこまで得意としていないというのも、皆に解体を手伝って貰おうと思った理由の中に入ってはいるが。

 この世界に来た時ははっきりと苦手というくらいに解体が下手なレイだったが、今では得意ではないといったくらい……平均的な技量は持っている。

 それでも、やはり誰かに手伝って貰った方が楽なのは事実だった。


(鶏の解体なら日本にいる時にやったことあったんだけど、それはこの世界だと殆ど役に立たないんだよな)


 はぁ、と溜息を吐きながら、レイはオークの解体に協力してくれる面々に感謝するのだった。

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