第2169話

「グルルルゥ、グルルルルゥ、グルルルルルルルルルルルゥ!」


 セトが嬉しそうに鳴き声を上げ、解体が終わったオーク肉の周囲を歩き回りながら、少しずつクチバシで摘まんでは食べている。

 もう夕方近くになっており、そろそろ夕食の準備を始めた方がいいのではないかと思っていたレイは、セトに声を掛ける。


「セト、嬉しいのは分かるけど、その辺にしておけよ。そろそろ収納した方がいいぞ。その肉の臭いに釣られて、モンスターがやって来るかもしれない。……いや、やって来てるか」


 湖の近くにいた冒険者の男が、突然水面から飛び出してきた魚を素手で捕まえているのを見て、呟く。

 魚かモンスターかはレイにも分からなかったが、全長一m程もあり、その鼻の部分がレイピアのように鋭く尖っている。

 身体の半分がそのようになっている魚は、レイが日本にいる時にTVで見たカジキマグロを想像させた。

 もっとも、その魚の外見はサンマや太刀魚のように細長い魚だったが。

 見るからに敵に突っ込んで尖っている部分で攻撃をするという魚だった。

 その上で身体は細いので、攻撃される方は対処しにくい。

 ……しにくいのだが、ここにいる冒険者であれば対処するのは難しくなかった。


「レイ、この魚も今日の夕食で焼いて食おうぜ」

「そうだな。……にしても、地上にある肉の臭いに釣られ水中から飛び出してくるとは思わなかったな。……いやまぁ、もしかしたら肉の臭いとかじゃなくて、偶然やって来たという可能性も否定は出来ないんだが」


 カジキマグロと太刀魚、もしくはサンマが合体したような、そんな魚。

 湖にいるのではなく、海にいるのが相応しいと思える魚だったが、異世界の湖となれば、やはりこのような特殊な魚がいてもおかしくはないのだろう。


(そもそも、あんな巨大なスライムとかがいたんだし、光って空を飛ぶクラゲとか、ワニのようなトカゲとか、それはもう色々といるんだしな)


 それらの生態が、この湖だからこそのものなのか、それともこの湖があった場所ではそれが普通だったのか。

 その辺はレイにも分からなかったが、ともあれまた新種の魚を獲ったことは間違いのない事実だった。


「食うって言っても、その魚は食っても大丈夫なのか? 初めて見る魚だろ?」

「これまでの魚は食べても問題はなかったし、その辺は問題ないんじゃないか?」

「それは……いやまぁ、問題がない可能性はあるけど」


 少なくても、自分は食べたくない。

 そう言外に告げるレイに、魚を捕らえた冒険者の男は疑問を口にする。


「別に食べたくないのなら、レイは食べなくてもいいぞ。この魚は俺が食うから」


 自分が食べると言われれば、レイとしてもそれに反対は出来ない。

 明らかに毒があるというのが分かっていれば、それを食べるのはどうかと言える。

 だが、今まで湖から獲れた魚の中に毒を持つ魚はいない。

 それを考えれば、湖に住んでいる魚の中には毒を持っている魚は一種類もいないのではないか。


「うーん……一応、気をつけて食えよ? 俺達の仕事は、あくまでも生誕の塔の護衛だ。そうである以上、毒で動けなくなったとか、そういうことになったら、色々と面倒だからな」

「分かってる、分かってる。もし何かあったら、すぐに対処するから、安心しろって」


 気楽にそう告げる様子に、本当に大丈夫か? と思わないでもないレイだったが、あの冒険者もギルドから信頼出来る相手として、ここの護衛に回された人物だ。

 であれば、当然のように何かあってもすぐに対処出来るようにしてあるのは当然であり、その辺は心配しなくてもいいかと、思い直す。


「それで、レイ。今日の夕食はどうするんだ? ちなみに俺は、あの魚はちょっと食べたくないな。見てみろよ、あの鼻。まるでレイピアだぜ? あんな危険な魚、よく食おうと思うよな」

「その辺は人それぞれだからな。……それに、外見だけで食うか食わないか決めるのは、ちょっと問題だし」


 外見だけというのであれば、深海魚の類はグロテスクと表現すべき魚が多い。

 レイにとっても好物だったアンコウなどは、その典型だろう。

 何も知らない者がアンコウを見た場合、とてもではないがそれを美味いとは思えない筈だ。……もっとも、それでも食べた者がいたからこそ、アンコウは美味いとして広まったのだろうが。

 また、日本で好んで食べられているタコも、その外見から海外ではデビルフィッシュとして忌み嫌っている国もあるし、ナマコやウニの類も外見からではとてもではないが食べたいとは思わないだろう。

 そういう意味で、レイは外見だけで食べるか食べないかを判断するというのには反対だった。

 ……だからといって、未知の食材たる魚を特に調べもせずに食べるかと言われれば、その答えは否なのだが。


「まぁ、食いたいって言うなら食いたい奴だけが食えばいいんじゃないか? それで何の問題もなければ、俺達も食えばいいんだし。そして駄目なら……まぁ、ここに来る冒険者だから、ポーションの類は持ってるだろうから、大事にはならないと思うし」


 ここに来るくらいの冒険者であれば、相当高ランクのポーションを持っていてもおかしくはない。

 であれば、多少の毒くらいはどうとでもなるというのが、レイの予想だった。

 ……他にも、何人もの冒険者が新しい魚を食べてみたいと、そう思っているように見えたというのも、大きかったが。


「グルゥ、グルルルルゥ、グルルルゥ!」


 レイに向かい、セトは嬉しそうに喉を鳴らしてオークの肉を見る。

 そんなセトの様子から、レイも何を期待しているのか分かった。


「本当にいいんだな?」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、元気よく鳴き声を上げるセト。


「レイ。セトは何て言ってるんだ?」


 レイとセトの間では意思疎通出来ていても、それは他の者には分からない。

 だからこそ、レイとセトが何を言ってるのかを知る為には、レイに直接聞くしかなかった。


「セトが今日の夕食で、お前達が獲ってくれたオーク肉を使ってもいいって言ってるんだよ。……セトも、自分だけで食べるんじゃなくて、折角のオーク肉なんだから全員で食べたいと思ったんだろうな」

「へぇ……セトが……」


 レイから事情を聞いた冒険者の男は、驚きの視線をセトに向ける。

 男にとって、セトは食べ物に関しては絶対に人に譲らないと、そう思っていた為だ。

 実際、セトが食べ物に関して貪欲だというのは、ここで一緒に暮らすようになってから、十分に理解出来るようになっているのだから。

 そんなセトが、何故急にオークの肉を譲ってくれる気になったのか。

 そう疑問に思っても、おかしくはない。

 もっとも、レイにしてみれば特に複雑に考えてはいない。

 先程口にしたように、単純に全員で食べれば美味いと、そう思ってのことだった。

 セトは食べるという行為に人一倍強い思いを持っているのは間違いないが、同時に他人と一緒に食べるとどれだけ美味いのかということも理解出来ているのだ。

 レイが改めてそう説明すると、それを聞いた冒険者はなるほどといった様子で頷く。

 ……オークの肉というのは、冒険者にとっても食べる機会の多い肉ではある。

 それだけに、気楽に食べられるという意味では、非常にありがたいのだ。


「さて、それじゃあ今日はオーク肉を焼いて食べるのと、オーク肉の煮込みとオークづくしだ。……づくしって割には、ちょっとオーク肉の料理が足りないような気がするけどな。あ、それと野菜とかもそれぞれきちんと食べるようにな」


 レイの言葉に、冒険者たちの何人かは嫌そうな表情を浮かべる。

 冒険者の中には、食事を軽視する者もいるのだが、その類の者達だろう。

 ギルドから生誕の塔の護衛に回される人物であっても、その辺は特に気にしていない者もいるのだろう。

 レイの場合は、日本にいる時に栄養バランスといったものの知識については得ることがあった。

 もっとも、それもどの野菜にどのような栄養があって、どのくらいの量を取ればいいのか……といった細かい内容ではなく、肉を食べるなら野菜も相応に食べた方がいいといった程度の知識だが。

 そんな知識の中であっても、野菜を食べる必要があるというのは十分に分かる。

 ここにいる冒険者の中にも、小さい頃は両親から野菜を食べるようにと言われてはいたのだろうが、現在のようにこうして親元から離れて生活していれば、自分の好きな料理だけを食べるといったような食事をする者も多かった。

 勿論、中にはきちんと野菜を食べていたり、野菜を好んで食べるといったような者もいるのだが。

 ともあれ、レイの野菜も食べるようにという言葉に素直に頷かない者も相応にいた。

 もっとも、レイは別にそのような者達に対して、もっとしっかりと野菜を食べるようにといったことを言うつもりはない。

 ここにいる者は、もう冒険者として一人前……どころか、腕利きとしてここにいるのだから。

 であれば、レイがどうこう言う必要はどこにもない。

 ……ちなみにレイの場合は、マリーナが料理を作る時に相応に野菜を使うので、野菜不足といったことにはならない。


「さて、セトの許可も貰ったことだし、まずは肉を豪快に焼くぞ! 火を用意しろ!」


 レイの言葉に従い、その場にいた冒険者達は焚き火の準備を始める。

 ……いや、焚き火の準備を始めたのは、冒険者達だけではない。

 レイの言葉を聞いたゾゾが、他のリザードマン達に指示を出して、焚き火の準備を手伝い始めた。

 その動きは、それなりに一緒に暮らしてきているだけあって、言葉は通じなくても冒険者達と協力することが出来ている。

 この辺は、さすがと言うべきだろう。

 レイが見ている間にも素早く薪を集め、夕食の準備を整えていく。

 そうして準備が出来れば、冒険者やゾゾからの通訳で今日の食事はオーク肉であると聞いたリザードマン達の期待の視線がレイに向けられる。


(う……これだけのオークの数だと、全然足りないな。まぁ、セトがこうして皆にご馳走すると決めたんだ。なら、俺も出してもいいか)


 そう判断し、レイはミスティリングの中からガメリオンの肉を取り出す。

 既に処理済みのガメリオンの肉は、当然のようにその肉だけを見ても、それがどのような動物やモンスターの肉なのかというのは分からない。

 リザードマン達は特にそうだろう。

 だが……当然ながら、ここにいる冒険者達は違う。

 今まで何度となく見てきたその肉を見逃す筈がない。


「おい、レイ。もしかしてそれ……」


 恐る恐るといった様子で、冒険者の一人が尋ねる。

 そんな冒険者に、レイは当然といった様子で頷く。


「ああ。ガメリオンの肉だ。この季節に、干し肉とか塩漬けとかじゃなくて生のガメリオンの肉を食べられるってのは、珍しいだろ?」

「当然だろ!」


 レイの言葉に怒鳴る男。

 だが、それは他の冒険者達にとっても同様の思いだったらしく、レイに……いや、レイの持っているガメリオンの肉にじっと視線を向ける。

 ガメリオンが獲れるのは、基本的に冬だけだ。

 そして今の季節は春……いや、既に半分以上は夏になっており、保存食にしたガメリオンの肉はともかく、生のガメリオンの肉を食べる機会はまずない。

 それを可能にしているのは、レイの持つミスティリング。

 ここにいる冒険者達は、今までも温かい出来たての料理を食べることが出来て、その恩恵に預かってはいた。

 そんなレイのミスティリングだけに、そこから新鮮なガメリオンの肉が出て来ても、そうおかしな話ではない。

 それでもやはり、こうして目の前でガメリオンの肉を見ると驚くのは当然だった。


「この人数だと、あのオークの量だと間違いなく足りないだろ。だから俺も肉を出すことにしたんだよ」

「だからって、ガメリオンの肉は……」

「まぁ、その……ほら。俺は色々と伝手があるから」


 勿体ないと、そう告げる冒険者の言葉に何かを誤魔化すように返事をするレイ。

 何しろ、レイのミスティリングの中には大量にガメリオンの肉があるのだから。

 それこそ、まだ解体していないのも含めれば、大量に。

 このガメリオンの肉は、数年前にガメリオンが出る季節の時に出来たダンジョンで手に入れたものだ。

 ある程度はギルドにも売ったのだが、それでも多くの肉がレイのミスティリングには収納されていた。

 今回レイが出したのはその肉であり……それを見た冒険者達は、歓喜の声を上げる。

 まさか、もうすぐ夏という今この時、ガメリオンの肉を食べられるとは思ってもいなかったのだろう。

 ……レイはそんな冒険者達の姿に満足そうに頷いていたが、ふとセトを見る。

 もしかしたら、オークの肉を全員で食べるのを楽しみにしていたのが、ガメリオンの肉というインパクトで消えてしまったのを不満に思っているのではないかと。

 だが……レイが見たセトは、他の冒険者達と同じようにガメリオンの肉を食べられることを喜んでいたのだった。  

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