第2155話

「……助手、か」


 はぁ、と。

 溜息と共に、ダスカーは目の前でソファに座って紅茶とサンドイッチを楽しんでいるレイとアナスタシアに視線を向ける。

 今は時間にして、午後四時すぎ。

 夕食まではまだ時間があるが、小腹が空いてきた頃でもある。

 それだけに、レイとしてはダスカーが用意してくれたサンドイッチは非常に嬉しかった。

 食べるということに対して貪欲なレイは、ダスカーの家の料理人が作ってくれたサンドイッチを幸せそうに口に運ぶ。


「ええ。あの地下空間の中でウィスプを調べるにしても、私だけでは手が回らないわ。その辺りの事情を考えると、やはり助手が欲しいのよ」

「けど……」

「ダスカーが何を言いたいのかは、分かってるわ」


 ダスカーの言葉を遮るように告げるアナスタシア。


「信頼出来る研究者が、そう簡単に見つからない。……レイからその辺の事情は聞いてるわ」


 その言葉に、ダスカーはレイに視線を向ける。

 鹿肉と野菜を炒めた料理が挟まれているサンドイッチを味わいながら、レイはダスカーに頷く。

 その辺の話をアナスタシアにしたのは、自分だと示すように。

 そんなレイの様子を若干の呆れと共に見ながら、アナスタシアは言葉を続ける。


「ダスカーから見ても使えないと思われる人物であっても、私から見たら使える人物かもしれないわ」

「つまり……?」

「ダスカーに任せないで、私が自分で選ぶということよ。領主の目ではなく、研究者としての目でね」

「けど、それは……」


 本当に大丈夫なのか?

 言外にそう告げるダスカーだったが、アナスタシアは当然といったように頷く。


「ケルピーの時の一件を忘れたの? あの時も、私の言うことは正しかったでしょう?」


 アナスタシアの言葉に、ダスカーは何も言えなくなる。

 サンドイッチを食べながら話を聞いていたレイは、当然のようにそのケルピーの一件とやらについては、分からなかった。

 恐らくは、ダスカーが騎士として働いていた時にあった何らかのトラブルなのだろうと、そう予想する。

 そして、やがてダスカーはアナスタシアの言葉を渋々と認めるのだった。






「じゃあ、レイ。私はこの辺で失礼するわね。早速助手として使えそうな人を探すから」


 領主の館で今日あった様々な出来事――特に湖からレイの達の知らない場所にモンスターが出ている可能性――の報告を終えたレイとアナスタシアだったが、領主の館を出るとすぐに、アナスタシアはレイにそう言ってくる。

 その言葉通り、今からすぐにでも助手として使えそうな相手を探しにいくのだろう。

 レイはアナスタシアの行動力に驚き……同時に、疑問を抱く。


「助手として使えそうな相手を探すって言うけど、一体どうやって探すつもりなんだ? ギルムには来たばかりなんだろ? なら、どういう研究者がいるとか、そういうのは分からないんじゃないか? それに……今のギルムは大勢人が集まってるだけに、乱暴な奴とかもいるぞ」


 実際にヴィヘラが街中の見回りをしている時、大抵何らかのトラブルに出くわすと、以前言っていたことを思い出す。

 もっとも、トラブルという点ではヴィヘラがその容姿や着ている服装から、招きやすい……一種のトラブルホイホイではあるのだが。

 とはいえ、少しでもギルムの事情について詳しくなれば、当然のようにヴィヘラについても詳しく知ることになり、迂闊にちょっかいを出さなくなるのだが。

 しかし、そんなヴィヘラとは違い、アナスタシアはギルムに来たばかりで名前も全く知られていない。

 そして外見は知的美人と呼ぶに相応しい容姿となれば、アナスタシアが一人で行動してれば、間違いなく面倒に巻き込まれると、そうレイは予想した。……いや、半ば確信すら覚えていた。

 それだけに、このままアナスタシアを一人で行かせてもいいのかと、そう疑問に思ってしまう。

 だが、そんなレイに対し、アナスタシアは問題ないと笑みすら浮かべて口を開く。


「あのね、レイ。忘れてるみたいだけど、私もエルフなのよ。レイの知り合い……マリーナだったかしら。その人程ではなくても、精霊魔法は使えるのよ」

「……マリーナと同じくらいに精霊魔法を使えたら、それはもの凄いと思えるけどな」


 実際、レイの目から見て、マリーナの使う精霊魔法は万能に近いだけの能力を持っている。

 それを考えれば、アナスタシアがマリーナと同じように精霊魔法を使えないと言われても、『それはそうだろ』と思うだけだ。


「そう? とにかくそんな訳で、私の心配はいらないわよ。それに、レイもこれからやることがあるんでしょ?」

「ああ。今日の分のトレントの森の木は置いてきたから、後はギルドに行くだけだ。そっちは別に急いでる訳でもないしな」


 ギルドで調べて貰うのは、トレントの森で戦った、草で出来た馬の件だ。

 正確には、馬の身体を構成していた草を何らかの素材として買い取って貰えるかと、そういう質問をギルドにする為。

 レイはほぼ確信しているが、あの草で出来た馬が本当に湖から出て来た存在だとすれば、その身体を構成していた草も初めて見つかった草ということになりかねない。

 とはいえ、この世界はまだまだ未知の部分も多いので、そのくらいのことは特に珍しくないのだが。


「でしょう? まだやることがあるのなら、こっちは問題ないわよ。任せておいて」


 そう言うと、アナスタシアはレイの前から立ち去る。

 足取りも軽く歩くその姿は、寧ろこのギルムで新しい出会いか何かを見つけられるのではないかと、そう思っているようにすらレイには見えた。


「グルゥ?」


 レイの隣にいたセトが、どうするの? と喉を鳴らしながら視線を向けてくる。

 そんなセトの視線に少しだけ迷ったレイだったが、アナスタシアがあそこまで大丈夫だと言ってるのなら、自分が何を言っても無意味だろうと判断して、セトの頭を撫でた。


「アナスタシアが大丈夫だって言ってるんだし、ここで俺が何を言っても無駄だろ。俺達は当初の予定通り、ギルドに行くか」

「グルゥ!」


 ギルドに行くと聞き、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。

 セトにとって、ギルドというのはレイを待っている間に皆に遊んで貰えて、更には色々と食べ物も貰える場所だ。

 そういう意味で、セトはギルドが大好きだった。

 早く行こう、喉を鳴らすセト。

 そんな相棒の様子に、レイは門番の騎士に軽く手を振ってからセトと共にギルドに向かう。

 まだ夕方と呼ぶには早い時間ということもあり、街中に人の数はそこまで多くはない。

 それでも、通りには夕食の買い物をしていたり、少し早めに仕事を終えた者が早速酒場に繰り出そうとしていたりと、それなりに賑わっていた。

 まだ小さな子供も、自分の仕事をしっかりとやっている者がいる。


「うーん、ご苦労さんってところだな。……皆、忙しいのは変わらずか」

「グルゥ?」


 レイの呟きに、どうしたの? と視線を向けてくるセトだったが、レイはそれに何でもないと首を横に振り……不意に視線を鋭くする。


「随分と下手な尾行だな」

「グルルルルゥ」


 同意するように、喉を鳴らすセト。

 レイが気が付いていることである以上、当然のようにレイよりも五感の鋭いセトがそれに気が付かない筈がない。

 領主の館から出て、暫く歩き人の姿が多くなってきた頃、レイとセトを尾行してくる相手の姿があった。

 とはいえ、レイやセトが尾行されるというのは、実はあまり珍しいことではない。

 レイがギルムで有名である以上、そんなレイの情報というのは当然のように高く売れることがある。

 もしくは、レイを追っていれば何か思いも寄らない金儲けに繋がる可能性もある。

 そんな風に考えた者が時々現れ、尾行したりするのだが……貴族街のマリーナの屋敷や、高級宿の夕暮れの小麦亭、もしくはギルムの外といった場所に行くので、普通は尾行をする難易度は高い。

 だからこそ、レイもいつもは尾行をしてくる相手を特に気にはしていなかったのだが……尾行している人物が敵意を持っているとなれば、話は違ってくる。


(さて、どうするか。……捕らえて、どんな理由で尾行していたのかを尋問してみるか? いや、けど偶然自分と一緒の方向に進んでいただけだと言われれば、どうしようもないし)


 殺意とまではいかないが、それでも敵意を抱いている以上、このまま放っておく訳にはいかない。

 このまま尾行する相手と一緒に移動した場合、周囲にいる者達に迷惑を掛ける可能性もあった。


「ギルドに行く前に、ちょっと屋台巡りでもするか?」

「グルルルルゥ!」


 レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。

 セトも、このレイの言葉が尾行している者への対処だというのは知っている。

 だが、それでも新たな屋台を巡るというのは嬉しいことだった。

 屋台というのは、申請すれば基本的に誰でも出すことが出来る。

 屋台で生計を立てている者もいれば、趣味で屋台を出す者、気分転換で屋台を出す者……といったように、様々な理由で屋台を出す者は多い。

 それだけに、一期一会とでも言うべき状態になっていた。

 その日にやっていた屋台は、翌日以降にも必ずやっているという保証はないのだから。

 だからこそ、セトは新しい屋台の探索を嬉しく思った。

 そんなセトの様子に気が付いたレイは、セトの頭に手を乗せ、軽く掻いてやる。

 コリコリと頭を掻かれる感触が嬉しかったのか、セトは嬉しそうに喉を鳴らし……一人と一匹は、路地裏に向かう。

 表通り程ではないが、路地裏にも屋台の類は存在する。

 表通りという場所が限られている以上、そこで屋台を開けなかった者が路地裏のような場所に行くのは当然だろう。

 レイとセトはそんな屋台の幾つかに寄って、それぞれの店主のお勧めを買っていく。

 とはいえ、そこまで美味い! と思えるような料理の類はない。

 少し珍しいのでは、ミカンに似たフルーツの果汁を使って焼いたパンがあり、甘い……甘酸っぱいパンとして、幾つか余分に買ったくらいか。

 とはいえ、果汁をそんなに使っているパンというのは、当然のように値段もそれなりになる。

 表通りならまだしも、路地裏のような場所で売ってもあまり売れるとはレイには思えなかったし、実際かなり売れ残っていた。

 また、珍しさはあったものの、絶品と言える程ではなかったというのも、レイがそこまで多くを買いたいと思わなかった理由の一つだろう。

 川魚を焼いてから解し、ソースと和えて具にしたサンドイッチを食べながら、人のいない方、いない方へと歩いていたレイは、そろそろか? と考え……まさに、そのタイミングで後ろから走ってくる足音が聞こえた。

 そちらを振り向いたレイが見たのは、短剣を手に自分に向かって走ってくる若い男。

 ……とはいえ、十代半ばのレイから見れば十分年上の相手だったが。

 短剣を構えてはいるが、その走り方から考えても、とてもではないが戦闘の心得があるようには思えない。

 もしくはあったとしても、それは少し囓った程度といったところだろう。

 少なくても、レイの敵になる程ではない。


(いやまぁ、尾行の稚拙さから予想は出来ていたけどな)


 武器の構え方も、いわゆる映画でヤクザがやるような『命、取ったらぁっ!』と叫びながら身体ごと敵に突っ込んでいくような、そんな構え。

 短剣の使い方としては、決して正しい訳ではない。

 ましてや、レイのように身体能力が明らかに自分よりも上の相手に攻撃をするとなれば、その行為はあっさりと回避され……


「よっと」


 男の攻撃を回避しざまに、足払いを行う。

 そのまま転びそうになった男を空中で動かし、うつ伏せで倒れないようにする。

 うつ伏せで倒れた場合、男が持っている短剣で自分の腹を刺してしまう可能性が高かったからだ。

 レイにとっては、自分の命を狙ってきた相手である以上、そんな者の命の心配をする必要はない。

 だが、何故自分の命を狙ってきたのかという事情を聞く為には、相手に死んで貰っては困るのだ。

 ……レイの場合、人から恨まれる事情は幾らでもある。

 だからこそ、どのような理由で自分を襲ってきたのかというのをしっかりと確認する必要があった。

 事情が分かれば、その後でどう対処するのかを考えやすい。

 やむにやまれぬ事情があったのか、それとも私利私欲からか、もしくはそれ以外の理由からか。

 その辺りは直接聞いてみなければ分からない。


「さて、一体どんな理由で俺を襲ってきたんだ?」

「う……あ……」


 気絶するようなことはなかったが、それでも地面に背中から叩きつけられた男はその衝撃ですぐに言葉を発することは出来ない。

 そんなことを考えながら、レイは男の様子を眺めながら、言葉を喋れるようになるまで待つのだった。

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