第2156話
尾行されて、人の少ない場所で襲われたレイ。
襲ってきた相手は、決して戦いを生業にしているような者ではない。
それは、襲ってきた時の身体の動かし方や、短剣の構え方から明らかだ。
とはいえ、レイという強者を襲うのであれば、その辺にいる冒険者であっても歯が立たない。
それなら、いっそ戦いの経験のない者がレイを襲えば……と、そう判断してもおかしくはなかった。
「で、そろそろ言葉は話せるようになったと思うが? 一体、何を考えて俺を襲うなんて真似をした?」
「……」
尋ねるレイだったが、仰向けになった男はレイを睨むだけで、口を開く様子はない。
(喋ることが出来ない……じゃなくて、喋らないといったところか。初めて見る顔だよな?)
自分を睨み付けてくる男の顔を見て、レイはそう考える。
少なくても、レイはこの男とどこかで会ったという覚えはなかった。
だとすれば、直接レイと敵対したといったことではなく、それ以外の理由で自分を恨んでいることになる。
「俺は、お前に会ったことはないけどな。……それとも、どこかで会ったことがあったか?」
一応という様子でそう尋ねるレイだったが、それを聞いた男はレイを睨む視線をより強くする。
それが、実は人違いで自分を襲ったといったことではないことの証明だった。
……もっとも、セトを連れているという、これ以上ない程の特徴を持ったレイを、別の相手と見間違える事は非常に難しいのだが。
「何か言ってくれないと、こっちとしても対応に困るんだが」
もしこれで襲ってきた相手が相応の強さを持つ相手だった場合は、レイもこうして相手の様子を見るといったことはしなかっただろう。
だが、この相手は戦いに関しては素人である以上、今の自分をどうこう出来るような相手ではない。
だからこそ、レイとしても男の様子を少しだけ興味深く見守っていた。
「……い……」
と、男が小さく呟く声がレイにも聞こえてきた。
常人よりも鋭い五感を持っているレイですら、微かに聞こえたといった程度の大きさの声だった以上、男が発した声はレイに何かを言おうとしていたのかは、不明だろう。
「どうした? 何か言いたいことがあるのなら……」
「死ね」
男の口から出た短い呟き。
その瞬間、レイは危険を察知してその場から後ろに跳ぶ。
レイのそんな動きに呼応したかのように、次の瞬間、男を中心として周囲に強烈な風の刃が生み出された。
竜巻といったものではななく、純粋に風の刃を大量に生み出し、手当たり次第に飛ばす……といったような、そんな攻撃。
かなり鋭い風の刃が周囲を手当たり次第に斬り裂いていく。
ただし、元々近距離にいる敵を攻撃する為の方法なのか、少し距離を取っただけでレイには殆ど風の刃が飛んでくることはない。
もっとも、レイの着ているドラゴンローブの性能を考えれば、もし風の刃が命中してもどうこうなったりはしなかっただろうが。
(けど、こんな攻撃をどうやって?)
距離を取り、自分に攻撃が飛んでこないということに安心したからか、レイは自分の側で風の刃を警戒しているセトと共に、相手をじっくりと観察する。
今の状況を考えると、男が力を隠していたとは考えられない。
男がレイに向けて放った殺意は、稚拙な殺意ではあったが本物の殺意だったのは間違いないのだから。
このような手段があるのであれば、短剣を握って身体ごと突っ込んでくるような真似をしなくても、最初からこちらの攻撃方法を選んでいた筈だろう。
「そうなると、この男が自分の意思で発動させる訳じゃない、とかか? そして、自分が危機に陥ったら発動するとか」
そう呟いたレイは、自分の言葉にふと疑問を抱く。
自分の意思で発動する訳ではないということは、恐らく何らかの条件で発動するようになっている筈だった。
だとすれば、それは戦いで負けた時、もしくは男に勝った相手が近づいてくる時……といったような条件が予想される。
つまり、この男に対する口封じと万が一の可能性であっても、自分をどうにかしようと考えたといったところか。
(マジックアイテムだろうな。けど、そうなると……そこまでする必要があるのか?)
マジックアイテムというのは、基本的に非常に高価だ。
ある程度普及している物であればまだしも、男が使ったような自爆用ともなれば、一つ作るのにどれくらい掛かるのか、レイには全く分からない。
錬金術について一定以上の知識があれば、あるいは何とかなった可能性もあるが……残念ながら、レイにそのような知識はない。
そうなると予想するくらいしか出来ないが、レイもマジックアイテムを集めるのを趣味としている以上、何となく……本当に何となくではあるが、高価だろうというくらいは予想出来る。
そんな高価なマジックアイテムをこの男に使わせるということに、どこか違和感があった。
「ちょっ、おい、これ一体何だよ!?」
幾らここが人目に付かない裏路地であっても、別に誰も通らないという訳ではない。
ましてや、今は見ての通り動けない男を中心にして、手当たり次第に風の刃を飛ばしている状況だ。
そんな中で近くを通り掛かった者がいれば、それが気になって覗いてもおかしくはないだろう。
……とはいえ、それが原因で騒動が大きくなってしまっているのだが。
「危ないから近づくな! あの男が何らかのマジックアイテムを使ったんだ!」
周囲の惨状に驚きの声を発していた男が、レイの声で改めて風の刃の中心になっている部分に視線を向ける。
するとそこでは、自分の起こした風の刃に身体中を切断され、既に生きているのかどうかも怪しい男の姿があった。
「おい、あいつ死んでるんじゃないか!?」
「だろうな。けど、このマジックアイテムの効果が消える様子はないから、どうにも出来ないんだよ!」
嘘だった。
やろうと思えば、レイはこの状況をどうにか出来るだけの実力がある。
だがその場合、周辺にも大きな被害が……それこそ、風の刃が与える以上の被害を周囲に与える可能性があり、それを考えると迂闊な真似が出来ない。
「ちっ、分かった。なら警備兵を呼んでくるから、ちょっと待っててくれ!」
男はそれだけを叫ぶと、そのまま元来た道を戻っていく。
それを見ていたレイは、さて自分はこの状況で何をどうすればいいのかと、迷う。
実際に今回の一件は自分を狙ってきた代物である以上、他人にあまり迷惑を掛けたくはなかった。
……実際には、事情を聞かれたりなんなりと、面倒なことになるのが嫌だという思いの方が強かったのだが。
何より、今のレイは色々とやるべきことが多い。
事情聴取といったことをするとなると、今日は生誕の塔に戻れるかどうかも分からない。
もっとも、今のギルムは大量に人が集まってきている。
それによって起きるトラブルを思えば、今回の一件も実は特に事情聴取の類をされないという可能性もあるのだが。
「ともあれ、警備兵が来ても何か問題が起きる可能性があるとなると、出来るだけ早い内にこの一件は片付けた方がいいんだが……どうしたものやら」
やっぱり周囲に被害が出ても、ここで俺が何とかするべきか?
少し前に考えていたのとは正反対のことを考えながら、レイは風の刃の中心点を見る。
既にレイに襲い掛かって来た相手は死んでしまっている以上、ここで多少の無茶をしても構わないのではないかと、そう思ったのだ。
今回の一件が、死んだ男の個人的な事情で行われたことなのか、それとも誰かが男の後ろにいたのか。
その辺りは分からなかったが、こうして死んでしまった以上、それを聞き出すようなことも出来ない。
だからこそ、あっさりと自分でどうにかしてもいいと、そう判断したのだが……
「あら? 精霊が騒いでると思ったら……」
そう言い、先程の男が戻っていったのと同じ場所からひょっこりと顔を出したのは、レイにも見覚えのある相手……アナスタシアだ。
ウィスプの研究における助手を探しに行くと言って別れたアナスタシアが、何故ここにいるのか。
「アナスタシア、お前助手を探しに行ったんじゃなかったのか?」
「行ったわよ? ほら」
そう言い、レイからは見えない場所に隠れていた人物を引っ張り出す。
ひょい、という感じで引っ張り出したその姿は、とてもではないが華奢なエルフの力で出来ることには思えない。
(あれ? エルフって腕力的には……いやまぁ、それを指摘すると面倒なことになりそうだからいいか)
そう思いながら、レイはアナスタシアが引っ張り出した女を見る。
女と認識出来たのは、身体付きが女だったからだ。
顔で女だと確認出来なかったのは、その顔に仮面が……それも目や鼻、口も全て覆っているような仮面を身につけていた為だ。
それで周囲の様子を見たり出来るのか? そもそも息苦しくないのか? と、色々思うところがあったのだが、詳しい事情を聞くよりも前に、まずは風の刃をどうにかする必要があった。
「風の精霊って言ってたけど、アナスタシアならこれを何とか出来るか? 何が原因でこんな風になったか分からなかったから、俺が何とかするとなると、この現象を起こしている存在をまるごと消滅させるくらいしか方法がないんだよな」
「……やりすぎよ……」
レイの口から出たのが予想以上に乱暴な手段だった為に、アナスタシアは呆れと共にそう告げる。
尚、仮面の女の方はレイの言葉に恐怖を覚えたのか、再び通路の奥に引っ込もうとして、アナスタシアに引き戻される。
レイと話ながらも、仮面の女から全く手を離さない辺り、アナスタシアの行動にはどこか慣れのようなものが感じられた。
(もしかして顔見知り? 顔は見えないけど。もしくは、似たような相手がいて扱いに慣れてるとか)
二人のやり取りを見てそう疑問を感じたレイだったが、そんなレイの様子を無視したようにアナスタシアが仮面の女を逃がさないようにしたままで口を開く。
「これは精霊の暴走よ。それも意図的に暴走させてるから、それを落ち着かせれば問題ないわ」
「出来るのか?」
「あのね、私を誰だと思ってるのよ?」
失礼なとでも言いたげな様子でレイを一瞥すると、アナスタシアは精霊に向かって語り掛ける。
……語り掛けるのだが、数分が経過しても風の刃が……いや、風の精霊の暴走が収まる気配はない。
風の刃がアナスタシアに襲い掛かったら危険だと判断し、レイはセトと共にアナスタシアの近くまで移動する。
「苦戦してるのか?」
「いえ、精霊への語りかけは順調です」
アナスタシアが精霊に語り掛け始めてからは、掴まれていた服を離されていた仮面の女が、逃げる様子も見せずにレイの言葉に応える。
ただし、その声は決して大きくはない。
……レイを襲ってきた男の声よりは大きかったが、場合によっては聞き逃してもおかしくはない大きさだ。
「そうなのか? ……そうなのか」
そう言えば、アナスタシアからマリーナ程の精霊魔法の使い手は非常に希少だという話を聞いていたレイはそれを思い出し、この膠着状況の理由を理解する。
(だとすれば、多分これってマリーナがやればアナスタシアよりも素早く暴走している精霊を静めることが出来るんだろうな)
アナスタシアの様子を見ながらそのようなことを考えていると、やがて周囲に放たれていた風の刃が次第に弱まっていき……その姿を消した。
「おお」
「こんなものよ。……まぁ、レイから見ればゆっくりとしていたように見えたでしょうけど」
レイと仮面の女の話が聞こえていたのか、アナスタシアは少しだけ拗ねた様子でそう言ってくる。
「あー……まぁ、そうだな」
レイとしても先程の会話を聞かれていたり、何よりアナスタシアにマリーナのことを多少なりとも話しているということもあり、誤魔化せないと判断してそう言葉を返す。
実際にレイから見たマリーナというのは、凄腕の……いや、凄腕すぎる精霊使いとでも言うべき存在であるのは間違いなく、その辺りの事情を考えると誤魔化しても意味がないと判断した為だ。
また、アナスタシアがウィスプの研究をするのであれば、自然とマリーナと会う機会もやってくるだろうという思いもあった。
「アナスタシアも、マリーナと会えばその凄さは分かるだろ」
「あのね、言っておくけど精霊魔法を使えないレイより、私の方がマリーナとかいう人の凄さは分かるのよ?」
そう言われれば、レイとしても納得せざるをえない。
実際に同じ精霊魔法を使えるからこそ、その凄さが余計に分かると言われれば、レイもそれに異論はなかった為だ。
「あー……うん。じゃあ、とにかく……今日か明日にでもマリーナに会ってみるか? その場合はトレントの森というか、生誕の塔に泊まれなくなるけど」
その言葉にアナスタシアは少し考え……やがて頷くのだった。
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