第2151話

「じゃあ、私はそろそろ寝るわね」


 そう言うと、アナスタシアは焚き火の側を離れてレイのマジックテントの隣に用意された自分用のテントに向かう。

 そんなアナスタシアの様子に、焚き火の周囲にいた冒険者の何人かが非常に残念そうにする。

 知的なエルフの美女のアナスタシアは、当然のように男達にとっては非常に貴重な存在だった。

 ……最初はまた新しいレイの女かと思った者もいたのだが、ダスカーからの紹介で色々と手助けをしていると言えば、皆が納得の表情を浮かべる。

 本人の認識はどうあれ、レイがダスカーの懐刀と思われているのは、この場にいる皆が知ってるのだ。

 そうである以上、アナスタシアを口説くのにレイが邪魔をすることはない。

 勿論、それはあくまでも平和的に口説く場合の話であって、乱暴な真似をしたり、強引に言い寄るといった真似をした場合は話が別だったが。

 そんな訳で、焚き火の周辺……特にアナスタシアがいた場所の近くにいた冒険者の男達の間では、目に見えぬ熾烈な戦いが繰り広げられていたのだ。

 レイはそんな気配に特に気が付いた様子もなく、寝転がっているセトに寄り掛かりながら、木の実が練り込まれたパンを食べる。

 少し固めの黒パンなのだが、それがまた練り込まれた木の実の味と食感に合う。

 ……冷めていれば固くて食べられないのかもしれないが、幸いなことにレイのミスティリングに入っているのは、焼きたてのパンだ。

 それだけに、レイはその美味さを十分に味わうことが出来る。


「グルゥ……グルルルルゥ」


 レイが一口サイズに千切ったパンをセトに与えると、セトはクチバシでそのパンを上手に咥え、味わって満足そうに喉を鳴らす。

 周囲で行われているアナスタシア争奪戦に関しては、全く気にした様子がない。


「そう言えば、レイ。アナスタシアさんって何が好きとか分かるか?」


 ふと、冒険者の一人がそんな風にレイに尋ねる。

 何だかんだと、今のところ一番アナスタシアと親しいのはレイだ。

 それだけに、レイなら何かアナスタシアの情報を持っているのではないか。

 そう思って、尋ねたのだろうが……


「うーん、そうだな。好奇心旺盛みたいだから、未知の存在は好きみたいだぞ」


 それは決して間違いではないが、冒険者達が聞きたかったのはそういうことではない。

 具体的に言えば、好きな食べ物や飲み物、もしくは好きな花……そういったものだ。

 だが、レイの様子を見る限りでは、それが何なのか聞いても恐らく分からないだろうというのは、何となく分かった。


「そうだな。ありがとよ。参考にさせて貰うよ」


 レイに聞いてきた冒険者の男は、そう言って取りあえず誤魔化す。

 ……もっとも、未知の存在に興味を持つというのは、口説く時に何かしら使えるかもしれないと、そう思ったが。


「そうしてくれ。……さて、じゃあ俺もそろそろ眠くなってきたし、そろそろ寝る。見張りの方は任せていいんだよな?」

「構わない。ただ、セトは頼りにさせて貰ってもいいんだよな?」


 セトの持つ鋭い五感は、ここで見張りをする上で非常に便利な代物だった。

 だからこそ、出来ればそんな力を持つセトに近くにいて欲しいと思うのは当然だろう。

 他の者達からも同じような視線を向けられたレイは、一応といったようにセトに尋ねる。


「セト、どうだ? 今日も見張りを手伝って欲しいって言われてるけど……協力するか?」

「グルゥ!」


 大丈夫、と。そして任せて欲しいとそう喉を鳴らすセト。

 そんなセトの頭を撫でると、レイは立ち上がる。


「セトは協力するらしいけど、それでも周囲の様子をきちんと確認するようなことは忘れないでくれよ。……まぁ、俺が言うまでもないと思うけど」


 ここいる冒険者の全てが、レイよりも冒険者歴の長い者達だ。レイの場合は何度となく騒動に巻き込まれ、結果として今のように一気にランクを駆け上がった。

 そんなレイに比べると、他の者達は着実に時間を掛け、それによってこうして現在はギルドに信頼され、生誕の塔の護衛を任されるまでになっている。

 レイよりも冒険者歴が長いのだから、ここでレイが何を言っても、釈迦に説法だろう。


「おう、任せておけ。もし何かあったら、すぐにレイに知らせるから」


 そう言って手を振ってくる冒険者に頷き、レイは自分のマジックテントに向かう。

 マジックテントの隣に存在するアナスタシアのテントの中では、何かをしている気配があった。

 恐らく、今日の調査だけでも分かったことを纏めるなり何なりしてるのだろうと判断し、声を掛けて邪魔をするようなことはせず、マジックテントの中に入る。


「さて」


 いつもなら、レイももう少し焚き火の周囲でセトと一緒に遊んだり、他の冒険者と雑談をしたりといったことをしている。

 もしくは、ゾゾと何らかの話をするか、ガガと模擬戦をやったりといった具合に。

 そんな状況で、何故こうして早めにマジックテントに戻って来たのかは……ミスティリングから対のオーブを取り出したのを見れば、明らかだった。


「グリム、聞こえているか? グリム」


 名前を呼ぶが、グリムは反応しない。

 そう言えば以前も似たようなことがあったなと思いつつも、休むことなく通信を送り続ける。

 そして十分程が経過し……


『すまぬな。少し手が離せないことがあったので、出るのが遅れた』


 対のオーブに、いつも通りのグリムの頭蓋骨が映し出される。


「いや、こっちも急に連絡したしな。……ちなみに、手が離せなかったというのは、あのウィスプの件だったりするか?」

『うむ。どうにか干渉しようと思っておるのじゃが、あれだけ貴重な存在だと迂闊な真似も出来んのでな。その辺に苦労しておるところじゃよ』

「そうか。……一応言っておくけど、くれぐれも慎重に頼むぞ。上手く行けば、あのウィスプは俺の故郷に行ける手掛かりになるかもしれないしな」

『ほう、レイの故郷か。……興味深いのう。レイが行く時は、儂も一緒に行ってみるか。ゼパイル殿について何か分かるかもしれんし』

「いや……俺の元いた世界には、モンスターとかそういうのはいなかったし、アンデッドも当然いなかったから、グリムがそのままの姿で来るようことになれば、間違いなく騒動になるんだけどな。……あ、でも遊園地のお化け屋敷とかそういう場所なら、グリムがいてもおかしくはないか」

『ふむ。……モンスターがいないというのも、また珍しいのう』

「伝承とかお伽噺とか、そういうのでは結構出て来るんだけどな」


 レイにとって馴染み深いのは、やはりゲームや小説、アニメ、漫画といったサブカルチャーの類だろう。

 ファンタジーというジャンルであれば、モンスターの類が出て来くるのは珍しいことではない。


『ふぉふぉふぉ。それも面白そうではあるな。……それで、レイ。今日連絡をしてきた用件は、お主と一緒にいたエルフに関してかの?』


 あっさりとそう告げられた言葉に、レイは驚く。

 勿論、あの地下空間はグリムの研究室と繋がっている以上、レイとアナスタシアが地下空間に行ったのを感じてもおかしくはない。

 だが、レイに何も感じさせずに察知していたというのは、さすがに驚きだった。

 とはいえ、相手は自分よりも遙かに長い時間を生きている相手なのだから、そのくらいは当然かと思い直し、頷く。


「そうだ。あのエルフはアナスタシア。俺が拠点にしているギルムの領主、ダスカー様が以前世話になった、信頼出来る相手らしい」

『……アナスタシア?』


 レイの言葉に、何か不思議そうに頭蓋骨を傾げるグリム。

 それは、まるでグリムがアナスタシアという名前に聞き覚えがあるかのような姿。


(あれ? でも、そこまで不思議じゃないのか? グリムが普段どんな生活をしているのかは分からないけど、研究者気質なのは間違いない。そしてアナスタシアは自分の知らない未知の存在に強く興味を抱いている。そうなると、この二人が何らかの理由で接触したことがあっても、おかしくは……ない、か?)


 かなり強引な話ではあったが、それでも何となく納得出来る理由ではあった。


「もしかして、グリムはアナスタシアと会ったことがあるのか?」

『いや、ないと思う。……じゃが、どこかでその名前を聞いた覚えがあるんじゃが……まぁ、その辺は今は置いておこう。それで、儂に連絡してきた理由は、そのエルフに関してじゃな?』

「ああ。明日から、あのウィスプを本格的に調べるらしい。つまり、あの洞窟にいるということになるんだが……大丈夫か?」

『出来れば遠慮して欲しいところじゃがな。取りあえずは問題なかろう』

「助かる。それ以外にも、ウィスプの周囲に何らかのマジックアイテムとかのようなそれっぽいのを置くのも、出来れば遠慮してくれると助かる。下手にその手の物を置くと、それこそアナスタシアはウィスプに繋げて考えそうだし」


 そう言われるのは、グリムにとっても若干予想外だったのだろう。

 対のオーブに映されているグリムは、少し困ったような様子を見せ、口を開く。


『それは少し困る。もう少し時間が経てば、ある程度の結果を出せそうなところなんじゃが』

「そう言われてもな。アナスタシアがウィスプを調べる時にそれを見つけたら、間違いなく面倒なことになるぞ?」

『ぬぅ』


 レイの言葉に、グリムは悩む。

 実際、今の状況を考えれば、アナスタシアに見られると不味いのは事実だ。

 それでもグリムとしては、それを止めることは出来なかった。


『勿体ない……非常に勿体ないが、あれを使うか。……確認しておくが、あのエルフに見つからないのなら構わんのじゃな?』

「え? それは構わないけど、そんなことが出来るのか?」

『うむ。ただし、少々貴重な素材を使う必要がある』

「貴重……ね」


 他の者が貴重だと言うのであれば、相応の貴重な素材なのだろうと納得することが出来る。

 だが、この場合はグリムが……ゼパイルが生きていた時から存在しているグリムが、貴重な素材と言ったのだ。

 果たしてそれが、具体的にどれくらい貴重な素材なのか。

 聞くのが若干怖かったが、それでも何とか口を開く。


「えっと、それは具体的にどれくらい貴重な品なんだ?」

『ダスルニカという植物の実を乾燥させた物じゃな。このダスルニカという植物は二百年程前に環境の変化によって絶滅したとされておる。……儂のところにあるのを除けば、恐らくそれは間違っておるまい』

「それはまた……」


 レイはグリムの言葉に驚愕することしか出来ない。

 それはつまり、グリムが本来なら絶滅した植物を持っているということを意味しているのだから。

 勿論、このエルジィンにおいては未踏の場所というのはそれなりに多い。

 そのような場所に行けば、あるいは本来なら絶滅したと思われる植物や動物、それ以外にも様々な存在がいるというのは、否定出来ない事実なのだ。

 だが、少なくても今のこの状況で絶滅したと判断されている植物を有しているのは、グリムにとって大きな利益となるだろう。


「その、ダスルニカだっけ? その植物は増やさないのか?」

『一応増やしてはおる。じゃが、育てるのがなかなか難しいのじゃよ』

「……なるほど」


 グリムの言ってることが真実かどうかは、レイには分からない。

 だがそれを確認する術がない以上、今のレイにとってはそれを信じるしかなかった。

 ……そもそもの話、グリムがこの件でレイを騙しても何の意味もないのだが。


『ともあれ、ダスルニカを使えば、地面に置いた物を誤魔化すことは出来る。それなら問題はないのじゃろう?』

「そうだな。出来れば止めて欲しいというのが正直なところだけど、それは無理なんだろ?」

『うむ。それに……上手くいけば、あの風の精霊を正気に戻すことも可能かもしれん』


 そう言ったグリムのことで思い出したのは、エメラルドに封印されていた風の精霊。

 何らかの理由で狂ってしまったその精霊が正気に戻ると言われ、レイは疑問を抱く。

 ウィスプの能力は異世界からの転移。

 だというのに、そこに狂った風の精霊が封じられたエメラルドを置いて、それが何故正気に戻るのか。

 その因果関係が、レイには分からなかった。

 とはいえ、魔法使いや研究者としては、レイよりもグリムの方が上だ。

 純粋な魔力量だけなら、レイの方が圧倒的に上なのだが、魔力を操る技術の類となれば、レイはグリムに及ばない。

 研究者として考えれば、それこそレイは魔法以上にグリムに及ばなかった。


「取りあえず、その辺はグリムに任せるよ。こっちはこっちで、後は適当に色々と動いてみるけど……いいか? くれぐれも、く・れ・ぐ・れ・も、アナスタシアには、見つからないように頼むぞ」


 そう言い、レイはグリムと暫く雑談を楽しむのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る