第2150話

「うわぁ……凄いわね。レイに話を聞いていたけど、本当にこんな湖が広がっているとは思わなかったわ」


 生誕の塔と湖が存在する場所に到着すると、アナスタシアは素直に驚きを表情に表す。

 ウィスプの研究をする為に、アナスタシアが住む場所をどうするか。

 それでどうすべきかと色々と迷い、アナスタシアはいっそのことあの地下空間に直接泊まり込むとまで口にした。

 だが、レイとしてはそれを認める訳にはいかない。

 アナスタシアがあの地下空間に棲み着くとなれば、場合によってはグリムと接触する可能性があるのだ。

 レイやその仲間達には親切なグリムだが、それはあくまでもレイとその仲間という限定された者達だからだ。

 アナスタシアのように、初めて会った相手にもレイ達と同様に優しくするとは、レイには到底思えなかった。

 それこそ、場合によってはアナスタシアがグリムに殺されてしまう可能性すらあるのだ。

 また、グリムの件がなくてもエルフのアナスタシアが緑のない地下空間に住むのは色々と問題があるだろうと思える。

 レイが見たところ、アナスタシアは何かに集中すればそれ以外のことはどうでもいいと思えてしまうような性格をしていると思えた。

 もしこのままアナスタシアを地下空間に残せば、全く地上に出るようなことがないまま、ウィスプの研究に集中する可能性が高い。

 それをどうにかした方がいいと判断したレイが出した提案は、アナスタシアを生誕の塔のある場所に連れてくることだった。

 アナスタシアも本当は嫌そうだったが、それでも湖や生誕の塔を見ることが出来ると知ると、幾らか嬉しそうに移動することに同意した。


「うわぁ……これは……ねぇ、レイ。ちょっと湖に入ってみてもいい?」


 目を好奇心で輝かせがながら、アナスタシアはそう尋ねる。

 だが、レイはそんなアナスタシアに対して首を横に振る。


「いや、湖にはモンスターがいる。それこそ、本来ならもっと深い場所にいるモンスターが浅瀬にまで来ることもある」


 レイが思い浮かべたのは巨大な牙を持つ魚。

 あの魚は自分が動けなくなっても、浅瀬までやって来るのだ。

 いや、もしかしたら獲物を察知した後はそれだけしか見えておらず、自分が動けなくなるというのは全く気にしていない可能性もある。

 レイが聞い話から考えると、獰猛というか猪突猛進といった表現が似合う魚なのだ。


「モンスターが? それも少し興味深いわね」


 言葉通り興味深そうに湖に視線を向けていたアナスタシアだったが、そんな二人――セトはリザードマンの子供達と遊んでいる――に近づいてくる者がいた。


「レイ、そちらの女性は?」


 そう尋ねてきたのは、この場の責任者という扱いの騎士。

 言葉遣いは丁寧だったが、どこかレイを責める視線を向けている。

 当然だろう。この湖については可能な限り隠すということになっているのに、そこにいきなりアナスタシアを連れて来たのだから。

 コボルトに追われた三人の冒険者達は、この湖の一件を知ったことが原因で現在捕まっている。

 とはいえ、騎士団の本部ではなく領主の館の地下牢という、ある程度地位のある人物を閉じ込めておく場所なので、居心地は騎士団の地下牢に比べると悪くはないのだが。

 ともあれ、偶然ここにやって来ただけの冒険者ですらそのような処遇になっているのだから、レイが自分で連れてきたアナスタシアがどうなるのかは、想像が出来た筈だ。

 騎士はその意味も込めて、レイを鋭い視線で眺めていたのだ。

 だが、そんな騎士に対し、レイは心配ないと首を横に振ってから口を開く。


「この女はアナスタシア。ダスカー様の要望を受けて、色々と調べて貰ってるところだ」

「ダスカー様の……?」


 騎士の視線が、少しだけ厳しさを和らげる。

 ダスカーからの要望となれば、この湖について知ってもおかしくはない。

 ……もっとも、それはあくまでもレイの言ってることが本当であればの話だが。

 レイのことは信頼している騎士だが、それでもこの湖の重大さを考えれば、何の保証もなく信じる訳にはいかない。


「馬車が来たら手紙を持たせてダスカー様に確認を取るが、構わないか?」

「ああ、それは構わない。アナスタシアはここを拠点にするつもりだしな」

「……何……?」


 レイの口から出た言葉は、騎士にとっても予想外だったのだろう。

 だが、それは当然と言ってもいい。

 何故なら、生誕の塔の護衛としてここで寝泊まりしている者は、全員が男なのだから。

 生誕の塔と一緒に転移してきたリザードマンの女がいるが、そちらは人間や獣人、ドワーフといった者にしてみれば、顔の形が違いすぎてそういう対象には考えられない。

 だが、アナスタシアは別だ。

 胸に女らしさはないが、その顔立ちは余程特殊な趣味の者でなければ、美女と呼ぶに相応しい容姿をしている。

 そんな美人が、男だけのここを拠点とする……寝泊まりをすることになった場合、間違いなく色々と問題が起きると想像出来た為だ。

 一応ここにいる冒険者は、ギルドから信頼出来る人物だという推薦があってここにいるのだが、それでも美女を前にして欲望を暴発させないかと言われれば、首を傾げざるを得ない。

 そんな男ばかりの場所に、わざわざ騒ぎの原因になるような相手を連れて来るのは、仕事の妨害とすら思えてしまう。


「言いたいことは分かるけど、他に場所がないんだよ。毎日のようにトレントの森を歩き回る必要があるから、ギルムから通ってくるのも大変だし」

「……樵やその護衛達は、毎日ギルムから通ってきているが? それに、ケルベロスすら現れた中を、エルフとはいえ女が一人でうろつくのは危険じゃないか?」


 騎士の言うことはもっともだった。

 それはレイにも分かっているが、樵達が来るのはトレントの森の中でも外側の部分でしかない。

 それに比べると、アナスタシアが行きたいのはトレントの森の中央部分だ。

 また、トレントの森に出て来るモンスターの件でも、基本的にアナスタシアはウィスプのいる地下空間で研究を続けるつもりである以上、こことトレントの森の中央部に行き来する時以外は危険はない。

 そして、ウィスプの研究をするのなら、レイがそれに手を貸さないという選択肢は存在せず、送り迎えくらいはセトに頼めば問題ない。

 ……とはいえ、ウィスプや地下空間の件はまだ秘密にする必要がある以上、例えダスカーの部下でも騎士にそれを話すことは出来ない。


「大丈夫よ」


 何と説明したらいいのか言葉に迷ったレイを助けたのは、アナスタシアだった。

 湖から視線を逸らし、騎士を見ながら言葉を続ける。


「こう見えて、私はエルフの中でもそれなりに腕利きの精霊魔法使いなの。もし私に妙なちょっかいを掛けようとしたら、どうなるかは……言うまでもないと思うけど?」


 アナスタシアの自信に満ちた言葉に、騎士は若干気圧される。

 いや、それは騎士だけではなく、話を聞いていた冒険者達も同様だった。

 エルフで精霊魔法使い。

 ギルムに住んでいる者で、その組み合わせを言われて思いつくのは、当然のようにマリーナだ。

 実際には、マリーナは精霊魔法使いとしてはエルフやダークエルフとして見ても、規格外の使い手であり、一般的な精霊魔法の使い手はとてもではないがマリーナ程の技量はないのだが。

 それでもやはり、ギルムの冒険者としてエルフと精霊魔法という言葉の二つで思い出されるのはマリーナなのだ。

 騎士の方も、ダスカーの部下である以上、ダスカーとマリーナの関係は知っている。

 同時に、ダスカーからマリーナが使う精霊魔法の規格外さを聞かされることも多いので、エルフと精霊魔法でマリーナを思い浮かべるのは変わらない。


「あー……うん。なら、取りあえず問題はないと思う。ただ、生誕の塔で男と雑魚寝をするのは嫌だろうから、アナスタシアさんのテントを一つ用意する。あ、それともレイのマジックテントを使うか? そうすれば、住み心地もいいと思うけど」

「いや、アナスタシア用のテントを頼む」


 これが馴染みの女……エレーナ達であれば、レイも自分のマジックテントで一緒に眠るのを拒否はしなかっただろう。

 だが、レイにとってアナスタシアは、ダスカーに紹介された相手ではあっても、身内ではなく他人という扱いだ。

 そうである以上、女のアナスタシアと一緒にマジックテントの中で寝るという訳にはいかなかった。


「そうね。私もそうしてくれた方が助かるわ。テントの中でも色々と考えを纏めたり、紙に書いたりといったことをするでしょうし。そういう時にレイと一緒だと、迷惑になると思うから」


 アナスタシアの言葉は、レイを男として危険な存在と思ってそう言った……のではなく、自分の都合からの言葉だ。

 とはいえ、それはレイにとっても好都合なので、特に何かを言うようなことはなかったが。


「じゃあ、そういうことで頼む。それと……ゾゾ!」


 レイの言葉に、少し離れた場所で待機していたゾゾが近づいてくる。


『どうかなさいましたか、レイ様?』


 ゾゾの持っている石版に、ゾゾの言葉が表示され……それを見たアナスタシアは、大きく目を見開く。


「ちょっ、え!? 何よこれ!」


 そんなアナスタシアの様子に、そう言えばこのマジックアイテムについては説明していなかったか? と思う。


「これはリザードマン達と会話が出来ないというのを相談したら、師匠がくれた物だ。この石版があれば、ゾゾ……そのリザードマンとは普通に会話が出来る。もっとも、リザードマンの中にはこちらの言葉を覚え始めている者もいるから、いずれは必要なくなるだろうけど」

「この石版……前に何かの本で読んだことがあるような、ないような。……けど……いえ、でも……」


 ゾゾの持つ石版に視線を向けながら、アナスタシアは考え込む。

 だが、レイはそんなアナスタシアを若干の呆れを込めて一瞥した後で、改めてゾゾに話し掛ける。


「ゾゾ、この女はアナスタシア。今日から暫くここで寝泊まりするから、リザードマン達にも知らせておいてくれ」

『分かりました。……何なら、世話役の女をつけましょうか?』

「いや、言葉が通じない以上、アナスタシアの邪魔になる可能性がある。まさか、ゾゾがつきっきりになる訳にもいかないだろ?」

『残念ながら、そうなります』


 ガガには負けるが、ゾゾもリザードマンの中では強い影響力を持つ。

 また同時に、現在唯一石版を使ってこの世界の者と意思疎通出来るゾゾは、それこそ何かあればすぐに呼び出されるので忙しく、とてもではないがアナスタシアの世話役といった真似は出来ない。

 そうなると、やはりアナスタシアの付き人を用意するのは難しく……


「それでいいよな、アナスタシア?」

「え? 何が?」


 ゾゾの持つ石版のことを考え続けていたのか、アナスタシアはレイの言葉に不思議そうな表情を浮かべる。

 レイも短い付き合いではあるが、アナスタシアの性格は何となく理解出来たので、言い聞かせるように事情を説明する。


「アナスタシアが女だから、リザードマンの女を世話役につけるかって言われた。けど、言葉が通じないからということで、断ったんだが、構わないよな?」

「え? うーん、そう言われればそうね。断ってくれて構わないわ。リザードマンの女も興味はあるんだけど……言葉が通じないんじゃ、色々と不味いし。その代わり、そっちのゾゾだっけ? そのゾゾに色々と話を聞きたいんだけど、駄目かしら?」

「ちょっと難しいな。この石版のおかげで、ゾゾは今リザードマンの纏め役のようなことをしている。だからアナスタシアに付き合ってる暇はないと思う」


 また、レイは話さなかったが、ゾゾが従っているのは、あくまでもレイだ。

 この場所にいる者達とはそれなりに一緒にいる時間も長くなっているので多少は心を許しているが、アナスタシアを相手にした場合、ゾゾは辛辣な態度を取る心配があった。

 ……一応レイがその辺をしっかりと言えば、ゾゾもある程度はアナスタシアに丁寧な態度を取るとは思うのだが、それでも今の状況は色々と危険に思えたのも、間違いのない事実だ。


「うーん、そう? ならしょうがないわね」


 アナスタシアの方も、駄目だと予想していながら尋ねたのか、特にしつこく頼むようなことはない。


「さて、それでだ。アナスタシアのテントだけど……場所はどこにする? ここはセトがいるし、腕利きの冒険者もいるからトレントの森からモンスターが襲ってくる可能性は少ないけど、湖のモンスターはそういうのに効果はないみたいだし。それに森のモンスターも、中にはセトがいても襲ってくる奴がいるから、あまり油断は出来ないんだよな」

「そう、ね。……なら、レイのマジックテントの隣でお願い出来る? それなら、色々と安心でしょう?」


 そう尋ねるアナスタシアに、レイは少し考えた後で頷くのだった。

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