第2152話
グリムと話した翌日……レイは当然のように、アナスタシアと共にトレントの森の中央にある地下空間にやってきていた。
本来なら、レイはここまでアナスタシアを送ってきただけで、後は帰ってもいい。
いいのだが、昨夜のグリムとした会話の件もあり、地下空間にあるグリムの痕跡が見つからないかと心配になって、アナスタシアと一緒に地下空間にやって来ていた。
「レイは別に私と一緒に行動しなくてもいいのよ? 色々と忙しいんでしょ?」
そう疑問を口にするアナスタシアだったが、レイは首を横に振る。
「このウィスプはかなり興味深いからな。異世界の存在。……これに興味を持つなという方が無理だろう?」
「それは……そうね」
レイの言葉は、アナスタシアを納得させるのに十分な説得力を持っていた。
実際にレイが口にした内容は、決して嘘ではない。
ウィスプの異世界から転移させるという能力は、レイにとって非常に興味深い存在だ。
また、ウィスプがモンスターであるにも関わらず、全く攻撃をしてこないというのも興味を抱く理由だった。
「だろう? 今のところは、恐らく二つの世界としか繋がっていないだろうが、この先がどうなるのかは、全く分からない。……その辺をしっかりと知ることが出来れば、色々と面白いことになると思うんだが」
それはアナスタシアにも同意だったのか、目をウィスプの方に向けながら頷く。
アナスタシアにとって、レイの言葉は自分と同じ意見を持っているということで、友好的な笑みを浮かべ、ウィスプから目を離さずに口を開く。
「そうね。異世界の存在。……それは、強く興味を抱くわ」
「このウィスプを上手い具合に思い通りに動かすことが出来るようになれば、それはギルムにとって大きな利益となるのは間違いない」
「……そこはギルムだけではなく、国全体、種族全体といったように表現して欲しかったんだけど」
ウィスプを見ていた視線を、一瞬だけレイに向けたアナスタシアがそう告げる。
アナスタシアにとって、このウィスプの研究がダスカーの為になるというのは分かっているが、ギルムだけでそれを使うというのは、納得出来ないことでもあった。
だが、レイにしてみれば、このウィスプを他の者……ギルム以外の者に使わせるというのは、あまり面白い話ではない。
当然だろう。このウィスプの能力を考えれば、絶対に面倒なことになるというのが理解出来るのだから。
それどころか、このウィスプの所有権を巡って大規模な戦いになる可能性すらあった。
「このウィスプの能力の有用性を知れば、それこそ多くの者が自分の物にしたいと思う筈だ。当然のようにダスカー様もこれを譲るなんてことはないだろうし、俺もそれは同様。そうなると、場合によっては内乱になりかねないぞ」
「それは……」
アナスタシアがレイの言葉を否定出来ないのは、アナスタシア自身が知っていたからだろう。
エルフとして長い時間を生き、それだけ長い時間を人と関わってきたのだ。
人の全員がそうだという訳ではないが、貴族の中には自分の利益の為であれば他者がどうなっても関係ないと、そう思う者がいるのは知っている。
アナスタシア自身、ギルムに来たのはそのような相手と付き合うのが面倒になったという理由があったのも、間違いのない事実なのだ。
そんなアナスタシアの事情を知っている訳ではないが、レイは何となく予想をして、口を開く。
「どうやら心当たりがあるみたいだな。つまりそういう訳で、この件はあまり公にしたくない訳だ。……勿論、それは俺がそう思ってるだけで、もしかしたらダスカー様が公表する可能性もない訳じゃないけど」
そう言いながらも、レイは恐らくその可能性はないだろうと考える。
ダスカーは、ギルムの領主として現在の自分の状況をよく理解している。
ただでさえ国王派からちょっかいを掛けられることが多いのだから、このような状況でこのウィスプのことを口にすればどうなるのか、それは明らかだった。
(いっそ、テイマーがウィスプをテイムしてくれれば、こちらとしては楽なんだけどな。……そういう訳にもいかないか。そもそも、そのテイマーがこっちに協力的かどうかも分からないし。もしダスカー様と敵対している勢力のテイマーがテイムしたら大変だしな。……テイマーは多くなってるんだけど)
ギルムでは、現在テイマーになりたいという者が結構な数いる。
中には何らかのモンスターをテイムした者もいた。
言うまでもなく、これはレイとセトの影響によるものだ。
セトの愛らしさにやられ、自分でも愛らしいモンスターをテイムしたいと思った者。
もしくは、セトのような高ランクモンスターをテイムすれば、冒険者として活動する上で、間違いなく有効だと考えた者もいる。
そんな訳で、実際にテイマーとして活動している者、もしくはテイマーを目指している者という点では、ギルムには相応にいるのだ。
そのような者の中に、ウィスプをテイム出来る者がいるという可能性は決して否定出来ない。
……あくまでも可能性でしかないが。
「とにかく、今は後のことを考えるよりウィスプの研究をした方がいいんじゃないか?」
「……そうね」
レイの言葉に若干残念そうにしながらも、アナスタシアはウィスプについての研究を進めていく。
五分程の間、そんなアナスタシアとウィスプを眺めていたレイだったが、アナスタシアが余計なことを考える様子もなく、完全にウィスプの研究に没頭し始めたのを確認すると、周囲に視線を向ける。
昨夜の話し合いで、グリムは希少な……それこそ、今では絶滅してしまったと言われているダスルニカという植物の実を乾燥させて作るマジックアイテムによって、グリムが地面に置いた物を認識出来なくさせるということになっていた。
その効果は……と、改めて周囲を見回すが……
「げ」
思わずといった様子で、レイは声を漏らす。
何故なら、現在向けられているレイの視線の先。
そこにある空間が歪んでいるように見えた為だ。
(おいおい、グリム。どうなってるんだよ)
そんな空間の歪みが、地面の上に、一つ、二つ、三つ、四つ。
少なくても、今レイがいる場所から見えるだけでも四つはあった。
「どうしたの? 出来ればちょっとこっちに集中させて欲しいんだけど」
不意にレイが声を出した為だろう。
ウィスプの研究に集中していたアナスタシアが、少し迷惑そうな様子でレイに視線を向け、尋ねる。
「……何かある?」
「あ、いや。ちょっと待った」
不満そうだったアナスタシアだったが、レイが見ている方が気になり、そちらに視線を向けようとし……それを何とか止めようとしたレイだったが、残念ながらそれは遅い。しかし……
「何よ、別に何もないじゃない。てっきり、ウィスプが何かを転移させてきたのかと思ったのに」
そんな風に、レイに言ってくる。
え? あれ? と、そんなアナスタシアの様子に疑問を抱いたレイだったが、それでもアナスタシアが騒がないのであればと、何とか話を合わせる。
「悪い。何か動いたような気がしたんだよ」
「そうなの? でも、ここはあの地下通路が出来るまでは密室状態だったんでしょ? そうなると、あの精霊魔法を突破してここに入ってきたということになるけど……」
真剣に何かを考え始めたアナスタシアに、レイは慌てて首を横に振って、自分の言葉を否定した。
「いや、俺の気のせいだろ。多分ウィスプの明かりのせいで出来た影か何かを見間違えたんだと思う」
「そう? それならいいんだけど」
そう言い、アナスタシアは再びウィスプの研究に戻っていく。
それを見ていたレイは、改めて自分の見ていた方向……そして、アナスタシアも見た方に視線を向ける。
だが、そこには間違いなく空間の歪みにしか見えないものが存在している。
(あの歪み、間違いなくアナスタシアも見た……よな?)
アナスタシアはレイの視線を追ってレイの見ている方を見たのだから、そこに存在する空間の歪みを見えないということはない筈だった。
だが、それでもアナスタシアは空間の歪みに気が付かなかった。
(つまり、あの空間の歪みが見えるのは俺だけ? ……けど、何で? いや、何でと考えても、思いつく理由は一つしかないけど)
自分の身体を作ったのは、一体誰だったのか。
それを考えれば、空間の歪みを見ることが出来たのは、素直に納得出来た。
(とはいえ、何で急に? 今まで空間の歪みっぽいのを見たことは何度かあったけど、それを見た時は大抵他の奴にも見えてた……よな? だとすれば、やっぱり何で急に?)
そう考え……一つの結論に到達する。
(ダスルニカの実、か?)
グリムが使ったと言われる、ダスルニカの実を使ったマジックアイテム。
それによって、レイの身体に眠っていた新しい能力が覚醒したのか、それとも単純にダスルニカの実に対してだけ、見抜くことが出来るようになったのか。
そのどちらかは分からないが、レイとしては出来れば前者の方がよかった。
この件に関しては、後でグリムに聞いてみようと心に決め、改めて地下空間の中を見回す。
最初に見つけた空間の歪みは四つだけだったが、地下空間の中を歩き回りながら確認してみると、他にもかなりの数がそこに置かれていた。
(グリムの奴、もしかしてダスルニカの実を使って見つからないようになったからって、手当たり次第に置いたのか? ……いや、違うか。元々アナスタシアが来るまでは、グリムがここを自由に使っていたんだ。そう考えれば、わざわざ今の状況でそんな真似をする筈がない)
つまり、以前からこれだけのマジックアイテムを始めとして様々な物が置かれていたのだろう。
ただ、単純にレイがそれに気が付かなかっただけで。
「結局ダスルニカの実だけか」
地下空間の中を歩き回ってみたレイだったが、結局その途中で特に何かこれといった物を見つけることは出来ない。
それはつまり、レイの考えた中でもあまり面白くない可能性……ダスルニカの実にのみ、目が反応したということなのだろう。
ダスルニカが絶滅する前であれば、役に立ったかもしれない能力ではあったが、今の時代では殆ど役には立たない。
(まぁ、ゼパイルがいた時代なら役に立ったかもしれないけど。……そう考えると、もしかして俺の身体って俺自身も知らないような、妙な能力があったりしないよな?)
考えれば考えるだけ不安になってしまうレイは、取りあえず考えないことにする。
どのみち今の状況で発現するような能力ではないのだから、気にしても仕方がないと。
……本人も、それが棚上げでしかないことは分かっているのだが。
ともあれ、自分の身体については一段落させ、ウィスプの研究をしているアナスタシアに近づいていく。
レイが近づくことに気が付いているのかいないのか。
周囲の様子は全く気にせず、アナスタシアはウィスプについて色々な調査をしていた。
とはいえ、いきなりウィスプに触ったりすれば、一体どのような影響があるか分からない。
そうである以上、まずはじっくりとした観察から。
前後左右下。
……恐らく空を飛ぶ手段があれば、上からもじっと観察していただろう。
知的美人と評してもおかしくないアナスタシアが、真面目な顔をして空中に浮かんでいるウィスプの下に潜り込んで上にいるウィスプの下の部分を観察している光景は、ある種のユーモラスを感じさせる光景だった。
やっている本人は真剣なのだろうが。
「アナスタシア、何か分かったか?」
「……駄目ね。こうして観察しているだけだと何も分からないわ。けど……迂闊に触れる訳にもいかないのよね」
ウィスプの下から這い出してきたアナスタシアが、そう言いながら首を横に振る。
「だろうな。このウィスプが他にも何匹かいれば、そういう方法も出来るだろうけど」
ここでもし迂闊にウィスプに触り、それが原因で何か取り返しの付かないことにでもなったらどうするか。
それこそ、世紀の発見と呼ぶに相応しいようなウィスプが消えてしまうのだから、ダスカーにどう報告していいものか分からない。
とはいえ……
「けど、こうして観察しているだけでは結局何も分からないのも事実なのよ」
「……だろうな」
アナスタシアのその言葉には、レイも頷かざるをえなかった。
実際、アナスタシアがウィスプの観察を始めてから……つまりレイが地下空間の中を探索してから、三十分近くが経っている。
それだけの間ウィスプを観察したのに、何も分からなかったのだ。
もっとも、本来ならこういう時は数時間、数日、数週間、数ヶ月と長期間観察することも珍しくはないのだが。
「取りあえず、次の段階に移るわ」
そう言い、アナスタシアはウィスプに手を伸ばすのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます