第2142話

 トレントの森の中、レイはセトに乗って進む。

 トレントの森は、特に道の類がある訳ではない。

 いや、樵達が木を伐採している場所は道のようになっているので、全く道がない訳ではないが。

 ……そういう意味で言えば、生誕の塔の側にあるトレントの森にも、幾らか道らしきものは存在していた。

 あくまでも、生誕の塔の側という限定ではあったが。


(多分、リザードマンの子供達が面白がってトレントの森に入って遊んだりしてるんだろうな。……湖で遊ぶのも、禁止されるようになったし)


 湖が転移してきた当初であれば、それなりにリザードマンの子供達も湖で遊ぶことが出来ていた。

 だが、湖にはモンスターがいる。

 それも、昨夜食べた牙を持つ魚は、半ば強引に浅瀬までやって来たのだ。

 そのような場所で子供達を遊ばせるなどといった真似は、それこそ危険すぎる。

 だからこそリザードマンの子供達は、トレントの森で遊ぶようになった。

 ……ケルベロスの一件を見ても分かるように、トレントの森も安全という訳ではないのだが。

 それでも湖という水に入っての戦いよりは、地上で戦った方が有利なのは間違いないので、生誕の塔の近くであればという条件で子供達がトレントの森に入るのは許可された。

 当然子供達だけではなく、世話役の女のリザードマンや転移してきたリザードマン、場合によってはギルムの冒険者が一緒に行動することもある。

 とはいえ、そのような者達によって作られた道は既にない。

 セトの足の速さを考えれば、それこそものの十数秒……いや、数秒で通りすぎてしまってもおかしくはない。

 そうしてセトはトレントの森の中を疾走する。

 トレントの森に生えている木は、規則的に生えている訳ではない。

 しかし、そのような状況であってもセトは全く躊躇することなく……それどころか、走る速度を殆ど落とすことなく、走り続けていた。

 木々の間を縫うように走るその速度は、もし先程の黒装束の者達の仲間がいても、追いつくことはまず不可能だろう速度だ。


(やっぱり空を飛ばないでトレントの森の中を抜けるように移動して正解だったな)


 セトの背の上で、レイは感謝を込めてセトの首を撫でる。


「グルルルゥ」


 走りながらではあったが、セトはレイに撫でられたことで嬉しそうに鳴き声を上げていた。

 つまり、こうしてトレントの森の中を疾走しているセトには、まだ余裕があることを示している。

 そうして森の中を進み続け……幸いにも、もしくはセトの気配を感じてか、モンスターと遭遇するようなこともないままに、目的の場所に到着した。

 トレントの森の中央部分。

 異世界転移の力を持つウィスプが存在する地下空間に続く通路を隠蔽してある場所だ。

 セトから降りたレイは、素早く周囲の様子を確認する。

 おかしな場所はないか。何かを調べたような痕跡はないか。誰かが隠れていないか。

 そんなレイの横では、セトもまた周囲の様子を確認していた。

 セトにしてみれば、レイの真似のようなものなのだろう。


「……うん、大丈夫だな。取りあえず周囲に誰の気配もないし、ここを調べた様子もない」

「グルゥ!」


 数十秒後、レイの口から出た呟きに、セトは同意するように頷く。

 セトのその声に、レイも安堵した様子を見せる。

 レイも自分の感覚が鋭いのは理解しているが、それでもやはり今回の一件に関しては念には念を入れたいのだ。


「ここまで来たんだし、地下空間に行ってもいいけど……いや、止めておくか」


 レイとしては、ウィスプに変わったところがないのかどうか、確認しておきたい。

 また、あの地下空間はグリムの研究室とも繋がっており、ウィスプについて色々と調べている可能性もあった。

 実際にエメラルドに封じられた風の精霊を置いたりといった真似をしているのだから。

 だが、ここであまり時間を掛けるような真似をした場合、それこそ黒装束の仲間達が生誕の塔からいなくなったことを疑問に思い、やってきかねない。

 それに生誕の塔で周囲の様子を警戒している冒険者達も、セトがいるのといないのとでは大きな違いがある。

 本来なら、セトのような存在がいない状況で周囲を確認する必要があるのだが、ここ数日はセトと一緒に野営をするというのに慣れてしまった。

 そうなると、どうしてもセトの鋭い五感に頼ってしまうのだ。

 ……これで、実際にセトがいない状況であれば、そこまで気にするような事はないのだろうが。

 今は、セトがいるというのが普通になっているが故の弊害だった。


「まぁ、俺がどうこう言えたことじゃないんだけどな」


 セトがいることに慣れているという点では、それこそレイはセトにベッタリなのだから。

 今は紅蓮の翼というパーティを組んでいるが、以前にソロで活動していた時、ギルムの外で野営をする時は、セトに見張って貰っていた。

 もっともセトに頼るという意味では、パーティを組んだ今もそう変わってはいないのだが。


「グルゥ?」


 どうしたの? と小首を傾げるセトに、レイは何でもないと首を振ってから口を開く。


「取りあえずここの安全も確認したし、来たばかりだけど生誕の塔に戻るか」


 そう呟き、レイは再度セトに乗って生誕の塔に向かうのだった。






「遅い!」


 その言葉と共に、振り下ろされた拳が執務机を叩く。

 老人……ヴィーンは、苛立ちも露わにしながら、部下に視線を向ける。


「どうなっている? 本当に湖があるかどうかを確認してくるだけだろう。なら、もう戻ってきてもいいのではないか? なのに、何故ここまで時間が掛かっている!?」


 それは最早部下に聞いているというのではなく、半ば八つ当たりをしているかのようなものだった。

 だが、それも無理はない。トレントの森に送った者達が、誰一人戻ってこないのだから。

 最初に部下の者が持ってきた報告を聞いた時は、半信半疑……いや、二信八疑だった。

 それでも念の為と色々と情報を集めると、それらしい情報を幾つか見つける。

 だからこそ、腕利きと名高い者達を雇うことに成功し、本当に湖が存在するのかどうかといったことを調べに向かわせたのだ。

 もっとも、ヴィーンとしては本来ならもっとギルムの事情を知っている者……具体的には、増築工事前からギルムの裏社会にいた者達に仕事を依頼したかったのだが、何故かそれは全て断られた。

 ……裏社会に生きている者にしてみれば、その情報網で今回の一件にレイが関わっていると知っていたのだろう。

 ギルムの裏社会に存在する組織は、今まで何度かレイとぶつかったことがある。

 そしてぶつかった組織は大半が壊滅したり、そこまではいかなくても大きな被害を受けていた。

 本当に運がいいもの、もしくは頭の切れる者は、レイとぶつかったと判断した瞬間に現状を不味いと判断し、手打ちをするなり、ギルムから脱出するなりといったことをして、無事生き延びた者もいる。

 本来なら、裏社会の組織であれば相手の弱点を突くなり、家族友人恋人といった者達を人質とするなりといった真似をしてもおかしくはない。

 だが……レイの場合は、それが通用しない。

 純粋にレイの実力が人外と呼ぶ程に高く、そしてセトというグリフォンの従魔もいる。

 敵対したと判断した時点で、レイはその組織に乗り込み、暴れるのだ。

 その上、盗賊狩りを趣味としているだけあって、表沙汰に出来ない財産の類があれば、それも奪われてしまう。

 その辺の事情を考えれば、とてもではないがレイと敵対するのは割に合わないと判断するしかない。

 だからこそ、ヴィーンの依頼を受けるのは最近ギルムにやって来たような組織しかなかった。

 ギルムが増築工事を行うようになり、多くの者が流入してきた。

 そんな中には当然のように自分達も利益を得ることが出来るでのはないか? と考えた裏の組織も存在している。

 ミレアーナ王国唯一の辺境にある、ギルム。

 そのギルムに進出することが出来れば、それは大きな……非常に大きな利益となる。

 当然のように、そのような場所には既に既存の組織が存在しており、そのような場所に進出すれば騒動となる。

 ……それでも大規模な――表に出るという意味で――抗争は起こらず、あくまでも一種の治外法権に等しいスラムでのみの抗争をしていたので、その件で表だってどうこうなることはなかったが。

 だが、辺境のギルムに存在している組織というのは、ギルムでやってきただけに手練れが揃っており、殆どの組織は呆気なく潰された。

 当然だろう。ギルムの裏の組織には、元冒険者という者も多い。

 元冒険者というだけであれば、少し大きな村や街、都市に行けば幾らでもいる。

 だが、ギルムの冒険者となれば、それは話が違ってくる。

 強い仲間と一緒にギルムにやって来てやっていけなくなった者や、ギルムで生まれ育って冒険者になろうとした者といった者達もいるが、大部分は自分の実力でギルムにやって来た者達だ。

 それだけで、ギルム以外の村や街、都市といった場所にいる元冒険者とは、実力が違う。

 そのような者達が実力不足や怪我、もしくはそれ以外にも何らかの理由で冒険者としてやっていけなくなり、結果としてスラム街に流れてきて違法組織に拾われる。

 そのような、他の場所では実力派と言ってもいいような実力の持ち主達が戦力となっている組織とギルムにやって来たばかりの組織がぶつかった場合、どっちが勝つのかは明らかだろう。

 そんな中でも本当に実力者を送り込んできて互角に戦う戦力を持った組織や、もしくはギルムの組織と何らかの繋がりがあって、その繋がりでどうにか出来た組織だけが、何とか生き延びることが出来た。

 とはいえ、そのような組織であってもギルムでは新興組織なのは間違いない。

 だからこそ、美味しい仕事は既存の組織の手の中にあった。

 ギルムの組織に話を通して活動を認められた組織であれば、その組織から仕事を回されることもあるだろう。

 だが、実力で何とか対抗した組織の場合は、その手の伝手も全くない……訳ではないが、どうしてもその伝手はそこまで優秀ではない。

 だからこそ、今回の仕事……湖があるという情報の真偽と、もしあるのならどのような場所なのかの偵察という仕事は、報酬が美味しいこともあって引き受けることになったのだ。

 勿論、そのような新興の組織であっても最低限の情報収集はしているので、ギルムで気をつけるべき相手としてレイの名前は知っていた。

 だが……知識で知っているのと、実際に関わったことによって知っているとでは、大きく意味が違う。

 情報だけで知った気になっていた者達は、そこにレイがいても直接刺激しなければ何の問題もないだろうと判断してヴィーンからの――何人か経由してはいるが――依頼を受けた。

 これが、もし既存のギルムの裏の組織であれば、引き受けるということはないだろう。

 ……そのような組織が引き受けたことにヴィーンは気が付いているのか、いないのか。

 ともあれ、腕の立つ組織だという情報だけは得ていた為に、その腕の立つ者からいつまで経っても全く報告がないということに苛立つ。

 テーブルの上にあった水を一口飲み、部下を睨み付ける。


「一応聞いておくが、雇われた者達が捕らえられた……などということはないんだな?」

「それはないかと」


 あっさりと断言する部下だったが、実際にそれは何の根拠がない言葉という訳でもない。

 繋ぎを取った者から聞いた話によれば、雇った者達は実際に腕の立つ者だと断言していたのだから。

 ……それは間違っていない。

 ギルムの裏の組織と抗争し、自分達の存在を認めさせるというだけの実力を持っているのだから。

 だが、今回ばかりは運が悪かったとしか言えない。

 レイについての情報をもっと集めていれば、この場合は話も違ったのだろうが。

 ともあれ、今の状況で湖を見に行った者達がどうなったのかを知る術はない。

 今の男に出来るのは、何とか自分の仕えるヴィーンの苛立ちを沈めることだ。


「どうでしょう? 以前から気にしていた酒を手に入れました。今はそれを飲んで、吉報を待つのは。ヴィーン様のような方は、どっしりと構えて報告が来るのを待っていればいいのですから」


 これでヴィーンがもう少し若ければ、女を用意するという手段もあった。

 だが、ヴィーンは既に老人と呼ぶべき年齢だ。

 肉体的な問題から、女を抱けなくなっている。

 ……その分が権力欲が旺盛になってしまっているのは、周囲の者達にしてみれば不幸なのだろう。


「酒? ああ、アルトイズの二十年ものが手に入ったとか言っていたな。……いいだろう。持ってこい。本来なら上手い具合に報告があってから、その祝いに飲めればよかったんだがな」


 そう言いながらも、ヴィーンは自分が以前から飲みたいと思って探していた酒を飲めることに、笑みを浮かべるのだった。 

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