第2143話
翌朝。いつものように、生誕の塔に食料やら嗜好品の類や、騎士に向けた書類、その他諸々を持ってきた騎士団の馬車の御者は、そこにあった光景に目を見開く。
当然だろう。どこからどう見ても怪しい黒装束の者達の集団が、手足を縛られてとてもではないが抜け出せないような状況になったまま、そこにいたのだから。
これが夜であれば、夜の闇に紛れるといった真似も出来ただろう。
だが、今は日中……いや、朝だ。
そんな朝の中で、黒装束というのはいかにも間抜けな格好にしか見えない。
黒装束の者達も、それは理解しているのだろう。
御者の視線に、どこか恥ずかしそうにしているように見えた。
「その……これは?」
御者の男が、戸惑ったように騎士に尋ねる。
声を掛けられた騎士は、黒装束の者達を一瞥してから口を開く。
「この連中は、昨夜ここ……多分だが湖の様子を偵察しに来た者達だ。……セトがいたおかげで捕らえることが出来た。戦闘技術という点ではそれ程ではなかったが、隠密行動についてはかなりの腕の持ち主だ。……これだけの人数で偵察に来たということは、何か確信出来る情報があったんだろう」
騎士が何を言いたいのかを理解し、御者の男は厳しい表情を浮かべる。
この湖についての情報が漏れたとすれば、自分もまたその容疑者の一人なのだと。
もっとも、御者は長い間ダスカーに仕えてきた人物だけに、信頼も厚い。
このような事をするとは、到底思われなかった。
そういう意味では、それこそ昨日連れていった冒険者達の方が怪しいのは間違いないだろう。
実際、そちらから情報が流れたのだが……それを知るのは、情報を漏らした冒険者達とそれを聞いた人物。そしてその人物から報告を聞いた者だけとなる。
「ともあれ、この連中は誰かに雇われたか、もしくは誰かの部下か。そんな感じでここに偵察に来たのだと思われる。ギルムに連れていって、情報を吐き出させてくれ」
「分かった。だが、これだけの人数を連れていくとなると、こっちも色々と危険だ。この黒装束の仲間が味方を取り返しにやって来るかもしれないし。護衛を何人か頼めるか?」
「こっちもそのつもりだ」
生誕の塔の護衛をしている者の中から、何人か護衛に寄越して欲しい。
そう告げる御者の言葉に、騎士はすぐに頷く。
実際、これだけの人数の黒装束の者達を運ぶのに、護衛をつけないという選択肢は存在しないからだ。
奪い返しにくるかもしれないというのもあるが、十人を一つの馬車の中に入れるようなことをして、誰も見ていないままで移動すれば、それこそ関節を外すなり何なりして、手足を縛っているロープを外すといったことをする可能性がある。
その点からも、やはり誰か見張りは必要だった。
騎士としても、今回の一件は重要だと理解しているので、黒装束達の護送には万全を期すつもりだった。
「レイ、頼めるか?」
「分かった」
騎士が頼ったのは、当然のようにレイ。
生誕の塔を護衛している者の中でも最強の冒険者である以上、それは当然だろう。
また、レイが一緒に行けばセトも一緒に行くことになる。
この黒装束達を捕らえたのは、先に見つけたセトの能力が大きい。
そんなセトが一緒にいれば、黒装束達も迂闊な真似は出来ないだろうという予想があった。
だからこそ、自分が護送の護衛を頼まれることになるというのは、レイも予想していた。
また、ギルムに伐採された木を運ぶという役目もある。
……朝食後に、ある程度木を伐採してミスティリングに収納してあるので、その木を錬金術師達に渡しておきたいと思っていたところだ。
残念ながら、樵達はこれから仕事なので木の伐採は行われていないか……伐採されていても、数本程度だろう。
それならば、後で纏めて回収した方が手っ取り早い。
(それに、地下空間のことまでは知られてないってのを報告しておく必要があるし)
黒装束の者達がここまで偵察にやって来た以上、場合によってはウィスプのいる地下空間を調べに行った者がいるという可能性もあった。
ダスカーも黒装束のことを聞けば、当然そこを心配するだろう。
だからこそ、レイが直接何も問題がなかったと知らせる必要があった。
直接報告以外でダスカーに知らせるとなると、手紙や伝言という手段になる。
手紙は誰かに盗まれる可能性があり、伝言はそれを聞く者がいる。
どちらにせよ、何らかの比喩か何かで誤魔化す必要があるだろう。
そのような真似をしても、ダスカーがそれに気が付くかどうかはレイには分からないし、ダスカーが気が付いたかどうかで悩ましい時間をすごすことになってしまう。
それを思えば、やはり自分が直接報告に行った方がいいのは事実だった。
「それで、この連中を運ぶのはすぐにするか? それともこっちで何か用事でも?」
レイの言葉に、御者は考える様子もなく口を開く。
「勿論すぐに行く。こんな連中と一緒にいる時間は、少しでも短くしたいからな。それに、時間を掛ければそれだけこの黒装束の連中の親玉なり雇い主なりが、自分達の情報を知られたくないって取り返しに来るかもしれないんだろ? なら、出来るだけ早くダスカー様の下に運んだ方がいい」
御者の言葉にはレイも異論がなかったので、その言葉に素直に頷く。
「そうしてくれると、こっちも助かるよ。……じゃあ、行くか。荷台に乗せればいいのか?」
「ああ。本来なら盗賊達を捕まえた時のように、馬車で引っ張って歩かせるのが一番いいんだが……そうなれば、この黒装束の連中が捕まったって知らせるようなものだろ? あまり意味はないかもしれないが、出来るだけその辺は知られないようにしたい。もっとも……
そこで一旦言葉を切った御者は、意味ありげな視線をレイに向け、再び口を開く。
「襲ってきた相手を捕らえて、それで情報源を増やすってレイが言うのなら、俺はそれに乗ってもいいけどな」
「いや、それは止めておくよ」
レイとしても、情報源が多い方がいいというのは理解している。
だがそれでも、今回の一件はなるべく秘密裏に進めた方がいいというのが、レイの考えだった。
勿論、黒装束の者達全員が戻ってこないのだから、上司か雇った者は捕らえられたと判断するだろうし、自分達の情報を渡さない為にも、黒装束達の奪還、もしくは口封じを狙う可能性が高い。
余裕がある時ならともかく、今は可能な限り早く黒装束達を領主の館に運び込んで、そこで尋問を専門にしている者たちに渡したかった。
御者も、レイが本気で嫌がっているのを理解したのか、これ以上は黒装束達を囮にしようと言うことはなく、馬車の荷物を下ろすように指示を出してく。
こうなると、幌のついていない、いわゆる荷馬車の類ではなく箱馬車を使っていたことが功を奏する。
黒装束達を馬車の中に詰め込んでいるというのは、傍から見ても分からないからだ。
……実際には、ダスカーの持つ馬車の中でも荷馬車は人気が高く、多くの者が借りる順番待ちをしているから、というのが御者が箱馬車を使っている理由なのだが。
荷馬車は屋根や壁の類がない分、荷物を積んだり下ろしたりする時、かなりやりやすいのだ。
ちょっとしたことではあるのだが、そのちょっとしたことが積み重なると、大きな差となる。
そうして十分もしないうちに荷物が全て下ろされると、次に黒装束達を馬車の中に詰め込む。
黒装束の人数的に、全員を詰め込むことは可能だ。
……中では大分窮屈な感じになるが。
黒装束達を見張るのなら、本来はレイもまた馬車に乗る必要があった。
しかし、馬車の中の詰まり具合を考えると、それこそレイは自分が乗った方が危険だと判断せざるをえない。
黒装束達は、気配を殺すことに長けている。
つまり、暗殺者としての一面も持っている可能性が高い。
であれば、例え手足が縛られており、猿轡まで嵌められていても、そのような者達と身動きの出来ない場所で一緒にいたいとは、全く思わなかった。
何より、レイにはセトがいる。
馬車の外からでも、黒装束達が妙な真似をしたらセトの感覚があれば、すぐに分かる筈だった。
「さて、じゃあ出発するぞ。……報告書はしっかり渡すから、安心してくれ」
御者が騎士に短く声を掛け、馬車とレイ、セトは出発する。
「レイ、少し早めに移動しようと思うけど、構わないか?」
「ああ、こっちは問題ない。寧ろ、全速力で移動してもいいくらいだ」
「それはさすがに、目立ちすぎるだろ」
言葉通り馬車の速度を少し上げながらそう告げる御者。
普通ならギルムに近づけば馬車の速度は落とすのだが、それが全速力で移動していれば目立つのは間違いない。
……もっとも、レイとセトが護衛をするように一緒に移動しているという時点で、十分目立っているのだが。
「分かった。その辺は任せるよ」
御者のその言葉に、レイは頷く。
こうして、馬車はギルムに向かって進み始める。
「それで、今のところ湖はどんな具合なんだ? ああ、勿論話してもいいことだけを話してくれればいいから」
ギルムに向かう途中、不意に御者がそう尋ねてくる。
御者にしててみれば、何度も間近で見てはいるのだが、それでもやはり湖に色々と思うところがあるのだろう。
「んー、そうだな。取りあえず生態系は豊かだな。魚とかも普通に食える……というか、美味いし」
そう言いながらレイが思い出したのは、牙を持つ魚。
一応モンスターとして扱った方がいいと思うのだが、この世界ではモンスターがモンスターたる理由……魔石を持っていない以上、モンスターとして扱うのもどうかと思う。
あのトカゲをギルドに渡したんだし、あの湖のモンスターをどのように扱うかというのは、そのうち聞いておいた方がいいのかもしれないな。
とはいえ、ギルドの方でも今は色々と忙しくて、そんな余裕がないというのが、正直なところなのかもしれないが。
「へぇ、美味いのか。じゃあ、ギルムの住人もこれからは魚とかを食べられるようになるな」
「だろうな。もっとも、ギルムの住人全員分といった感じは無理だと思うけど」
湖の広さを考えれば、もしかしたら一時的にならギルムの住人全員の腹を満たす事が出来る魚を獲ることは可能かもしれない。
だがそのような真似をすれば、当然のように湖にいる魚は少なくなってしまう。
一定以上……魚が自然に繁殖して数を維持出来るだけの量は残しておく必要があるのだ。
レイにとっては、日本にいた頃の好物のハタハタを思い出す。
煮てよし、焼いて良しというハタハタは、レイにとってかなり好きな魚だった。
しかし、そのハタハタは獲りすぎたのか、それとも何か他の理由があってのことか、年々漁獲量が減っていったことがあった。
その結果、資源保護の意味も込めて数年間の禁漁期間を設け、それが終わった後でも漁獲量を制限した。
そのおかげで、ハタハタの数も次第に増えていったのだ。
海や湖といったものがなく、漁業についての知識や技術を持っている者が少ないギルムでは、それこそ魚を食いたいからといって、湖の魚を獲りつくしてしまうという可能性は否定出来ない。
……下手に高い能力を持っている者が多いだけに、余計に。
(この件はダスカー様に話しておいた方がいいかもしれないな。ギルムには色んな場所から人が集まってきてる。それを考えれば、漁業について知ってる奴もいるかもしれないし)
レイの場合は、大雑把にどういう事をやるのかというのは分かるが、具体的にどうやってそれをやるのかというのは分からない。
それこそ、そのようなことは本職の漁師に任せるしかないとうのが、正直なところだ。
「レイ? どうした?」
「いや、湖の件が公表されれば、湖に行く奴が多くなると思ってな。……それに、これから夏に向かうし」
「あー……それはな」
レイの言葉に、御者は納得したように呟く。
ここ数日……いや、ここ暫く、気温はそれなりに上がってきている。
それを思えば、そのうち暑さから湖で泳ぎたいという者が出て来てもおかしくはない。
冷房のマジックアイテムのある場所や、それ以外にも何らかの手段で暑さを避けることが出来て暮らしている者がいるのならともかく、そのような暮らしが出来ない者は多い。
基本的に、マジックアイテムは非常に高価なのだから当然だろう。
もしくは、魔法使いになることが出来る者が少ないというのもある。
……ダンジョンがあれば、気温が一定になっている場所もあるので、そこで避暑をするという選択肢もあるが、残念ながらギルムのすぐ側にダンジョンはない。
結果として、湖の存在が公表されれば多くの者が涼む為に湖に行き……モンスターの件もあるので、そこで結構な騒動になることは、レイにも容易に想像出来た。
「うん、取りあえずその辺はどうにかする必要があるな」
そう告げるレイの言葉に、御者も困った様子で頷くのだった。
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