第2139話

 巨大な牙を持つ魚というのは、レイにとっても珍しい。

 少なくても、現在レイの視線の先に存在している魚は、初めて見る魚だった。

 全長二m程と、その大きさはレイよりも大きい。

 それでいて、サンマのように細長い魚なのかといえばそうでもなく、どちらかと言えばマグロに似ている。

 ……あくまでもマグロに似ているのは魚としての全体の形であって、マグロは牙を持っていたりはしないのだが。

 日本にいる頃に本か何かで見た、サーベルタイガーのような大きな牙が魚の口から生えている。

 サーベルタイガーと違うのは、その大きな牙の本数だろう。

 サーベルタイガーは上顎から生えている二本の牙が大きな特徴だったが、レイの視線の先にいる魚は、上顎だけではなく下顎からも牙が生えていた。

 それでいて、牙同士がぶつからないようになっているのは、獲物に食らいつくためだろう。


「凄いだろ」


 冒険者の一人が自慢げに言うが、レイは素直に喜ぶことは出来ない。

 たしかにあの魚は凄い。

 凄いのだが、このような魚が獲れるような場所……波打ち際近くまでやって来るというのは、湖の側で寝泊まりしている者としては、決して嬉しくはない。

 また同時に、湖に生息する未知のモンスターなのに魔獣術に使う魔石を得られなかったというのも、残念な理由の一つだろう。

 魔獣術に使う魔石は、どのような魔石でもいい訳ではない。

 例えどのような低いダメージではあっても、その戦闘に参加して相手と戦うという必要があった。


「ああ、凄いと思う。……けど、このモンスターはどうやって倒したんだ? この大きさを考えれば、岸の方までは来られないだろ?」


 魚の大きさを考えれば、とてもではないが岸まで近づいてこられるとは思えない。

 もし無理に近づいてくれば、それこそ身体の大きさと水深の浅さから魚は身動き出来なくなるだろう。


(ああ、もしかしてそれで動けなくなったところを倒したのか? だとすれば、魚は馬鹿にしか思えないけど)


 魚を眺めつつそう考えるレイに、自慢げな冒険者は笑みを浮かべて口を開く。


「この背びれの部分を見れば分かると思うけど、水中を近づいてくるのが分かったからな。それを防ぐ為にも、俺達が湖の中に入って倒した。これがもっと深い場所なら、倒すのは難しかったかもしれないけどな。浅い場所だったから、ある程度何とかなった」

「ああ、やっぱり自分から不利な浅い場所までやって来たのか。この魚も馬鹿だな。……まぁ、こっちとしては助かるけど」


 モンスターと戦う身としては、相手が馬鹿だと戦いやすいという意味では助かるのは間違いない。

 とはいえ、その馬鹿さ加減が影響してレイやセトが戻ってくるよりも前に倒されてしまったと考えれば、レイとしては素直に祝福出来るようなことでもない。


「だろう? いつもはレイに食事を用意して貰っていたが、今日はこの魚を料理して食おうぜ」

「あー……うん。まぁ、そうだな。この湖の魚は食べても特に問題ないみたいだし」


 この湖が転移してきたばかりの頃、冒険者達は湖の魚を獲り、焼いて食べた。

 レイはこの湖が異世界から来た存在だと半ば確信していたので食べなかったが、この湖の魚を食べた冒険者達は、全員が腹痛を訴えたりするようなこともなく、健康体と呼ぶに相応しい様子だった。

 それを見る限りでは、この湖の魚は食べても問題ないだろうというのが予想出来る。

 もっとも、フグのように魚そのものに毒があるような存在もいるかもしれないので、完全に安心は出来ないのだが。

 とはいえ、そこまで全てを警戒するような真似をすれば何も出来なくなる。

 また、レイにしてみればゼパイルやその仲間達が作ったこの身体は、その辺の魚の毒でどうにかなるとも思えないと、自分に言い聞かせる。


「じゃあ、今日はケルベロスの肉とこの魚を使ってパーティだな。……ただ、人数が多いから、出来ればもっと他の食材も欲しいところなんだけど」


 そう言いながら、冒険者はレイに期待の視線を向ける。

 それが何を意味しているのかは、レイは十分に理解していたが、意図してそれとは違う内容を口に出す。


「分かった。じゃあ、俺とセトであの牙を持った魚をもっと獲ってくるな」


 レイがそう言ったのは、当然のように魔石を欲してのことだ。

 冒険者達が倒したモンスターの魔石は、当然ながら魔獣術で使えない以上、自分達で新しい魔石を……とそう思ったところで、本当に今更ながらの話だが、湖から出て来たモンスターは魔石を持っていなかったことを思い出す。


「その前にちょっと、あの魚に魔石があるかどうか調べたいんだけど。アメンボやトカゲは魔石を持っていなかったのを考えると、この魚も魔石を持ってない可能性の方が高いけど、もしかしたら……本当にもしかしたら、魔石を持ってるかもしれないし」

「あー……なるほど」


 レイの言葉から、何故レイが新たな獲物としてこの牙を持つ魚を獲ろうしていたのかに気が付く。


「レイ、この魚に魔石があったら渡すから、それで我慢しないか?」

「いや、俺が集める魔石は、あくまでも俺かセトが戦いに参加した魔石でないと駄目だ」


 何も知らない者にしてみれば、全く意味の分からない拘りなのは間違いない。

 だが、魔獣術でスキルを習得する条件がそれなのだから、レイかセトが戦うというのは必須条件だった。


「はぁ。取り合えずレイがそう言うのならいいけどよ」


 これ以上言っても意味のないやり取りになると判断したのか、冒険者は諦めたように溜息を吐く。

 何らかのコレクターの類は、他人には理解出来ないような拘りを持っていると、そう理解しているのだろう。

 レイはそんな相手の理解に助けられ、これ以上誤魔化す必要がなくなった。

 そんな訳で、まずは巨大な魚を解体してみようということになる。

 近くで話を聞いていた他の冒険者や、その冒険者達が何をしようとしているのかを見たリザードマン達が協力して、牙を持つ巨大な魚を運んでいく。

 ……ただ運ぶだけなら、それこそレイがミスティリングに収納してから運べば手っ取り早かったのだが。

 ともあれ、湖に血が流れ、その血の臭いに引き寄せられて鮫のような鋭い嗅覚を持ったモンスターが来ないように警戒しながら魚を移動させ、早速解体を始める。


「まずは、やっぱりこの牙だよな。この鋭さと硬さを考えれば、これだけで普通に武器として使えるような気がするし」

「武器って、そのままでどう使うんだ? 手で持って敵に突き刺すとか?」

「木の棒か何かの先端に縛りつけて、槍代わりとか?」

「……この牙でか?」


 魚の口から剥ぎ取った牙は、大きさはそれこそ槍の穂先と同じくらいか、若干巨大だと言っていいだろう。

 だが、牙だけあって一直線なのではなく、牙そのものが若干曲がっているのだ。

 そのまま槍の穂先として使っても、相手に引っ掛けるような使い方をするのならともかく、普通の槍として使えるかと言われれば、その答えは否となる。

 そこを指摘されれば、槍の穂先として使うといったことを主張した者もそれ以上の反論は出来なくなってしまう。


「ともあれ、この牙は何らかの素材か、そうでなくても討伐証明部位にはなりそうだから、取っておいた方がいい。……レイ、預かってくれ」


 解体をしていた冒険者の一人にそう言われ、上下合計四本の牙を受け取るレイ。

 触った感触としては、普通の歯の類とは違って若干金属質のような感じすらしていた。

 この牙が具体的にどのような役に立つのかは、それこそギルドの方で考えるだろう。

 トカゲの素材もそうだったが、まずは錬金術師や鍛冶師、薬師といった者を始めとしたモンスターの素材を使う者達に声を掛け、そこで素材を示して使えるかどうかといったことを確認する。

 とはいえ、ギルムにいるそれらの職種は多数いるので、全員を呼び出すといった訳にはいかない。

 そのような場合は、ギルドに今まで貢献してきた者や腕の立つ者が選ばれることになる。

 そうして各種モンスターの素材がどう使われるかといったことを調べ、そうして使えると判断されれば明確に有益な素材として取引されることになる。


(そうなると、やっぱこの牙だけでは足りないんだよな。……同じような牙でも、生えている部位によって効果があったりなかったりといったこともあるし)


 結果として、やはり多くの牙が必要となるだろうと判断し、牙にはそれぞれどの部位か分かるように印を付けてミスティリングに収納する。


『おお』


 と、そのタイミングで驚愕の声が上がる。

 今更ミスティリングを使ったくらいで騒ぎになるのか? と思いつつも声のした方に視線を向けると、そこでは冒険者の一人が見事な剣捌きで、巨大な魚の解体を始めていた。

 どのような手段を使ったのかはレイには分からなかったが、既に魚の鱗はしっかりと剥がされている。

 先程の驚愕の声は、この鱗を剥いだ時のものだったのだろう。

 ヒレの部分から頭を切断し、その切断した頭に長剣の切っ先を突き刺すと手首を捻り、その中にあるエラを引き抜く。

 長剣を一振りすると、その切っ先に刺さっていたエラは地面に落ちる。

 続いて腹部に切れ目を入れて内臓を取り出す……のだが、その瞬間、周囲に悪臭が漂い始めた。

 それは、魚の内臓の臭い。

 スーパーで売ってる魚しか知らない者であれば、その悪臭に嘔吐してもおかしくはなかった。

 とはいえ、それはあくまでも日本に住んでいる者であればの話だ。

 この世界においては、動物の解体というのは日常的に行われている為に、この悪臭に眉を顰めることはあっても、それで悲鳴を上げたりといったことはしない。

 そもそも、モンスターの中には素材となる内蔵も多いので、取り出された内臓は素早く処理されてレイに渡され、ミスティリングに収納される。

 そうしている間にも、魚の解体をしていた男は内臓を取り出した魚の腹を湖の水で洗った後で背骨に沿って切っていく。

 腹の部分を背骨に沿って切ると、次に背中の部分からも背骨に向かって切っていき、やがて切れ目はお互いに合流する。

 その後は、一気に尻尾の方まで長剣で切り裂き、反対側の方も同じように切ると、あっという間に巨大な魚は三つに解体された。

 いわゆる、三枚下ろしと言われる状態だ。


『おおおおおお』


 再びそれを見ていた者の口から、驚愕の声が上がる。

 それは冒険者だけではなく、リザードマンの口からも同様に上がっていた。

 魚を解体していくその様子は瞬く間という表現が相応しい。


(というか、こんなに素早く魚を解体出来るのなら、それこそ料理人にでもなった方がいんじゃないか? まぁ、冒険者の方が稼げるのは間違いないだろうけど。特にここの護衛を任されるとなれば、尚更)


 腕の立つ冒険者の報酬というのは、当然高額になる。

 とはいえ、別に冒険者をやっている者の全てが金を目当てにしてやっている訳ではないのが。


「後は、皮から身を剥がすんだが……これも大変なんだよな。特にこんなにでかい魚だと、俺だけだとちょっと出来ないな。誰か、料理の……いや、魚を捌いた経験がある奴はいるか?」


 そう言い、包丁を……否、長剣を振って脂や体液を振り払った男がそう尋ねるが、それに手を上げる者はいない。

 レイも日本にいた頃からヤマメ、イワナ、鮎、カジカといった川魚を獲ることは多かったが、大抵の川魚はそのまま焼いて食べていたし、捌くことがあっても両親に任せていた。

 だからこそ、そのまま焼くのならともかく、捌くといったことは出来ない。

 他の冒険者達も同様だったが……そんな中、口を開いた者がいた。


『私は無理ですが、彼女は魚を捌くのが得意らしいです』


 そう言った――正確には石版に表示された――のは、ゾゾ。

 そしてゾゾの視線が向けられているのは、生誕の塔で卵や子供の世話をしていた、リザードマンの女。


「え? リザードマンって料理するのか?」

「馬鹿、お前。リザードマン達も、俺達と一緒に料理を食ってただろ? なら、当然のように料理はするって」


 そんな言葉を交わす冒険者達。

 解体していた冒険者は若干不安に思いながらも、自分だけでは出来ないし、魚を捌いたことがない者に任せるよりはということで、リザードマンの女に頼むことにする。

 とはいえ、言葉が通じない以上はゾゾに通訳をして貰いながらだが。


「いいか? 俺がこの魚の身に沿って刃を入れていくから、お前はその動きに合わせて魚の皮を引っ張っていくんだ。……いいか?」


 その言葉をゾゾの通訳を通して聞いたリザードマンの女は頷き、魚の皮に手を伸ばす。

 それを見て、取りあえず安心だと判断したのだろう。

 魚を解体していた冒険者は意識を集中させ……リザードマンの女に視線を向けると、タイミングを合わせて長剣を皮と身の間に滑り込ませるのだった。

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