第2140話
周囲が暗闇に沈む頃……トレントの森を、十人を超える者たちが進んでいた。
夜にギルムの外に出るというのは、自分の腕に自信がない限り、自殺行為でしかない。
特にこのトレントの森では、昨夜ランクBモンスターのケルベロスすら出たのだから。
それを考えれば、普通ならそのような場所を移動しようとは到底思えないだろう。
だが、トレントの森を進む男達はそれを知っているのかいないのか、怯えた様子もなく真っ直ぐに進む。
松明の類は持たず、月明かりだけを頼りにして進む。
雲一つない夜空だったが、それでも月明かりだけで進むことが出来るのは、全員がある程度夜目が利くからだろう。
トレントの森に沿って移動すれば、もう少し移動しやすい。
だが、木々があるからこそこの集団は見つかりにくいのだ。
目的の場所を守っているのは、いずれも腕利きの冒険者。
それも、中には深紅の異名を持つレイや、その従魔のセトまで存在するのだ。
可能な限り見つからないように行動するのは、当然だろう。
そうして進むこと暫く……やがて、先頭を進んでいた男の足が止まる。
「止まれ。ここからは、今まで以上に慎重に行く。いいか? 確認しておくが、俺達に必要なのは情報だ。別に冒険者達と戦うことではない」
その言葉に、皆が頷く。
夜にギルムの外に出ているのだから、当然のように自分達の腕には自信がある。
しかし、自分の腕に自信あるからといってレイと遭遇しても無事に切り抜けられるかと言われれば、その答えは否だ。
いや、レイだけではない。生誕の塔の近くには、腕の立つ冒険者やリザードマン達が多数いるのだから。
だからこそ、今回の狙いは戦うのではなく、あくまでも情報の確認だった。
夜にこうして移動しているのを見られれば、間違いなく怪しまれる。
だがそれでも、昼に移動するような真似をした場合は、トレントの森には樵や冒険者の姿があり、何よりも生誕の塔の護衛をしている者達にその明るさから見つかりやすい。
夜の移動には多大な危険があるのは間違いないが、それでも昼に移動するよりも安心なのは間違いなかった。
また、この集団はそれなりに腕が立つ者達で揃えられている。
低ランクモンスター程度であれば、対処するのは難しい話ではなかった。
「全員、散らばれ。ここからは、誰かが見つかったらすぐに撤退することになる。繰り返すが、俺達の仕事はあくまでも情報を入手することだ。いいな?」
先頭にいる男の言葉に全員が頷き、それぞれが散っていく。
それを見送ると、部隊を率いていた男も行動を開始した。
湖からそれなりに離れた位置にいるのだが、そのような場所であってもここまで来れば明かりに困ることはない
(スライム、か。……あれがか?)
現在の位置からでも、見て分かる炎の塊。
前もって得られた情報によれば、既に数日は燃え続けているとのことだ。
それだけ燃え続けているというのは、男にとっても驚くべきことなのは間違いなかった。
スライムが燃え続けている明かりは、男達にとって幸運にもなれば不運にもなる。
湖の様子を偵察するには、その光源は十分。
だが同時に、そのスライムが燃えている明かりがあるので、周囲に散らばっている者達が見つかりやすくなっているのも、また事実だった。
(しかし、あの湖は……どこまで続いている? 前もって教えられていた限りでは相当な広さだという話だったが、それは誇張でも何でもなかったらしいな)
燃えているスライムの明かりで見える範囲だけでも、湖は遠くまで広がっている。
正確には、スライムが燃えている明かりだけでは全てを見通すことは出来ない。
(それに、あの塔。……あれがリザードマンが住んでいるという塔か。日中になれば、上から周囲を見回すことが出来る以上、やはり偵察をするのなら夜だな)
トレントの森の木々に紛れ、そして夜の闇を味方にすれば、余程のことでは見つかることはない。
……そう、余程のことがなければ、だが。
「ぐわぁっ!」
夜の闇に聞こえた悲鳴。
誰がそのような悲鳴を出したのかは、分からなかった。
それでも男が引き連れてきた者の一人が見つかったのは、間違いなかった。
少ない確率としては、自分達以外の同じように湖や生誕の塔の様子を見に来た別の集団が見つかったというものもあるが……それは、あくまでも希望的観測だろう。
そうして、誰かが見つかってしまった以上、ここもすぐに見つかってしまう可能性がある。
(くそっ! もう見つかったのか!)
偵察を開始してから、まだ十分も経っていない。
出来ればもう少し偵察していたかったが、見つかってしまった以上はどうしようもない。
急いでその場から離脱しようとし……瞬間、今までの隠密行動とは全く逆の派手な動きでその場から跳ぶ。
そして男がその場から跳んだ一瞬後、男のいた場所には一本の槍が突き刺さっていた。
跳躍した男は、地面に突き刺さっている槍を見て思わず叫ぶ。
「黄昏の槍っ!?」
その槍は、非常に有名な槍だ。
レイが持つ武器として。
そうなると、今の攻撃をしてきたのは誰なのか。それは、考えるまでもなく明らかだった。
「意外だな。この攻撃を回避するのか。……まぁ、ここまでやって来たことを考えれば、それもおかしな話ではないのか?」
そう言いながら空から降りてきたのは、レイ。
セトに乗って空から攻撃した……のではなく、スレイプニルの靴を使って空中を歩きながら攻撃し、そして降りてきたのだ。
いつもレイと一緒に行動しているセトは、現在他の冒険者達と一緒に湖や生誕の塔の様子を窺っている者達を次から次に襲撃している。
「何故だ! この距離なら、グリフォンでも気が付かなかった筈だ!」
短剣を構えながら、男は……覆面を被った男は叫ぶ。
男にしてみれば、今回の一件は危険ではあっても、その危険は最低限対処出来ている筈だった。
なのに、何故自分達のことを見つけることが出来たのか。
そんな理不尽から叫んだのだが、それを聞いたレイは呆れの視線を向けながら口を開く。
「セトの五感がどこまでの鋭さを持っているのか……それを本当に理解した気になっていたのか?」
少しだけ得意げに告げるレイだったが、実際にはここは湖が見えはするものの、かなり離れているのも事実だ。
素の状態のセトの五感であれば、その存在に気が付かなかった可能性も十分にある。
だが……それはあくまでも、素の状態での話だ。
セトにはスキルがある。
そしてスキルの中には嗅覚上昇というスキルもあった。
セトにしてみれば、レイの様子から現在の湖や生誕の塔の周辺はかなり危険な場所であるというのは分かっている。
だからこそ、見張りをしている途中で時々嗅覚上昇のスキルを使い、本来なら把握出来る以上の範囲から誰か近づいていないかを嗅ぎとっていた。
セトの持つ嗅覚上昇のレベルは四だ。
スキルの能力が爆発的に上昇する五にはまだなっていないが、それでも四ともなれば相応の効果を発揮する。
それを知らなかったのが、男達の不運だった。……調査不足と言ってもいい。
もっとも、セトが嗅覚上昇などというスキルを持っているのを知っている者は少ない。
幾ら情報収集しても、その情報を得るのは非常に難しかったが。
「さて、隠れるのは結構上手かったけど、見つかってしまえば逃げられることはないってのは分かってるな?」
「……」
レイの言葉に、男は無言のままだ。
実際、レイに見つかってしまった以上、ここから逃げるのが難しいのは事実なのだ。
だがそれを承知の上でも、ここでレイと戦うという選択肢は存在しない。
であれば、やはりここはどうにかして逃げるしかない。
逃げられないのであれば、このような場合に備えての奥の手を使うしかないのだから。
「っ!?」
声を出さず、男は一気に前に出る。
そして、レイの間合いの内側に入るや否や短剣を突き出す。
放たれた突きは、非常に滑らかな一撃だった。
それが、男の実力が並のものではないと証明している。
そんな一撃が真っ直ぐ自分の喉に向かっているのを見て、レイは男の評価を少しだけ上げた。
普通なら心臓を狙ってもおかしくはない一撃だったが、レイが着ているドラゴンローブは、強い刺突耐性や斬撃耐性がある。
ドラゴンの革や鱗をふんだんに使っている為に、その辺の刃物では文字通りの意味で刃が立たない。
セトの嗅覚上昇については知らなかった男だったが、レイのドラゴンローブについては知っていたが故の行動だった。
だからこそ、レイは男の評価を上げたのだ。
(もっとも……)
自分の喉目掛けて放たれた鋭い突きだが、レイは後方に跳躍しながらデスサイズを振るう。
とはいえ、男からは情報を引き出す必要がある以上、デスサイズの刃ではなく柄の部分を使った一撃だ。
それでも百kgもある一撃をレイの膂力で振るって殴られたのだから、その衝撃は相当なものであり……その証として、デスサイズを持つレイの手には、男の肋骨を折る感触が伝わってくる。
「ぐおっ!」
男にとって不幸だったのは、ここがトレントの森の中だったことだろう。
デスサイズによって吹き飛ばされた男は、すぐ側に生えていた木の幹に身体をぶつけ、その衝撃で更に何本か骨を折る。
男にとって幸運だったのは、ここがトレントの森の中だったことだろう。
周囲には何本もの木々が生えており、レイが最大限力を発揮する振り方でデスサイズを振るうことは出来なかった。
もしレイが最適な動きでデスサイズを振るっていれば、男は間違いなくもっと重傷を負っていただろう。
折れた骨の数も、間違いなく増えていた筈だ。
デスサイズで周囲の木々をへし折らないように気をつけながら、レイは吹き飛んで木の幹にぶつかった男を見る。
男……そう、覆面を被っていたので顔立ちをはっきりと確認することは出来なかったが、その身体のラインから男であるというのは容易に予想出来た。
もっとも、実はスレンダーな身体をした女だという可能性も、否定は出来ないのだが。
「さて、俺の方はこれで問題なし、と。他はどうなってるだろうな」
呟きながら、地面に突き刺さったままの黄昏の槍をその特殊能力で手元に戻し、デスサイズ共々ミスティリングに収納する。
そしてロープと布を取り出し、舌を噛んだりしないように布を噛ませて猿轡を噛ませると、手足をロープで縛っていく。
レイはあっさりと倒したが、男が隠密行動に長けているのは間違いない。
それこそ、下手な縛り方をすれば、骨を外すなりなんなりして抜け出す可能性もあった。
だからこそ、そのようなことにならないように、レイはしっかりと結び、気絶したままの男を持ち上げる。
大の男……それも隠密行動に向くよう、俊敏性を重視して鍛えられたとはいえ、それでも間違いなくレイより重い相手だ。
そんな相手を片手で持ちながら、レイは生誕の塔の方に向かう。
「お、最初に戻ってきたのはやっぱりレイか」
生誕の塔の前。
冒険者達の溜まり場だったり、食事をする場所だったり、見張りをする場所だったりといったように、様々なことに使われる広場で待っていた冒険者の一人が、気絶した男を連れて……否、持って戻ってきたレイに、そう声を掛ける。
言葉そのものは軽いが、レイが持つ男に向ける視線には鋭いものがある。
この男が……いや、男達が何をしにここにきたのか、それは考えるまでもなく明らかなのだから。
「情報を統制するのは難しいと思ってたけど……やっぱり、最大の原因はあれだよな」
レイと話していたのとは別の冒険者が、湖の畔にある炎の塊に……未だに燃え続けているスライムに向ける。
あのスライムを倒す時にレイが使った魔法は、ギルムからでもその巨大な炎を見ることが出来た。
そうなれば、当然のように一体何があったのかといったことが気になり、調べようとする者も出て来る。
「そう考えれば、寧ろ探りに来たのは遅かったと言うべきかもしれないな」
また別の冒険者が呟くが、レイにも言いたいことはある。
あの巨大な……それこそ丘や小さな山くらいの大きさを持つスライムを倒すのに、そこそこ程度の攻撃では殆ど意味がないのは明らかだった。
それこそ、一撃で相手を倒せるだけの、必殺と呼ぶべき威力を持つ攻撃が必要だったのだ。
実際にあの時よりも弱い攻撃方法だった場合、スライムは今もまだ生きて盛大に暴れ回っていた可能性が高い。
「グルルルルゥ!」
不意にセトの声が周囲に響く。
セトがあのような相手に負けるとは思っていなかったレイは、笑みを浮かべて背中に三人の黒ずくめの男達を乗せているセトに視線を向ける。
その三人は全てセトが倒したのではなく……セトと一緒に戻ってきた冒険者が倒したのは、明らかだった。
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