第2138話
レイがその商人の動きに気が付いたのは、半ば偶然に近かった。
商人の男が短剣を引き抜いたその瞬間だけ、微かに殺気を発したのだ。
そして殺気を感じた瞬間、レイはほぼ反射的に動いた。
短剣を刺されそうになっていた騎士を蹴飛ばし、商人の男が振り下ろした短剣の一撃を回避しつつ、手首を掴んで投げた。
その動きは本当に数秒の行為ではあったが、レイが動くには十分な時間だった。
「レイ!」
蹴飛ばされたのとは違う別の騎士が、商人を押さえ込んでいるレイに向かって駆け寄って来る。
そうしてレイの側まで騎士がやって来ると、そのままレイが押さえ込んでいる男を受け取った。
「悪い、助かった」
「いや。……ただ、何でこのタイミングで行動に出たのか、ちょっと疑問だけどな」
自分に代わって男を押さえつけている騎士に向かって、レイは疑問の声を発する。
商人の振りをしていた男が、暗殺者の類だというのは間違いない。
頭に血が上って突発的にやったというには、先程の動きはあまりにも慣れすぎていた。
だがそうなれば、当然レイという存在がどのような相手なのかは知っているだろう。
商人の振りをしていた時はレイを知らないといった様子を見せていたが、それはあくまでも見せ掛けの筈だった。
であれば、何故自分がいる時にわざわざ行動を起こしたのか。
それを疑問に思うのは、当然のことだろう。
「レイが来たからかもしれないな。どうだ、違うか?」
男を押さえつけている騎士がそう尋ねるが、何も返事はない。
そんな二人を見ていると、ようやくレイに蹴飛ばされた騎士が立ち上がり、若干足をふらつかせながらも近づいてくる。
「そうだな。レイが来たから、そっちに幾らか意識を向けて、そいつから意識を逸らした。……まさか、暗殺者だなんて、思わなかったしな」
足をふらつかせながら、苛立ち混じりに告げる騎士。
とはいえ、その苛立ちは主に油断していた自分に向けられていた。
騎士として、そして門番として、見知らぬ相手から注意を逸らしたというのは騎士にとって最悪の出来事だったのだろう。
「まぁ、今のはこの男も腕が良かったしな。武器を取り出すまで、殆ど殺気の類も感じなかったし」
「いや、殆どって言われても、俺は全く感じなかったんだが」
レイに蹴られた騎士が複雑な表情で告げる。
騎士……それもただの騎士ではなく、辺境にあるギルムの騎士ともなれば、その実力は精鋭と呼ぶに相応しいだけのものがある。
そうである以上、男の殺気に気が付かなければならなかったのだが、それが全く出来なかった。
それを思えば、落ち込んだ様子を見せるのもおかしくはない。
ただ、これは純粋にレイがその手の能力に優れているというのが関係している。
元々ゼパイル一門が作った現在のレイの肉体は、非常にハイスペックなものだ。
それに加えて、レイは数えるのも馬鹿らしくなるくらいの戦いを潜り抜けてきた。
モンスターや人、ランクS冒険者。
それらを考えれば、殺気を感じる能力に関しても上がるのは当然だろう。
「ともあれ、まずはこいつから色々と情報を聞く必要があるだろうな。……させると思うか!?」
男を押さえつけていた騎士が情報を聞くと口にした瞬間、押さえられていた男は不審な動きをする。
それを見てとった騎士は、素早く片手を男の顎に伸ばし、固定する。
舌を噛もうとしたのか、それとも歯かどこかに隠していた毒でも飲もうとしたのか。
その辺りはレイには分からなかったが、騎士が顎を固定した為に、それを実行することは出来なかった。
(奥歯とかに毒が仕込んであるのなら、舌で飲むことも出来ると思うんだけど……そういうのじゃないのか?)
騎士が顎を押さえて安心しているのを見たレイは、そんな疑問を抱く。
だが、多分舌で触れたくらいで飲み込むとなると、それこそ普段の生活で食事をしていたり、飲み物を飲んだ時に一緒に口の中に入ってしまうのだろうと考え、何も言わないことにする。
レイがそのようなことを考えている間に、表の騒ぎを聞きつけたのか何人もの騎士や兵士がやって来て、商人……いや、暗殺者の男に猿轡を填め、腕や足を縛って連れていく。
「レイ、今回はお前のお陰で助かった。ありがとう。……ただ、出来れば次からは蹴る以外の方法で助けてくれると、嬉しいけどな」
レイに頭を下げて感謝の言葉を口にした騎士は、最後に冗談っぽくそう告げる。
実際、幾ら手加減したとはいえ、まともにレイの蹴りを食らったのは事実だ。
その証拠に鎧はへこんでおり、蹴りの威力がどれだけのものだったのかを示している。
……とはいえ、その蹴りを受けても痛みを我慢しつつではあるが、こうして話したり身動き出来たりしているのは、精鋭と呼ばれる程に鍛えられていることを示していた。
「ああ、次からは気をつけるよ。ただ、そっちも次からは気をつけてくれると、助かる。……で、問題なのは何故あの暗殺者が来たのかってことだけど」
他の騎士に連行されている暗殺者を眺めながら告げるレイに、騎士は首を横に振る。
「それを俺に言われても分かる訳がないだろ。……そもそもの話、何で俺が狙われる必要があるんだ?」
「女から恨みを買ってるとか?」
そう告げたのは、この場に残った騎士の一人だ。
現在、領主の館の門の側にはレイと元からいた騎士二人以外にも数人の騎士の姿がある。
暗殺者に襲われたということで、念の為にここを守っておこうとしてのことだろう。
レイもそれは分かるので、何も言わないが、そんな騎士の言葉に不満を口にしたのは、レイに蹴られた騎士だ。
「女から恨みを買ってるって、何でだよ」
「聞いたぞ? 酒場のロシナンテちゃんのこと」
「……それでロシナンテが俺に暗殺者を送ってきたって? そんな筈ないだろ」
ロシナンテという女と何があったのかは若干気になったレイだったが、今はそれよりもしっかりと話をしておく必要があるだろうと、口を開く。
「見た感じでは、あの暗殺者は特定の誰かを狙ったんじゃなくて、取りあえず誰でもいいから殺そうとした……って風に見えたけどな」
「誰でもって、それで俺は狙われたのかよ。洒落にならねえぞ、それ」
不満を露わにする騎士。
何らかの理由で明確に自分が狙われたというのであれば、不満はあるが納得も出来る。
だが、取りあえず殺すのは誰でもよくて、その相手として自分が狙われたとなれば、その理不尽さに頭にくるのは当然だろう。
少なくても、レイであればそんなことになったら絶対に頭にくる筈だった。
「とはいえ、誰でもよかったというのは、あくまでも俺の予想だ。実際にどうなのかってのは、残念ながら分からない。その辺は、それこそあいつに聞いてみる必要があるだろうな」
「……そうだな」
不満そうにではあるが、騎士はレイの言葉に同意する。
事態がはっきりしないというのは、すっきりしない。
すっきりしないのだが、それでも今回の一件を思えばどうしようもないのは事実だった。
「そんな訳で、暗殺者の件は頑張ってくれ。出来れば俺ももう少しその辺を詳しく知りたかったんだけど、生誕の塔の方をそのままにしておく訳にもいかないしな」
「分かってる。今回狙われたのは、あくまでも俺だ。この件はしっかりとこっちで片付けてみせる」
レイに蹴られた騎士がそう言うと、他の騎士達も当然だと頷く。
今回の喧嘩――という程に生温くはないが――は、騎士団が売られたのだ。
場合によっては、領主に喧嘩を売ったと思われても仕方がない。
そうである以上、ダスカーとしてはしっかりとケジメを付ける必要があるのは間違いなかった。
何故なら、このまま泣き寝入りをするような真似をすれば、ダスカーが侮られることになるのだから。
そうなれば、ギルムを治めることにも支障が出てくる。
何より、自分の命を狙っている相手をそのままにしておくというのは、ダスカーの精神衛生上、問題があった。
ただでさえ現在は毎日仕事、仕事、仕事と、休む暇もない生活が続いているのだ。
そんな中で、更に自分の命を狙っている相手をギルムで自由に動かすような真似を許せば、ただでさえ溜まっているストレスが余計に増える。
「そうか。じゃあ、頑張ってくれ。上手く行くことを期待してるよ」
「そうしてくれ。……ああ、それと今回の件は……」
「分かってる、誰にも言わないから安心してくれ」
最後まで言わせず、レイはそう告げる。
幸いにも、領主の館の周囲には誰もいない。
去年と違って商人とは会わないようにしているので、領主の館の前に商人が集まるといったことはなかった。
そのおかげで、騎士が暗殺者に襲われた場面を見ている者はいなかったのだ。
……だからこそ、出来ればこのことは隠しておきたいと騎士が考えてもおかしくはない。
秘密裏に処理することにより、ダスカーを……もしくは騎士団を狙おうとした者に、多少ではあっても混乱や戸惑いをもたらすことが出来る。
レイもそれが分かってるからこそ、誰にも喋らないで欲しいという頼みを引き受けたのだ。
これで、暗殺者を送った者が何らかのマジックアイテムの類でも持っていれば、それを目当てにして首を突っ込む可能性もあったが。
この件を自分達でどうにかしようとしている騎士達にとっては幸運なことに、先程の暗殺者はマジックアイテムの類は何も持っていなかった。
マジックアイテムを集める趣味を持っているレイにとっては、不幸なことにと言った方がよかったのかもしれないが。
ともあれ、レイは自分で口にしたように、現在は生誕の塔……正確には、トレントの森の中央にある地下空間からあまり離れたくはない。
だからこそ、レイは騎士団達に頑張るように言い、本当にどうしようもなくなったら連絡をするようにとついでに告げ、セトと共に領主の館の前から立ち去るのだった。
用事を済ませてギルムを出たレイとセトは、騎士達に言ったようにすぐにトレントの森に……正確には、生誕の塔のある場所に戻ってきた。
ギルムから出る前に何件かの屋台に寄って色々と買い込んできてはいるのだが、レイ的にはそれは寄り道に入らない。
実際、その屋台で買ってきた料理の類は野営の時に食事として出す予定であり、その代金は後日ダスカーから受け取る予定になっている。
つまり、その寄り道は半ば仕事であると言ってもよかった。
一応馬車で食料の類は補給されているのだが、レイが料理を出していると知っているからか、運ばれてくる食料はかなり貧相な代物だ。
それこそ干し肉や焼き固めたパンといった保存食の類が多い。
それらは、多くが生誕の塔に保存されており、リザードマンの保存食として使用されている。
(干し肉も、塩辛いだけだしな。せめて、香辛料の類が使えるようになれば、もう少し美味い干し肉が……日本で売ってるような、ビーフジャーキーみたいなのが作れるんだろうけど)
レイが日本にいる時に、父親が酒のツマミにと買ってきたビーフジャーキーを食べたことがあったが、その時に食べたビーフジャーキーとこの世界の干し肉は明らかに違う。
だが、それは当然だろう。
この世界の干し肉は、あくまでも保存性を最優先した代物だ。
それに比べてレイが知っているビーフジャーキーは、保存性よりも美味さに拘っている。
実際、店で売っているビーフジャーキーの賞味期限を見ると、保存食とは呼べないような短さだった。
今までは香辛料の類がなかった……いや、あるにはあったが非常に高価だったので、ギルムで作る干し肉は保存性が第一に考えられて味は二の次だった。
しかし今は緑人達のおかげで、香辛料の類を生産することが出来るようになる可能性がある。
そうなれば、保存性が優先されるのは間違いないが、もう少し味のいい干し肉が出来る可能性は十分にあった。
「レイ? 戻ってきたのか」
セトに乗って移動してきているレイに気が付き、冒険者の一人が声を掛けてくる。
他の冒険者やリザードマン達もレイの存在に気が付き、それぞれに声を掛けたり、頭を下げたりしていた。
そんな者達に挨拶を返しながら生誕の塔に進んでいたレイだったが、ふとその足を止める。
「グルゥ?」
どうしたの? レイに視線を向けるセト。
そんなセトの頭を撫でながら、レイは湖の方に視線を向ける。
その視線の先にあったのは、結構な大きさ……全長二m程もある、見るからに鋭い牙を持つ魚。
「えっと、あの魚は? 魚ってことは、やっぱり湖で獲れたのか?」
レイのその疑問に、冒険者やリザードマンは満足げに頷く。
よく見れば、何人か軽いが怪我をしている者もおり、それがレイの質問の答えなのだろう。
そんなレイの言葉に、聞かれた冒険者やリザードマン達は笑みを浮かべて頷くのだった。
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