第2137話

「ケルベロスか。……厄介だな」


 執務室の中に、ダスカーの言葉が響く。

 ギルドでケルベロスの素材を売った後、レイは領主の館にやって来ていた。

 ケルベロスが出たという件は騎士からの報告でいずれ知ることになると思うが、少しでも早く知らせた方がいいと、そう判断した為だ。

 それ以外にも、今回の一件に関してはレイの口から……冒険者としての立場から、しっかりとダスカーに話をしておきたかった。

 騎士からの報告は、あくまでも騎士としての視点からの報告になる。

 そうなれば、冒険者としての立場が無視される……と言う訳ではないが、それでもやはり冒険者視点からの話はしっかりとしておく必要があった。

 特に冒険者は、樵の護衛をする必要もあるのを考えると、その点は重要だろう。


「はい。ギルドの方にもケルベロスの件は話してきたのですが、今のギルムではランクBモンスターに対抗出来る実力を持つ冒険者の数を揃えるのは難しいと」

「だろうな。今のギルムは仕事が大量にあって、人が足りない状況ですらある」


 春になったことによって、モンスターの動きも活発になっている。

 ギルムの中にある増築工事関連の仕事の他に、そのようなモンスターの討伐も重要となってくるのだ。

 そして当然の話だが、ギルムの周辺に出て来るモンスターというのは、様々だ。

 弱いのはゴブリンから、強いのになればそれこそレイが戦ったケルベロス、それ以外にもサイクロプスだったり、オークキングだったり。

 そんなモンスターを討伐するとなると、相応の腕が必要となる。

 増築工事が始まってからギルムにやって来た冒険者ではなく、元からギルムにいた腕利きの冒険者としては、そちらの仕事も疎かにする訳にはいかない。

 モンスターも、今までの経験から街道に近づくということは滅多にないが、それはあくまでも滅多にであって、場合によっては街道にモンスターがやって来るという可能性は否定出来なかった。

 その辺の事情も考えると、やはり腕利きの冒険者をトレントの森の護衛に回すのは難しいのだ。

 もっとも、難しいからといって護衛を回さなければ、樵達に被害が出て木の伐採が出来なくなってしまうのも事実。

 そうなれば増築工事がいきなり止まる……ということはないにしろ、工期が伸びるのは確実となってしまう。

 工期が伸びれば、当然ながらダスカーとしても嬉しくはないし、本来なら必要のない金が次々に出ていく。

 これだけ大規模な工事だけに、それこそ一日工期が伸びただけで消費される金額はもの凄い額になる。

 ギルムの領主として、ダスカーはそんな真似は可能な限り避けたいと思うのは当然だろう。


「もっと色々な人を呼ぶとか、どうですか?」

「それが出来るか出来ないかで言えば出来るが、この場合問題なのは新しく来た者達をどこで寝泊まりさせるかだな」


 その言葉に、レイは宿が足りないという話を思い出す。

 店としてやっている宿だけでは足りず、普通に人が住んでいる民家にも寝泊まりさせている状況だ。

 ここで更に人数が増えた場合、当然ながらその者達がどこで寝泊まりをするのかという問題になる。

 と、そんな中で、ふとレイが冬にあった出来事を思い出す。


「冬に国王派の手の者が使っていた屋敷はどうです? あそこなら、結構大きい屋敷が何軒もあったので、そこに寝泊まりさせるといったことが出来ると思いますけど」

「……一応、まだあの件は完全に調べ終わった訳じゃないから、あまり人は入れたくないんだが……仕方がない、か。とはいえ、こちらが欲しい人数のことを思えば屋敷に泊まれる人数だけでは足りないぞ? 他にも屋敷の類は必要となる」

「空き家とかあったら、それを一時的に宿として使うとか出来ませんか?」

「やれないこともないが、そういう空き家にも一応持ち主はいるから、そちらと交渉する必要があるな。あの屋敷みたいに、あからさまに犯罪をやっていたというのなら話は別だが」

「その辺の手続きとかは俺にはよく分からないので、お任せします。ただ、ウィスプの件もありますので、これから色々と忙しくなるのは間違いないですし、今からでもやって来た人達を泊める場所は作っておいた方がいいのでは?」


 レイの言葉に、ダスカーは紅茶を飲みながら深く、深く息を吐く。

 ダスカーにも、その点は分かっている。

 だが、今の状況でもほぼ一日中仕事をしている状況だ。

 そんな中で更に仕事を増やすというのは、自殺行為でしかない。

 ダスカーとしては、少しでもいいから仕事が片付いてある程度の余裕が出来てから、そこで次の仕事として取りかかりたいというのが、正直なところだった。

 とはいえ、レイの言う通り仕事に余裕をもたらす為にはより多くの人材が必要で、それを用意する為にはそれらの人物が寝泊まりする場所が必要で……と、まるで負のスパイラルになりかけ、気分を切り替える。


「そうだな。今でも可能な限り下の者に仕事を任せてはいるんだが。そっちにももう少し頑張って貰うか」


 ダスカーの言葉に、レイが出来るのは頑張って下さいと言うことと、少しでも精を付けて貰う為に、ケルベロスの肉を包んだ物を渡すだけだった。


「取りあえずランクBモンスターの肉なので、ダスカー様も満足出来るかと。このケルベロスの肉で作った料理を食べて頑張って下さい。ダスカー様が雇ってる料理人なら、上手い具合に調理出来るでしょうし」


 領主の館で働いている料理人の腕がいいのは、レイも何度もここで料理を食べたので知っている。

 なら、ケルベロスの肉もしっかりとダスカーの口に合うように、料理してくれる筈だった。

 ……というか、出来ればケルベロスの肉をどうやって料理するのがいいのかを、教えて貰いたいくらいだった。

 レイはケルベロスの肉を食べるのは初めてだから、どのような料理に合うのかというのは分からない。

 精々が、焼き肉や串焼きといった風に食べるくらいか。

 肉というのは、その性質によって向いている料理と向いていない料理がある。

 煮込みに向いている肉、焼いたり炒めたりするのに向いている肉、蒸すのに向いている肉、それ以外にも色々な調理法によって、肉の味は大きく違ってくる。

 勿論、それはあくまでも向いているというだけであって、その調理法以外で料理をしない方がいいという訳ではない。

 実際に料理人の技量……下拵えやどれだけ肉に火を通すのかといったことが上手い者であれば、肉の性質の違いはどうとでも克服出来る。

 あくまでも、料理が本職という訳ではない一般人にとって、どの肉がどの調理法に向いているかどうかということだった。


(あ、でもマリーナならその辺も何とか出来るか? 本職顔負けの料理の腕だし)


 長い時を生きているマリーナだけに、自然とその料理の腕は磨かれていた。

 実際にレイがマリーナの家に泊まった時に料理を作るのも、マリーナだ。

 その辺の事情を考えれば、ケルベロスの肉は生誕の塔で今日全てを食べるのではなく、ある程度残しておいて、後日マリーナに何らかの料理を作って貰った方がいいかと、そう考える。


「ほう、ランクBモンスターの肉か。それは期待出来そうだな」


 ギルムの領主たるダスカーともなれば、それこそ高級な肉は幾らでも食べる機会はある。

 だが、それが高ランクモンスターの肉となると、話は違ってくるのだ。

 そもそも、高ランクモンスターを見つけることが出来ないという点も大きい。

 そういう意味で、レイが持っているケルベロスの肉はダスカーにとってもそれなりに珍しい肉なのだ。

 ……それなり程度ですむのは、それこそダスカーが辺境のギルムで領主をしているからだろう。

 肉を受け取ったダスカーは、すぐに部下を呼んで厨房に肉を届けさせ、今日の夕食ではケルベロスの肉を使うように告げる。

 その後、レイは十分程ダスカーの気分転換も兼ねて世間話に付き合った後で、執務室から退室した。

 そうして廊下を歩いていたのだが……その時、向かい側から歩いて来た一人の男に目をとめる。

 領主の館で働いている使用人の一人なのだろう。

 だが、レイがその男を見て少しだけ感心したのは、使用人という武力を必要とされている訳でもない人物であるにも関わらず、その男はそれなりの強さを持ってるのがちょっとした身体の動かし方から分かった為だ。


(ここが領主の館だと考えれば、使用人の中にもある程度腕の立つ奴がいてもおかしくはないか。ギルムの領主ってのは、明らかに人に羨ましがられて、妬まれるだろうしな)


 ミレアーナ王国唯一の辺境、ギルム。

 その領主ともなれば、莫大な金額を定期的に手に入れることが出来る。

 だからこそ、中立派を率いるなどといった真似が出来ているのだ。

 勿論、ただ金があるだけでは人はついてこない。人格的にも優れている必要があるのだが。

 ともあれ、ダスカーを狙って暗殺者が送られてくるということは珍しくないというのはレイにも理解出来るし、そこまで直接的な行動ではなくても、スパイの類を送り込むことくらいはあってもおかしくはないだろう。

 であれば、騎士のように見て分かるような強さを持つ者だけではなく、見ただけではその強さが分からない者がいても、おかしくはない。


(御庭番衆、だったか? 漫画か何かで見たような)


 先程の使用人も、恐らくその一員なのだと……そう思いながら通路を歩いていると、今度は前から騎士が歩いてくる。

 急いでいるその様子からして、何か問題があったのだろう。

 とはいえ、頼まれてもいないのにレイが自分から手伝おうというつもりはない。

 ウィスプの件が明らかになった今、出来るだけ生誕の塔の近くにいたいという思いがあったからだ。

 庭で遊んでいたセトと合流し、領主の館を出る。

 ……出たところで、商人と思しき者が門番をしている騎士に食って掛かっていた。


「どうしてですか! 領主様に挨拶するくらい、いいじゃないですか。上の者から、しっかりと領主様に会って来るように言われてるんです!」

「そう言われても、去年ならまだしも、今年はダスカー様も忙しくて商人との面会は基本的に断ってるんだ。誰か一人の商人と会ったという話が広まれば、それこそ我も我もと大勢の商人が来るだろう?」


 商人の相手をしている騎士の言葉に、なるほどとレイは納得する。

 商人にしてみれば、自分がダスカーと会ったというのは、他の商人とやり合う上で強力な武器となるのだ。

 そのような人物がダスカーに会ったとなれば、当然のように他の商人にもその情報は知れ渡り、自分達もダスカーと会いたいと行動するのは確実だろう。

 だからこそ、騎士は商人が何を言ってもダスカーと会わせる訳にはいかない。


(頑張ってくれ)


 そう思いながら、レイは騎士を一瞥して商人の横を通ろうとしたのだが……


「なら、何でこの人は領主の館から出て来たんですか!」


 騎士と言い争い――商人が一方的に言っていただけだが――をしていたのを止めると、レイのドラゴンローブを掴んで、そう言う。

 商人にしてみれば、自分が何とかしてダスカーに会おうとしても会えないのに、レイはセトと共に領主の館から出て来たのが許せなかったのだろう。


(セトもいるから、俺が誰だか分かりそうなものだけど)


 ギルムに住んでいる者で、レイがセトを連れているということを知らない者はいない……とは言い切れないが、それでも大多数の者は知っている。

 そしてレイがダスカーの懐刀だということも、当然のように知っている者は多い。

 実際にはレイには自分がそんなものになったつもりはないのだが、ダスカーという人物に好意を抱いているのは事実だ。

 少なくても、ダスカーが困っているのなら助けてやりたいと思うくらいには。

 ともあれ、そんな自分のことを全く知らない様子を見せる商人の男に、レイは若干呆れの視線を向ける。

 商人にとって、情報は命だ。

 そうである以上、ギルムに来てレイのことを知らないというのは、致命的だ。

 ましてや、今では深紅というレイの異名はミレアーナ王国中……どころか、ベスティア帝国やそれぞれの国の周辺国家にまで広がっている。


「お前、誰のローブを掴んでるのか、分かってるのか?」


 呆れの視線を商人に向ける騎士。

 騎士にしてみれば、レイは知り合いである以上に、今はダスカーの客人といった立場だ。

 そんなレイに何かをするのであれば、騎士としては止めなければならない。

 レイから商人を引き離す……寸前、不意に強い衝撃。

 数秒の軽い浮遊感と共に、頬に感じる地面の冷たさ。

 それでも鍛えられた騎士としての動きで咄嗟に吹き飛ばされた方に顔を向け、見たのは……短剣を持った商人の腕を掴んでいる、レイの姿だった。

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