第2129話

 え? と。

 厳しい表情を浮かべたマリーナの言葉に、それを聞いていた者達は疑問の視線を向ける。

 だが、マリーナが何か騙そうとしているとも思えないし、何の意味もなくこのような真似をするとも思えない。

 そうである以上、自分の持っている球形のエメラルドには必ず何らかの意味があると判断し、ヴィヘラは持っていたエメラルドを地面に置く。


「それで、マリーナ。事情を聞かせてくれるかしら?」


 エメラルドを置いたヴィヘラは、エメラルドから離れるようにしてマリーナの側まで移動する。

 当然のように、最初にエメラルドを見つけたビューネもヴィヘラと共にマリーナの側まで移動していた。

 ヴィヘラとビューネだけではなく、エレーナ、アーラ、レイといった面々も真剣な表情を見せているマリーナに視線を向けてくる。

 一体何があったのか。

 それが分からない以上は現状どうしようもないのだが、何故マリーナがエメラルドにそこまで真剣な表情を向けているのかも分からない。


「このエメラルドには……精霊が封じ込められているわ。それもかなり高位の、そして狂った精霊が」

『は?』


 何人もの疑問の声が、それぞれの口から一斉に出る。

 精霊というのがどのような存在なのかは、多くの者が知っていた。

 それは、マリーナが精霊魔法を使う光景を、それこそ幾度となく見ているのだから当然だろう。

 それだけに、マリーナが精霊について口にすることはあったが、ここまで真剣な……否、深刻そうな様子を見せることはない。

 一体何が? と思わないでもなかったが、その答えが狂った精霊にあるのだろうことは明確だろう。

 問題なのは、その狂った精霊というのが一体どのような存在なのか分からないといったところか。


「そもそもの話、精霊って狂うのか? いや、自我の類があるのは分かるけど」


 レイの呟きは、それを聞いていた全員の疑問でもあった。

 元々魔法使いというのは非常に少なく、精霊魔法となれば魔法使いの中で見ても更に少ない。

 レイ達は普段からマリーナの側にいるので、そのような実感はないが。

 それでも精霊魔法については大雑把なところしか理解していない。

 だからこそ、狂った精霊がエメラルドに封じられているという言葉をマリーナから聞いて、疑問に思ったのだ。


「勿論、精霊が狂うというのは滅多にあることではないわ。私自身、見たことはないもの。でも……精霊魔法を使うからか、分かるのよ。そのエメラルドには、間違いなく狂った精霊が封じ込められていると」


 精霊魔法使いだからこそ分かる。

 そう言われたレイ達は、そういうものかと納得する。

 マリーナ以外の者達も、ここにいるのは殆どが何らかの特殊な能力を持つ者だけだ。

 だからこそ、マリーナの言葉に納得出来るものがあったのだろう。


「それで、狂った精霊がいるとして、それからどうすればいいんだ? このまま放っておくのが最良の選択肢じゃないってのは分かるけど」


 レイの言葉に、全員がマリーナに視線を向ける。

 視線を向けられたマリーナは、少し考えてから口を開く。


「少なくても、このままという訳にはいかないわ。いつからエメラルドに封じられていたのか、そして何故密閉されていたこの地下空間にあったのかは分からないけど」


 マリーナの口から出たのは、全員が感じていた疑問。

 グリムが地上とここを通路で繋げるような真似をするまで、ここは完全に閉じられた空間だった筈だ。

 だというのに、何故そんな場所に狂った精霊が封じられたエメラルドがあるのか。


(え? あれ? グリム? ……もしかして、グリムが何らかの理由で置いたエメラルドだったりしないよな?)


 グリムの研究所とこの空間は、既に繋げられている筈だ。

 そうであれば、もしかしたら……本当にもしかしたら、そんな可能性があるのではないか。

 そう思ったが、何故グリムがそのような真似をするのかといった疑問もある。

 ……同時に、グリムなら精霊を宝石に閉じ込めるといった真似が出来ても不思議ではないという思いもあったが。

 アーラとビューネの二人がいる場所で、グリムの名前を口にするのも不味い。

 そう判断したレイは、地面に置かれたエメラルドをじっと見ているマリーナに近づくと、そっと口を開く。


「なぁ、マリーナ。もしかしたら……本当にもしかしたらの話だけど、グリムの仕業かもしれない」

「え?」


 レイの言葉に、完全に意表を突かれたといった様子で視線を向けるマリーナ。

 当然だろう。何故狂った精霊を封じたエメラルドを、ここに置くのかという理由が、全く理解出来なかった為だ。

 だが、同時に研究室とこの空間を繋げているグリムなら、そのようなことが出来てもおかしくはないという思いがマリーナの中にあった。


「……でも、そんな真似をする?」

「正直なところ、分からない。けど、グリムなら出来るというのは分かるだろ?」

「それは……」


 マリーナも、グリムの出鱈目さは承知しているので、レイの言いたいことは理解出来た。


「まぁ、普通に考えれば……あのウィスプに関して、何かを調べる為だろうけど」


 そう告げるレイだったが、狂った精霊を閉じ込めたエメラルドを置くのが、一体何の役に立つのか分かる筈がない。


「そうなると、このエメラルドには手を出さない方がいいの?」

「そうした方がいいと思う。もし本当にこれがグリムの仕業なら、絶対に何らかの意味はあるんだろうし」

「そう。……分かったわ」


 レイに返す言葉は、心の底から残念そうだった。

 精霊魔法を使うマリーナにしてみれば、狂っている精霊をそのままにしておくというのは出来れば避けたかったのだ。

 どうにかして、精霊を宝石から解放して、狂っている状況から元に戻してやりたい。

 そう思うのは、マリーナとしては当然だろう。

 だが、それがグリムに関係しているとなると、迂闊な真似も出来ない。

 アンデッドではあるが、マリーナは今まで何度もグリムに助けられている。

 勿論マリーナ自身が助けられたことはそこまで多くはないが、マリーナが所属している紅蓮の翼というパーティで考えれば、ヴィヘラを助けてくれた一件や目玉の件もあって、深い恩があると言ってもいい。

 だからこそ、今回の一件においては迂闊に手を出すような真似は出来なかった。


「レイ、後で聞いてみてくれる?」

 

 その言葉にレイが頷くのを確認すると、マリーナは少し離れた場所で自分達の様子を見ている他の面々に声を掛ける。


「この宝石は何とかしたいけど、この宝石がウィスプに何らかの影響を与えている可能性は否定出来ないわ。なので、残念だけどこのエメラルドはここに置いておくことにするわね」

「いいの? 精霊なんでしょ?」


 マリーナの言葉にヴィヘラが疑問を口にする。

 他の者達も、言葉には出さないが疑問の視線をマリーナに向けていた。

 当然だろう。つい先程までは散々狂った精霊が封じられている云々と口にしていたのに、ふと気が付けば言ってることが完全に逆になっていたのだから。

 マリーナのことを知っていれば、ヴィヘラではなくても疑問に思ってしまうのは当然だろう。


「ええ。ここにあるということは、恐らく相応に意味がある筈よ。だとすれば、それこそ下手にここから動かしたりしたら、何が起きるか分からないし」


 グリムが何を考えてこの宝石をここに置いたのかは、分からない。

 だが、それが何か大きな意味を持っている場合、それにちょっかいを出すといった真似をしたら、間違いなく最悪の結果になりかねなかった。

 ……もっとも、実際には本当にこの狂った精霊の封じられたエメラルドをグリムが置いたのかどうかは分からないのだが。


(分からないのは事実だけど、実際にここにそんな代物があるというのを考えると、やっぱりそれしか可能性はないんだよな)


 マリーナの様子を見ながら、レイはしみじみと考える。

 そんなレイの様子に、グリムのことを知っているエレーナやヴィヘラも何か思うところがあったのだろう。

 それ以上突っ込んで尋ねるような真似はしない。

 そしてエレーナとヴィヘラが沈黙を保てば、エレーナに心酔しているアーラや、本人としてはそこまで興味のなかったビューネもまた黙り込む。


「さて、そんな訳で……このエメラルドみたいのがあるとなると、そう気楽に地下空間の中を見て回るといったことも出来ないか」

「ん……」


 レイの言葉に、ビューネは残念そうな表情を浮かべる。

 当然だろう。ビューネにしてみれば、巨大なエメラルドを……それこそ、売ればかなりの金額になるだろうエメラルドを見つけたのに、それには狂った精霊が封じられているということで、手が出せなくなってしまったのだ。

 ビューネとしても、エメラルドは欲しいがそこに封印されている狂った精霊などというものはいらない。

 そんな物を売ってしまえば、それこそ災厄を巻き散らかすに等しいのだから。

 だが……それが分かっていても、いや、だからこそと言うべきか、ビューネとしてはまだこの地下空間の中を探して、何か金になる物を見つけたいという思いがあった。

 そのような状況で、レイがそれを禁止するようなことを口にしたのだから、不満を持つなという方が無理だった。


「ビューネの気持ちも分かるけど、少し考えてみなさい? 今この状況で最初に見つけたのが、狂った精霊の封じられていたエメラルドだったのよ? そう考えれば、もしこの空間に何かがあったとして、それが本当に普通の物だと思う?」


 マリーナの説明は、これ以上ないくらい強力な説得力を持っていた。

 それこそ、聞いていた者にしてみれば納得せざるを得ないような、そんな強力な説得力が。

 何気なく最初に見つけたのがそのような……言わば厄ネタとでも言うべきものだったことを考えると、この空間に落ちている物がどのような物なのかは、容易に想像出来るだろう。

 だからこそ、残念ながらビューネもマリーナの言葉に頷くしかなかったのだ。


「じゃあ、ここの見学はもう十分だろ? ウィスプも見たし。……このウィスプが具体的にどのような存在なのかは、それこそダスカー様が用意する研究者に任せるしか出来ないけど」


 少なくても、レイはモンスター学とでも呼ぶべきものには詳しい訳ではない。

 一般的なモンスター図鑑を読んだくらいの知識があるだけで、普通のウィスプについても殆ど知らなかったのだ。

 そんな自分が迂闊にこのウィスプに触れるような真似をした場合、一体どうなるのか。

 それは、考えるだけでも最悪の結果をもたらすようにしか思えない。

 莫大な魔力を持つレイだけに、余計に触れたことによる影響がどう出るのかが分からないというのもある。


「ん」


 最終的にビューネが諦めたように頷くと、結果として皆がそれ以上は不満を口にするようなことはなく、この地下空間から出ようとする。

 ……その際、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラというグリムを知っている三人が、レイに向かって目配せをしたのは……グリムから事情を聞いたら、自分達にも話せということなのだろう。

 特に狂った精霊が封じられていたということもあり、マリーナの視線は真剣そのものだ。


(もしこれで、グリムが面白半分に精霊をエメラルドに封印したとか言ったら、それこそグリムが相手でも、マリーナは許せないと戦いを挑みそうな気がするんだが。……頼むぞ、グリム。面白半分でこんなことをしたとか言わないでくれよ?)


 幸いエレーナ達はグリムとの話を自分だけに任せる様子だったので、もし本当にグリムがそんなことを言ったら、取りあえず適当に誤魔化す必要があるだろう。

 そう考えながら、レイ達は地下空間から外に出る。

 ……グリムのことを考えていたからこそ、レイは気が付かなかったのだろう。

 地下空間で浮かんでいる巨大なウィスプが、身体を明滅させていたことに。






「んー……ああいう地下空間も嫌いじゃないけど、やっぱりこうして日の光の下にいるのがいいわね」


 地下通路から出ると、ヴィヘラが大きく伸びをする。

 その際、非常に豊かな双丘が強烈なまでに自己主張をしたのだが、ヴィヘラにそれを恥ずかしがる様子はない。

 元々ここにいるのはレイ以外は女だけだし、レイになら見られてもいい。……いや、寧ろレイにこそ見て欲しいという思いがあったのが大きい。

 少しだけレイの方を見たヴィヘラは、レイがあらぬ方向を見ていることを残念に思ったが、すぐにフードを脱いでいて露わになっている耳が真っ赤に染まっているのに気が付くと、満足そうに頷く。


「さて、それでこれからどうするの? ダスカーに報告でもしに行く?」


 そんなヴィヘラとレイのやり取りを見ていたマリーナが、レイに向かって尋ねる。

 普段なら自分もレイの誘惑に協力してもいいのだが、今の状況を考えると話を進めた方がいいと判断したのだ。

 レイはそんなマリーナに少し考えてから、エメラルドの件は取りあえず秘密にしておくがそれ以外は報告すると決めるのだった。

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