第2128話
「ここなの? 本当に? こうして見た限りだと、特に何かがあるようには見えないけど」
マリーナの家に泊まった翌日の午前中、レイ達一行はトレントの森の中央部分まで来ていた。
なお、エレーナやヴィヘラにウィスプの件を知らせるのに難色を示したダスカーだったが、マリーナが耳元で何かを呟くと、その内容に何かを諦めたかのように息を吐き、頷いて許可を出した。
マリーナがダスカーに何を言ったのかまでは分からなかったが、それでも何となく予想出来るレイとしては、ダスカーが心穏やかに仕事をすることを願うのみだ。
「マリーナの精霊魔法が、それだけ凄いってことだろうな」
そう言いながら、レイは一応周囲を見回す。
ウィスプのいる地下空間については、まだ知っている者は殆どいない。
だが、ここまでやって来る途中で、樵やその護衛兼下働きをしている冒険者達とは遭遇している。
まずないと思うが、樵や冒険者達がレイ達の行動に興味を持ち、後をつけてくるという可能性はあった。
そのような者がいないかどうかの確認で周囲を見たが、レイの目には何も見つからない
セトを見ても、特に周囲を警戒している様子を見せないことから、恐らくは自分達以外に誰も近くにはいないのだろうと判断し、レイはマリーナに声を掛ける。
「マリーナ、頼む」
「ええ」
レイの言葉に頷いたマリーナは、素早く土の精霊に声を掛けた。
すると、土が動いて地下空間に続く地下通路を隠していた場所が露わになる。
マリーナが腕の立つ……それも超一流の精霊魔法使いであると知っているレイ達は、それを見ても特に驚くようなことはない。
それこそ、マリーナと一緒に行動していれば、嫌でも実感することなのだから。
「さて、じゃあ行きましょうか。一応明かりは私が出すから、心配いらないわよ」
「セトは昨日と同じく、ここで待っててくれるか?」
「キュ!」
レイの言葉に返事をしたのは、セト……ではなく、セトの頭の上にいるイエロだった。
地下に行かず、自分はセトと一緒にいると、そう言ってるように思える鳴き声。
好奇心の強いイエロのことだから、てっきり自分達と一緒に地下に向かうのかと思っていたので、レイには予想外だった。
それでも、何故イエロがここに残ると言ったのかは、レイにも何となく理解出来る。
つまり、セトだけをここに残しておくのが可哀想だと、そう思ったのだろう。
また空を飛ぶのが好きなイエロだけに、地下通路を移動するのは好きな時に好きなように飛べないということで、ストレスになってもおかしくはない。
「分かった。じゃあ、イエロはセトと共にここで一緒に待っててくれな」
「キュ!」
レイに言葉にイエロは短く鳴き、セトはそんなイエロの気遣いに嬉しそうに喉を鳴らすのだった。
「あれが……話には聞いてたけど、また随分と大きいわね」
地下通路を進み、ウィスプのいる空間に到着すると、ヴィヘラはウィスプを見てしみじみと呟く。
それ以外の初めて見る者達……エレーナ、アーラ、ビューネの三人も、視線の先に存在する巨大なウィスプを見て驚きの表情を浮かべる。
巨大なモンスターというだけなら、本来ならそこまで驚くようなことはない。
この辺は、やはり異世界からの転移能力を持っているウィスプだからこそ、驚くのだろう。
視線の先に存在するウィスプの希少種は、それだけ希少な存在だった。
「そう言えば、この人数で来ても結局何も起こらないな。勿論、そっちの方がいいのは間違いないけど」
ウィスプを見ながら、レイが呟く。
レイとグリム、レイとマリーナが来た時も、ウィスプには何も反応らしい反応はなかった。
そして、今日新しい面々を連れて来ても、ウィスプが反応するようなことはない。
「やっぱり、このウィスプにはレイが言ってたように、自我がないんじゃないの?」
レイの声が聞こえたのだろう。マリーナが地下空間に何か変わった場所がないのかを確認しながらそう返す。
「自我がない、か。希少種の中でも更に珍しい奴だな」
希少種と一口に言っても、様々な種類がある。
例えばゴブリンの希少種でも、爪を鋭い短剣のように長くする個体がいるかと思えば、魔力によって身体強化するようなゴブリンもいる。
それこそ、希少種というのは基本的には希少種という名前は同じでも、その能力は全く違う。
勿論、偶然同じ能力を持つにいたった希少種もいたりするのだが。
だからこそ、このウィスプは非常に貴重な存在なのだ。
自我がなく、それでいて異世界から何かを転移させるような能力を持つ。
上手く行けばだが、それは大きな……非常に大きな利益となる。
「そうだな。自我がないからこそ、こうして近づいても攻撃をしてこないし、研究者が見つかればしっかりと調べることも出来るんだと思う。……とはいえ、そんな簡単な話ではないと思うけど」
「ちょっと触ってみてもいい?」
レイの言葉に、何を思ったのかヴィヘラはウィスプに触ってもいいかと聞いてくる。
触るとどうなるか。
それはレイにも若干興味があったが、同時に触ったことによって何が起きるのか分からないというのもあった。
「止めておいた方がいいんじゃないか? 今はまだこのウィスプについて、殆ど何も分かってないんだし」
「うーん、でも刺激をすれば、何か反応が返ってくるんじゃない?」
「いや、その反応がどうなのか分からないから、止めておいた方がいいと言ってるんだが」
ヴィヘラが触れたことにより、それこそ異世界から何かが転移してきてもおかしくはない。
……もっとも、ヴィヘラとしてはそれを期待しているのかもしれないが。
「ちょっとだけでも、駄目?」
お願いと、懇願するような視線をレイに向けるヴィヘラ。
ヴィヘラ程の美女にそのような顔を向けられれば、大抵の男はその言葉に素直に頷くだろう。
だが、幸い――という表現がこの場合正しいのかは不明だが――にもレイはヴィヘラとの付き合いは長い。
ヴィヘラのそんな視線を向けられることにもある程度慣れているということもあり、すぐに首を横に振る。
「駄目だ」
「もう」
絶対にウィスプに触れるのは駄目だと、そう断言するレイに、ヴィヘラは若干拗ねた様子ながらも諦める。
これ以上レイに頼んでも、レイが折れることは絶対にないと、そう理解している為だろう。
そんなヴィヘラの様子を見かねたのか、マリーナが落ち着かせるようにヴィヘラの赤紫の髪を撫でる。
「ほら、落ち着きなさい。このウィスプは、かなり危険な存在なのよ。それこそ、使いようによってはこの世界に悪い影響を与えかねないくらいにね。そんなウィスプを、私達で勝手にどうこう出来る訳がないでしょ?」
マリーナの言葉は、実はレイにも大きなダメージを与えている。
実際に、レイは可能ならこのウィスプを自分の私欲で使いたいと、そう思っていた為だ。
このウィスプの力を使い、あわよくば日本に行ってみたいと思っていたからだ。
……日本に帰るのではなく行ってみたいと思っているところが、レイがこの世界を自分の居場所だと思っている証拠なのだろう。
「ちょっとだけ。ちょっとだけだけど……駄目?」
そう言ってお願いするヴィヘラだったが、マリーナは断固としてそれを許可しない。
下手に刺激して、自分達の手に負えないような状況になったら洒落にならないのだ。
「駄目よ」
「ちぇ」
絶対に駄目だと断言するマリーナに、ヴィヘラは少しだけ拗ねたように呟く。
だが、ヴィヘラも今の状況ではどうしようもないというのは分かっていたのだろう。
それ以上はウィスプにちょっかいをださなくてもいいかと思いながら、洞窟の中の様子を確認する。
エレーナやアーラ、ビューネといった者達も、周囲の様子をしっかりと確認していた。
実際、ここはかなり不思議な空間なだけに、興味深いとは思っているのだろう。
グリムが地下通路を通す以外では、ここからはどこにも移動出来ない。
そうなると、やはりこの空間にはどうやって入るのか。
そもそも、ウィスプはどうやってここにやって来たのか。
それは、この空間にやって来た誰もが感じる疑問だろう。
「こうして見ると、この空間の中にはウィスプ以外には何もいないのね」
空間の中を見回していたヴィヘラが、不思議そうに呟く。
そんなヴィヘラに、実はどこかがグリムの研究室に繋がっていると、そう言いたくなったレイだったが、グリムについて知らない者がいる以上、それは口に出来ない。
アーラとビューネの二人がいない時にその報告をすればいいか。
そう思い、レイは取りあえずそのことは口にせずに、周囲を様子を眺める。
(こうして見る限りでは、本当に何もないんだよな。……ウィスプ以外に何かがいれば、もう少し面白いことになったんだろうに)
地下空間の中にいるのが、それこそウィスプ以外の何か……もしくは、ウィスプの子供とでも呼ぶべき存在がいれば、調べることが多くなったのは間違いないと、そう思いつつ一緒に来た面々に視線を向ける。
「ふむ。アーラ……このような場所が出来たのは、やはり辺境だからだと思うか?」
「そうだと思います。個人的には、アネシスの近くには、このような地下空間が出来て欲しいとは思いませんし」
「それは私も同意見だ。もっとも、貴族派の中には異世界から転移してくる存在に強い興味を抱く者も多い。そのような者にしてみれば、アネシスの地下にこのような場所が出来るのであれば大歓迎といったところだろうが」
エレーナの言葉に、アーラは嫌そうな……本当に嫌そうな表情を浮かべる。
アーラにしてみれば、自分の住んでいる場所の近くにそのような空間が出来るというのは面白い話ではない。
この地下空間にしても、トレントの森の中央部分にあり、ギルムの真下ではないというのが大きいのだろう。
そう考えたアーラだったが。目玉の件で地下に巨大な空間があったというのを思い出す。
そのような空間があったことを考えると、辺境という地では何があってもおかしくはないのだろうと。
「ん……」
エレーナとアーラが話している場所から少し離れた場所では、ビューネが何か面白いものでもないかと探しながら、周囲の様子を確認していた。
とはいえ、そのようなことをしても何かビューネにとって興味深い何かがある訳でもなく、結局のところは石を拾っているようにしか見えなかった。
見えなかったのだが……
「ん!」
不意に、地下空間の中にビューネの驚きの声が響き渡る。
普段は滅多に大きな声を出したりする様子がないビューネだけに、地下空間の中にいた者は全員がそんなビューネの様子に、何があったのかといった様子で近づいていく。
「どうしたの? 何か面白いものでもあった?」
「ん!」
ヴィヘラの声に、ビューネは持っていた物を見せる。
「……へぇ。また、珍しいわね」
ビューネが持っていた物を見て、ヴィヘラは少し驚いたように呟く。
実際、ビューネが持っていた物は、ヴィヘラにして驚くべき存在なのは間違いなかった。
それは、緑色の宝石。
それも、ビューネの拳程の大きさもある宝石だ。
そう、原石ではなく宝石。
水晶を丸く削った水晶玉というのがあるが、ビューネが持っているのは球形をした緑色の宝石。
「エメラルド……か?」
宝石の類に詳しくないレイにとって、緑色の宝石と言われて最初に思いつくのはエメラルドだ。
実際にはエメラルドと言えば緑が一般的なのだが、緑以外にも青、赤、ピンクといったようなエメラルドも存在しているのだが……残念ながら、レイはそこまで知らなかった。
だが、幸いなことにレイの言葉にヴィヘラが頷く。
「そうね。エメラルドで間違いないわ。……ただし、これはただのエメラルドじゃないと思うんだけど……」
ビューネから渡されたエメラルドを見ながら、ヴィヘラが困ったように言う。
元皇女だけあって、ヴィヘラは様々な宝石を見てきた経験がある。
また、ビューネと共にダンジョンに潜っていた時も、何度か宝石を見つけたことがあった。
それだけにヴィヘラの宝石を見る目は確かなものがあるのだが、そんなヴィヘラの目で見ても、そのエメラルドはとても普通の宝石とは思えなかった。
それこそ、見て分かる程に何かの迫力があるのだ。
「マリーナ、どう思う?」
ヴィヘラは、持っていたエメラルドをマリーナに渡そうとする。
マリーナはダークエルフとして長く生きている。
それだけに、このエメラルドを見て何か思うところがあるのではないかと、そう思ったのだが……
「ヴィヘラ、そのエメラルドは地面に置きなさい。そっとよ」
険しい表情で、ヴィヘラの持つエメラルドを見ながら、マリーナは真剣な表情で告げるのだった。
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