第2130話
ダスカーに昼食を食べながら報告をした後で、レイは一旦マリーナの家に戻る。
グリムに連絡をするにも、あまり人目に付きたくなかった為だ。
夕暮れの小麦亭に戻ってもよかったのだが、夕暮れの小麦亭は宿だけに日中でも客がそれなりにいる。
それを考えれば、やはりこうして確実に人がいない……もしくはいても見知っている相手だけのマリーナの家でグリムに連絡を取る方が安全だった。
もっとも、夕暮れの小麦亭も高級な宿だけあって、容易に他人の部屋に入ったり、盗み聞きをしたりといったことは出来なくなっているのだが。
そしてレイがマリーナの家に戻ると言えば、当然のように他の面々も一緒に行動することになる。
「じゃあ、俺は少し疲れたから、部屋で少し眠らせて貰うな。セトはイエロと遊んでいてくれ。夕方近くになったら、また生誕の塔の方に戻るから」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らし、早速イエロと共に中庭に向かう。
エレーナ、マリーナ、ヴィヘラの三人は、レイが部屋で何をするのか分かっている為に、事情が分かったら自分達にも教えるようにと視線を向ける。
……特にマリーナは、ことが精霊についてなので真剣な表情だ。
精霊魔法を使う身としては、当然なのだろうが。
そんな三人に小さく頷くと、レイは自分の部屋……正確にはマリーナの家で寝る時に使う部屋に向かう。
背後からはセトとイエロの騒ぐ声が聞こえてくる。
嬉しそうなその声を聞きながら自分の部屋に戻ると、レイはすぐに対のオーブを取り出して起動させ、グリムを呼びだす。
「グリム、聞こえているか? グリム」
対のオーブに何度か声を掛けてみるが、グリムがそこに映し出される様子はない。
何か失敗したか? とそう思いつつ、それでもレイは続けてグリムに声を掛け続ける。
そして……一分程が経過したところで、ようやくグリムの姿が対のオーブに映し出された。
『レイ? このような時間に連絡をしてくるとは、珍しいな』
そう言われたレイは、そう言えば……とグリムがアンデッドであることを思い出す。
基本的に、アンデッドというのは夜に活動する存在だ。
そんなグリムを日中に呼びだしたのだから、このように言われてもおかしくはない。
いや、グリムが孫のように思っているレイだからこそ、この程度で済んでいるのだろう。
もしレイ以外の……それも全く見知らぬ者がこのような時間にグリムを呼びだすような真似をした場合、それこそ即座にグリムに殺されてもおかしくはない。
もっとも、見知らぬ者がグリムに対のオーブで連絡をする機会はまずないだろうが。
「ああ、そう言えばグリムはアンデッドだったか。……もしかして寝てたか?」
アンデッドが寝るのかどうかレイには分からないが、取りあえずそう尋ねる。
そんなレイの問いに、グリムは首を横に振る。
『いや、少し研究の方に集中していただけじゃ。……それで、何かあったのか?』
取り合えずグリムが怒っていないというのを確認したレイは、早速本題に入る。
「実はさっき、ちょっとウィスプのいる空間に行ってきたんだけど、そこで狂った精霊が封印されたエメラルドを見つけてな。もしかして、あれってグリムが置いたのか?」
『うむ』
予想していた以上にあっさりと、グリムは答える。
レイにとっては、それが予想外だった。
「そんなに正直に言っても、いいのか?」
『構わんよ。別に隠すことではないしの。この件については、いずれレイにも知らせるつもりじゃった』
「そうなのか? ……それで、何を考えてあんな真似をしたんだ? マリーナがかなり気にしてたぞ?」
気にしていたというのは、かなり柔らかくした表現だった。
実際には、もしマリーナがこの場にいれば、グリムを詰問してもおかしくはないくらいに怒っていたのだから。
マリーナも自分とグリムの間には圧倒的な差があるというのは理解している。理解しているが……だからといって、精霊を狂わせてエメラルドの中に封じるといった真似をしたグリムを許容出来る訳ではない。
『マリーナと言うのは、ダークエルフの娘か。なるほど、精霊との関係が深い者であれば、そのような態度となってもおかしくはないか。じゃが、お主もあのダークエルフの娘も、少し勘違いをしておるぞ』
「勘違い?」
『そうじゃ。レイの言葉から推測するのに、あのダークエルフの娘は儂が風の精霊を狂わせてエメラルドに封じたと、そう思っておるのじゃろう?』
「ああ。……風の精霊とまでは言ってなかったけど」
マリーナがエメラルドに封じられているのが風の精霊だというのを知っていたのかどうかは、レイにも分からなかった。
だが、言わなかったということは、恐らく分からなかったのだろう。
グリムがこうしてすぐに風の精霊を封じたと言ったのは、やはりグリムが封印したからこそだろう。
『あの風の精霊は、儂が狂わせた訳ではない。ギルムだったか? レイのいる街からは大分離れた場所になるが、オルレオン山という山がある。その山の麓では数年、もしくは十数年に一度、特殊な魔力を含んだ霧が発生するのじゃが、その霧に精霊が触れると狂ってしまう』
「つまり、あのエメラルドに封じられていた精霊も?」
『そうじゃ。その霧が少し必要になって採取しに行った時、運悪く迷い込んで来て、霧の影響で狂ったのじゃ』
そんな物騒な霧が必要になるというのはどういうことなのかという疑問や、数年や十数年に一度というのは一体どれだけその霧が発生するのが稀なのかという疑問もあったが、レイは口にしない。
特に後者の時間に関しては、グリムがアンデッドで遙か昔……それこそゼパイルと一緒の時代からこの世に存在しているのだ。
そのようなグリムにとって、数年や十数年というのはすぐという認識だった。
「精霊が狂った理由は分かったけど、何でその精霊をエメラルドに封じるような真似を?」
『殺すよりは封印した方がいいと思ったのじゃよ。あるいは、封印された精霊も何かに使えるかもしれんと思っておったし。……そして実際、今はこうして使っておる訳じゃしな』
「グリムでも、その霧の影響で狂った状態からは元に戻せないのか?」
『霧の成分が特殊でな。難しい。色々と試してはみたのじゃが……今のところ、不可能じゃ』
グリムの言葉に、レイはそうかと納得する。
グリムならそのくらいは簡単にどうにか出来そうな気がしていた為、それだけに少しだけ驚いていたが。
「取りあえず話は分かった。……で、何だってそんなエメラルドをあの空間に置いておいたんだ?」
『あのウィスプが何か反応をするかと思ってじゃな。結果としては、どうやら失敗だったようじゃが』
はぁ、と。
残念そうに呟くグリム。
もっとも、残念そうというのはあくまでもそういう雰囲気を出しているようにレイに思えただけだが。
グリムの顔は頭蓋骨である以上、表情を確認するといった真似は出来ない。
だからこそ、その雰囲気で何となく予想することしか出来なかった。
「そうだな。少なくても俺達が見た時は、特に何かウィスプが反応しているようには思えなかったし」
レイが見た限りでは、エメラルドを置いたことはただの無駄な行為にしか思えない。
そもそも、グリムには他にも幾つもの素材やら何やらがあるのだろうに、何故そこで狂った精霊の封印されたエメラルドを選んだのか。
『エメラルドの件は、何かあったらというところじゃな。他にも色々とあの空間には置いてあったのじゃが……そちらは見なかったのか?』
「ああ。あのエメラルドはグリムが置いた物だろうというのは予想出来たしな。それを考えれば、あの地下空間で迂闊に宝探しなんて出来ないだろ」
グリムの用意した物を、それこそ迂闊に持って帰るような真似をすればどうなるか。
それはグリムが怒るかどうかといったことではなく、持って帰った結果として妙な騒動が起きかねないという意味で恐怖を煽る。
それに、もしグリムが意図的に様々な物を配置しておいたのなら、配置されていた場所から動かした場合、妙なことが起きないとも限らない。
『儂はそこまで複雑に考えてやった訳ではないのじゃがな。あのウィスプも色々と調べておるが、今のところ何の進展もないしな』
ここからトレントの森まで、セトの速度であれば数分……場合によっては一分も掛からない。
だが、問題なのはここから飛ぶということは出来ないことだろう。
トレントの森まで移動するには、まずギルムの正門から外に出て、それからセトに乗って移動する必要がある。
その手間を考えれば、あの空間に自分の研究室を直接繋げているグリムの方が、ウィスプを研究するという点から考えると圧倒的に有利なのは間違いない。
そしてグリムがどれだけ優秀な魔法使いにして研究者なのかを知っているレイとしては、そんなグリムがウィスプの研究をしてもあまり効果が出ていないというのは驚きでしかなかった。
「グリムのことだから、もうある程度は分かっているかと思ったけど」
『レイは儂を何じゃと思っておる』
呆れと共に、グリムがレイに向かってそう言ってくる。
レイとしては、今まで自分ではどうしようもないことを何度となく助けて貰っている以上、グリムは大抵のことは出来るのではないかという思いがあった。
「グリムのことだから、ある程度どうとでもなると思ってな」
『……全く』
レイの言葉に、数秒の沈黙の後でグリムが小さく呟く。
それが照れ隠しからくるものなのだというのは、レイの目から見ても明らかだった。
顔が頭蓋骨だから、照れているかどうかというのははっきりと分からなかったが、もしグリムにきちんとした顔があれば、恐らく赤くなっていただろう。
そのことで少しグリムをからかいたい気分になったレイだったが、もしそのような真似をしたら後が怖いと判断して話題を変える。
「それで、結局エメラルドに封印されている風の精霊は解放出来ないのか? 狂ったままじゃなくて、正気に戻した上でだけど」
『難しいな。そもそも、あの霧の影響で狂った精霊が元に戻ったなどという話は、聞いたことがない。だからこそ、正気に戻すことが出来れば面白いとは思うのじゃが……』
そこで言葉を止めたグリムは、首を横に振る。
それは今のところどうしようもないということの証だった。
「そうか。……取りあえず、マリーナの方にはその辺のことを言っておく」
『うむ』
グリムが頷き、それから数分話を続けるとグリムが研究の方で忙しくなりそうだからと、話を終える。
そうして対のオーブの前からグリムの姿が消えると、レイは早速部屋から出た。
本来なら部屋で少し休むということになっていたので、部屋から出るのは少し早い気がしないでもない。
だが、精霊の件でマリーナがやきもきしてるのを考えれば、その辺はしっかりと話をしておいた方がいいと思った為だ。
そして案の定と言うべきか、マリーナはレイの部屋の前で待っていた。
レイが休むと言って、グリムと連絡を取るのは分かっていたので、事情をなるべく早く聞きたかったのだろう。
「中で話を聞かせて貰える? ここだと、アーラやビューネに聞かれるかもしれないでしょ?」
レイもマリーナも、五感の鋭さは人間離れしている。……双方共に、人間ではないのだが。
それだけにアーラやビューネが近づいてくればすぐに分かるのだが、もしかしたら、万が一ということもある。
そう考えれば、レイの部屋で話をしたいというマリーナの気持ちも分かった。
マリーナにしてみれば、出来るだけ集中してレイの話を聞きたいのだ。
二人は部屋の中に入る。
部屋の中は、宿とそう大差はない。
この場合は夕暮れの小麦亭という高級宿と大差ないことを感心すればいいのか、貴族街にある屋敷なのに幾ら高級宿ではあっても宿と同じだと思えばいいのか。
そんな風に思いつつ、レイは椅子に座り、マリーナはベッドに座る。
静寂が部屋を満たすこと、数十秒。
やがてレイが口を開く。
「まず最初に、マリーナが気になってることを言っておく。あのエメラルドに封印されていた精霊が狂ったのは、グリムがやった訳じゃない」
そう言い、グリムから聞いた事情を説明する。
その説明が終わると、マリーナは安堵した様子を見せた。
グリムが精霊を狂わせたのではなく、狂った精霊を殺さない為にエメラルドに封印したというのが分かったからだ。
……もっとも、それはグリムが精霊をエメラルドに、そして場合によってはそれ以外の宝石にも封じることが出来るということが判明したということでもあったのだが。
それでも、レイへの態度を見ていればマリーナが怒るような真似はしないだろうというのは明らかで、それはレイを安心させるには十分だった。
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