第2112話
空を飛び、敵対心を持たないクラゲと遭遇した翌日……その日の朝食は、皆が非常に眠そうだった。
当然だろう。夜中にいきなり敵襲かもしれないと起こされたのだから。
結果としては、見張りが見つけたのはクラゲの光で、その光の様子を見に行ったレイが連れてきたクラゲに、多くの者が目を奪われた。
実際にはクラゲが冒険者達の前で踊っていた時間は、そう長いものではない。
それでもここまで眠そうな者が多いのは、それだけクラゲの舞う様子が幻想的で強く心に残ったからだろう。
そんな光景に興奮し、なかなか眠ることが出来なかったのだ。
いざとなれば、依頼の最中は外で寝たり、場合によっては戦場の中で眠ったりすることも多い冒険者達だったが、そんな冒険者にとっても光るクラゲの踊る様子は興奮するのに十分だったのだろう。
「なぁ、昨日見た光景って……夢じゃなかったんだよな?」
「ああ。俺も覚えてる。幻覚とかじゃなければ、間違いなく本当だった筈だ。そして、レイやセトがいる以上、誰かに幻を見せられたとか、そういうのは多分ないと思ってもいい」
その言葉に、話していた冒険者がレイとセトの方を見る。
他の冒険者達はかなり眠そうにしている者が多いのだが、レイはそんな周囲の者達とは違い、特に眠そうな様子を見せていない。
レイも昨日は夜中に起こされ……そして他の冒険者達と同じくクラゲを見たにも関わらず、だ。
いや、クラゲを見たという点では、セトに乗ってクラゲが大量発生していた場所に直接向かったので、他の冒険者達よりも強く印象に残っていても、おかしくはない筈だった。
つまり他の冒険者と同じか、それ以上に興奮して眠れなくてもおかしくはなく、朝も厳しかった筈なのだが……レイはいたって普通の様子を見せている。
これは、レイの一種の特性によるものだ。
これが何も依頼を受けていない時なら、それこそ睡魔に負けて二度寝をしてもおかしくはないし、起きた後も暫くは寝惚けているだろう。
だが、今は依頼の最中なので、レイは自然と目を覚ますことが出来る。
そうして目を覚ましたレイは、他の者よりも少しだけ早めに起きてから、朝食の準備をしつつセトと触れあいを楽しんでいた。
勿論、何かあった時はすぐに反応出来るように、半ば見張りという役目もあったのだが。
そんなレイの様子に、冒険者達は感心すればいいのか、呆れればいいのか迷いながら、ともあれ皆で朝の準備を行う。
……とはいえ、朝食は基本的にレイが用意するということもあって、特に何かを急いで準備するといったことは必要ないのだが。
これがもしレイがいなければ、それこそお湯を沸かしたり、パンや肉を焼いたり、簡単なスープを作ったりといったように料理の準備をするか、もしくは干し肉のような保存食をそのまま食べるといった食事になる。
「うわっ、いい匂い……レイ、これって?」
朝食にとレイが出したのは、オークの肉……それもただのオークの肉ではなく、ベーコンにしたオークの肉を使ったスープだ。
一応ベーコンも、分類的には保存食に入るのだが、それでも塩辛いだけの塩漬け肉とはその味が違う。
そもそもこのスープを作っているのは、それなりに高い値段で料理を出す店なので、そこで使われているベーコンも当然のように相応に高価な代物となる。
そんなベーコンや野菜がたっぷりと入っているそのスープは、レイ的にはどこか豚汁に似ているような気すらした。
味付けに味噌を使っている訳ではないし、豚肉ではなくベーコンが使われており、野菜もレイが知っている一般的な豚汁とは大きく違う。
それでも飲んだ時には、豚汁……言ってみれば洋風の豚汁のようにも思えたのだ。
あくまでもレイがそう思ったというだけなのだが。
ともあれ、そのような流れでこのスープを気に入ったレイは、少し多めの料金を支払って鍋ごと購入した。
そんなレイのお気に入りのスープをこうして出したのは、やはりレイにとっても昨夜の空飛ぶクラゲの一件には、色々と思うところがあったのだろう。
(豚汁とくれば、やっぱりおにぎりとかが欲しいところだよな。けど、この辺りって米を見たことがないし。……洋風のスープだから、パンに合わない訳じゃないんだけど)
スープに溶け込んだベーコンの旨みと野菜の甘みを楽しみながら、レイはしみじみと思う。
他の者達も、そんなスープを美味いと言いながら飲んでいた。
そうして食べながら、今日の予定について話し合う。
「昨夜の一件は、ダスカー様に知らせる必要があるだろうな」
パンを食べながらそう言ったのは、騎士。
あれだけの大きな騒ぎだったのだから、これをダスカーに知らせないという選択肢は存在しない。
この場合に問題なのは、クラゲをこれからどうするかということだろう。
少なくても、昨夜レイの側を漂っていたクラゲ達は攻撃してくるようなことはなく、寧ろ人懐っこいと言ってもよかった。
その辺りの事情を考えれば、クラゲとは出来るだけ友好的に接したいというのがレイの希望だったし、この場にいる他の面々……昨夜のクラゲを自分の目で見た者達も、そんなレイの意見には賛成だった。
本当に全員が心の底から賛成しているのかと言われれば、それは分からない。
分からないが、それでも表だって反対をする者が誰もいなかったのは事実だ。
「ダスカー様には、出来れば友好的に接して欲しいと言ってくれ」
「……いや、それを言うならレイだろ。本来なら俺が行きたいところだが、ここにダスカー様の手の者が誰もいなくなるというのは、不味い。それにレイはトレントの森の木を運ぶ必要もあるんだろ? 昨日は何だかんだと、午後に伐採された木は殆ど持って行けなくて溜まってるだろうし」
「ぐっ」
それは間違いのない事実だった。
生誕の塔や湖の一件によって、トレントの森の伐採作業を一時的に中断した関係上、現在ギルムで行われている増築工事で使う建築資材……トレントの森で伐採された木に錬金術を使って魔法的な処理をした建築資材が足りなくなっていた。
だからこそ樵達も仕事が再開されるようになってから急いで仕事をしていたのだ。
湖が転移してきたことから、また樵の仕事が中止になるのかと何人かが不安に思ったのだが……幸いにもそんなことはなかった。
ダスカーとしては、本来なら樵の仕事を休みにしたかったというのが、正直なところだろう。
だが、建築資材の不足で乱闘騒ぎまで起こっているとなると、樵達に仕事をさせない訳にはいかない。
結果として、湖が転移してきてからも樵は仕事を続けていた。
もっとも、樵やその護衛兼下働きの冒険者達が湖に……そして生誕の塔に近づくのは禁止されているが。
また、何らかの関係があるのか、それとも単なる偶然かはまだ不明だったが、湖が転移してきてから緑人やリザードマンが新たに転移してくるようなことはなくなっていた。
これが、湖や生誕の塔といった大物が転移してきて、転移する為のエネルギー不足か何かになっているのか、それとも単純に偶然なのかはレイにも分からなかったが。
「そんな訳で、木の運搬とダスカー様への報告はよろしく頼む。……正直、レイとセトがいない状況でまた何かあったら、大変なんだけどな」
そう告げる騎士が思い浮かべているのは、やはり昨夜のクラゲの一件だろう。
湖の中や上に突然現れた光。
それを確認する為にレイとセトに動いて貰ったが、もし昨日の時点でレイとセトがここにいなかった場合、一体どうやってあの光を確認出来たのか。
セトがいなければ空を飛ぶといったことが出来る者がいない以上、一体あの光が何を意味しているのかは分からなかっただろう。
泳いで近づくという選択肢もあったかもしれないが、アメンボや口の長いトカゲに襲われた経験がある以上、夜中の湖を泳ぐのは自殺行為に等しい。
つまり、もしレイとセトがいなかった場合は、ただクラゲの光を遠くから見ていることしか出来なかったのだ。
幸いにもクラゲは友好的な存在だった。
だが、もし敵対的な相手だったとしたら?
水という防壁を自由に使え、準備万端で攻撃をしてくるだろう敵と比較した場合、ここで待っている者達が不利になるだろう。
それを思えば、やはりここにはレイとセトがいて欲しいと思うのは、騎士の本音だった。
同時に、レイとセトを必要としているのが他にも大勢いるというのも理解している。
だからこそ、今回の一件はレイとセトに頼むことにしたのだ。
「セトの移動速度なら、ギルムからここまですぐに戻ってこられるだろ?」
「それは否定しないけどな」
実際問題、数分……場合によっては一分も掛からずにギルムからここまで移動出来るのは事実だ。
寧ろ移動するよりもギルムの中での諸々の方に時間は多く掛かるだろう。
特に錬金術師達は、レイの持つ目玉の素材に未だに強い興味を持っているのだから。
「じゃあ、頼んだ。あのクラゲはこっちに友好的な存在だったけど、その辺を知らない者が妙な考えを起こしたりしたら、面倒なことになるのは分かってるだろ?」
その言葉は、レイにも理解出来た。
昨日は友好的な存在だったクラゲだが、何か妙なこと……それこそ珍しいモンスターを、それも攻撃してこないような友好的な相手を捕獲して誰かに売りつけようといったことをする者がいれば、昨日と同じ対応を取るとは思えない。
そんなことにならないようにする為にも、やはりここはしっかりとダスカーに話を通しておく必要があった
……実際問題、この湖の広さを考えると、そう簡単にどうこう出来るようなことではないというのは、分かるのだが。
(あ、でも昨日のクラゲは湖の中央……かどうかは分からないけど、ここからは遠い場所にいたんだよな。だとすれば、もしクラゲを密漁しようとする奴がいても、空を飛べるか、泳ぎながらモンスターをどうにかするくらいの腕利きじゃないと、どうにも出来ないんじゃないか?)
そう思うも、そもそもあのクラゲの人懐っこさを考え、そして昨日のことを覚えていれば、岸に人がいるのをみつければ自分から近づいていきかねない。
であれば、やはりその辺はどうにかした方がいいのは間違いなかった。
「分かった。じゃあ、これを食べ終わったら、セトと一緒に伐採した木を集めてギルムに行くよ。何かあったら、頼むな」
そう騎士に告げると、レイは洋風豚汁とでも言うべきスープの味を楽しむのだった。
「なるほどな」
ギルムにある、領主の館の執務室。
木材を錬金術師達に引き渡した後で、レイは領主の館にやって来て昨夜の件を説明した。
クラゲの件だけではなく、トカゲのモンスターが群れで襲ってきたことや、そのトカゲのモンスターには魔石がなかったことといった具合に。
それらの説明を聞いたダスカーの口から出たのが、今の困ったような言葉だ。
今まで色々と面倒なことが重なっているのに、そこに更に面倒が増えたのだから、そうなってもおかしくはないのだが。
それでも不幸中の幸いだったのは、湖のモンスターに魔石がないというのは昨日アメンボの一件を聞いた時点で予想していたことだろう。
新たに魔石を持たないモンスターが現れたことは面倒だったが、それでも既に魔石がないモンスターがいるというのが分かっている以上、そこまで大きなショックを受けることはなかった。
クラゲの一件も、面倒と言えば面倒だったが、レイ達に友好的な存在である以上、緊急に対処が必要な状況ではない。
勿論、レイや騎士達が心配していたように、密漁をする者が出てこないかという点で完全に放っておくことは出来ないが。
今の状況を考えれば、取りあえず置いておいてもいいような状況というのは非常にありがたい。
少なくても、急に判断が必要な事態が起きるよりは随分と助かるのは事実だ。
……それでも将来的に色々と面倒な事態になるのは、ほぼ確定であるのは間違いなかったが。
「それで、どうします?」
「光るクラゲってのは、こっちに友好的なんだろう? なら、ここで無理にどうこうする必要はない。ただし、向こうはあくまでもモンスターだということを忘れるな。今は友好的であっても、ずっとそうだとは限らないからな」
「俺が見た感じでは、ずっとそういう風になると思うんですが……まぁ、それはともかくとして、ダスカー様の言いたいことは理解しました。取りあえず様子見ということでいいですか?」
「ああ。ただし、そのクラゲに手を出すような奴がいた場合は、可能な限り阻止してくれ。向こうが友好的な存在である以上、こちらからそれを破るような真似はしたくない。……場合によっては、妙な真似をした奴を殺しても構わん」
鋭くそう告げるダスカーの言葉に、レイは頷きを返すのだった。
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