第2111話

 クラゲ。

 それは当然のように海にいる存在だ。

 実際には地球には淡水に生息しているクラゲもいるのだが、レイにとってクラゲとは海にいるという存在という認識で、レイはそんな存在を知らなかった。

 現在レイの視線の先にいるクラゲは、間違いなく湖で泳いでいる。

 それだけではなく、どのようにしてかはレイにも分からなかったが、空を飛んでいるクラゲもいる。

 そのクラゲの大きさは、小さいのは掌程度の大きさもいれば、大きいのになるとセトよりも大きい。

 大小様々という表現通り、多数のクラゲが身体中を光らせながら水中と空中を泳いでいた。


「これは……素直に凄いな」

「グルゥ」


 レイの言葉に、セトも同意するように喉を鳴らす。

 レイとセトが近くにいるというのに、クラゲの群れは特に攻撃をする様子は見せない。

 そもそもレイとセトの存在に気が付いていないのではないかとすら思ってしまうような、そんな光景。


(モンスター……だよな? ただ、リザードマン達と同じように、こちらには敵対的な存在じゃないってことか?)


 夜に煌めくクラゲを眺めつつ、レイはそう考える。

 少なくても、現在レイとセトの近くを漂っているクラゲが襲ってくることはない。


「俺の言葉が、分かるか?」


 一応といった様子で声を掛けてみるレイ。

 だが、クラゲはそんなレイの言葉に答える様子はない。

 それでいて、攻撃はせずにレイとセトの近くを漂うだけだ。


(言葉が通じないか。ゾゾ達でも言葉が通じなかったんだから、それはおかしな話ではないだろうけど。それでもこっちを攻撃してこないってのは、元来平和的なモンスターってことか? ……平和的なモンスターってのも違和感があるけど)


 空中と水中を漂うクラゲを見ながらそう考えるレイだったが、実際には攻撃性が低いモンスターというのも存在はしている。

 自分の周囲を漂っているクラゲもそうなのかどうか、それを疑問に思いながらどうするべきかと考える。

 本当に敵対をする様子がないのであれば、それこそこのまま放っておいてもいいだろう。


「セト、どうする? 一度皆の場所に戻った方がいいと思うか?」

「グルルゥ? グルルゥ」


 レイの言葉に、もう少しここで見ていたいと喉を鳴らすセト。

 セトにとって、目の前で広がっている美しい……幻想的とすら言ってもいい光景は、出来ればこのままずっと見ていたいものだった。

 とはいえ、今の状況を考えればそんなことをする訳にもいかない。

 いずれはこのクラゲの正体を皆に知らせに行く必要があるだろうが、もう少し……本当にもう少しだけこのクラゲを見ていたかった。

 本来なら、レイはそんなセトに対して何かを言わなければならない。

 現在の自分達の状況を考えれば、生誕の塔の側ではこのクラゲの身体が光っている光景は、未知故に恐怖を覚えてもおかしくはないのだから。

 水中や空中に浮かぶクラゲだったが、そのクラゲの光っている部分はそれぞれ違う。

 透明な身体の中を光球が動き回っていたり、かと思えばその光は球ではなく帯の形をしていたり、クラゲの体内で自由自在に形を変えているものもある。


(イルミネーションとかってTVで見たことがあったけど……これもある意味で天然のイルミネーションだな。いや、天然じゃなくて生きているイルミネーションか?)


 自分の周囲を飛び回っているクラゲを見ながら、セトの態度に何を言うでもなく迷っていたレイだったが、ふとクラゲの一匹がレイの方に近寄ってくる。

 近づいてくるクラゲを見ても、警戒するような気にならなかったのはレイもまた幻想的なクラゲに敵対心を感じることが出来なかったからだろう。

 一瞬、本当に一瞬だけ、そうやって自分を油断させているだけなのではないか? と思わないでもなかったが、実際にクラゲはレイのすぐ側……それこそ手を伸ばせば触れるどころか、身体を少し動かせば触れてしまうといったくらいにまでクラゲが近づいてきても、攻撃をする様子は一切ない。


「おお」


 レイの側までやって来たクラゲは、傘の部分が一m、足まで含めると二mを越えている、比較的大型のクラゲだった。

 大型のクラゲは、レイの側で動き回っては、まるで懐くかのように身体を擦りつける。

 それはまるで、セトがレイに甘えているかのような態度と同じような感じだった。


「お前、俺の言葉が分かるのか? さっきは分からなかったみたいだけど」


 そう呟くレイだったが、それでもやはりクラゲはそんなレイの様子に何も反応はない。


「えっと、これは……やっぱり分からないのか? どうしたものか……あ、そうか」


 自分に身体を擦りつけてくるクラゲに戸惑い、その感触に何とも言えないものを感じていたレイはセトに声を掛ける。

 どうしたの? とセトが見てくるが、レイはクラゲに纏わり付かれながら、口を開く。


「ゆっくり、ゆっくりと岸に向かって移動してくれ。そうすれば、もしかしたらこのクラゲも一緒にやってくるかもしれない」

「グルルゥ」


 レイの言葉に、セトは分かったと小さく喉を鳴らすと、そのままレイの指示に従ってゆっくりと翼を羽ばたかせる。

 湖の上で滞空している時も、セトは翼を羽ばたかせていた。

 その状況から少しだけ翼を羽ばたく速度を上げ……ゆっくりと方向転換すると、そのまま岸に向かって移動する。

 するとレイの予想通り、レイに身体を擦りつけていたクラゲは特に嫌がる様子もなく、レイと一緒に移動した。

 本来なら、セトはレイ以外の相手を自分の背に乗せて飛ぶことは出来ない。

 子供くらいならまだ何とかなるのだが、全長二mもあるクラゲを背中に乗せた場合は、まず飛ぶことが出来ない。

 それでも今は全く問題なく飛ぶことが出来ているのは、正確にはクラゲがセトの背に乗っているのではなく、クラゲそのものは空を飛んでいるからだろう。

 そのおかげでセトの背にはクラゲの重みが掛からず、普通に飛ぶことが出来ていた。


「お」


 そのクラゲがレイやセトと一緒に移動を始めたのを見た他のクラゲも、十匹程がレイとセトと一緒に移動してくる。

 別にレイに絡みついているクラゲが、光っているクラゲのボスといった訳ではないのだろう。

 少なくても、レイに絡みついているクラゲより大きいクラゲは他に何匹も存在している。


(派閥とかあったりするのか? それとも別の何かか)


 クラゲ達の行動原理が分からずに若干疑問を感じるレイだったが、今の状況を思えば特に問題はないだろうと判断し、そのまま岸に向かう。

 クラゲ達がいる場所まで移動する時は数秒だったが、今はセトがクラゲの速度に合わせてゆっくりと空を飛んでいる。

 結果として、岸まで近づくのに数分もの時間が掛かることになった。


「レ、レイ?」


 岸に近づくと、そんな声が聞こえてくる。

 若干の震えがあるのは、レイにクラゲが絡みついている為か。

 単純に、レイがクラゲに取り憑かれたのかと、そう思ったのかもしれない。

 クラゲは光っているので、そのクラゲが巻き付いているレイの姿は、岸に近づけばはっきりと理解出来た。


「そうだ。取りあえず、このクラゲは光って空を飛べるだけで、特に何か攻撃性がある訳でもないのははっきりとした」

「いや、だって……本当に大丈夫なのか?」


 声を掛けた冒険者から見れば、レイは透明で光っている部分のあるクラゲに巻き付かれているという、異様な様子を見せている。

 そんな姿を見れば、とてもではないが大丈夫と言われてもすぐに頷けはしない。

 だが、実際にレイは特に何ともなかった。

 自分に絡みついているクラゲに、何か合図をするかのように軽く叩けば、クラゲの方もそれを理解したのかあっさりとレイから離れていく。

 そうしてレイから離れば、先程までの同じように空中を飛び回るクラゲは、見ている者達の目を奪うのに十分な程の美しさを持っていた。

 それは冒険者だけではなく、騎士やリザードマンといった者達ですら同様だった。

 ゾゾやガガまでもが、空を飛ぶ……いや、空を泳ぐ複数のクラゲの姿に目を奪われている。


「これは……凄い……」


 そう呟いたのが一体誰だったのかは、レイにも分からない。

 だが、目の前の光景を目にした者がそう呟くのは、レイにも十分に理解出来る。

 とはいえ、レイとセトだけが見た先程の光景……ここまでやってきたクラゲよりも更に多くのクラゲが空中と水中を光りながら泳いでいる光景は、今レイの目の前にある光景よりも更に幻想的なものだった。

 だからこそ、他の者達よりもまだ余裕を持って見ていることが出来る。


(それにしても、このクラゲ達は一体何なんだ? こうして光っているのを見ると、光で仲間を呼ぶとか? ……呼んでどうするって感じだけど)


 クラゲが何をしているのか。何を考えているのか。何を思っているのか。

 それが、レイには全く分からない。

 とはいえ、クラゲに高い知能があるとは思えない以上、これらは本能的なものだろうというのは、予想出来た。

 ……それが具体的にどのような意味があるのかは、相変わらず分かるようはことはなかったが。


「なぁ、レイ。……このクラゲ達……こっちに敵意はないんだよな?」


 不意に、冒険者の一人がそう尋ねる。

 冒険者の男にしてみれば、目の前で踊るように漂っているクラゲの様子を見て、その幻想的な美しさに不安に思ったのだろう。

 もしかして、この美しさで見ている者の注意を集め、その隙に何かをするのではないか、と。

 実際、レイもそんな冒険者の言葉に納得出来るものはあった。

 同じように思ったことがないかと言えば、それは嘘になるのだから。

 だがそれでも、湖で自分に掴まってきたクラゲは、特に何かをするような様子はなかった。

 それを思えば、恐らく問題ないだろうというのがレイの判断だ。

 だが、それはあくまでもレイがそう思っているだけであって、実際には違うという可能性も十分にあったのだが。


「多分問題ないと思う。実際に俺が湖の様子を見に行っても、何ともなかっただろ? ここにやって来たクラゲは、俺が最初に見た数に比べるともの凄く少ない。だからこそ、その辺は気にする必要がないと思う」

「これ以上のクラゲ……」


 呟く冒険者の様子を見ながら、レイはふと気が付く。

 目の前の冒険者は、クラゲというのを知っているのだと。

 ギルムは周囲に川はあれども、海はない。

 つまり、ギルムで育った者であればクラゲというのは見たこともない筈だった。

 あるいは人から聞いたことがある可能性もあったが。


(となると、この冒険者は自分でギルムにやって来たタイプか)


 別に、それはおかしな話ではない。

 今でこそ、大量の冒険者が仕事を求めてギルムにやって来ているが、増築工事が始まる前には自分の腕に自信のある少数の冒険者のみがやって来ていた。

 腕利きとして生誕の塔の護衛を任された冒険者であるのを考えると、恐らくそうやってギルムにやって来た冒険者なのだろうと、そう予想出来る。

 もっとも、だからどうしたということでもないのだが。

 もしくは、冬に希に出ることがあるという、空飛ぶクラゲを見たことがあるか。


「このクラゲ……一応モンスターなんだよな?」

「多分な。ただし、魔石を持ってないモンスターだけど」


 クラゲを知っていた冒険者の問いに、レイはそう答える。

 この湖のモンスターは、魔石を持っていない。

 少なくてもトカゲのモンスターはどこをどう調べても一切魔石は存在しなかった。

 だとすれば、モンスターと普通の生き物の違いを見分けるのは、あくまでも普通の生き物が出来ないような行動――この場合はクラゲが空を飛ぶ――をしているかどうかだろう。

 とはいえ、それはあくまでもレイ達にとっての認識でしかない。

 レイの知っている日本の常識においては、クラゲが空を飛ぶというのは有り得ないが、そもそもこの湖はこの世界でも、グラン・ドラゴニア帝国のある世界でもない、別の世界から転移してきた可能性が高いのだ。

 もしかしたら、この湖が転移してきた世界においては、クラゲというのは淡水に住んでいて、空も自由に飛べるといった存在であっても、不思議ではない。


(ちょっと無理があるか?)


 自分の考えにそう思わないでもないレイだったが、実際にこうして目の前を飛んでいるクラゲを見ていれば、その辺りはどうでもよくなってしまう。

 こうして飛んでいるクラゲを見れば、今は小難しいことを考えなくても、ただ目の前に存在しているクラゲ……空を舞っているように思える光景を見ているだけで十分満足出来るものだったのだから。

 一体どれだけの時間が経ったのか……やがて空を舞っていたクラゲは、その舞に十分満足したのかやがてレイ達の前から去っていく。

 今まで踊っていた全てのクラゲが、最初の一匹が帰るのと同時にその後を追う。

 ああ……と、クラゲの舞を見ていた者の誰かが残念そうに声を出すが、それはクラゲに聞こえていたのか、聞こえていないのか。

 ともあれ、クラゲの群れはレイ達の前から消えて、湖の中央に戻っていくのだった。

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